2004年7月26日 「The 24 aspects」の予定進行表 [ 1 ]

文字数 2,274文字

「ヘイ、ピーター! ちょっとこれを見てくれ」
 朝からクソ暑い中、汗だくになって二件のメッセンジャーの仕事をこなし、三件目の仕事へ向かう合間にクリサリスが近かったから昼食へ立ち寄り、涼しい冷蔵庫の中に頭を深く突っ込みながら食材を眺め回し、適当に見繕った変な匂いのするハムとくたびれたレタスをトマトケッチャプとマスタードまみれにして何重にもパンに挟んで今から頬張ろうとした矢先、ビデオ編集をしていたマイクが俺のことを呼んだ。
「おい、ゆっくりメシぐらい食わせろよな。で、何を見ろって?」
 マイクが指差すボロい編集用のモニターに映し出されていたのは口元のアップだった。
「これだ、ココだ」
 編集機の欠けたダイヤルを調整しながらマイクは自分の頭に乗せていたダクトテープで補修してあるヘッドフォンをこちらへと差し出したので、俺は食べかけのパンを口でくわえるとヘッドフォンを装着し、マイクは映像を再生させた。
「ああ、あれか、確かロビーで撮った、ミチヨだな。この薄いデボラ・ハリーのような唇は」
 一分にも満たない箇所を終わりまで流すとマイクは再び頭へと戻す。その間、映像に映っているのは、フレッドと話をしているミチヨの唇だけだった。
「なぜ、こんな映像撮ってたんだ? しかも、この時カメラを回していたのは、確か…… 俺だな。分からん、なぜ撮ったかは分からん。カメラテストでもしてたか?」
「あの時のお前のことはどうでもイイ。むしろ、これを撮っていたことを褒めてやるよ。映像に残っていることが重要だからな」
 そう言いながらマイクは映像が終わりまで来ると、また巻き戻し頭から流す。これを繰り返している内に俺はあることに気付いた。
「どうだ、ミチヨが話すと――」
「――声だ。ミチヨの声。音楽を聴いてるようで――」
「そうだ。俺もそう思って、さっきから何度も聴いている」
「これが何の会話か…… 分からんが『サンフランシスコ』って言っているところが、とくにイイな」
「そうだ。そこだ。ミチヨは、歌を歌っているように話している」
「確かに、そうだな。俺達の聴いたことのないメロディーだけど心地イイ」
 何度か繰り返し見て聴いている内に、俺はこのサンフランシスコ中のあちこちの光景を思い描いていた。ダウンタウン、ノースビーチ、チャイニーズタウン、ゴールデンゲート、様々な画が現れては自転車から眺める風景のように次々と移り変わってゆく。日頃からそれらを求めて頭に描いていたから当然だが、これ程までに静かで冷静に、かつ強烈なインパクトを与える映像は、断言してもいい、滅多に撮れるものじゃない。
「もう、俺が言いたいことは分かってるだろ?」
 手に持ったままのパンを食べるのも忘れていたが、どうやらマイクの考えも俺と同じだった。
「ああ、これが俺達の作品のオープニング、しかもタイトルシーンだ」

 俺もマイクもこの街の生まれではない。二人共、サンフランシスコに魅了され、住み着いてしまった。出会ったのもここ、クリサリス。そして、映像作品を作りたい互いの野望を語り合い、意気投合してチームを組んで今に至る。チーム名は「The 24 aspects」といって、いつも笑わず小難しい顔をしたマイクが考えた。あいつは俺とは違って、何だか難しくて深いことが好きなんだな。俺とは丸っきり違うが、でもイイ奴だ。「The 24 aspects」にした理由を聞いたら、映画の一秒間に与えられた24コマの一つ一つに解釈があって、それぞれに異なる表情を持ってるとか何とかって、その後、外観、様子、様相、性質、見解、局面、特徴、態度、向き、一瞥と、「aspect」の単語が持つ意味を辞書のようにズラズラと並べ始めたから、俺はマイクが話すのを止めさせた。そして、それ以来、ときどきマイクのことをディクショナリーと呼んでいる。
 とにかく、俺達にはまだ発表出来るような作品は無かった。仕事の合間にカメラを担いでは街へと繰り出し、ダラダラと撮影したテープが積み重なったところで俺は気付いた。目的も無く映像だけを山のように集めたところで、どんな作品を作るんだってことに。どうやら、そう思っていたのは俺だけで、マイクにはしっかりとテーマがあって、この街に交差する様々なことを詩的に、かつ突拍子も無く繋ぎ合わせた作品を作る気だった。着想を得たのは、俺達共通の好きなアーティストのウイリアム・バロウズのカットアップ技法。それの映像版ってところ。そんな面白いアイディアがあるなら共有しておいてくれと俺はマイクに言ったが、あいつは俺達が初めて映像のことで盛り上がった夜に話したらしい。酒が入ってて、しかも随分前のことなんかをこの俺が覚えている筈もなかった。

「とりあえず、キーとなる映像が決まったから、ここへ至る冒頭からの映像を簡単に繋ぎ合わせて、オープニングを仮で作ってみようと思う」
「そうすれば自ずとその後が決まるってことだろ?」
「そうだ。ところで今日は、もう仕事は上がりか?」
 すっかりとくつろいでいた俺は壁の時計に眼をやった。さっきまではクソ暑いせいで汗を散々かいたのに、今度は背中から変な汗をかくことになった。
「おいおい、ヤバいだろ! さすがにもう行かないと、先方からクレームを受けちまう!」
 俺はお気に入りのワッペンで前面を埋め尽くしたメッセンジャーバックを担ぐと、急いで部屋を出ていこうとした。
「おい、ピーター、気を付けてな。ついでに、自転車を漕ぎながら、良いアイディアと良い撮影スポットを探すことも忘れるなよ」
「任しとけ、いつも通りだ!」
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