2004年7月22日 [ 4 ]

文字数 3,036文字

 妙な間だった。刻まれた時間はほんの僅かだろうが、互いに続いて出る言葉もなく、サンフランシスコの夜の路上で立ちすくむ時は長いどころか止まっているようで、すぐ隣に居た連れの女の子の気配すら無くなる程、特異な空間に迷い込んだようだった。こうなることもある程度予想はしていたけれど、突然訪れたタイミングというものに面喰ったのは彼だけではなく、気持ちも含め、少なくとも私が準備不足だったのは確かだった。親に怒られた子供が塞ぎ込み黙ってしまう場面にもよく似ている。正に親子なのだから…… 私はそんなことを考え続けていた。そして、この場を打ち破ったのは、心配して後を追うように出てきてくれたフレッド達だった。
「ホウ、探偵助手の推理が正しければだが…… ホウ、お前がお尋ね者ってわけか!」
「――今宵はダニエルとの再会もあり、何かあると思っていたが、こんな結末が待っているとは…… 長く旅をしていると色々なことが起きる」
「――このシチュエーションが何なのかわしにはさっぱり分からんが、立ち話もあれだ、酒でも飲みながら話すのはどうかね、皆さん」
 さっきまで座っていた席はもう埋まっているだろうし、賑やかなのは落ち着いて話せないということで、さらに奇妙な一行となった私達は店を移動することにした。もちろん、若い男女の同意は無いままに。

 メインストリートから逸れた横道にある人気の無さそうなバーへと入ると、ブルーグラスが流れる陽気な雰囲気とは裏腹に、店内はこのエリア特有の雰囲気で溢れていた。数少ない客達は一斉にこちらへと視線を投げ掛けたがすぐにまた眼を逸らし、そんな店内には客も含めて見る限り男の容姿をした人しかいない。店員に至っては、厚い胸板や自慢の肉体美を見せつけるかのように上半身は裸で、テンガロンハットにぴったりとしたジーンズ、足元のウエスタンブーツは磨き上げられ薄暗い店内でもその光沢が分かる程だった。先程と趣は違うが、ここもまた独特の世界観で、これから込み入った話をするのに大丈夫かと心配になる。
 気を利かしたフレッドが皆の注文を尋ねカウンターでオーダーを済ますと、改まった口調で場を仕切り始めた。私も彼も口を開かずに黙ったままだったので、こんな時のフレッドの積極的な行動は有難い。
「ホウ、もしもだ、俺達が邪魔なら別のテーブルへ行くが?」
 フレッドの提案を退け、このまま一緒に居て欲しいことを伝えると、店の奥にあった大きなボックス席を六人で囲んだ。
 老人が二人、白衣の若者、アジア人が三人、嫌でも目立つ集団だった。店内の他の客達からの視線を時折感じながら、いつまで経っても俯いたまま顔を上げない彼にどう話し掛ければよいか思案していると、なぜか一人だけすでに赤ワインを満たしたグラスを手に持つジョージさんが手助けをしてくれた。おそらくグラスはバーバーバーの物だろう。
「若い方々は、どこから来なすった?」
「私達は日本から来ました」
 ハキハキとした丁寧な日本人らしいアクセントの英語で答えたのは女の子の方だった。自信に満ち溢れた表情を彩る少しアメリカの影響を受けた濃いメイクが、恐れを知らない若さとその危うさを表している。若くしてアメリカへ来る日本人特有の雰囲気。それに比べ彼は、女の子の横でずっと下を向いたまま、一切、皆の顔を見ようとはしなかった。
「旅は素晴らしい」
 ジョージさんはワイングラスを軽く掲げると一人で先に飲み始めた。またもや沈黙が始まる。人に頼っている場合ではないことを分かっていても、こんな時、どう話せばよいのか私には全く分からなくて、そもそも旅の始まりからすでに億劫で、このまま見つからず帰国することを期待していたのは、この状況を何度想像してみても上手くいくイメージが湧かなかったからだった。
 お盆に乗ったドリンクが腰をくねらせたカウボーイによって運ばれてくる。目深く被ったテンガロンハットの大きなつばの下に潜む顔は、一昔前のハリウッドスターのような端正な顔立ちで、アメリカ人が好む典型的な美形という感じだった。カウボーイはテーブルの側で立ち止まると、すぐにドリンクは配らずに、近くに座っていたダニエルさんの耳元で何やら囁いている。一通り話を聞き終えたダニエルさんは頷くと、自分とジョージさんを指差し、次にフレッドと彼を、最後に私と女の子と順に指差し、カウボーイの耳元で何かを話すと、カウボーイは満面の笑みでドリンクをテーブルに置いて去っていった。おそらく、各二人がカップルであると言ったのだろう。事態を察したフレッドと私がダニエルさんの方を見ると、まるで子供のようなやんちゃそうな顔で小脇に構えた両手でサムズアップをしていたが、終始俯いている彼は別として、女の子はキョトンとした顔で私達を見回していた。

「ホウ、さて、このままミサのような雰囲気で過ごしても酒が不味くなるだけだ。ホウ、ここは俺が取り仕切ってもかまわないだろうか、ミチヨ?」
 私は頷いてから彼の様子を窺ったが、相変わらず俯いたままだった。
「ホウ、では早速だが、ミチヨが探していたのは、この若い男で間違いないと? ホウ、そして彼は犯罪者か? 宇宙人か? 一体何者なんだ?」
「ええっと…… 私の息子…… です」
「ホウ! マジか! ミチヨの息子? ホウ! 息子にしては大き過ぎるし、アジア人の見分けが俺には正直付かないとしてもだな、ミチヨは一体いくつなんだ!」
「いやいや! その…… つまり…… 法律上の…… ってことで…… 結婚相手の連れ子が正しいのだけど…… そこにも込み入った事情がありまして……」
 何を言っても誤解される展開に私まで俯きそうになりながら、ただ彼の方を見ると、ついに顔を上げ、分かりやすいぐらい驚いた表情でこちらを見ていた。
「ホウ、そういうことなら納得だ。ホウ、どうりで似てない訳で、ましてや年齢なんてそんなに変わらないように見える。ホウ、それで、なぜミチヨは彼を追ってサンフランシスコまでやって来たんだ?
「その、つまり…… 夫というか…… 彼のお父さんに頼まれて…… 彼と連絡が付かないから探してきて欲しいと……」
「ホウ、もっともだ。俺も散々親には心配を掛けたからな。ホウ、そこで、君は…… まあ答えたくないなら、それでもイイ、では、お嬢さんは…… ホウ、失礼、私はフレッド、会えて光栄、なぜサンフランシスコに居る?」
「こちらこそフレッドさん、私の名前はサユリです。私は大学で勉強する為に、この街に住んでいます」
「ホウ、勉強とは立派だ、大学をドロップアウトした俺の分まで勉学に励んでくれ。ホウ、それで、そこで俯いている君、寝るにはまだ早い。ホウ、サンフランシスコの夜は長いからな!」
 サユリが肘で突くと渋々顔を上げた彼は、一同を見渡した。
「ホウ、おはよう、私はフレッド、ミチヨの泊っているホテルのオーナーだ。ホウ、君はなぜこの街へ来たのかな?」
 フレッドのおかげで少しは勢い付いてきた場も、彼の長い沈黙でまた逆戻り。見かねたサユリが彼の耳元で何か日本語を囁くと、ようやくその固い口が薄く開く。
「か、観光……」
「――旅は素晴らしい」
「――そうだ、レールがどこへ続くかを確かめなくてはならない」
 ジョージさんとダニエルさんも彼の言葉を拾い上げ、この状況を何とか打破しようとしていてくれているのが有難かった。しかし、どうやら彼は英語が苦手なようで、また俯くと、それ以上話そうとはしなかった。
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