2004年8月1日 [ 1 ]

文字数 1,819文字

 洗濯物をランドリールームへ持っていく途中、通り掛かったロビーではフレッドが難しい顔をして髪を掻き毟っていた。衣類を投げ込んだ洗濯機が動き出し、少し時間を持て余していた私がロビーへ行くと、相変わらず難しい顔のままフレッドはフリーズしている。
「そんな難しい顔して、どうしたの?」
「ホウ、それはこれが原因だ」
 そう言って、真新しい白衣のポケットからフレッドが掲げたのは、あのジョージさんの小さなノートだった。
「ホウ、大した額じゃない、そうだ、大袈裟に考えるからダメなんだが、しかし……」
 呪文を唱えるかのように何かについてぶつぶつと言うフレッドだったが、私にはそれが全く分からない。ただ、難しい顔は情けない困り顔へと移り変わる。
「何の話なの?」
「ホウ、そうか、ミチヨは知らない、いや、このことを知っているのはジョージと俺だけだな。ホウ、つまりだな、大した額じゃないが遺産を押し付けやがったんだジョージの奴」
 そう言ってフレッドは小さなノートをパラパラと捲り、あるページを開くと私の眼前へと突き出してきた。余りに近すぎて何も読めないので少し仰け反りながらそのページを見てみると、そこにはこれまた小さな筆記体でびっしりと綺麗な文字が書いてあり、私にはどこからどう読めばよいのかも判断がつかなかった。
「つまり、これは遺書だったってこと?」
「ホウ、そこまで堅苦しいものでもないんだが…… ホウ、日記に近いが毎日書いている訳でもないし、読んでいる内に突然俺宛の遺産の隠し場所の話が出てきて…… ホウ、思い付いた! 赤ワインを大量に購入して墓にぶちまけてやろう! ホウ、そうだ! きっと、ジョージも喜ぶぞ!」
「ダメ、そんな使い方はジョージも喜ばないわ。他に身寄りがなくて、あなたは息子みたいに可愛かった存在だった訳でしょう? ジョージの為にも大切に使ってあげないと。くだらないことに使ったら、私が許さないからね」
「ホウ、そうは言ってもな…… 今は全く考えられんな」
「別に今すぐじゃなくてもイイじゃない。いつか、きっとそれを使うべきタイミングが来るから」
「ホウ、じゃあ、その時が来たら、いつも飲んでいた安い赤ワインのボトル一本ぐらいは墓にぶちまけてやるとするか」
 どうしてもお墓にワインをぶちまけたいフレッドだったが、それを馬鹿げた話とも私には思えず、そんな彼らしい愛情表現をジョージさんも望んでいそうな気がした。


 フレッドと話し込んでいる内にランドリールームでは洗濯が終わっていた。脱水の終わった服を乾燥機へ移しコインを投入すると、今まで眠っていた機械は与えられた自分の仕事をし始める。乾燥機は回り、衣類が舞うのをぼんやりと眺めながら、ここ数日のことを改めて思い返した。
 ジョージさんの死について、フレッドは無理にでも立ち直ろうとしていたが、意外に一番落ち込んでいるのはアツカネのようだった。もちろん、あの一件から、ちゃんと話は出来ていなくて、顔を合わせれば挨拶ぐらいはするものの、その後、彼が何をしているかは詳しく知らない。ただ、フレッド曰く、あの日ジョージさんが同行していなかったら私達が出会うことも無く、そのことはアツカネにとっても大きなきっかけであり、思い悩むことがあるみたいだった。それにしても、私は未だにアツカネへ掛ける言葉やするべきことが分からないままだ。心配であるからこそ、本来こんな時は母親の出番なのだろうが、認めてもらえないこの母親は何をすればよいかも分からず、乾燥機の中でぐるぐると回る衣類を眺めている。十分な時間がある訳でも無いのに……

 あの長い一日を振り返ると、前半のどうしてよいか分からず彷徨い歩く時間と後半のジョージさんのことは振り子のように両極へ振れていたように感じる。それら全てが同じ人生なのだとすると、私にとってそれらがどういったものなのか、まだそれ程、時が過ぎ去らない内に明らかにしておきたかった。後半が死なのは明白であり、では前半が生に関する何かというのは安直な考えなのだろうか。もやもやしたまま、考えは余計に深入りしそうなところで乾燥機は回転を弱め、やがて完全に動きを止めると終了のブザーを鳴らし、また眠りに就くのだった。ふわふわでほかほかの衣類を取り出し畳みながら、とりあえず、私は生きているからこそこんなことを考えるし、洗わないといけない衣類が最小限であるこの瞬間こそ、妙な幸せを感じることだけは確かだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み