2004年7月22日 [ 2 ]

文字数 2,087文字

「ホウ、閃いた! が、少しやっかいでもある。ホウ、でも、仕方ないか…… いや、他に何かあるはずだ」
 万策尽きていた私はフレッドの新たなアイディア待ちの為、薄暗く照明も点いていないロビーで過ぎゆく時をそのままに午後を過ごしていたが、昼食を終えてからもずっと黙って考え事をしていたフレッドがようやく口を開いたかと思えば、どうやら表情は浮かない様子。ぶつぶつとあれこれ言葉を発しながら、ロビーを行ったり来たりし、煙草に火を点けたかと思うと一口吸って、残りはやがて燃え尽き灰となり灰皿に横たわる。髪を掻き毟り、天井を見つめ、また歩き出し、ソファーに腰を下ろしたかと思うと立ち上がり、最後は入口のドアを引くと、そのまま外へ出て行ってしまった。ロビーに独り取り残された私、これはお留守番なのか…… 飲み干した珈琲カップのような空虚な午後は、時間の澱みの中に沈んでいるようだった。


「ああ、ミチヨさんじゃないか、お目当ての人には会えたのかい?」
 ロビーでフレッドの帰りを待って数時間経った頃、ジョージさんがやって来た。事の顛末を伝え、フレッドが居なくなった事を説明するとジョージさんは優しく微笑む。
「フレッドは考え事が煮詰まると近所を当てもなく歩き回る癖があってな、おそらくそんな遠くへは行っておらんだろうし、その内、閃いた! とか言って戻ってくるさ。それより、赤ワインをグラスでいただけるかな?」
 そんなものなのかとぼんやりとした頭のまま、何も疑問を抱かずに私はカウンターの中へと入り、カウンターの上に置いてあった開封済みのボトルを手に取るとコルクを外し、空のワイングラスへ赤い液体を注いだ。
「いつもより少し多いな、ありがとう。フレッドはケチだから、いつも少ない量しか注いでくれない」
 グラスをカウンターへ差し出すと、ようやく私は自分が勝手な行動を無意識にしていたことに気が付いた。あのフレッドのことだから私を咎めるようなことはきっと無いだろうが、普段からライブハウスでマスターの好き勝手こき使われているからか、これは悲しき条件反射……
「ほら、悪魔の話をすれば、フレッドめ、やって来たぞ」
「ホウ、ジョージ、今日は早い出勤だな。ホウ、ミチヨ、とりあえずだ、今晩、若者が集まりそうなナイトスポットを巡ることにしよう。ホウ、見つけられなくても、何か情報が手に入るかもしれない。ホウ、そういう訳でジョージよ、すまないが今宵は探偵業で忙しい、バーは休みだ」
「なるほど、ここのバーは休みかもしれんが、お前とミチヨさんはどうやら酒が提供される場所を巡るということだろ? なら、私もご一緒してよかろうかミチヨさん?」
「ホウ、ジョージも来るか? ホウ、一緒に来たらイイさ、これで仲間が三人になった、面白くなってきたぞ! ホウ、ミチヨ、冷蔵庫の缶ビールを一つ取ってくれ!」
 私の意見など聞くまでもなく話しはどんどん進み、どうやら今晩は三人で夜の街を探し歩くことになったようだ。一人では最早どうすることも出来ないので、手伝ってくれるのは有難かったが、それにしても、私がカウンターの中に居ることを何も言わないどころか、ここでも都合良く使われてしまっているのは、どうやら私自身に問題があるのかもしれない……


 まだ陽も完全に落ちてはいないサンフランシスコの街は、私の知る限り日本の夏の夕刻には無い薄紫色からピンク、黄色からオレンジ色までのグラデーションの色彩が広がっていた。しかし、外は肌寒く、時刻が20時になろうとしているのに明るいことは少し違和感があった。色が変化してゆく空、遠い所へ来たんだという実感と私の主観を通して感じる世界が、この先の私の人生において、どう思い返し映るのだろうかということを羽織っていたパーカーのフードの中で考えていた。これまでにも似たようなことを想うことはあった。何となくフードを被ると安心感みたいなものが芽生え、すでに遠くなった意識へと手が届きそうな気にもなる。夜を告げるオレンジ色の外灯がぽつぽつと灯り始め、くすんだ白いコンクリートの道を照らす。繋ぎ目の盛り上がった浮いた道は大海原に立つ白波のようで、ここからは随分と遠い志摩の夕焼けを思い浮かべる。今こうして過去の光景が時代を越えて蘇り、そしてまた、波のように消えてゆく。今度、思い返すのはいつのことだろうか。その時、私はどこを漂い、何をしているのだろうか。ほとんど薄紫色に染まった空に小さな星を見つけた。あの星の輝きもまた、遠い時間からようやく辿り着いた光の反射の連続性の一瞬だ。この輝きを見たのは世界で、いやこの宇宙の中で、私一人だけだろうか。また私は、この私に出会った。
「ホウ、ミチヨ! バスが来たから走れ!」
 ここはサンフラシスコ、夜が訪れ、私はフレッドとジョージさんと道の上にいた。小柄なジョージさんを抱き上げ前を走るフレッド、私は被っていたフードを下ろし、少々痛む足で駆け出した。何となくだけど…… 私は、あの私を独りここへ残し、去り行くような気がした。もう二度と訪れることは出来ない、今日のサンフランシスコの路上に。
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