意識外の挑発
文字数 3,199文字
摂政府に戻ったサキは、同じくレンカ城から戻ってきたニコラにこれまでのあらましを伝えた。
幼少の頃から、姉に課題の答え合わせをしてもらうのが、サキの習慣だった。
話を聞き終えたニコラは、少しの間眼を閉じて、情報を整理している。
昔から、緊張に包まれる瞬間だった。サキもそれなりに頭は回るので、回答が全くの見当違いだったり無意味だったり、という例は少ない。ただ今一歩のところで躓いたり細部を見落とす傾向があり、その部分を指摘されるのが屈辱だった。
姉は最初、大体の枠組みは上手く解けていると賞賛してくれる。
その後で付け加える。「一つ、気になったところがあるのですが・・・」と。
「どうですか姉上。間違ってないですよね。僕が評議会で話した論拠、問題なかったですよね」
「問題ありません」
ニコラはきっぱりと告げた。
「たいしたものです。満足に調査期間もとれなかった状況下で、よく組み立てたものです」
「本当ですか!」
サキは喜んだ。厳しいからこそ、姉の誉め言葉には黄金の価値がある。
「ただ、一点、気になった部分があるのですが」
・・・・・・そら来た。
「いえ、失点や、見落としとは異なるものです」
ニコラは手を振って否定する。
「ただ聞いておきたいのです。議長の軍装について、強調しなかったのは意図的なものですか」
「軍装、ですか」
全く予想外だった。
「あえて外したわけではないのですね。議長の遺体は軍服を纏っていました。それが気がかりなのです」
ニコラは空間から知識を取り出すように、視線をさまよわせた。
「サキ、これまであなたは幾度となく決闘の立ち会い役を務めて来ました。私も何度か見学させてもらいましたが、当事者二人が、ピエロの扮装をしていた決闘を覚えていますか」
「ああ・・・さすがに記憶に残ってます」
サキは闘技場の光景を思い出した。白塗り、唇は黒、黄色の三角帽子を被った決闘者たち。
「あれは扮装じゃないんです。彼らはサーカスで働いていた道化師だったんですよ。どっちかがどっちかの・・・どっちもだったかな?奥さんに手を出したとかで、決闘になったんです」
「つまり彼らは職場の扮装をして戦った。一種の制服をまとっていたということになりますね。似たような事例は思い浮かびますか」
「ありますよ。というより、同じ職場で働いている同士が決闘をする際は、大体そうなります」
無理に記憶をたどらなくても、サキは用意に事例を思い返すことができた。
「ゴンドラ乗り同士、郵便配達府同士、同じ貴族に使える使用人同士。大体職場の格好をして戦っていましたねえ」
ああいうのはどういう心理だったのだろう、サキは考える。職場で起きた諍いだからという発想か、自分が一番誇りを抱いている格好で戦いたかったのかーーーマクベスの格好をしたまま銃をとったシェイクスピア俳優もいたっけ。まあ、何割かは
「軍人の方はどうでしたか?」
ニコラが質問を重ねた。
「職業柄、他のお仕事の方より数は多いと思われますが」
「それはもう、相当な割合でしたよ。もちろん軍服を来て―――」
サキの言葉が止まった。
「あれ」
サキは議長に一度だけ邂逅した最初の評議会を思い出す。あのとき、議長は軍服を纏っていた。軍の最高意志決定機関なのだから、それは当然だ。しかし、いばら荘では?
「戦争中でもないのに、自宅で軍服を身につけていた」
ニコラは指先で前髪をいじりながら、
「あなたの推測通り議長の死因が決闘であれば、彼は、軍服で決闘に臨んだことになりますね」
「それはつまり」
サキは重大な事実を見落としていた。それはつまり、これまでの決闘と同じ事情。
「決闘の相手も、軍人という意味ですか」
「そう考えるべきでしょうね」
ニコラは頷く。
「推察できる事実は、それだけではありません。基本的に決闘というものは、社会的、階級的に同位の人物間で行われる解決手段ですよね」
サキは空気を飲み込んだ。
明確な規定があるわけではない。しかし通念上、決闘は当事者の立場に隔りがある場合、成立しにくいものなのだ。
たとえば当事者の一方が社長でもう片方が平社員という場合、諍いが起こったら社長は平社員を解雇してしまえばいいだろうし、平社員はそれを不服として同業組合に訴えてもいい。
しかしこれが「社長同士」であれば色々と差し障りが生まれる。社会的地位を持つ人物ほど、対立は周囲を巻き込んでしまい、結果的に被る損害は計り知れない。決闘には、そうした被害を当人同士の範囲に収めるための次善の策という意味合いも含まれているのだ。
だからこそ、決闘の当事者は同格に近い関係である例が多い。
これを軍隊にあてはめて考えた場合、議長と決闘を行った相手は、議長とほぼ同等か、それに近い階級の人物、という結論になる。
「・・・・議長と同じ、宮廷軍事評議会評議員が犯人、というわけですか」
サキは本日の評議会で交わされた質疑応答を思い出す。
(議長の決闘の相手は誰で、なぜ決闘をするような次第になったのか、どのようにお考えですかな)
(そんなことは知りません。私の仕事は、カヤ嬢が犯人ではないという論拠を提出することだけです。前回、そういう取り決めをしたはずですよね。真犯人と動機に関しては、そちらで改めて調査していただくしかないのでは?)
サキは焦る。もし推測通りだったなら、挑発と取られかねない発言だ。評議会とは対立しているのは確かだけれど、とことんまで追い込みたいわけではない。
「いや、決めつけるのはよくない」
サキは執務室の本棚から最新版の軍属名簿を捜し当て、高官のページをめくる。グリムは軍政を掌握する評議会の一員であり、階級としては元帥だった。評議員以外にも元帥の位を持つ軍人がいれば、彼らも容疑者の範囲内となる。
あいにく三ヶ月前に出版されたばかりのこの名簿によると、元帥として記されているのは亡きグリムを除けば、ゼマンコヴァ・イオナ・マリオンの三名だけだった。
「まずいことをしたんですかね、僕は」
名簿を閉じ、サキはうなだれる。
「カヤを助けたいだけで、本当に、真犯人が誰かなんてどうでもよかったんですよ。けどあの三人の中に下手人が混じっていたとしたら、僕は知らない内に相手を崖上まで追いつめていた構図になってしまう。せっぱ詰まったら、どんな手をつかってくるか・・・いや」
頭の中を楽観に変えようと努力する。
「軍人同士の決闘を何組か見て来ましたけれど、必ずしも同階級同士の決闘ばかりじゃなかったと思います。階級が近ければ成り立つんです。大佐と中佐、少佐と大尉とか。だから議長の相手も、同じ元帥とは限らないわけで」
「そうですね。議長と深刻な対立が生まれかねないほど近しい関係にあり、階級もそれほど変わらない軍人と言えば」
姉が乾いた声で告げる。
「カザルス少将や、フェルミ大佐が当てはまるでしょうか」
「・・・・・・」
ややこしい面子が加わった。
サキは頭を抱える。
「しくじりましたか、僕」
「さっきも言いましたが、何も間違ってはいませんよ」
ニコラは断言する。
「あなたは拾い集めた情報のかけらを適切に組み上げただけなのです。評議会の面々を糾弾するような内容に見えたとしても、それは罪を犯したものの責任です。むしろ、軍服の件に言及しなかったために、手心を加えたと評価されるのではないでしょうか」
「だったらいいですけど」
サキは不安でならない。
評議員の誰かと議長が決闘を執り行い、結果、死人が出たのならば、それは評議会内部の問題だ。
勝手に片づけてもらってかまわない。カヤさえ助かるなら、犯人が誰かなんて些細な問題だった。
幼少の頃から、姉に課題の答え合わせをしてもらうのが、サキの習慣だった。
話を聞き終えたニコラは、少しの間眼を閉じて、情報を整理している。
昔から、緊張に包まれる瞬間だった。サキもそれなりに頭は回るので、回答が全くの見当違いだったり無意味だったり、という例は少ない。ただ今一歩のところで躓いたり細部を見落とす傾向があり、その部分を指摘されるのが屈辱だった。
姉は最初、大体の枠組みは上手く解けていると賞賛してくれる。
その後で付け加える。「一つ、気になったところがあるのですが・・・」と。
「どうですか姉上。間違ってないですよね。僕が評議会で話した論拠、問題なかったですよね」
「問題ありません」
ニコラはきっぱりと告げた。
「たいしたものです。満足に調査期間もとれなかった状況下で、よく組み立てたものです」
「本当ですか!」
サキは喜んだ。厳しいからこそ、姉の誉め言葉には黄金の価値がある。
「ただ、一点、気になった部分があるのですが」
・・・・・・そら来た。
「いえ、失点や、見落としとは異なるものです」
ニコラは手を振って否定する。
「ただ聞いておきたいのです。議長の軍装について、強調しなかったのは意図的なものですか」
「軍装、ですか」
全く予想外だった。
「あえて外したわけではないのですね。議長の遺体は軍服を纏っていました。それが気がかりなのです」
ニコラは空間から知識を取り出すように、視線をさまよわせた。
「サキ、これまであなたは幾度となく決闘の立ち会い役を務めて来ました。私も何度か見学させてもらいましたが、当事者二人が、ピエロの扮装をしていた決闘を覚えていますか」
「ああ・・・さすがに記憶に残ってます」
サキは闘技場の光景を思い出した。白塗り、唇は黒、黄色の三角帽子を被った決闘者たち。
「あれは扮装じゃないんです。彼らはサーカスで働いていた道化師だったんですよ。どっちかがどっちかの・・・どっちもだったかな?奥さんに手を出したとかで、決闘になったんです」
「つまり彼らは職場の扮装をして戦った。一種の制服をまとっていたということになりますね。似たような事例は思い浮かびますか」
「ありますよ。というより、同じ職場で働いている同士が決闘をする際は、大体そうなります」
無理に記憶をたどらなくても、サキは用意に事例を思い返すことができた。
「ゴンドラ乗り同士、郵便配達府同士、同じ貴族に使える使用人同士。大体職場の格好をして戦っていましたねえ」
ああいうのはどういう心理だったのだろう、サキは考える。職場で起きた諍いだからという発想か、自分が一番誇りを抱いている格好で戦いたかったのかーーーマクベスの格好をしたまま銃をとったシェイクスピア俳優もいたっけ。まあ、何割かは
やらせ
だったわけだけど。「軍人の方はどうでしたか?」
ニコラが質問を重ねた。
「職業柄、他のお仕事の方より数は多いと思われますが」
「それはもう、相当な割合でしたよ。もちろん軍服を来て―――」
サキの言葉が止まった。
「あれ」
サキは議長に一度だけ邂逅した最初の評議会を思い出す。あのとき、議長は軍服を纏っていた。軍の最高意志決定機関なのだから、それは当然だ。しかし、いばら荘では?
「戦争中でもないのに、自宅で軍服を身につけていた」
ニコラは指先で前髪をいじりながら、
「あなたの推測通り議長の死因が決闘であれば、彼は、軍服で決闘に臨んだことになりますね」
「それはつまり」
サキは重大な事実を見落としていた。それはつまり、これまでの決闘と同じ事情。
「決闘の相手も、軍人という意味ですか」
「そう考えるべきでしょうね」
ニコラは頷く。
「推察できる事実は、それだけではありません。基本的に決闘というものは、社会的、階級的に同位の人物間で行われる解決手段ですよね」
サキは空気を飲み込んだ。
明確な規定があるわけではない。しかし通念上、決闘は当事者の立場に隔りがある場合、成立しにくいものなのだ。
たとえば当事者の一方が社長でもう片方が平社員という場合、諍いが起こったら社長は平社員を解雇してしまえばいいだろうし、平社員はそれを不服として同業組合に訴えてもいい。
しかしこれが「社長同士」であれば色々と差し障りが生まれる。社会的地位を持つ人物ほど、対立は周囲を巻き込んでしまい、結果的に被る損害は計り知れない。決闘には、そうした被害を当人同士の範囲に収めるための次善の策という意味合いも含まれているのだ。
だからこそ、決闘の当事者は同格に近い関係である例が多い。
これを軍隊にあてはめて考えた場合、議長と決闘を行った相手は、議長とほぼ同等か、それに近い階級の人物、という結論になる。
「・・・・議長と同じ、宮廷軍事評議会評議員が犯人、というわけですか」
サキは本日の評議会で交わされた質疑応答を思い出す。
(議長の決闘の相手は誰で、なぜ決闘をするような次第になったのか、どのようにお考えですかな)
(そんなことは知りません。私の仕事は、カヤ嬢が犯人ではないという論拠を提出することだけです。前回、そういう取り決めをしたはずですよね。真犯人と動機に関しては、そちらで改めて調査していただくしかないのでは?)
サキは焦る。もし推測通りだったなら、挑発と取られかねない発言だ。評議会とは対立しているのは確かだけれど、とことんまで追い込みたいわけではない。
「いや、決めつけるのはよくない」
サキは執務室の本棚から最新版の軍属名簿を捜し当て、高官のページをめくる。グリムは軍政を掌握する評議会の一員であり、階級としては元帥だった。評議員以外にも元帥の位を持つ軍人がいれば、彼らも容疑者の範囲内となる。
あいにく三ヶ月前に出版されたばかりのこの名簿によると、元帥として記されているのは亡きグリムを除けば、ゼマンコヴァ・イオナ・マリオンの三名だけだった。
「まずいことをしたんですかね、僕は」
名簿を閉じ、サキはうなだれる。
「カヤを助けたいだけで、本当に、真犯人が誰かなんてどうでもよかったんですよ。けどあの三人の中に下手人が混じっていたとしたら、僕は知らない内に相手を崖上まで追いつめていた構図になってしまう。せっぱ詰まったら、どんな手をつかってくるか・・・いや」
頭の中を楽観に変えようと努力する。
「軍人同士の決闘を何組か見て来ましたけれど、必ずしも同階級同士の決闘ばかりじゃなかったと思います。階級が近ければ成り立つんです。大佐と中佐、少佐と大尉とか。だから議長の相手も、同じ元帥とは限らないわけで」
「そうですね。議長と深刻な対立が生まれかねないほど近しい関係にあり、階級もそれほど変わらない軍人と言えば」
姉が乾いた声で告げる。
「カザルス少将や、フェルミ大佐が当てはまるでしょうか」
「・・・・・・」
ややこしい面子が加わった。
サキは頭を抱える。
「しくじりましたか、僕」
「さっきも言いましたが、何も間違ってはいませんよ」
ニコラは断言する。
「あなたは拾い集めた情報のかけらを適切に組み上げただけなのです。評議会の面々を糾弾するような内容に見えたとしても、それは罪を犯したものの責任です。むしろ、軍服の件に言及しなかったために、手心を加えたと評価されるのではないでしょうか」
「だったらいいですけど」
サキは不安でならない。
評議員の誰かと議長が決闘を執り行い、結果、死人が出たのならば、それは評議会内部の問題だ。
勝手に片づけてもらってかまわない。カヤさえ助かるなら、犯人が誰かなんて些細な問題だった。