誠意のない謝罪
文字数 3,113文字
「申し訳ございません」
これまでに幾度となく耳にした謝罪の言葉だった。豹変するでもなく過度に恐縮するでもなく、来客を迎えた際と大差のない自然体で、赤薔薇家の家宰はそこにいる。
「弁解するつもりはなさそうじゃの」
ゼマンコヴァが唸る。
「見上げたもの、と褒めてやるべきか。こちらへ来る暇があったら、共和国へでも渡ればよかったものを」
「命は惜しみません」
バンドは薄笑いを浮かべた。
「本日、私がこちらに伺わせていただきましたのは、私が何者であるか、この身を何に捧げる者であるかをお伝えするためなのです」
言葉を区切り、バンドは服の胸元から小振りな旗を取り出した。
それはサキが戦場で嫌になるほど目にしていた、天使の旗だった。
「革命軍」
マリオンが蛙のように目を見開いた。
「貴様、共和国軍の間蝶かっ!」
「厳密には違います」
バンドは悲しげに首を振る。
「共和国軍に賄賂をもらっているわけでも、指示を受けているわけでもございません。単純に彼らの思想に共感を覚え、我が国にも革命の恩恵をもたらさんと活動を続けてきた者にございます」
「革命の信奉者というわけか」
イオナが吐き捨てるように言う。
「どうして……」
姉の説明と本人の言葉を聞いてもなお、サキには信じられなかった。
「あれだけ僕の調査に協力してくれたあなたが、カヤを処刑させようと圧力をかけていた本人だったなんて」
「申し訳ございません。ですが、ご心配なく。調査に際して、偽りやはぐらかしは一切いたしておりません。殿下のご質問には、すべて正直にお答えいたしております」
「何のために!」
「当初の目的は、評議会の皆様と殿下の間に決定的な間隙をつくらせることにございました」
バンドは舞うように体を旋回させた。
「秩序ある国家に、革命は成り立ちません。殿下と評議会の対立が取り返しのつかないほど深刻なものとなり、内戦が勃発するまでに至れば、その隙に乗じて革命を旗揚げするつもりでございました」
「なるほど。あなたにとって僕は、火種の一つだったのか」
サキは唇を噛む。他人の掌上で転がされていた事実が腹立たしい。
「おのれ、使用人風情がっ!」
同様の憤慨を感じただろうマリオンが叫ぶ。
「人畜無害を装って、我らを欺き、好き勝手に操って来たわけか!では、議長を殺害したのも貴様だなっ!」
気の抜けたような沈黙が場を包んだ。
「それはないですよ」
カザルスが手をひらひら動かす。
「バンドは軍人ではないし、議長との間には明確な上下関係が存在する。議長が決闘を承知するわけがありません」
「あ、そうだなそれはそうだ」
早合点を恥じたのか、マリオンは赤面する。
「だが!貴様が赤薔薇家で陰謀を巡らせていたのは事実!ならば議長の決闘相手も把握していただろうっ。言えっ」
「存じ上げておりません。申し訳ありませんが」
バンドは肩をすくめた。
「以前より私は、フランス革命の理念に尊さを感じ、我が国でも同じような転機が訪れるのであれば馳せ参じたいと夢描いておりました。そんな折、旦那様より、お具合のよろしくない義弟君と叔父上を隔離するよう命令を受けたのです。お二人を人目につかない場所に移し、印章等を取り上げ、日常の決済はこの私が代わりに執り行うようにとのお申し付けでした」
「それって」
カヤが目を瞬いた。
「わたしのため?」
「今思い返すと、そうだったかと思われます。カヤ様を後継者に据える場合、いくつか面倒な決済を要しますので、お二人の決済権を奪ってしまおうと考えられたのでしょう。ですが実際には、旦那様が先に亡くなってしまわれました。言い訳ではございませんが、暫くの間、私は途方に暮れていたのでございます。そんな折、あの文書が届きました。その内容が軍高官の背信行為を示唆していると理解したとき、頭の中に絵図が浮かびました。カヤ様と文書を利用して、殿下と評議会の皆様を相争わせる計画にございます。途中までは上手く運んだものの、やはり陰謀等というものは、思い通りに糸車を回せるような代物ではございませんでした」
バンドは自嘲するように口元から歯を覗かせる。これまでサキが言葉を交わしてきた赤薔薇家の家宰が見せなかった表情だ。
「というわけでやり口を変え、文書を公表して民衆の憎悪をかき立てる方向に舵を切ったのでございます」
「矛盾していませんか」
ニコラが疑念を挿む。
「あなたは革命に共感しているのでしょう?グロチウスに情報を売った背信者が存在するとしたら、その人物は貴方と同じ革命軍への協力者ということになります。味方を告発しているに等しいのでは?」
「私は隣国に我が国を併呑して欲しいと願っているわけではございません」
バンドは両掌を合わせる。
「むしろ国ごとに異なる形の革命があり、民衆自身の判断で政事を動かして行くような図式が望ましいと考えております。ですから共感はするにせよ、隣国への内通者を味方とは考えておりません。加えて、大事の前の小事という考え方もございます。民衆が権利を得るためであれば、一人が犠牲になるのも仕方がないのではと」
「まだ判らない」
サキは一歩前に出て、バンドを見据える。
「ここまで好き勝手に事態を動かしておきながら、逃亡もせず、僕たちの前に現れたのはどうしてです?」
「自らに課した、罰にございます」
バンドは背筋を伸ばし、胸をわずかに張った。
「親の代も含め、旦那様にはよくしていただきました。その旦那様の死を利用して、あまつさえその一粒種を生命の危機に晒してまで、己の望みを成し遂げようとしたのです。たとえ願いが叶い、革命が成し遂げられるとしても」
サキは驚いた。バンドの両目に、水滴が光っている。
「この私が、その光景を目にするなど許されないと思うのです。ゆえに今、参上いたしました」
「おかしいではないか!」
ゼマンコヴァが喉を絞るように悲痛な声を上げた。
「それほど主家を思っていながら、なぜ世の中をひっくり返そうなどと思い至ったのだ!」
「仰るとおり、おかしいのでしょう」
バンドは窓の青に眼を向けた。
「私自身は、貴族の方々にお仕えすることを苦痛とは感じません。しかしながら、まことに勝手な考えながら、私以外の人間にもそれを強いる世の中が、正しいものだとは信じられないのでございます。忠義は忠義。公平は公平。二重の正義を貫きたいと願った結果にございます」
よくわからない。
それでもサキは、己の不明を恥じた。
この男の複雑さが全く見えていなかった。
「御託はもういいっ」
マリオンが床を蹴った。
「悪党が、自己顕示欲に負けてベラベラ白状しにやってきた、要はそういう話だ!続きは牢獄で喋ってもらおう。連れていけっ」
マリオンが手を上げると、執務室に数名の兵士がなだれこんできた。
先頭の兵士が手を触れようとした瞬間、バンドの口から赤い液体が漏れた。だらりと体が崩れ、仰向けに倒れる。
「当然か。覚悟の上だよな。こんなところに来るからには」
カザルスが無感動に呟いた。
「奥歯にでも仕込んでいたのでしょう」
「あきらめるな馬鹿!吐かせろまだ聞き出さねばならん話があるっ」
マリオンが叫んだ。しかし急速に白くなっていくバンドの顔を見て、それ以上は急かさなかった。誰の目から見ても、手遅れだと判る。
「摂政殿下」
ゆっくりと顔を動かし、バンドはサキに視線を合わせようとしている。
「床を汚して申し訳ございません」
――他に謝ること、ないのか。
それが最後だった。
これまでに幾度となく耳にした謝罪の言葉だった。豹変するでもなく過度に恐縮するでもなく、来客を迎えた際と大差のない自然体で、赤薔薇家の家宰はそこにいる。
「弁解するつもりはなさそうじゃの」
ゼマンコヴァが唸る。
「見上げたもの、と褒めてやるべきか。こちらへ来る暇があったら、共和国へでも渡ればよかったものを」
「命は惜しみません」
バンドは薄笑いを浮かべた。
「本日、私がこちらに伺わせていただきましたのは、私が何者であるか、この身を何に捧げる者であるかをお伝えするためなのです」
言葉を区切り、バンドは服の胸元から小振りな旗を取り出した。
それはサキが戦場で嫌になるほど目にしていた、天使の旗だった。
「革命軍」
マリオンが蛙のように目を見開いた。
「貴様、共和国軍の間蝶かっ!」
「厳密には違います」
バンドは悲しげに首を振る。
「共和国軍に賄賂をもらっているわけでも、指示を受けているわけでもございません。単純に彼らの思想に共感を覚え、我が国にも革命の恩恵をもたらさんと活動を続けてきた者にございます」
「革命の信奉者というわけか」
イオナが吐き捨てるように言う。
「どうして……」
姉の説明と本人の言葉を聞いてもなお、サキには信じられなかった。
「あれだけ僕の調査に協力してくれたあなたが、カヤを処刑させようと圧力をかけていた本人だったなんて」
「申し訳ございません。ですが、ご心配なく。調査に際して、偽りやはぐらかしは一切いたしておりません。殿下のご質問には、すべて正直にお答えいたしております」
「何のために!」
「当初の目的は、評議会の皆様と殿下の間に決定的な間隙をつくらせることにございました」
バンドは舞うように体を旋回させた。
「秩序ある国家に、革命は成り立ちません。殿下と評議会の対立が取り返しのつかないほど深刻なものとなり、内戦が勃発するまでに至れば、その隙に乗じて革命を旗揚げするつもりでございました」
「なるほど。あなたにとって僕は、火種の一つだったのか」
サキは唇を噛む。他人の掌上で転がされていた事実が腹立たしい。
「おのれ、使用人風情がっ!」
同様の憤慨を感じただろうマリオンが叫ぶ。
「人畜無害を装って、我らを欺き、好き勝手に操って来たわけか!では、議長を殺害したのも貴様だなっ!」
気の抜けたような沈黙が場を包んだ。
「それはないですよ」
カザルスが手をひらひら動かす。
「バンドは軍人ではないし、議長との間には明確な上下関係が存在する。議長が決闘を承知するわけがありません」
「あ、そうだなそれはそうだ」
早合点を恥じたのか、マリオンは赤面する。
「だが!貴様が赤薔薇家で陰謀を巡らせていたのは事実!ならば議長の決闘相手も把握していただろうっ。言えっ」
「存じ上げておりません。申し訳ありませんが」
バンドは肩をすくめた。
「以前より私は、フランス革命の理念に尊さを感じ、我が国でも同じような転機が訪れるのであれば馳せ参じたいと夢描いておりました。そんな折、旦那様より、お具合のよろしくない義弟君と叔父上を隔離するよう命令を受けたのです。お二人を人目につかない場所に移し、印章等を取り上げ、日常の決済はこの私が代わりに執り行うようにとのお申し付けでした」
「それって」
カヤが目を瞬いた。
「わたしのため?」
「今思い返すと、そうだったかと思われます。カヤ様を後継者に据える場合、いくつか面倒な決済を要しますので、お二人の決済権を奪ってしまおうと考えられたのでしょう。ですが実際には、旦那様が先に亡くなってしまわれました。言い訳ではございませんが、暫くの間、私は途方に暮れていたのでございます。そんな折、あの文書が届きました。その内容が軍高官の背信行為を示唆していると理解したとき、頭の中に絵図が浮かびました。カヤ様と文書を利用して、殿下と評議会の皆様を相争わせる計画にございます。途中までは上手く運んだものの、やはり陰謀等というものは、思い通りに糸車を回せるような代物ではございませんでした」
バンドは自嘲するように口元から歯を覗かせる。これまでサキが言葉を交わしてきた赤薔薇家の家宰が見せなかった表情だ。
「というわけでやり口を変え、文書を公表して民衆の憎悪をかき立てる方向に舵を切ったのでございます」
「矛盾していませんか」
ニコラが疑念を挿む。
「あなたは革命に共感しているのでしょう?グロチウスに情報を売った背信者が存在するとしたら、その人物は貴方と同じ革命軍への協力者ということになります。味方を告発しているに等しいのでは?」
「私は隣国に我が国を併呑して欲しいと願っているわけではございません」
バンドは両掌を合わせる。
「むしろ国ごとに異なる形の革命があり、民衆自身の判断で政事を動かして行くような図式が望ましいと考えております。ですから共感はするにせよ、隣国への内通者を味方とは考えておりません。加えて、大事の前の小事という考え方もございます。民衆が権利を得るためであれば、一人が犠牲になるのも仕方がないのではと」
「まだ判らない」
サキは一歩前に出て、バンドを見据える。
「ここまで好き勝手に事態を動かしておきながら、逃亡もせず、僕たちの前に現れたのはどうしてです?」
「自らに課した、罰にございます」
バンドは背筋を伸ばし、胸をわずかに張った。
「親の代も含め、旦那様にはよくしていただきました。その旦那様の死を利用して、あまつさえその一粒種を生命の危機に晒してまで、己の望みを成し遂げようとしたのです。たとえ願いが叶い、革命が成し遂げられるとしても」
サキは驚いた。バンドの両目に、水滴が光っている。
「この私が、その光景を目にするなど許されないと思うのです。ゆえに今、参上いたしました」
「おかしいではないか!」
ゼマンコヴァが喉を絞るように悲痛な声を上げた。
「それほど主家を思っていながら、なぜ世の中をひっくり返そうなどと思い至ったのだ!」
「仰るとおり、おかしいのでしょう」
バンドは窓の青に眼を向けた。
「私自身は、貴族の方々にお仕えすることを苦痛とは感じません。しかしながら、まことに勝手な考えながら、私以外の人間にもそれを強いる世の中が、正しいものだとは信じられないのでございます。忠義は忠義。公平は公平。二重の正義を貫きたいと願った結果にございます」
よくわからない。
それでもサキは、己の不明を恥じた。
この男の複雑さが全く見えていなかった。
「御託はもういいっ」
マリオンが床を蹴った。
「悪党が、自己顕示欲に負けてベラベラ白状しにやってきた、要はそういう話だ!続きは牢獄で喋ってもらおう。連れていけっ」
マリオンが手を上げると、執務室に数名の兵士がなだれこんできた。
先頭の兵士が手を触れようとした瞬間、バンドの口から赤い液体が漏れた。だらりと体が崩れ、仰向けに倒れる。
「当然か。覚悟の上だよな。こんなところに来るからには」
カザルスが無感動に呟いた。
「奥歯にでも仕込んでいたのでしょう」
「あきらめるな馬鹿!吐かせろまだ聞き出さねばならん話があるっ」
マリオンが叫んだ。しかし急速に白くなっていくバンドの顔を見て、それ以上は急かさなかった。誰の目から見ても、手遅れだと判る。
「摂政殿下」
ゆっくりと顔を動かし、バンドはサキに視線を合わせようとしている。
「床を汚して申し訳ございません」
――他に謝ること、ないのか。
それが最後だった。