共和国の老雄
文字数 1,841文字
元・公宮の外には天幕が立ち並び、革命軍の兵士たちが次の命令を待っている。
ひと際大きいテントの中に将官たちが集まり、クローゼの報告を沈痛な面持ちで聞いていた。
場の中心は、革命軍最高指揮官のグロチウス将軍。あと数か月で七十に届く老将だが、高齢の頑迷さとは程遠く、自由主義思想に深く傾倒して市民蜂起の折には国境防衛の責任者でありながら大公に反旗を翻し、革命を急加速させた。衆目からは、プレーゲルに次ぐ革命の功労者と見なされている。
「殺してしまった、か」
溜息をつく老将に、クローゼは渋面で頷いた。将校の一人が至近距離からプレーゲルを射殺したのち自害してから半時が経過している。郊外の定期巡回から戻ったばかりのグロチウスに、状況を初めて告げたのだ。
「下手人のティー准将は口数の少ない男で、このような蛮行に走った理由は、親しいものにも心当たりはないそうです……目下、遺書の類を残していないか探させています」
「議会の方々には、なんと説明したのだ」
「ベッドで飛び跳ねている内、金具に頭をぶつけてしまわれたと」
クローゼは眉間をますます絞る。
グロチウスも無言で眉根を寄せる。
「まさか、それで信じてもらえるとは思いもよりませんでした」
「信じるふりをしたのだろうな」老将は断言する。
「あのご仁は、扇動者としては一級品であったが、統治者としては怪しいところがあった。議員の方々も、そう感じていたからこそティーをそそのかした。」
「まさか」
ざわめきが一同に広がった。クローゼは考えもしなかった可能性だ。
「すべて、計画されていたと?」
「かもしれぬ、というだけだ」
熱気を宥めるようにグロチウスは両手を左右に広げる。年齢による危惧を抱かせない、力強い声だ。長くはやした顎と口の髭こそ年寄りじみているが、眼光には遠くを見据えるような若さの名残が窺える。
「いずれにせよ、これで革命は荒れる」
声を落とし、将軍は一同を見渡した。
「議長の死が乱心者の仕業であれば、むしろ救いがあるほうだ。しかしいずれかの会派の差し金であれば――差し金であると他の議員が信じるとすれば――荒れるに荒れる」
「仲間割れが始まったことになりますからね」クローゼは頷いた。
はるかフランスで一足先に成し遂げられた革命が、どのような副産物を産み落としたかは、この地にも伝わっている。派閥、対立、殺し合い。嬉々として他人のギロチン送りに一票を投じた政治家が、一か月後には同じ憂き目に遭い、生首となって刑場に転がっていたという乾いた笑い話も、一つや二つではない。
「我が国の政治家たちがフランスに品位で勝っていると言い切る理由はない。同様の内紛は、避けられないだろう」
グロチウスは言い切った。一同の空気が凍る。
「そうなれば我ら軍人も、各会派に分かれて殺しあうかもしれぬ、せっかく結集した革命軍が、内輪の諍いで滝のように削られていくだろう」
「諸外国に、付け入る隙を与えてしまいますな」
クローゼは息を吐いた。フランスの事例を見る限り、周辺諸国が革命を容認することはない。各国の君主は革命が自国内に波及するのを怖れ、反革命の連合を組んで攻め寄せてくるだろう。現時点でも、共和国の戦力だけで周辺諸国を退けることは不可能に近い計算だ。それが、これ以上戦力を失うとあっては――今後の展望はあまりにも暗い。
「この難局を切り抜けるには、早手回しの対応が必要だ。具体的に言えば、諸外国が連携する前に、盟主になるであろう国家に先制攻撃を加える」
グロチウスの発言を聞いた緒将の視点が一点に集まる。幕内の中央、小ぶりな円卓に各国の地図が積み重なっている。その一枚を、老将の手が摘まみ上げた。
「連合軍が成立する場合、旗振り役となるのは『王国』と考えて間違いない」
クローゼを含む全員が頷いた。人口・版図・軍事力・生産力すべてにおいて、「王国」は周辺国家を凌ぐ。二番手に位置するのがこの共和国だが、革命時の内乱によって大幅な減耗は隠しようがなかった。
それでも他国がこの共和国をどうにかしようと思ったなら、王国にすがるしか方法はないはずだ。
「ならば、やるべきは一つ。」
グロチウスが人差し指を立てる。尖った輪郭が蝋燭の灯に照らされ、ぼやけ、揺れて、天幕に掻き毟り傷のような赤い軌跡を落とした。その光景を、傍らの将が陶然と眺めている。クローゼは身震いした。
「王国を叩く。いまならまだ、我らにその力が残っている。迅速に抉り、切り裂き、その腸を他国への見せしめとするのだ」
ひと際大きいテントの中に将官たちが集まり、クローゼの報告を沈痛な面持ちで聞いていた。
場の中心は、革命軍最高指揮官のグロチウス将軍。あと数か月で七十に届く老将だが、高齢の頑迷さとは程遠く、自由主義思想に深く傾倒して市民蜂起の折には国境防衛の責任者でありながら大公に反旗を翻し、革命を急加速させた。衆目からは、プレーゲルに次ぐ革命の功労者と見なされている。
「殺してしまった、か」
溜息をつく老将に、クローゼは渋面で頷いた。将校の一人が至近距離からプレーゲルを射殺したのち自害してから半時が経過している。郊外の定期巡回から戻ったばかりのグロチウスに、状況を初めて告げたのだ。
「下手人のティー准将は口数の少ない男で、このような蛮行に走った理由は、親しいものにも心当たりはないそうです……目下、遺書の類を残していないか探させています」
「議会の方々には、なんと説明したのだ」
「ベッドで飛び跳ねている内、金具に頭をぶつけてしまわれたと」
クローゼは眉間をますます絞る。
グロチウスも無言で眉根を寄せる。
「まさか、それで信じてもらえるとは思いもよりませんでした」
「信じるふりをしたのだろうな」老将は断言する。
「あのご仁は、扇動者としては一級品であったが、統治者としては怪しいところがあった。議員の方々も、そう感じていたからこそティーをそそのかした。」
「まさか」
ざわめきが一同に広がった。クローゼは考えもしなかった可能性だ。
「すべて、計画されていたと?」
「かもしれぬ、というだけだ」
熱気を宥めるようにグロチウスは両手を左右に広げる。年齢による危惧を抱かせない、力強い声だ。長くはやした顎と口の髭こそ年寄りじみているが、眼光には遠くを見据えるような若さの名残が窺える。
「いずれにせよ、これで革命は荒れる」
声を落とし、将軍は一同を見渡した。
「議長の死が乱心者の仕業であれば、むしろ救いがあるほうだ。しかしいずれかの会派の差し金であれば――差し金であると他の議員が信じるとすれば――荒れるに荒れる」
「仲間割れが始まったことになりますからね」クローゼは頷いた。
はるかフランスで一足先に成し遂げられた革命が、どのような副産物を産み落としたかは、この地にも伝わっている。派閥、対立、殺し合い。嬉々として他人のギロチン送りに一票を投じた政治家が、一か月後には同じ憂き目に遭い、生首となって刑場に転がっていたという乾いた笑い話も、一つや二つではない。
「我が国の政治家たちがフランスに品位で勝っていると言い切る理由はない。同様の内紛は、避けられないだろう」
グロチウスは言い切った。一同の空気が凍る。
「そうなれば我ら軍人も、各会派に分かれて殺しあうかもしれぬ、せっかく結集した革命軍が、内輪の諍いで滝のように削られていくだろう」
「諸外国に、付け入る隙を与えてしまいますな」
クローゼは息を吐いた。フランスの事例を見る限り、周辺諸国が革命を容認することはない。各国の君主は革命が自国内に波及するのを怖れ、反革命の連合を組んで攻め寄せてくるだろう。現時点でも、共和国の戦力だけで周辺諸国を退けることは不可能に近い計算だ。それが、これ以上戦力を失うとあっては――今後の展望はあまりにも暗い。
「この難局を切り抜けるには、早手回しの対応が必要だ。具体的に言えば、諸外国が連携する前に、盟主になるであろう国家に先制攻撃を加える」
グロチウスの発言を聞いた緒将の視点が一点に集まる。幕内の中央、小ぶりな円卓に各国の地図が積み重なっている。その一枚を、老将の手が摘まみ上げた。
「連合軍が成立する場合、旗振り役となるのは『王国』と考えて間違いない」
クローゼを含む全員が頷いた。人口・版図・軍事力・生産力すべてにおいて、「王国」は周辺国家を凌ぐ。二番手に位置するのがこの共和国だが、革命時の内乱によって大幅な減耗は隠しようがなかった。
それでも他国がこの共和国をどうにかしようと思ったなら、王国にすがるしか方法はないはずだ。
「ならば、やるべきは一つ。」
グロチウスが人差し指を立てる。尖った輪郭が蝋燭の灯に照らされ、ぼやけ、揺れて、天幕に掻き毟り傷のような赤い軌跡を落とした。その光景を、傍らの将が陶然と眺めている。クローゼは身震いした。
「王国を叩く。いまならまだ、我らにその力が残っている。迅速に抉り、切り裂き、その腸を他国への見せしめとするのだ」