娯楽としての陰謀
文字数 5,591文字
馬車一台と、数名の衛兵のみ連れてサキは摂政府を離れる。手勢はもう少し増やすこともできたが、民衆を刺激しないため最低限に留めた。
馬車に同乗しているのはカヤとフランケン。御者は外套の探索で世話になったお馴染みの男だ。向かう先が向かう先だけに、緊張が顔に表れている。
当初、カヤは摂政府に置いてくるつもりだったが、どうしても付いていくと言い張るので、仕方なく同行を許した。
「ほら、街の人たちから見たらさ、わたしって被害者じゃない。評議会の。だから皆が納得しない場合、わたしから評議会を弁護してあげたら効果あるかもって思うんだよね」
カヤの理屈はそれなりに筋が通ったものだったが、「暴動を描いてみたい」という本音も透けて見える。
いよいよ危なくなったら、彼女を守るよう執事に頼んでいる。まあたぶん、大丈夫だろう、とサキは楽観的に事態をとらえていた。前例があるからだ。初めていばら荘を訪れた際、サキは暴動を鎮めている。やることは、あのときと変わらないはずだ。
自分が現れたら、あのときと同じように民衆は話を聞いてくれるはずだ。そうしたらーー
「止まれっ」
数秒の後、馬車は往来で停止した。まだ冬宮が見える位置ではない。
「へえ、どうしたんです」
御者が間の抜けた声を出した。サキは額から冷や汗を流す。
「危ない、危ない。過信しすぎた。僕としたことが、自分を万能みたいに勘違いしてた」
傍らのカヤが、怪訝な顔を斜めにする。
「どゆこと」
「いばら荘の暴動を解散させたとき、給金の支払いを求める彼らに対して、僕は仮払いをさせると約束して、納得してもらった」
「うん、後で聞いた」
「けど今は違う。僕が行ったら話は聞いてくれるかもしれないけど、納得させる材料がない。『犯人が誰かはわからないけど、きっちり調べて後で報告する』で引き下がってもらえるとは思えない」
「……難しいだろうね。もう半分、国に刃向かってるようなものだし。後には引けないかも」
「ようするに、行っても何もできない」
サキは頭を抱える。
何もできないけど、何もしなかったら国家が崩壊する。まだ評議会は反撃を開始していないようだが、いよいよとなったら王都の正規軍を呼び寄せるだろう。民衆とぶつかれば、サキの危惧通りの惨状に繋がりかねない。
「少し考えさせてくれ」
馬車の中、沈思黙考するサキだが、妙案は浮かばない。中途半端な対策は思いついた。時間稼ぎの方法だ。だが少々時計を止めたところで、犯人が誰か判らなければ意味はない。
「サキ」
ふいに声がしたので瞼を上げると、別の馬車に乗ったニコラが目に入った。
「よかった。まだ冬宮には着いていなかったのですね」
「行こうと思ったんですが……」
サキは経緯を説明する。自分の持っている材料では、民衆を納得させるのは困難だと思われること、知恵を絞ってみたが、時間稼ぎくらいしか思いつかなかったこと。
「時間稼ぎ」
ニコラの目が光る。
「どのくらいの先延ばしが可能ですか?」
「せいぜい、半日」
サキは推し量る。
「夜になるまでなら、待ってもらえると思います。ただし、デジレへ行く必要があります」
「デジレへ?」
サキは今まとまったばかりの作戦を姉に告げた。
「……なるほど、そのやり方だと、あまり後には繰り延べできそうにありませんね。そもそも革命分子が混ざっているのなら、暴動を激化させよう望むはずですし、あまり時間がかかったら、新たな手を打ってくるかもしれません。わかりました」
ニコラは掌で自分の首を撫でる。
「その方法で時間稼ぎしてください。日没までで充分です。もう犯人は判っていますので」
「えっ」
声を上げたサキだけでなく、ニコラを除く全員が固まった。
ニコラは雑誌のなぞなぞが解けた、と口にするのと変わらない調子で、
「議長を殺害した犯人の正体は、すでに判明していると言ったのです。あとは告発の用意をするだけです」
「わかったって、いつ」
カヤが口を大きく開ける。
「カヤの無罪が確定した日です。色々調査を重ねた結果、貴方のお父上を撃ったのは、ある人物に違いないという結論にたどり着きました」
「じゃあ何で教えてくれなかったの」
「カヤが言ったじゃないですか。現時点で、犯人を追及するつもりはないと。私としても、評議会のみなさんを疑心暗鬼の状態にしておいた方が、今後、彼らが弟と対立した場合などに有益かと思われましたので」
「誰なんです!」
サキも興奮していた。この数週間、悩まされ続けてきた問題なのだから。
「誰が殺したんですか!」
「時間がありません」
誇る風でもなく、姉は無表情だ。
「名前だけ伝えても、あなたを混乱させるだけでしょう。私が犯人に辿り着いた道筋を説明するには、時間が足りません。今は一刻も早く、暴動を食い止めるべきです」
「……わかりました」
気になって仕方がなかったが、サキは冬宮に向かうことを優先する。
「僕の時間稼ぎが成功したら、教えてくださいね。絶対に」
「あなたに教えるだけでは足りません。ことここに至っては、暴徒たちにも犯人の名を伝えて、すべての禍根を断つべきでしょう。ただ、この論証は少々煩雑なので、暴徒たちに耳を傾けてもらうための準備が必要なんです。そのために……」
姉はカヤの手を取った。
「魔法を使います。この国で最も強力な魔法です。カヤも手伝ってもらえますか?」
とりあえず、姉上を信じるしかない。
ニコラと別れたサキは、冬宮へと馬車を急がせる。カヤはニコラに合流して黒繭家へ向かった。姉が彼女に何をさせたいかは知らないが、サキと一緒にいるより安全なのは確かだ。こちらの援護より、姉の手助けを優先してもらう。
程なく馬車は、冬宮の正面にある大通りに到着した。
(デジレのときより酷い)
楽観的な気持ちがサキの頭から消えた。
群衆が口々に罵声を吐きながら投石を繰り返しているのはいばら荘と同じだったが、それらに梯子が加わっている。近くにあった家具や木材を組み合わせて造った即席の長梯子を繰り出し、冬宮の門を乗り越えようと躍起になっているのだ。流石に対応せざるを得ないのか、門の上に立った衛兵が、長槍で梯子の先端を突っついていた。
宮殿の窓から所々衛兵が顔を出しているだけで、大通り周辺に正規軍の姿はない。サキが断念したように、評議会の方でも軍隊で押し潰すやり方は国を割りかねないと危惧しているのだろう。 その判断のために、群衆に囲まれても手出しできないでいるのだ。
あの槍先が群衆の一人でも傷付けようものなら、いよいよ事態は修復不可能になるだろう。サキは覚悟を決めた。
「落ち着きたまえ」
呼びかけて数秒で、すべての暴徒が動きを止めた。
王都でも自分の威光が通じたことに、サキは安堵する。歩みを進める度に、群衆が左右に道を開けてくれる。密集地帯だったので少し気の毒に思ったが、余裕を演出するため、敢えてゆっくりと歩いた。
正門の前に立ち、サキは群衆に語りかける。
「諸君等の怒りはもっともだ。この中には村を荒らされた者も混ざっているだろう。選抜民兵として戦場で命を掛けた者もいるだろう。幸い、この王都は無傷で済んだものの、避難のあれこれで損害を被った商店主や雇い人も少なくないはずだ……それもこれも、卑劣な裏切り者が革命軍と通じていたせいだ!」
サキの言葉に同調する怒声があちこちより上がった。最初は、群衆と怒りを共有してやるべきだと判断したのだ。
「しかしながら」
この段階でサキは声を低くする。
「その怒りを暴力に転じ、数の力で押し潰すやり方は、決して誉められたものではない。それはフランスや公国で断行された暴挙と同種の行為であるからだ。革命軍を憎んでおきながら、革命への道を穿つ間違いだ。だから冷静になって欲しい。踏みとどまって欲しい」
群衆から、呟きが漏れ始めた。聴き取れなかったが、不平をこぼしているのだろう。余程のお調子者でない限り、サキの指摘程度は承知の上でここへ来ているだろうから。
「勘違いしないで欲しい。私は決して、不正の横行を見過ごすものではない。姦臣を捨て置くつもりもない。この件には、私なりのやり方で決着をつけさせてもらうつもりだ」
群衆の眼に興味の色が灯ったことにサキは満足する。手応えありだ。後は少々強引な解決策を、受け入れてもらえるかどうかだ。
「私は宣言する。議長殺害の犯人であり共和国軍に機密情報を売り渡した反逆者に対して、決闘を申し込む」
静まり返っていた群衆は、暫しの間を置いた後、動揺を始めた。
「けっとう」「決闘」「決闘って」「いや、それはおかしい」波のように繰り返されるざわめきを、サキは黙って聞いていた。
「あ、あのう」
群衆の一人が、おずおずと手を挙げた。
「殿下は、裏切り者がどこの誰なのか、判っていらっしゃるんで?」
「わからない。わからないまま、決闘を申し込むんだ」
「はあっ」
再びざわめきが広がるが、サキは咳払い一つした上で、
「私はこれより、デジレへ移動する。議長が何者かと決闘を行い落命した、この騒動の起点となった場所だ。陰謀に浸された場所ではあるが、同時に、この種の決闘に適した条件も備えている。いばら荘だ。あの城の最上階で、私は犯人を待つ」
飲み込みの早い者もいるらしい。群衆の中から呻くような声が響いた。
「あの城の外には最上階の真下に通じる隠し通路があるという話は、新聞を読んだ者なら誰でも知っているはずだ。入り口の正確な位置については公表されていない。だが議長と決闘を行った犯人であれば、その場所を知っているはずだ。周辺を封鎖してもいい。天幕を張って、入り口の近くを歩いても誰にもわからないよう細工を施してもいい。とにかく犯人が、誰にも見咎められずに私のところまでやってこれるように手配させてもらう」
サキは振り向き、冬宮の門に向かって呼びかけた。
「犯人に次ぐ。君は宮廷軍事評議会の一員か、それに近い位置にいる高級軍人なのだろう。ならばこの門の内側か、王都のどこかにはいるはずだ。私の言葉が届いたら、是非この挑戦に応じて欲しい。いや、応じるべきだ」
城門は応えない。上に立っていた兵士が迷惑そうに肩をすくめただけだ。
「生きるか死ぬかの決闘だ。私が君を討ち果たしたならば、裏切り者の正体が明らかとなり、争乱は収まるだろう。これが私にとっての報酬。君が私を討ち取ったなら、革命勢力にとっておそるべき大敵の一人がこの世から姿を消すことになる。これが君にとっての報酬だ。こんな機会は、二度と訪れないだろう。この首が欲しかったら、君は挑戦に応じる他にない!」
歓声が、群衆から沸き起こる。雷のような応援だ。いいぞ摂政殿下、裏切りやろう、逃げたりするんじゃねーぞ、殿下、死なないでーー
上手く行った。
綱渡りの成功を、サキは喜んだ。
「決闘の時刻は本日七時。繰り返す。私はいばら荘で待っている!」
「はははは、全くお上手だ」
円卓。衛兵より事の次第を聞いたカザルスは、手を叩いて笑った。
「民衆にはパンとサーカスを与えるべし、と嘯いたのはローマの暴君だったかな?所詮、大半の民衆にとって、政治も革命も、サーカスの一部に過ぎないってことだ。力任せに城門をぶち破るよりも、お偉い方が命を掛けて戦う見せ物の方が面白そうだったら、当然、そっちに飛びつくよな」
「いるんじゃないですか?真面目に怒ってた連中も」
疑問を挿むギディングスを、カザルスは掌であしらった。
「そりゃあ、いるにはいるだろうよ。戦争に出た奴らとかな。割合の問題だ。大半はそうじゃなかった。自分では怒りに燃えていたつもりでも、本当は怒りに燃えるという娯楽を愉しんでいただけだ」
「正門前に残っている連中に気を配れ」
マリオンが、報告に訪れた衛兵に指示を与えている。
「この期に及んで暴動を継続させようとしている奴がいたら、それはバンドの仕込みである可能性が高い。名と住所を調べておけ」
「しかし、殿下に頼りきりになってしまうのう」
ゼマンコヴァが皺の顔面を一層くしゃくしゃに歪めた。
「ふがいない話じゃて。こちらの尻拭いをお願いしているような形になる」
「気になることがあります」
イオナが瞳を困惑気味に細める。
「当然、民衆は殿下が勝利して殺害犯が判明する結果を望んでいるでしょうが、殿下が負けたらどうなります?国家元首が殺された。犯人は分からない。これで民衆は納得できますか」
「負けなかったらいいんじゃないすか」
ギディングスが事も無げに片づける。
「こっそり狙撃兵を忍び込ませておいて、殿下が危なそうになったら加勢したらいいんですよ」
「それでは、殿下の誇りを傷付けることになるではないか」
イオナの発言にギディングスは微笑を漏らした。
「殿下は納得してくれますよ。むしろ手助けが欲しいと思ってるんじゃないですか」
「……そうだろうか」
「そうっすよ。だから準備しといた方がいいですよ」
ギディングスは顎をマリオンに向けて動かした。
羽根飾りをくるくるいじった後で、マリオンはずっと黙りこくっていた男に水を向ける。
「フェルミ評議員、お前はどう思う」
近頃、調子を崩しているように見受けられるフェルミの顔を、カザルスは興味津々で見守った。何かとんでもないことをしでかしてくれそうな気がしたからだ。
フェルミは肺病病みのように、荒い呼吸を繰り返していた。しばらくしてから言葉を紡ぎ出す。
「それでよろしいかと」
よろしくなさそうだな、とカザルスは警戒する。
馬車に同乗しているのはカヤとフランケン。御者は外套の探索で世話になったお馴染みの男だ。向かう先が向かう先だけに、緊張が顔に表れている。
当初、カヤは摂政府に置いてくるつもりだったが、どうしても付いていくと言い張るので、仕方なく同行を許した。
「ほら、街の人たちから見たらさ、わたしって被害者じゃない。評議会の。だから皆が納得しない場合、わたしから評議会を弁護してあげたら効果あるかもって思うんだよね」
カヤの理屈はそれなりに筋が通ったものだったが、「暴動を描いてみたい」という本音も透けて見える。
いよいよ危なくなったら、彼女を守るよう執事に頼んでいる。まあたぶん、大丈夫だろう、とサキは楽観的に事態をとらえていた。前例があるからだ。初めていばら荘を訪れた際、サキは暴動を鎮めている。やることは、あのときと変わらないはずだ。
自分が現れたら、あのときと同じように民衆は話を聞いてくれるはずだ。そうしたらーー
「止まれっ」
数秒の後、馬車は往来で停止した。まだ冬宮が見える位置ではない。
「へえ、どうしたんです」
御者が間の抜けた声を出した。サキは額から冷や汗を流す。
「危ない、危ない。過信しすぎた。僕としたことが、自分を万能みたいに勘違いしてた」
傍らのカヤが、怪訝な顔を斜めにする。
「どゆこと」
「いばら荘の暴動を解散させたとき、給金の支払いを求める彼らに対して、僕は仮払いをさせると約束して、納得してもらった」
「うん、後で聞いた」
「けど今は違う。僕が行ったら話は聞いてくれるかもしれないけど、納得させる材料がない。『犯人が誰かはわからないけど、きっちり調べて後で報告する』で引き下がってもらえるとは思えない」
「……難しいだろうね。もう半分、国に刃向かってるようなものだし。後には引けないかも」
「ようするに、行っても何もできない」
サキは頭を抱える。
何もできないけど、何もしなかったら国家が崩壊する。まだ評議会は反撃を開始していないようだが、いよいよとなったら王都の正規軍を呼び寄せるだろう。民衆とぶつかれば、サキの危惧通りの惨状に繋がりかねない。
「少し考えさせてくれ」
馬車の中、沈思黙考するサキだが、妙案は浮かばない。中途半端な対策は思いついた。時間稼ぎの方法だ。だが少々時計を止めたところで、犯人が誰か判らなければ意味はない。
「サキ」
ふいに声がしたので瞼を上げると、別の馬車に乗ったニコラが目に入った。
「よかった。まだ冬宮には着いていなかったのですね」
「行こうと思ったんですが……」
サキは経緯を説明する。自分の持っている材料では、民衆を納得させるのは困難だと思われること、知恵を絞ってみたが、時間稼ぎくらいしか思いつかなかったこと。
「時間稼ぎ」
ニコラの目が光る。
「どのくらいの先延ばしが可能ですか?」
「せいぜい、半日」
サキは推し量る。
「夜になるまでなら、待ってもらえると思います。ただし、デジレへ行く必要があります」
「デジレへ?」
サキは今まとまったばかりの作戦を姉に告げた。
「……なるほど、そのやり方だと、あまり後には繰り延べできそうにありませんね。そもそも革命分子が混ざっているのなら、暴動を激化させよう望むはずですし、あまり時間がかかったら、新たな手を打ってくるかもしれません。わかりました」
ニコラは掌で自分の首を撫でる。
「その方法で時間稼ぎしてください。日没までで充分です。もう犯人は判っていますので」
「えっ」
声を上げたサキだけでなく、ニコラを除く全員が固まった。
ニコラは雑誌のなぞなぞが解けた、と口にするのと変わらない調子で、
「議長を殺害した犯人の正体は、すでに判明していると言ったのです。あとは告発の用意をするだけです」
「わかったって、いつ」
カヤが口を大きく開ける。
「カヤの無罪が確定した日です。色々調査を重ねた結果、貴方のお父上を撃ったのは、ある人物に違いないという結論にたどり着きました」
「じゃあ何で教えてくれなかったの」
「カヤが言ったじゃないですか。現時点で、犯人を追及するつもりはないと。私としても、評議会のみなさんを疑心暗鬼の状態にしておいた方が、今後、彼らが弟と対立した場合などに有益かと思われましたので」
「誰なんです!」
サキも興奮していた。この数週間、悩まされ続けてきた問題なのだから。
「誰が殺したんですか!」
「時間がありません」
誇る風でもなく、姉は無表情だ。
「名前だけ伝えても、あなたを混乱させるだけでしょう。私が犯人に辿り着いた道筋を説明するには、時間が足りません。今は一刻も早く、暴動を食い止めるべきです」
「……わかりました」
気になって仕方がなかったが、サキは冬宮に向かうことを優先する。
「僕の時間稼ぎが成功したら、教えてくださいね。絶対に」
「あなたに教えるだけでは足りません。ことここに至っては、暴徒たちにも犯人の名を伝えて、すべての禍根を断つべきでしょう。ただ、この論証は少々煩雑なので、暴徒たちに耳を傾けてもらうための準備が必要なんです。そのために……」
姉はカヤの手を取った。
「魔法を使います。この国で最も強力な魔法です。カヤも手伝ってもらえますか?」
とりあえず、姉上を信じるしかない。
ニコラと別れたサキは、冬宮へと馬車を急がせる。カヤはニコラに合流して黒繭家へ向かった。姉が彼女に何をさせたいかは知らないが、サキと一緒にいるより安全なのは確かだ。こちらの援護より、姉の手助けを優先してもらう。
程なく馬車は、冬宮の正面にある大通りに到着した。
(デジレのときより酷い)
楽観的な気持ちがサキの頭から消えた。
群衆が口々に罵声を吐きながら投石を繰り返しているのはいばら荘と同じだったが、それらに梯子が加わっている。近くにあった家具や木材を組み合わせて造った即席の長梯子を繰り出し、冬宮の門を乗り越えようと躍起になっているのだ。流石に対応せざるを得ないのか、門の上に立った衛兵が、長槍で梯子の先端を突っついていた。
宮殿の窓から所々衛兵が顔を出しているだけで、大通り周辺に正規軍の姿はない。サキが断念したように、評議会の方でも軍隊で押し潰すやり方は国を割りかねないと危惧しているのだろう。 その判断のために、群衆に囲まれても手出しできないでいるのだ。
あの槍先が群衆の一人でも傷付けようものなら、いよいよ事態は修復不可能になるだろう。サキは覚悟を決めた。
「落ち着きたまえ」
呼びかけて数秒で、すべての暴徒が動きを止めた。
王都でも自分の威光が通じたことに、サキは安堵する。歩みを進める度に、群衆が左右に道を開けてくれる。密集地帯だったので少し気の毒に思ったが、余裕を演出するため、敢えてゆっくりと歩いた。
正門の前に立ち、サキは群衆に語りかける。
「諸君等の怒りはもっともだ。この中には村を荒らされた者も混ざっているだろう。選抜民兵として戦場で命を掛けた者もいるだろう。幸い、この王都は無傷で済んだものの、避難のあれこれで損害を被った商店主や雇い人も少なくないはずだ……それもこれも、卑劣な裏切り者が革命軍と通じていたせいだ!」
サキの言葉に同調する怒声があちこちより上がった。最初は、群衆と怒りを共有してやるべきだと判断したのだ。
「しかしながら」
この段階でサキは声を低くする。
「その怒りを暴力に転じ、数の力で押し潰すやり方は、決して誉められたものではない。それはフランスや公国で断行された暴挙と同種の行為であるからだ。革命軍を憎んでおきながら、革命への道を穿つ間違いだ。だから冷静になって欲しい。踏みとどまって欲しい」
群衆から、呟きが漏れ始めた。聴き取れなかったが、不平をこぼしているのだろう。余程のお調子者でない限り、サキの指摘程度は承知の上でここへ来ているだろうから。
「勘違いしないで欲しい。私は決して、不正の横行を見過ごすものではない。姦臣を捨て置くつもりもない。この件には、私なりのやり方で決着をつけさせてもらうつもりだ」
群衆の眼に興味の色が灯ったことにサキは満足する。手応えありだ。後は少々強引な解決策を、受け入れてもらえるかどうかだ。
「私は宣言する。議長殺害の犯人であり共和国軍に機密情報を売り渡した反逆者に対して、決闘を申し込む」
静まり返っていた群衆は、暫しの間を置いた後、動揺を始めた。
「けっとう」「決闘」「決闘って」「いや、それはおかしい」波のように繰り返されるざわめきを、サキは黙って聞いていた。
「あ、あのう」
群衆の一人が、おずおずと手を挙げた。
「殿下は、裏切り者がどこの誰なのか、判っていらっしゃるんで?」
「わからない。わからないまま、決闘を申し込むんだ」
「はあっ」
再びざわめきが広がるが、サキは咳払い一つした上で、
「私はこれより、デジレへ移動する。議長が何者かと決闘を行い落命した、この騒動の起点となった場所だ。陰謀に浸された場所ではあるが、同時に、この種の決闘に適した条件も備えている。いばら荘だ。あの城の最上階で、私は犯人を待つ」
飲み込みの早い者もいるらしい。群衆の中から呻くような声が響いた。
「あの城の外には最上階の真下に通じる隠し通路があるという話は、新聞を読んだ者なら誰でも知っているはずだ。入り口の正確な位置については公表されていない。だが議長と決闘を行った犯人であれば、その場所を知っているはずだ。周辺を封鎖してもいい。天幕を張って、入り口の近くを歩いても誰にもわからないよう細工を施してもいい。とにかく犯人が、誰にも見咎められずに私のところまでやってこれるように手配させてもらう」
サキは振り向き、冬宮の門に向かって呼びかけた。
「犯人に次ぐ。君は宮廷軍事評議会の一員か、それに近い位置にいる高級軍人なのだろう。ならばこの門の内側か、王都のどこかにはいるはずだ。私の言葉が届いたら、是非この挑戦に応じて欲しい。いや、応じるべきだ」
城門は応えない。上に立っていた兵士が迷惑そうに肩をすくめただけだ。
「生きるか死ぬかの決闘だ。私が君を討ち果たしたならば、裏切り者の正体が明らかとなり、争乱は収まるだろう。これが私にとっての報酬。君が私を討ち取ったなら、革命勢力にとっておそるべき大敵の一人がこの世から姿を消すことになる。これが君にとっての報酬だ。こんな機会は、二度と訪れないだろう。この首が欲しかったら、君は挑戦に応じる他にない!」
歓声が、群衆から沸き起こる。雷のような応援だ。いいぞ摂政殿下、裏切りやろう、逃げたりするんじゃねーぞ、殿下、死なないでーー
上手く行った。
綱渡りの成功を、サキは喜んだ。
「決闘の時刻は本日七時。繰り返す。私はいばら荘で待っている!」
「はははは、全くお上手だ」
円卓。衛兵より事の次第を聞いたカザルスは、手を叩いて笑った。
「民衆にはパンとサーカスを与えるべし、と嘯いたのはローマの暴君だったかな?所詮、大半の民衆にとって、政治も革命も、サーカスの一部に過ぎないってことだ。力任せに城門をぶち破るよりも、お偉い方が命を掛けて戦う見せ物の方が面白そうだったら、当然、そっちに飛びつくよな」
「いるんじゃないですか?真面目に怒ってた連中も」
疑問を挿むギディングスを、カザルスは掌であしらった。
「そりゃあ、いるにはいるだろうよ。戦争に出た奴らとかな。割合の問題だ。大半はそうじゃなかった。自分では怒りに燃えていたつもりでも、本当は怒りに燃えるという娯楽を愉しんでいただけだ」
「正門前に残っている連中に気を配れ」
マリオンが、報告に訪れた衛兵に指示を与えている。
「この期に及んで暴動を継続させようとしている奴がいたら、それはバンドの仕込みである可能性が高い。名と住所を調べておけ」
「しかし、殿下に頼りきりになってしまうのう」
ゼマンコヴァが皺の顔面を一層くしゃくしゃに歪めた。
「ふがいない話じゃて。こちらの尻拭いをお願いしているような形になる」
「気になることがあります」
イオナが瞳を困惑気味に細める。
「当然、民衆は殿下が勝利して殺害犯が判明する結果を望んでいるでしょうが、殿下が負けたらどうなります?国家元首が殺された。犯人は分からない。これで民衆は納得できますか」
「負けなかったらいいんじゃないすか」
ギディングスが事も無げに片づける。
「こっそり狙撃兵を忍び込ませておいて、殿下が危なそうになったら加勢したらいいんですよ」
「それでは、殿下の誇りを傷付けることになるではないか」
イオナの発言にギディングスは微笑を漏らした。
「殿下は納得してくれますよ。むしろ手助けが欲しいと思ってるんじゃないですか」
「……そうだろうか」
「そうっすよ。だから準備しといた方がいいですよ」
ギディングスは顎をマリオンに向けて動かした。
羽根飾りをくるくるいじった後で、マリオンはずっと黙りこくっていた男に水を向ける。
「フェルミ評議員、お前はどう思う」
近頃、調子を崩しているように見受けられるフェルミの顔を、カザルスは興味津々で見守った。何かとんでもないことをしでかしてくれそうな気がしたからだ。
フェルミは肺病病みのように、荒い呼吸を繰り返していた。しばらくしてから言葉を紡ぎ出す。
「それでよろしいかと」
よろしくなさそうだな、とカザルスは警戒する。