牢獄の女主人
文字数 5,857文字
サキは迷う。
いばら荘の調査、カヤとの面会、どちらも自由にしてよいとの約束はとりつけた。
問題は、これからどのように証拠を集めるかだ。サキは犯罪捜査に明るいわけではない。何から手を着けてよいものか、検討もつかないのだ。
「専門家を雇うべきでしょうか。裁判官や弁護士とか」
摂政府に戻ったサキは、ニコラに今後の方針について相談した。まだ夕刻、一週間の期限を考えれば、今日中にもするべきことは済ませておきたい。
「法曹関係者は、あてにできません」
ニコラは首を振った。
「サキも読みましたよね。評議会は、国家古法第二十六条の軍政非常大権を使って、司法機関の決定事項を覆すこともできます。つまり弁護士にせよ裁判官にせよ警邏にせよ、一度宮廷軍事評議会に睨まれたら、今後、自分の仕事を全否定されるかもしれないのです。誰も味方になってはくれないでしょう」
「・・・・いないでしょうかね。職歴を棒に振ってもいいから助けてくれるような奇特な人物は」
「いるかもしれませんが、我が家は、そういう人材を探し出す伝に恵まれていません。一週間という期限の中で、そのような宝に辿り着けるかどうか」
サキは愕然とする。上手く行ってなどいなかった。依然、絶望の中だ。
「悲観的にならなくても大丈夫です。今回の問題で、法律家はそれほど適任とは思えませんから」
心を読まれたのか、ニコラが顔を覗き込んで来た。
「今回、あなたが評議会でなすべきことは、評議員を納得させるのではなく、新聞を読む民衆を動かすことです。カヤが殺人犯だとはとても思えないという材料をわかりやすい形で発表して、無罪判決を下すよう、彼らの声で圧力をかける。法学者たちの発想や難解な専門用語は、かえって邪魔になるかもしれません」
「なるほど。わかりやすく伝えるだけなら、作家や新聞記者を雇った方がいいですね」
サキは父親の顔を思い浮かべた。劇場を仕切る黒繭家当主は、各種新聞・雑誌の発行人とも太い繋がりを持っている。父親に頼るのは少し酌だが、ぜいたくを言ってはいられない。
「他に我が家の
「絵描きですか」
宮廷画家であるカヤの父親は、自身の工房に弟子や助手を大勢抱えているから、難しくはないだろう。
「彼らの観察力は、強力な武器になります。証拠を記録させるのです。いばら荘のあちこちを詳細に、余すところなく描き留めてもらいます。どのような破片が重大な手がかりになるかはっきりしないからです。気付かずに壊してしまうかもしれませんし、その場合、複数人の目と手で記録された風景は説得力を持ちます」
証拠の保全、主張を通すための広報体制の確立・・・サキの頭には、とっさに浮かばなかった事柄ばかりだ。
「すごいな、姉上は」
サキは情けなくなる。
「僕から話を聞いただけで、何をすべきか、何が必要か、計算式みたいに導き出してしまう。僕とは大違いだ」
「何を卑下しているのです」
姉がサキの肩を叩く。
「当初の評議会は、いくら証拠を積み上げてもお構いなしにカヤを処刑するつもりだったのでしょう?それを証拠が揃えば動かせる形にまで持っていったのは、間違いなくサキのお手柄ですよ。あなたが圧力をかけたおかげで、皆が動けるようになったのです」
「・・・そういう、ものですかね」
「そういうものですよ。人が働くための地ならしをするのも君主の仕事です。あなたは権力者として、着実に成長していると思います」
「ありがとうございます」
最近のサキは、ほめ言葉を素直に喜ぶことができる。これも成長だろうか。
同日夜、サキは馬車を手配して姉と共に王都近郊の渓谷へと向かった。崖に聳える古城、レンカ城を訪問するためだ。
この城の一部が現在、牢獄として転用されている。収容されているのは主に政治犯罪の容疑者。裁判所の管轄・宮廷軍事評議会の対象を問わず、社会に大きな影響力を与える類の犯罪者を閉じこめている。広い意味合いで政治犯に当てはまるカヤもまた、昨日からこの城の住人だった。
王都の北西を流れる小川、その流れに沿う舗装路を一時間ほど遡ると、川の大元である渓谷に辿り着く。谷の手前で馬車を降りると、足元から緩やかな勾配の石段が、左手の崖を巻くように伸びていた。石段は一部分が川と交差しているが、水位より高い場所にあるので、スカートの姉でも難なく渡河できるだろう。
岸壁の左手だけが松明で明るい。その炎に囲まれるようにして聳える長方形の影がレンカ城だ。城から岸壁を下る石段の各所にも灯火が点されている。
出かける前に使いを送ったので、気を使ってくれたのだろうか。牢獄の管理責任者が出迎えてくれるという話だった。
ランタンを持った少女が石段をかけ降りてきた。川を渡り、サキの前で一礼する。黒縁の眼鏡に、柔和な眼差しが輝いた。
「ようこそお出でくださいました。青杖家当主にして当監獄の管理を担当しておりますます、コレートと申します」
一瞬、サキは反応に詰まる。
「驚かれているご様子ですね」
青杖家当主と名乗った少女はくすくすと笑った。
「みなさま仰います。こんな頼りなさそうな娘に監獄の長が務まるものなのかと」
「いえ、そんなことは」
驚きはしたが、侮る気持ちがないのは本当だ。
「外見に似合わず、お強い女性には慣れていますので」
傍らの姉を気にしながらサキは話す。
「ご安心ください。私はそこまでの女傑ではありませんので」
コレートはさらりと言う。
「そのあたりの事情も含め、城内をご案内がてらお話しいたします。どうぞ、こちらからお上がりください」
川を渡り、崖のを登り切ると城の横手に出た。城の右手に回り込む位置なので、崖下からは窺い知ることができなかった城の構造が明らかになった。
城は三棟あった。真っ直ぐ並んだ位置に建っているため、下からは一つに見えるのだ。完全に独立した建物ではなく、槍のような一本の連絡通路に貫かれている。
「崖に一番近い棟が男性用の監獄です」
コレートの持つランタンの光が揺れる。
「二番目が女性用、一番奥が私の住まいです。現在、この棟だけが青杖家の所有物になっています」
「なるほど、古城が収容施設に転用されたのはどういう経緯かと考えていましたが」
ニコラが納得したように頷く。
「お住まいの一部を物納されたのですね」
「そうなんです。先代である私の父親が見まかった折、借金を精算するために我が家の三分の二を手放したんです。それに合わせて、当初は城を守らせていた私兵も三分の一に削減する予定でした。ところが国の方にお渡しした城の活用方法を聞いたところ、牢獄にするとのお話でしたので、それなら兵士をそのまま使ってもらえないかと交渉したんです。私としても、長年仕えてくれた兵士を路頭に迷わせるのは心苦しいですからね」
上手く考えるな、とサキは感心する。たしかに国にとっても、城を知り尽くしている兵士に警備させる方が安心だろう。
「その話が通ってしばらくの間は、王都から任命された貴族の方が監獄を管理されていました。でもこの城、微妙に不便な位置にあるでしょう?毎日通うには時間がかかりますし、住むには周辺になにもありません。ですからどの方もすぐに辞任されてしまうんです。そこで、私から重ねて提案したんです。元々は我が家のお城、兵士たちも気心が知れています。だったら、この青杖家当主を責任者に任命していただけないか・・・・と」
さらっと話しているが、なかなかすごい要求を通している。物納した自家の不動産を足がかりにしてちょっとした権力を手に入れ、さらには元の所有財産を実質上、支配下に戻すことに成功したのだ。
「大したものだ。相当な女傑でいらっしゃる」
「まあ、それは過大評価ですわ」
コレートは片手の掌をひらひらと動かす。
「実際は、今お話ししたほど滑らかには進みませんでした。つてを使って官界に働きかけたり、偉い方のお耳にはいるような噂を流したり・・・・もちろんいいこともありましたわ。宮廷軍事評議会とお近づきになれなければ、夫とも知り合えませんでしたし」
「ご結婚、されているのですか」
既婚者とは意外だった。年頃はカヤやニコラと同年代にしかみえない。
「あら、ご存じなかったのですね。評議員、イオナが私の夫ですわ」
「ええええええええ!」
「まあ、さっきより驚いていらっしゃるのね」
コレートはくすくすと笑う。
「年が離れていますものね。私が十九、夫が四十五です。でも一昔前なら、貴族でこれくらいの歳の差は当たり前でしたのよ」
「それもありますけど、イオナ評議員は頑健な印象を受ける方でしたので、あまり」
「気が合いそうに見えませんか?」
夫人は瞳をいたずらっ子にように光らせる。
「ああみえて、繊細なところもあったりしますのよ。もの悲しい秋の夜は枕元でリュートを弾いてくれたり、詩を作って雑誌に投稿していたり・・・」
想像するだけで、すさまじい絵面だった。
しかし、評議員の妻というのは捨て置けない情報だ。
この人物をどの位置に置くべきか、サキは迷う。イオナと一心同体、つまりこちらの証拠集めを妨害してくる可能性があると警戒した方がいいだろうか。
「あ、ですがご安心ください。夫が属している組織と対立されているからといって、カヤさんを虐めたり、うるさくして証言を遮ったりはいたしませんので」
先回りされた。
「これは親切や信条の問題ではなく、そうすることが私や夫の身の安全・ひいてはこの国の安寧に繋がるとの判断ですの」
「どういう意味ですか?」
「こちらでは主に政治犯の方々を収容しています。こういっては何ですが、政治犯というものは半分くらい、冤罪でしょう?」
監獄の責任者にしては、大胆すぎる発言だ。サキは言及を控える。
「そういう方々の扱いは、情勢によって大きく変わります。凶悪犯として繋がれていた人物が、翌朝には英雄としてもてはやされる例も珍しくはありません。そんな可能性のある方に対して、牢屋で暴力をふるったり、粗末な食事を与えるわけにはいきません。彼らが権力を握ったとき、怒りのはけ口がどこに向かうか分かったものではありませんから」
コレートは意味ありげにランタンを揺らす。
「そういったわけで、この中の生活は快適そのものですよ。ただ一点、外出の自由がないことを除いては」コレートは男性用監獄を見上げた。一番近い窓に、太い鉄格子が見える。
「つまり外出に関しては、便宜を図っていただける余地はないという意味ですね」ニコラが確認する。
「そういうことです。どれだけ好感の持てる方であっても、どれだけ理不尽な容疑であっても、逃亡の手助けはいたしません。監獄の主として当然ですが」
コレートは申し訳なさそうに首を振った。
「ありていに申し上げますと、殿下と評議会のみなさま、両方にいい顔をして、どちらが勝利しても危ない目に遭わないように調整しているんです」
にこやかに笑いながら、青杖家当主は赤裸々に告げる。
似ているな、とサキは思う。隣の姉上に、彼女はすごく似ている。
姉とは正反対の人当たりの良さだが、人を動かすやり方が共通している。詐術や、はぐらかしは使わない。包み隠さず告げることで押し通す、その誠実な傲慢さが似通っている。
当のニコラはどう感じているのだろう、と姉を見ると、微かに眉をしかめていた。
「コレート様、出し抜けな質問をお許しいただけますか」
「はい?」
「以前、どこかでお目にかかっているでしょうか」
ニコラに問われ、コレートは指であごを触る。
「直接お話した覚えはない、とは思いますけれど・・・あるとしたら、『少女帝王学教室』かもしれません」
「なるほど」
得心したように、ニコラは眉を戻す。
「私もあの教室の参加者でした。そのときお見かけしたのでしょう」
サキの脳内に、まざまざと映像が蘇る。うず高く積み上げられた数式や政治学論文とにらめっこする少女たち。
数年前、王国とつき合いの深いとある小国の後継者が断絶した。その国は代々、女王を君主として仰ぐ伝統を持っていた国家だったため、養女を得て跡継ぎに変えたいと王国に打診があったのだ。
そこで貴族階級の少女たちを募り、帝王学の手ほどきを施すことになった。それが少女帝王学教室。会場は各家庭の持ち回りだったため、何度か黒繭家も場所を提供していた。
「だとしたら、数奇な巡り合わせですね」
コレートは女性収容者棟に視線を動かした。
「あの教室の参加者の内、一人は監獄の責任者、一人は収容者、一人が面会に訪れたというのは・・・」
カヤも?
サキには意外な話だった。彼女もあの教室に参加していたのか。よく考えると帝王学は政治や法律を教えるだけではなく、君主にふさわしい教養も身につけさせるものなので、画業に関わりのある何事かを学びに行ったのかもしれない。
それとも、サキの知っている絵を描くことしかほとんど興味のない少女は、カヤという人間のごく一面に過ぎない、ということなのだろうか。
「すみません、こちらの話ばかりしてしまって」
申し訳なさそうにコレートは笑う。
「それでは、カヤさんのいらっしゃるところへご案内しますね」
コレートに続いて、二番目の城へ向かう。
ニコラも夫人も無言になったので、サキは余計な想念を巡らせてしまう。
少女帝王学教室から女王が生まれることはなかった。外交上のあれこれの結果、王国から後継者を贈るという話自体が立ち消えになったのだ。けっきょく後継者には、同国内の男子が選ばれたらしい。
――――夫人や姉にとって、僕は疎ましい存在なのだろうか。
サキは思う。サキが物心つくかつかないかの時分の出来事だったが、姉が勉学に励む姿は記憶に残っている。
手に入らなかった王座。それをしのぐ地位をひょんなことから手に入れ、好き勝手に使おうとしている身の程知らず。
今の自分は、二人の瞳にそんな風に映っているのではないだろうか。もしかしたら、カヤにも?
口には出さない。言ったところで、姉の返答は来る前に聞いた話と同じになるだろうから。