少女の異変
文字数 4,808文字
兵士の敬礼を受け、サキたちは女性用監獄の入り口をくぐる。
最初に視界へ飛び込んできたのは、ところかまわず散乱する縫いぐるみの山だった。
クマ、ウサギ、ネコ、ヒツジ、トナカイ・・・掌に包めそうな小振りなものから、サキの身体が隠れそうな特大まで・・・ 色も様々、素材も様々な縫いぐるみの群が、辺りを埋め尽くしている。
「夫の仕業です」
コレートが恥ずかしそうに言う。
「先ほども申しましたけれど、『お客様』にはなるべく快適にすごしていただくことが当監獄の信念です。女性のお客様の場合、男性なら気にも留めない事柄でも侮辱と感じる場合がありますので、特に気を使っているのですが」
コレートは足下にあるコウモリらしき縫いぐるみの頭部を指でかき混ぜる。
「以前、そういう話を夫としていたとき、わたしが『部屋に縫いぐるみでも飾れば気分が和むでしょうね』と言ってしまいましたの。そうしたら、城があふれるくらいの縫いぐるみを買い込んで来てしまって・・・」
「段々、わかってきました。イオナ評議員の人となりが」
サキは得をした気分だった。カヤから証言を得る目的だけで訪れた先で、現在、対峙している一人の性格を窺い知ることができた。
それをどう活用するものかは、見当もつかないけれど。
「処分するのもかわいそうなので、そのまま詰め込んでいるんです」
ランタンをテナガザルに握らせ、コレートは奥へと進む。
「奥へ参りますね。基本的に、牢獄は私邸だった頃の客間を改装しています。といっても窓際に鉄格子を嵌めたのと、扉を外側から施錠できるものに変えただけですけれど。客間には厠 もくっついていまし、毎日水瓶を中へ運び入れていますから、不便はないはずです。お風呂で暖まりたい場合は、頼めば水瓶を温めて差し上げます」
まるで高級旅館のような至れり尽くせりだ。
「厠はくみ取り式ですか?下水道が通じているんですか」
サキの質問にコレートは、
「下水道がつながっておりますわ。ちなみに幅は、赤子の頭が通るかどうかの狭さです。
残念ながら」
「さすがに、甘くはないか」
サキは頭をかき苦笑した。
「脱獄幇助のご検討は、実際の牢獄をご覧になってからでも遅くはありません。こちらが、カヤさんのお部屋です」
突き当たり、鉄格子の扉の前に、毛糸で編まれた二匹のユニコーンが座っている。
コレートは扉に鍵を差し入れた。
まだ新しい牢獄だからか、扉は音も立てず滑らかに開いた。
「・・・なんだ、昨日の今日なのに」
縫いぐるみに包まれたソファーの中で笑った少女に、サキは違和感を覚えた。
「わざわざ来てくれなくてもいいのにさ。元気だよ。このとーり」
いつものパレット兼フードを纏い、いつもの笑顔だ。それなのに、この噛み合わない感じはどこから漂うものか。
原因に気付き、サキは愕然としたが、指摘する勇気はなかった。
「カヤ、今の状況は知ってるの」
「新聞読ませてもらったんだ。ちょっと前、家の人が面会にきたときに。すごいねサキ。評議会相手に大立ち回りしたんだって?」
そう言われると気恥ずかしい。同時に、午後の出来事がすでに印刷されている迅速さを知り、サキは新聞を味方につける重要性を再認識した。
「わかってるなら話は早いな。今日はカヤのご機嫌窺いと、来週に向けた証拠集めに来たんだよ」
「機嫌は良好」
カヤはベッドの上を跳ねる。
「でも、証拠はなあ・・・たぶん、評議会の人に話した以上のことは、教えてあげられないと思う」
首を振った後、カヤはグリムの死体を発見した際の経緯、彼との関わりについて詳しく語ってくれた。
しかし最初に断った通り、その内容は評議会で聞いたものと大差ないものだった。
「そういえば、今朝焼いたベリーのパンケーキがありますの。温め直して、お持ちしますわね」
途中でコレートが部屋を離れた。不用心な気もするが、警備体制に自信を持っているのだろう。カヤが話しやすくなるよう、気を遣ってもくれている。
サキは内心で感謝したが、結局、彼女がいるいないでカヤに変化は生まれなかった。
「怪しい人影とか、物音はしなかった?」
これは下手人とカヤがあの部屋にいた時間帯が重なっていた可能性もあるので訊いた質問だったが、カヤは首を横に振る。
「では、あなたが部屋に入ったとき、本棚の本はすでに燃やされていたのですね?」
「燃やしたまでは分かんない。暖炉にまで頭が回らなかったから」
「これまであなたが議長を訪問した折、あの本棚にはある程度、本が並んでいたのですね」
「うん。もともと、そんなに多くはなかったけどね」
この証言もバンドに聞いた話と一致している。ニコラは本棚の件が気になるようで、なおも関連した質問を投げかけた。
「並んでいた本の書名は覚えていますか」
「覚えてるよ。というより私、どんなものでも一度見たら忘れられないから」
カヤは眉をひそめる。以前はサキの前で自慢していた記憶もある彼女の才能だ。絵描きにとっては素晴らしい特技に思えるけれど、良い面ばかりでもないらしい。
ニコラの用意した紙に、カヤは題名を書き付けて行く。「継水半島芸術史」「芸術家名鑑」「舞踊の本質」「弦楽器の基礎」「ルーベンス全作品評論」「銃火器の取り扱い方法」「狩猟の哲学」―――――
「『決闘の王子』の脚本集もあったのですね」
カヤが書きつけた側から、ニコラが書名を吟味する。
「稀覯本の類は混ざっていないようです。すべて書店か出版社に注文すれば、簡単に手には入るものばかりです」
「あの部屋、書斎とは違うから」
カヤが説明する。
「あの部屋にあった本は、たぶん、同じものが書斎にもあると思う。グリムさんのお気に入りの本で、書斎から持ってくるのが面倒なものだけ同じものを置いてたみたい」
「それでは、あの棚の中に混ざっていた極めて貴重な書物を犯人が持ち去って、それをごまかすために他の本を燃やしたーーと言う線もなさそうですね」
そういう発想もあったか。感心するサキだったが、同時にカヤの発言が気になった。
・・「グリムさん」この呼び方に、よそよそしさを感じる。
貴族階級とは言え、まだ十代の画家が大貴族の当主である依頼主を呼ぶにしては慣れ慣れしい言い方のはずなのに、なにか遠慮のようなニュアンスが含まれていた。サキは恋愛感情に詳しいわけではないが、つき合いの長いカヤに関してなら程度判る。
カヤが議長に向ける感情は、少なくとも色恋沙汰とは別物のように思われたのだった。
けれどもそこに突っ込む勇気と話術が、サキにはない。
結局その件については、かけらも切り出すことができず、この日の面会は終了となった。とくにコレートが時間を設けたわけではないのだが、サキたちの方で、長引かせても意味がないと判断したのだ。
「ごめんね、私のために頑張ってくれてるのにさ。全然、力になれなくて」
「知らないものは仕方がありません。もし何か思い当たったら、連絡をお願いできますか」
「わかった。ニコラもサキも、無理はしないでね、色々と」
結局、監獄への滞在は一時間程度で終わった。
「あのコレート女史、信頼してもいい人物だと思いますか」
夜の街道を走る馬車の中で、サキは姉に見解を訊いた。
「カヤの容疑を晴らすことが、彼女の目的に一致する限り、信頼できると思います」
「目的、とはどういった?」
「あくまで推測ですが」とニコラは唇に指を当て、
「彼女が求めているのは軍事力だと思います。万が一、この国が動乱状態に陥った局面で有用な兵力です」
そこまで大きな話になるとは、予想外だ。
「青杖家の初代は、レンカ城周辺を本拠地にしていた遊牧民の頭領です。彼らを含む王朝初期の実力者たちは、時代を下るにつれてその勢力を失っていきました。その最大の理由は、王国に正規軍が創設されたこと」
歴史の教科書をサキは思い出す。黎明期、「国の軍隊」とは有力貴族の私兵を持ち寄ったものだった。それでは大軍を必要とする戦いの折に、足並みを揃えることが難しい。そこで志願制の正規軍を設けると同時に、規制を設けて貴族が保有できる私兵の数に制限をかけたのだ。貴族側の抵抗を宥め、ときには威嚇しつつ改革は緩やかに実行された。
結果千七百九十三年現在、王国内で貴族が保有する兵力は、各々の領土で強盗を取り締まる程度の最低限の兵数でしかない。
「貴族の仕事は戦争だけではありませんし、平和な時代ならその数でも構わなかったはずです。ところが現在はお隣で革命の嵐が吹き荒れています。他国も、我が国もどう転ぶものか予想がつきません。悪くすればこの国も、革命支持派と王政支持派で二つに割れるかもしれません。もっと最悪の場合、王政・革命派それぞれの中でも内紛が生まれ、国土が四分五裂するかも」
「・・・それ、本当に最悪の場合ですよね」
「最悪の、最悪の場合です」
ニコラは馬車の窓から、夜陰に沈みつつあるレンカ城を見上げた。
「そうなったら、最低限の私兵しかもたない大半の領主はひとたまりもないでしょう。だから自領を守るための保険として、兵馬の権を持つものたちと繋がりを築いておきたい。制度上、この国の軍隊を支配している宮廷軍事評議会と・・・」
ニコラは窓から視線を戻し、サキを見た。
「権威として、この国の選抜民兵に多大な影響力を持つ可能性のある、あなたとの両方にです」
サキはコレートの優しげな顔を思い浮かべた。
「ところがその両者が、カヤの処遇を巡って一触即発の関係にある。ひょっとして僕、コレート女史にとって迷惑なことをしてますか」
「見ようによっては、全国的に迷惑ですよ」
ニコラは肩をすくめる。
「でも、迷惑だからこそ、彼女は仲立ちになってくれるはずです。あなたと評議会に、決定的な亀裂が生じないように」
「なるほど。味方・・とまでは言えないにしても、敵ではない、と見なして良さそうですね」
しかし姉の見立てが正しいとすると、コレートがイオナの妻である事実に不純なものを感じる。
「すると女史は、利用するためにイオナ評議委員に近づいたわけだ」
傷の走ったイオナの顔をサキは頭に浮かべる。生粋の武人、といった風情。偏見かもしれないが、色事には疎そうだ。
「愛のかけらもない結婚か」
サキは呟いた。
「なんだかイオナ評議員が気の毒になってきました」
「それはどうでしょう」
ニコラは目を大きくする。
「打算と愛情は、案外、両立するものですよ」
「はあ、よくわかりません」
「サキ、あなたは男女の機微に疎いですね」
ニコラは眩しい光を見るように笑った。非常に珍しい表情だ。
「姉上だって、似たようなものでしょう」
「失礼な。私だって恋くらいしたことありますよ」
「あっはははははははは!」
はたかれた。
「・・・話を変えましょう。今日のカヤなんですけど」
逡巡したが、サキは口にする。
「おかしかったですよね。まあ、常日頃から変わった人ですけど、そういうおかしさじゃなく」
「サキも気付いていたのですね。あのような彼女を、私も初めて目にしました」
姉弟は顔を見合わせ、沈黙する。
気遣いが行き届いた監獄だった。カヤが望めば、それくらいは許されたに違いない。
風変わりな監獄だった。散りばめられた色とりどりの縫いぐるみ。異国から取り寄せた品も含まれていたかもしれない。だから、本来のカヤなら、興味を抱くはずなのだ。
カヤをよく知らない者なら、なんだそんなこと、と一笑に付すかもしれない。
しかし彼女を一週間でも知っている相手なら、その異常さに戦慄するだろう。
監獄のカヤは、絵を描いていなかった。
最初に視界へ飛び込んできたのは、ところかまわず散乱する縫いぐるみの山だった。
クマ、ウサギ、ネコ、ヒツジ、トナカイ・・・掌に包めそうな小振りなものから、サキの身体が隠れそうな特大まで・・・ 色も様々、素材も様々な縫いぐるみの群が、辺りを埋め尽くしている。
「夫の仕業です」
コレートが恥ずかしそうに言う。
「先ほども申しましたけれど、『お客様』にはなるべく快適にすごしていただくことが当監獄の信念です。女性のお客様の場合、男性なら気にも留めない事柄でも侮辱と感じる場合がありますので、特に気を使っているのですが」
コレートは足下にあるコウモリらしき縫いぐるみの頭部を指でかき混ぜる。
「以前、そういう話を夫としていたとき、わたしが『部屋に縫いぐるみでも飾れば気分が和むでしょうね』と言ってしまいましたの。そうしたら、城があふれるくらいの縫いぐるみを買い込んで来てしまって・・・」
「段々、わかってきました。イオナ評議員の人となりが」
サキは得をした気分だった。カヤから証言を得る目的だけで訪れた先で、現在、対峙している一人の性格を窺い知ることができた。
それをどう活用するものかは、見当もつかないけれど。
「処分するのもかわいそうなので、そのまま詰め込んでいるんです」
ランタンをテナガザルに握らせ、コレートは奥へと進む。
「奥へ参りますね。基本的に、牢獄は私邸だった頃の客間を改装しています。といっても窓際に鉄格子を嵌めたのと、扉を外側から施錠できるものに変えただけですけれど。客間には
まるで高級旅館のような至れり尽くせりだ。
「厠はくみ取り式ですか?下水道が通じているんですか」
サキの質問にコレートは、
「下水道がつながっておりますわ。ちなみに幅は、赤子の頭が通るかどうかの狭さです。
残念ながら」
「さすがに、甘くはないか」
サキは頭をかき苦笑した。
「脱獄幇助のご検討は、実際の牢獄をご覧になってからでも遅くはありません。こちらが、カヤさんのお部屋です」
突き当たり、鉄格子の扉の前に、毛糸で編まれた二匹のユニコーンが座っている。
コレートは扉に鍵を差し入れた。
まだ新しい牢獄だからか、扉は音も立てず滑らかに開いた。
「・・・なんだ、昨日の今日なのに」
縫いぐるみに包まれたソファーの中で笑った少女に、サキは違和感を覚えた。
「わざわざ来てくれなくてもいいのにさ。元気だよ。このとーり」
いつものパレット兼フードを纏い、いつもの笑顔だ。それなのに、この噛み合わない感じはどこから漂うものか。
原因に気付き、サキは愕然としたが、指摘する勇気はなかった。
「カヤ、今の状況は知ってるの」
「新聞読ませてもらったんだ。ちょっと前、家の人が面会にきたときに。すごいねサキ。評議会相手に大立ち回りしたんだって?」
そう言われると気恥ずかしい。同時に、午後の出来事がすでに印刷されている迅速さを知り、サキは新聞を味方につける重要性を再認識した。
「わかってるなら話は早いな。今日はカヤのご機嫌窺いと、来週に向けた証拠集めに来たんだよ」
「機嫌は良好」
カヤはベッドの上を跳ねる。
「でも、証拠はなあ・・・たぶん、評議会の人に話した以上のことは、教えてあげられないと思う」
首を振った後、カヤはグリムの死体を発見した際の経緯、彼との関わりについて詳しく語ってくれた。
しかし最初に断った通り、その内容は評議会で聞いたものと大差ないものだった。
「そういえば、今朝焼いたベリーのパンケーキがありますの。温め直して、お持ちしますわね」
途中でコレートが部屋を離れた。不用心な気もするが、警備体制に自信を持っているのだろう。カヤが話しやすくなるよう、気を遣ってもくれている。
サキは内心で感謝したが、結局、彼女がいるいないでカヤに変化は生まれなかった。
「怪しい人影とか、物音はしなかった?」
これは下手人とカヤがあの部屋にいた時間帯が重なっていた可能性もあるので訊いた質問だったが、カヤは首を横に振る。
「では、あなたが部屋に入ったとき、本棚の本はすでに燃やされていたのですね?」
「燃やしたまでは分かんない。暖炉にまで頭が回らなかったから」
「これまであなたが議長を訪問した折、あの本棚にはある程度、本が並んでいたのですね」
「うん。もともと、そんなに多くはなかったけどね」
この証言もバンドに聞いた話と一致している。ニコラは本棚の件が気になるようで、なおも関連した質問を投げかけた。
「並んでいた本の書名は覚えていますか」
「覚えてるよ。というより私、どんなものでも一度見たら忘れられないから」
カヤは眉をひそめる。以前はサキの前で自慢していた記憶もある彼女の才能だ。絵描きにとっては素晴らしい特技に思えるけれど、良い面ばかりでもないらしい。
ニコラの用意した紙に、カヤは題名を書き付けて行く。「継水半島芸術史」「芸術家名鑑」「舞踊の本質」「弦楽器の基礎」「ルーベンス全作品評論」「銃火器の取り扱い方法」「狩猟の哲学」―――――
「『決闘の王子』の脚本集もあったのですね」
カヤが書きつけた側から、ニコラが書名を吟味する。
「稀覯本の類は混ざっていないようです。すべて書店か出版社に注文すれば、簡単に手には入るものばかりです」
「あの部屋、書斎とは違うから」
カヤが説明する。
「あの部屋にあった本は、たぶん、同じものが書斎にもあると思う。グリムさんのお気に入りの本で、書斎から持ってくるのが面倒なものだけ同じものを置いてたみたい」
「それでは、あの棚の中に混ざっていた極めて貴重な書物を犯人が持ち去って、それをごまかすために他の本を燃やしたーーと言う線もなさそうですね」
そういう発想もあったか。感心するサキだったが、同時にカヤの発言が気になった。
・・「グリムさん」この呼び方に、よそよそしさを感じる。
貴族階級とは言え、まだ十代の画家が大貴族の当主である依頼主を呼ぶにしては慣れ慣れしい言い方のはずなのに、なにか遠慮のようなニュアンスが含まれていた。サキは恋愛感情に詳しいわけではないが、つき合いの長いカヤに関してなら程度判る。
カヤが議長に向ける感情は、少なくとも色恋沙汰とは別物のように思われたのだった。
けれどもそこに突っ込む勇気と話術が、サキにはない。
結局その件については、かけらも切り出すことができず、この日の面会は終了となった。とくにコレートが時間を設けたわけではないのだが、サキたちの方で、長引かせても意味がないと判断したのだ。
「ごめんね、私のために頑張ってくれてるのにさ。全然、力になれなくて」
「知らないものは仕方がありません。もし何か思い当たったら、連絡をお願いできますか」
「わかった。ニコラもサキも、無理はしないでね、色々と」
結局、監獄への滞在は一時間程度で終わった。
「あのコレート女史、信頼してもいい人物だと思いますか」
夜の街道を走る馬車の中で、サキは姉に見解を訊いた。
「カヤの容疑を晴らすことが、彼女の目的に一致する限り、信頼できると思います」
「目的、とはどういった?」
「あくまで推測ですが」とニコラは唇に指を当て、
「彼女が求めているのは軍事力だと思います。万が一、この国が動乱状態に陥った局面で有用な兵力です」
そこまで大きな話になるとは、予想外だ。
「青杖家の初代は、レンカ城周辺を本拠地にしていた遊牧民の頭領です。彼らを含む王朝初期の実力者たちは、時代を下るにつれてその勢力を失っていきました。その最大の理由は、王国に正規軍が創設されたこと」
歴史の教科書をサキは思い出す。黎明期、「国の軍隊」とは有力貴族の私兵を持ち寄ったものだった。それでは大軍を必要とする戦いの折に、足並みを揃えることが難しい。そこで志願制の正規軍を設けると同時に、規制を設けて貴族が保有できる私兵の数に制限をかけたのだ。貴族側の抵抗を宥め、ときには威嚇しつつ改革は緩やかに実行された。
結果千七百九十三年現在、王国内で貴族が保有する兵力は、各々の領土で強盗を取り締まる程度の最低限の兵数でしかない。
「貴族の仕事は戦争だけではありませんし、平和な時代ならその数でも構わなかったはずです。ところが現在はお隣で革命の嵐が吹き荒れています。他国も、我が国もどう転ぶものか予想がつきません。悪くすればこの国も、革命支持派と王政支持派で二つに割れるかもしれません。もっと最悪の場合、王政・革命派それぞれの中でも内紛が生まれ、国土が四分五裂するかも」
「・・・それ、本当に最悪の場合ですよね」
「最悪の、最悪の場合です」
ニコラは馬車の窓から、夜陰に沈みつつあるレンカ城を見上げた。
「そうなったら、最低限の私兵しかもたない大半の領主はひとたまりもないでしょう。だから自領を守るための保険として、兵馬の権を持つものたちと繋がりを築いておきたい。制度上、この国の軍隊を支配している宮廷軍事評議会と・・・」
ニコラは窓から視線を戻し、サキを見た。
「権威として、この国の選抜民兵に多大な影響力を持つ可能性のある、あなたとの両方にです」
サキはコレートの優しげな顔を思い浮かべた。
「ところがその両者が、カヤの処遇を巡って一触即発の関係にある。ひょっとして僕、コレート女史にとって迷惑なことをしてますか」
「見ようによっては、全国的に迷惑ですよ」
ニコラは肩をすくめる。
「でも、迷惑だからこそ、彼女は仲立ちになってくれるはずです。あなたと評議会に、決定的な亀裂が生じないように」
「なるほど。味方・・とまでは言えないにしても、敵ではない、と見なして良さそうですね」
しかし姉の見立てが正しいとすると、コレートがイオナの妻である事実に不純なものを感じる。
「すると女史は、利用するためにイオナ評議委員に近づいたわけだ」
傷の走ったイオナの顔をサキは頭に浮かべる。生粋の武人、といった風情。偏見かもしれないが、色事には疎そうだ。
「愛のかけらもない結婚か」
サキは呟いた。
「なんだかイオナ評議員が気の毒になってきました」
「それはどうでしょう」
ニコラは目を大きくする。
「打算と愛情は、案外、両立するものですよ」
「はあ、よくわかりません」
「サキ、あなたは男女の機微に疎いですね」
ニコラは眩しい光を見るように笑った。非常に珍しい表情だ。
「姉上だって、似たようなものでしょう」
「失礼な。私だって恋くらいしたことありますよ」
「あっはははははははは!」
はたかれた。
「・・・話を変えましょう。今日のカヤなんですけど」
逡巡したが、サキは口にする。
「おかしかったですよね。まあ、常日頃から変わった人ですけど、そういうおかしさじゃなく」
「サキも気付いていたのですね。あのような彼女を、私も初めて目にしました」
姉弟は顔を見合わせ、沈黙する。
気遣いが行き届いた監獄だった。カヤが望めば、それくらいは許されたに違いない。
風変わりな監獄だった。散りばめられた色とりどりの縫いぐるみ。異国から取り寄せた品も含まれていたかもしれない。だから、本来のカヤなら、興味を抱くはずなのだ。
カヤをよく知らない者なら、なんだそんなこと、と一笑に付すかもしれない。
しかし彼女を一週間でも知っている相手なら、その異常さに戦慄するだろう。
監獄のカヤは、絵を描いていなかった。