宝探し
文字数 6,094文字
翌日は早朝から馬車を手配して、前日以上の大人数でいばら荘へと向かった。
増員は準男爵自身と、彼が連れてきた数人の司書たちだ。普段は工房付きの図書館で美術史関連の記録を整理している人たちで、すでに昨晩の時点で、赤薔薇家と関わったパリッシーの弟子の名を割り出してくれたという。
「パリッシーの直弟子数人が、千五百九十四年から九十六年にかけて、複数回、いばら荘へ滞在しております」
馬車の中で司書の一人がサキに教えてくれた。王国陶芸職人協会の会報に記されていたという。
「その時期に隠し通路等の細工を行ったと見て、間違いないでしょう。いばら荘にデジレ周辺の不動産購入記録が残っていて、年月が一致するものがあれば」
馬車が急停車したので、司書は大きく体を揺らしたが、すぐに報告を続けた。
「その土地に、陶工たちの作品が残っていると考えて、間違いはないと思われます」
幸運を、サキは祈る。当時の赤薔薇家当主が新しいもの好きで、亡命してきたばかりのパリッシーの弟子たちに何か作らせようと考えた、それが隠し通路や倉庫の装飾なのだろう。問題は、隠し倉庫等が、装飾を施す前から存在していたのか、同時に作らせたものなのかという点だ。以前から存在していたのであれば、記録から辿る方法が通用しない。
もう、しあさってが評議会だ。次の評議回で、決着を付けてしまいたい。
いばら荘で出迎えてくれたバンドに、サキは本日の調査目的を手短に伝えた。早速デジレ周辺の土地台帳を参照してくれるという。
数分で、書類の山を抱えて戻ってきた。
「ご指摘の通りでございました。千五百九十四年から六年にかけて、当時のご当主が土地を購入されています。いずれも、開墾や城館を建てるには狭すぎるような面積ばかりです」
傍らにいた準男爵と司書たちが手を叩く。予想が当たった点は嬉しい。けれども、バンドの腕の中にある書類の量が気になった。
「その紙束、全部が関連書類ですか?」
サキの問いかけに、赤薔薇家家宰は苦渋を滲ませた表情で返事する。
「はい。この時期、二百七カ所が購入されています」
いくらなんでも!多すぎる!
サキは気が遠くなりかけた。
「幸い、デジレから馬車で移動できる距離内にすべてございますが」
そうだとしても、これはとんでもない手間だ。該当の地所を一つ一つ回るだけではない。それらのどの部分に隠し倉庫があるかを入念に見ていかなければならないからだ。昨日開いた倉庫の扉のような造形なら比較的分かりやすいかもしれないが、隠し通路の入り口のように周囲の風景と一体化している形だったら、容易には見分けられないだろう。
「どうやら、私の出番ですね」
しかし傍らの準男爵は自信ありげに笑っていた。
「とりあえず土地の所在とデジレ周辺の地図を照らし合わせて、すべての地所を最短で回れる経路を算出しましょう。決まったら、私の眼で一カ所ずつ確かめて行きます」
「全部、先生が見るんですか」
サキには、無茶すぎる計画に思われた。
「闇雲に、草地を触って歩くわけではありません」
準男爵は司書より一冊の本を受け取り、素早くめくる。表紙には「王国・動植物図鑑」と記されていた。
「確かに田園器物の再現度は素晴らしい。しかしながら、現在の我々にはあって、十六世紀の陶工には欠けている要素があります。そえは知識です。この二百年で、博物学はめざましい進歩を遂げました。かつては動植物の細かな部位が、どのような理由で様々な形をしているのか分からない例も多かったものが、少しずつ明らかになっています」
準男爵は図鑑をゆっくりと閉じる。
「そしてその部位にどういう意味があるかを知っているかどうかで、描写は確実に変化します。だから博物学に長じている絵描きが目にすれば、本物の自然と、田園器物の差違に気づくかもしれません」
「博物学に長じた画家、ですか」
「あなたの目の前にいます」
準男爵はおどけるように片目を閉じた。そういう茶目っ気が、カヤに似ていると思わなくもない。
「何を隠そう、この図鑑も私が描いているんですよ」
千五百九十四年から六年に購入されたという地所は、デジレ街道に沿う範囲で点在していた。サキと準男爵、それと二名の画工を乗せた馬車がいばら荘から一番近い地所に到着したのは、九時過ぎのことだった。昨日訪れた地点と同様、一面の草原だ。残念ながら、目印らしき造形物はない。
馬車から降りると、サキたちの足音に驚いたのか、一匹のノネズミが草むらから飛び出してきた。
「ふむ」
びっくりするくらい素早い手つきでネズミを捕らえた準男爵は、しげしげと全身を眺めて後で開放してやり、帳面にスケッチをはじめた。
「なにかあるんですか、今のネズミ」
「いえ」
絵描きは爽やかに答える。
「全然関係ありません。珍しい種類だったもので」
やっぱりこの人、カヤの父親だ。血の繋がりとか、関係ない。
「あのですね先生」
「ご心配なく」絵描きは形のいい指で北東を示す。
「一目でわかりましたよ。あの一角の雑草は、つくりものです」
サキは仰天させられた。
「すごすぎる。一瞬じゃないですか」
「いや、誉めてもらう程じゃありません」
準男爵は肩をすくめる。
「あの一角だけ、種類が違うんですよ。雑草と言うものは、育っても有益な果実を残さず、樹木にも育たずに枯れてしまうから雑草なんて呼ばれてしまう。何かの拍子でより強い雑草の種が飛んできた場合、一帯が取って代わられてしまう例も珍しくない。すると陶器の草はそのままだから、目立ってしまう」
説明しながら、目的に向かって、ずんずん歩いて行く。指さした辺りで、平手を雑草に当てた。
きん、と小気味いい音がした。
「ほら、間違いない」
流石だ。サキには近くに行っても、周りの雑草と区別がつかない。
さて、ここからが一手間だ。
陶製の雑草は、0.6 ルーデ(二メートル)四方に延びている。この部分が隠し倉庫の扉にあたるわけだが、今回は開錠の仕方がわからないので、こじあける他にない。バンドに探してもらってはいるが、流石に開錠方法を記したまとめの類は現存していないだろう。
画工の一人が馬車から走ってくる。両手に金鎚とノミを抱えていた。
サキと準男爵はすぐに馬車へ戻る。画工一人を残して、次の目的地へと向かうのだ。可能な限り迅速に、なるべく田園器物を傷つけないために、サキたちが考えた配分だった。ただ、中を見たいだけなら巨大な木鎚か何かで陶器を叩き割るのが早いだろうが、カヤのためとは言え、貴重な文化遺産を逐一破壊して回るのは気が咎める。なにしろ隠し倉庫は、二百カ所以上存在するかもしれないのだから。
中身を確認した画工は、後から到着する馬車に乗って次の目的地へ向かう。先に到着した準男爵たちは、扉がある場所に目印を付けておく。
ただこのやり方でも、一日ですべての地所を回るのは困難かもしれない。しかし外套が最後の地所に隠されているとは限らない、とサキは期待していた。
運が良ければ、今見つけた扉の下に隠してあるかもしれない。
数分後、サキたちは次の地所に到着した。やはり延び放題の雑草に覆われている。ここでも準男爵は、一瞬で隠し倉庫の場所を看破した。
「前の土地と、同じですね。雑草が入れ替わったため、区別できるようになっている」
画工を一人残し、次の土地へ移動する。これで馬車に画工はいなくなったので、次からは目印を用意しなければならない。
三番目の土地も同様だった。生い茂る雑草に偽装された隠し扉。目印として、サキは偽物の草の上にリボンを結びつけておく。
「思ったより手早く進んでいます」
サキの心が踊り始める。
「隠し扉の外観も、構造も同じものが続くようだったら、確認に要する時間はどんどん短くなりますよね。見つかるかもしれない。今日中に」
「同じような隠し扉が続くようだったら、画工に区別するコツを教えてもいいでしょう」
準男爵の声も弾んでいた。他の画工はいばら荘で待機させている。把握した見分け方を彼らに伝えれば、複数箇所を同時に確認できる。効率は加速度的に向上するだろう。
それからしばらくは、サキたちの期待通りに事が推移した。どの土地でも同じ外観の隠し扉ばかりだったので、十番目の確認を終えた時点で一旦、いばら荘へ馬車を戻し、画工たちに区別の方法を教えて調査に向かわせたのだ。サキと準男爵はいばら荘に残り、報告を待つことにした。教えたコツでは隠し扉が見つけられない土地があった場合、準男爵に急行してもらうためだ。サキは調査の進捗状況を確認するために待機している。
調査を始めて三時間で、五十の隠し倉庫が確認済みとなった。
順調に調査は進んでいる。進んでいるのだがーーーサキは不安になってきた。
これまで確認したどの隠し倉庫も、中身は空だった。二百七カ所全部が空かもしれない。調査は空振りに終わるかもしれない。見当はずれの調査を始めた僕は、救いがたい愚者かもしれない……
いやいや、弱気になりすぎだろう。サキは楽観的になろうと努力する。今、この瞬間にも外套が届くかもしれないじゃないか。
しかし確認済みの倉庫が百を超えても、外套は見つからなかった。もう、夕方だ。
不安より、焦りの度合いが強くなった。この試みが徒労に終わったら、評議会までに使える期間は二日しかない。
サキと準男爵は例の最上階に陣取っている。待つという行為がこんなに疲れるものだとは知らなかった。レンカ城で無罪判決を待っているカヤは、ずっとこんな気持ちなのだろうか。
近くにいたはずの準男爵がいなくなったので周囲を見渡すと、窓の近くで筆を動かしていた。外の風景をスケッチしているのだろう。カヤも今頃、同じことをしているかもしれない。
「今日、見つかった偽扉は、雑草を模したものばかりだった。どうしてだろ」
サキの発した独り言に、準男爵が振り向いた。
「同じ意匠ばかりだな、とは私も思いました」
サキの方へ近付いてくる。
「運び屋が外套を放り込んだという倉庫の扉だけ、意匠が異なっている。そこに意味があるかも、という話ですね?」
「もしかして、偽の雑草で隠してある場所は、隠し倉庫とは別の用途なのでは?」
ふいに、サキは思い至った。
「千五百九十年頃で、あれくらいの入り口が必要な地下空間といえば、どういったものが考えられるでしょう」
「墓地ですね。可能性が高いのは」
準男爵は即座に答えた。
「お墓を、二百以上もですか?」
「当時はプロテスタント受難の時代です。迫害を受けたのは生者だけではありませんでした。外国では、プロテスタントの死体を掘り起こして野ざらしにするような蛮行もしょっちゅうだったとか。当時の赤薔薇家当主は、そうした人々のために一見してそれと分からない墓地を用意してあげたのかもしれません」
「赤薔薇家はプロテスタントでしたっけ?」
「少なくとも現在はカトリックですね」
準男爵は首を横に振る。
「しかし宗派を超えて同情を覚えたのかもしれませんし、被・迫害者用の墓地として売り出すつもりだったのかもしれません」
商売のため、という方が赤薔薇家らしいかな、とサキは考える。王国内でも迫害の嵐が吹き荒れはしないかと怯える人々がいた。その人たちに対して、「一見はそれとわからないが、事情を知るものには判別できる墓地」として売りつける魂胆だったのかもしれない。しかし実際のところ王国内でプロテスタントが弾圧されることはなかったので、墓地は空のまま残ったのだろう。
落胆した赤薔薇家当主だったが、田園器物の技法を別の目的に使おうと考えた。それが隠し通路や隠し扉だったのでは、と考えた場合、隠し倉庫が作られたのは、二百七カ所のうち、時系列としては後の方になるはずだ。
バンドの持ってきてくれた土地台帳がまだ残っていたので、サキは急いで目を通す。
これまで気にしていなかったが、大半の地所はほぼ、同じ面積で統一されている。購入された月日が比較的新しい六つの地所だけが、他の二倍近い面積だった。
「この六ヶ所だ」
ようやく近付いたと、サキは興奮する。
「いや、この土地はこの前開いたネズミのところだから、残りは五カ所!」
どの地所も、まだ調査が終わったという報告はもたらされていなかったので、サキは準男爵と共に馬車に乗り込んだ。これらの土地にある田園器物が雑草の偽装でなかったら、準男爵以外には看破できないかもしれないからだ。
サキが最初に選んだのは、王都に一番近い一角だった。ピエロが外套を放り込んだネズミの隠し倉庫とは、街道を挟んでやや南方に位置している。
もう見飽きたよ、と言いたくなるくらいの雑草。準男爵はしばらく周囲を見渡していたが、
「うん、ここには余所みたいなわかりやすい偽雑草は見あたりませんね」
雑草をかき分け、歩いて行く。サキも適当に歩き回ってみることにした。どこを向いても、同じ形状の雑草ばかりだ。これまで雑草の名前なんて興味を持ってこなかったけれど、何という種類なのだろう。
洪水のような緑の中で、ふいに白いものが視界をよぎった。
近付いてみたサキは、「ひっ」と小さく叫んでしまった。
横手から、何事かと準男爵が近付いてくる。
(戦場に出たっていうのに、この程度で叫び声を上げるなんて)
屈辱を感じながら、サキは一歩踏み出した。白い蛇が草の中でとぐろを巻いている。
「これは素晴らしい」
準男爵が感嘆を漏らした。
「これまでに見た雑草の造形も悪くはないものでしたが、この蛇は頭抜けています。パリッシーの高弟か、あるいはパリッシー自身の作品を流用したのかもしれません」
間もなく画工の一人がやってきて、慣れた手つきで蛇を触り始めた。
「大丈夫です。これまでいじった扉で、大体コツはわかりました。実家が時計の彫金をやってるもので、仕掛けには慣れてるんですよ」
鋭い針を、蛇の口の中に差し込み、角度を変えて何度か回す。地面が傾き、バネの作用で持ち上がり始めた。
これだけで、当たりだと判る。周囲の草が引っかからないからだ。長期間使用されていない隠し扉なら、植物の根や土が境目に引っかかって、滑らかには動かないだろう。
石段が見えた。夕日の赤を反射している。内部の構造はネズミの隠し扉と変わらないようだ。期待を込めて、サキは一歩一歩下っていく。 下りきった場所に、木材の破片が積み重なっていた。破片の下に埋もれているそれが眼に入る。
大事な証拠を傷つけないよう、サキは慎重に破片を取り除いた。現れたのは折り畳まれた衣類だ。家宝のように両手で抱え、地上に戻る。
「おお」
準男爵が喜びの声を上げた。
夕日に照らされる軍用の外套。その所々が、日光の中でも区別できるほど赤黒く染まっていた。
増員は準男爵自身と、彼が連れてきた数人の司書たちだ。普段は工房付きの図書館で美術史関連の記録を整理している人たちで、すでに昨晩の時点で、赤薔薇家と関わったパリッシーの弟子の名を割り出してくれたという。
「パリッシーの直弟子数人が、千五百九十四年から九十六年にかけて、複数回、いばら荘へ滞在しております」
馬車の中で司書の一人がサキに教えてくれた。王国陶芸職人協会の会報に記されていたという。
「その時期に隠し通路等の細工を行ったと見て、間違いないでしょう。いばら荘にデジレ周辺の不動産購入記録が残っていて、年月が一致するものがあれば」
馬車が急停車したので、司書は大きく体を揺らしたが、すぐに報告を続けた。
「その土地に、陶工たちの作品が残っていると考えて、間違いはないと思われます」
幸運を、サキは祈る。当時の赤薔薇家当主が新しいもの好きで、亡命してきたばかりのパリッシーの弟子たちに何か作らせようと考えた、それが隠し通路や倉庫の装飾なのだろう。問題は、隠し倉庫等が、装飾を施す前から存在していたのか、同時に作らせたものなのかという点だ。以前から存在していたのであれば、記録から辿る方法が通用しない。
もう、しあさってが評議会だ。次の評議回で、決着を付けてしまいたい。
いばら荘で出迎えてくれたバンドに、サキは本日の調査目的を手短に伝えた。早速デジレ周辺の土地台帳を参照してくれるという。
数分で、書類の山を抱えて戻ってきた。
「ご指摘の通りでございました。千五百九十四年から六年にかけて、当時のご当主が土地を購入されています。いずれも、開墾や城館を建てるには狭すぎるような面積ばかりです」
傍らにいた準男爵と司書たちが手を叩く。予想が当たった点は嬉しい。けれども、バンドの腕の中にある書類の量が気になった。
「その紙束、全部が関連書類ですか?」
サキの問いかけに、赤薔薇家家宰は苦渋を滲ませた表情で返事する。
「はい。この時期、二百七カ所が購入されています」
いくらなんでも!多すぎる!
サキは気が遠くなりかけた。
「幸い、デジレから馬車で移動できる距離内にすべてございますが」
そうだとしても、これはとんでもない手間だ。該当の地所を一つ一つ回るだけではない。それらのどの部分に隠し倉庫があるかを入念に見ていかなければならないからだ。昨日開いた倉庫の扉のような造形なら比較的分かりやすいかもしれないが、隠し通路の入り口のように周囲の風景と一体化している形だったら、容易には見分けられないだろう。
「どうやら、私の出番ですね」
しかし傍らの準男爵は自信ありげに笑っていた。
「とりあえず土地の所在とデジレ周辺の地図を照らし合わせて、すべての地所を最短で回れる経路を算出しましょう。決まったら、私の眼で一カ所ずつ確かめて行きます」
「全部、先生が見るんですか」
サキには、無茶すぎる計画に思われた。
「闇雲に、草地を触って歩くわけではありません」
準男爵は司書より一冊の本を受け取り、素早くめくる。表紙には「王国・動植物図鑑」と記されていた。
「確かに田園器物の再現度は素晴らしい。しかしながら、現在の我々にはあって、十六世紀の陶工には欠けている要素があります。そえは知識です。この二百年で、博物学はめざましい進歩を遂げました。かつては動植物の細かな部位が、どのような理由で様々な形をしているのか分からない例も多かったものが、少しずつ明らかになっています」
準男爵は図鑑をゆっくりと閉じる。
「そしてその部位にどういう意味があるかを知っているかどうかで、描写は確実に変化します。だから博物学に長じている絵描きが目にすれば、本物の自然と、田園器物の差違に気づくかもしれません」
「博物学に長じた画家、ですか」
「あなたの目の前にいます」
準男爵はおどけるように片目を閉じた。そういう茶目っ気が、カヤに似ていると思わなくもない。
「何を隠そう、この図鑑も私が描いているんですよ」
千五百九十四年から六年に購入されたという地所は、デジレ街道に沿う範囲で点在していた。サキと準男爵、それと二名の画工を乗せた馬車がいばら荘から一番近い地所に到着したのは、九時過ぎのことだった。昨日訪れた地点と同様、一面の草原だ。残念ながら、目印らしき造形物はない。
馬車から降りると、サキたちの足音に驚いたのか、一匹のノネズミが草むらから飛び出してきた。
「ふむ」
びっくりするくらい素早い手つきでネズミを捕らえた準男爵は、しげしげと全身を眺めて後で開放してやり、帳面にスケッチをはじめた。
「なにかあるんですか、今のネズミ」
「いえ」
絵描きは爽やかに答える。
「全然関係ありません。珍しい種類だったもので」
やっぱりこの人、カヤの父親だ。血の繋がりとか、関係ない。
「あのですね先生」
「ご心配なく」絵描きは形のいい指で北東を示す。
「一目でわかりましたよ。あの一角の雑草は、つくりものです」
サキは仰天させられた。
「すごすぎる。一瞬じゃないですか」
「いや、誉めてもらう程じゃありません」
準男爵は肩をすくめる。
「あの一角だけ、種類が違うんですよ。雑草と言うものは、育っても有益な果実を残さず、樹木にも育たずに枯れてしまうから雑草なんて呼ばれてしまう。何かの拍子でより強い雑草の種が飛んできた場合、一帯が取って代わられてしまう例も珍しくない。すると陶器の草はそのままだから、目立ってしまう」
説明しながら、目的に向かって、ずんずん歩いて行く。指さした辺りで、平手を雑草に当てた。
きん、と小気味いい音がした。
「ほら、間違いない」
流石だ。サキには近くに行っても、周りの雑草と区別がつかない。
さて、ここからが一手間だ。
陶製の雑草は、0.6 ルーデ(二メートル)四方に延びている。この部分が隠し倉庫の扉にあたるわけだが、今回は開錠の仕方がわからないので、こじあける他にない。バンドに探してもらってはいるが、流石に開錠方法を記したまとめの類は現存していないだろう。
画工の一人が馬車から走ってくる。両手に金鎚とノミを抱えていた。
サキと準男爵はすぐに馬車へ戻る。画工一人を残して、次の目的地へと向かうのだ。可能な限り迅速に、なるべく田園器物を傷つけないために、サキたちが考えた配分だった。ただ、中を見たいだけなら巨大な木鎚か何かで陶器を叩き割るのが早いだろうが、カヤのためとは言え、貴重な文化遺産を逐一破壊して回るのは気が咎める。なにしろ隠し倉庫は、二百カ所以上存在するかもしれないのだから。
中身を確認した画工は、後から到着する馬車に乗って次の目的地へ向かう。先に到着した準男爵たちは、扉がある場所に目印を付けておく。
ただこのやり方でも、一日ですべての地所を回るのは困難かもしれない。しかし外套が最後の地所に隠されているとは限らない、とサキは期待していた。
運が良ければ、今見つけた扉の下に隠してあるかもしれない。
数分後、サキたちは次の地所に到着した。やはり延び放題の雑草に覆われている。ここでも準男爵は、一瞬で隠し倉庫の場所を看破した。
「前の土地と、同じですね。雑草が入れ替わったため、区別できるようになっている」
画工を一人残し、次の土地へ移動する。これで馬車に画工はいなくなったので、次からは目印を用意しなければならない。
三番目の土地も同様だった。生い茂る雑草に偽装された隠し扉。目印として、サキは偽物の草の上にリボンを結びつけておく。
「思ったより手早く進んでいます」
サキの心が踊り始める。
「隠し扉の外観も、構造も同じものが続くようだったら、確認に要する時間はどんどん短くなりますよね。見つかるかもしれない。今日中に」
「同じような隠し扉が続くようだったら、画工に区別するコツを教えてもいいでしょう」
準男爵の声も弾んでいた。他の画工はいばら荘で待機させている。把握した見分け方を彼らに伝えれば、複数箇所を同時に確認できる。効率は加速度的に向上するだろう。
それからしばらくは、サキたちの期待通りに事が推移した。どの土地でも同じ外観の隠し扉ばかりだったので、十番目の確認を終えた時点で一旦、いばら荘へ馬車を戻し、画工たちに区別の方法を教えて調査に向かわせたのだ。サキと準男爵はいばら荘に残り、報告を待つことにした。教えたコツでは隠し扉が見つけられない土地があった場合、準男爵に急行してもらうためだ。サキは調査の進捗状況を確認するために待機している。
調査を始めて三時間で、五十の隠し倉庫が確認済みとなった。
順調に調査は進んでいる。進んでいるのだがーーーサキは不安になってきた。
これまで確認したどの隠し倉庫も、中身は空だった。二百七カ所全部が空かもしれない。調査は空振りに終わるかもしれない。見当はずれの調査を始めた僕は、救いがたい愚者かもしれない……
いやいや、弱気になりすぎだろう。サキは楽観的になろうと努力する。今、この瞬間にも外套が届くかもしれないじゃないか。
しかし確認済みの倉庫が百を超えても、外套は見つからなかった。もう、夕方だ。
不安より、焦りの度合いが強くなった。この試みが徒労に終わったら、評議会までに使える期間は二日しかない。
サキと準男爵は例の最上階に陣取っている。待つという行為がこんなに疲れるものだとは知らなかった。レンカ城で無罪判決を待っているカヤは、ずっとこんな気持ちなのだろうか。
近くにいたはずの準男爵がいなくなったので周囲を見渡すと、窓の近くで筆を動かしていた。外の風景をスケッチしているのだろう。カヤも今頃、同じことをしているかもしれない。
「今日、見つかった偽扉は、雑草を模したものばかりだった。どうしてだろ」
サキの発した独り言に、準男爵が振り向いた。
「同じ意匠ばかりだな、とは私も思いました」
サキの方へ近付いてくる。
「運び屋が外套を放り込んだという倉庫の扉だけ、意匠が異なっている。そこに意味があるかも、という話ですね?」
「もしかして、偽の雑草で隠してある場所は、隠し倉庫とは別の用途なのでは?」
ふいに、サキは思い至った。
「千五百九十年頃で、あれくらいの入り口が必要な地下空間といえば、どういったものが考えられるでしょう」
「墓地ですね。可能性が高いのは」
準男爵は即座に答えた。
「お墓を、二百以上もですか?」
「当時はプロテスタント受難の時代です。迫害を受けたのは生者だけではありませんでした。外国では、プロテスタントの死体を掘り起こして野ざらしにするような蛮行もしょっちゅうだったとか。当時の赤薔薇家当主は、そうした人々のために一見してそれと分からない墓地を用意してあげたのかもしれません」
「赤薔薇家はプロテスタントでしたっけ?」
「少なくとも現在はカトリックですね」
準男爵は首を横に振る。
「しかし宗派を超えて同情を覚えたのかもしれませんし、被・迫害者用の墓地として売り出すつもりだったのかもしれません」
商売のため、という方が赤薔薇家らしいかな、とサキは考える。王国内でも迫害の嵐が吹き荒れはしないかと怯える人々がいた。その人たちに対して、「一見はそれとわからないが、事情を知るものには判別できる墓地」として売りつける魂胆だったのかもしれない。しかし実際のところ王国内でプロテスタントが弾圧されることはなかったので、墓地は空のまま残ったのだろう。
落胆した赤薔薇家当主だったが、田園器物の技法を別の目的に使おうと考えた。それが隠し通路や隠し扉だったのでは、と考えた場合、隠し倉庫が作られたのは、二百七カ所のうち、時系列としては後の方になるはずだ。
バンドの持ってきてくれた土地台帳がまだ残っていたので、サキは急いで目を通す。
これまで気にしていなかったが、大半の地所はほぼ、同じ面積で統一されている。購入された月日が比較的新しい六つの地所だけが、他の二倍近い面積だった。
「この六ヶ所だ」
ようやく近付いたと、サキは興奮する。
「いや、この土地はこの前開いたネズミのところだから、残りは五カ所!」
どの地所も、まだ調査が終わったという報告はもたらされていなかったので、サキは準男爵と共に馬車に乗り込んだ。これらの土地にある田園器物が雑草の偽装でなかったら、準男爵以外には看破できないかもしれないからだ。
サキが最初に選んだのは、王都に一番近い一角だった。ピエロが外套を放り込んだネズミの隠し倉庫とは、街道を挟んでやや南方に位置している。
もう見飽きたよ、と言いたくなるくらいの雑草。準男爵はしばらく周囲を見渡していたが、
「うん、ここには余所みたいなわかりやすい偽雑草は見あたりませんね」
雑草をかき分け、歩いて行く。サキも適当に歩き回ってみることにした。どこを向いても、同じ形状の雑草ばかりだ。これまで雑草の名前なんて興味を持ってこなかったけれど、何という種類なのだろう。
洪水のような緑の中で、ふいに白いものが視界をよぎった。
近付いてみたサキは、「ひっ」と小さく叫んでしまった。
横手から、何事かと準男爵が近付いてくる。
(戦場に出たっていうのに、この程度で叫び声を上げるなんて)
屈辱を感じながら、サキは一歩踏み出した。白い蛇が草の中でとぐろを巻いている。
「これは素晴らしい」
準男爵が感嘆を漏らした。
「これまでに見た雑草の造形も悪くはないものでしたが、この蛇は頭抜けています。パリッシーの高弟か、あるいはパリッシー自身の作品を流用したのかもしれません」
間もなく画工の一人がやってきて、慣れた手つきで蛇を触り始めた。
「大丈夫です。これまでいじった扉で、大体コツはわかりました。実家が時計の彫金をやってるもので、仕掛けには慣れてるんですよ」
鋭い針を、蛇の口の中に差し込み、角度を変えて何度か回す。地面が傾き、バネの作用で持ち上がり始めた。
これだけで、当たりだと判る。周囲の草が引っかからないからだ。長期間使用されていない隠し扉なら、植物の根や土が境目に引っかかって、滑らかには動かないだろう。
石段が見えた。夕日の赤を反射している。内部の構造はネズミの隠し扉と変わらないようだ。期待を込めて、サキは一歩一歩下っていく。 下りきった場所に、木材の破片が積み重なっていた。破片の下に埋もれているそれが眼に入る。
大事な証拠を傷つけないよう、サキは慎重に破片を取り除いた。現れたのは折り畳まれた衣類だ。家宝のように両手で抱え、地上に戻る。
「おお」
準男爵が喜びの声を上げた。
夕日に照らされる軍用の外套。その所々が、日光の中でも区別できるほど赤黒く染まっていた。