優しい姉上
文字数 1,599文字
食堂へ戻ると、驚いたことにカザルス将軍が紅茶を飲んでいた。
フォークが刺さったままのぬいぐるみを挟んで、ニコラの向かい側に座っている。
右の頬がかすかに赤く、微笑を浮かべている。
「おはようございます殿下。まことにすがすがしい朝ですね」
だいたい予想はしていたが、恐縮する体はない。
「ちなみにこの頬は、つい今し方姉君にぶたれたものです」
「えっ」
「こちらに通されるなり前触れもなく一撃いただき、その後説明をいただいておりません。どう解釈してよいものやら」
サキはおそるおそるニコラを窺うが、ただ平然としているだけだ。
「確かに、お会いするなり一撃ち差し上げました。そのあと何もお伝えしていません」
「姉上……」
「でもお客様に飲み物も差し上げず苦情申し上げるのも失礼かと考え直し、紅茶とお菓子をお出ししたのです」
「いや、おかしいですよ絶対おかしいですよ」
サキはこの空間がいやになった。涼しい顔でお茶をすすめるニコラもニコラだが、大人しく席に着いたカザルスも相当なものだ。
堂々と、丁寧に5分以上費やして、カザルスは紅茶を飲み終えた。
「ごちそうさまです。大変、美味でした」
「それは何よりでした。では不作法で申し訳ないのですが、これより恨み言を言わせてい
ただきます」
ニコラは椅子を動かしカザルスとの距離を縮めるが、所作にやわらかさが無い。
「今回の出征を決意した弟の意向は尊重します。けれども喜んで弟をいけにえに差し出すわけではないと申し上げたいのです」
「殿下、漏洩は困りますな」
少将は大げさに眉を動かしたが、心底憤った様子ではない。
ニコラはどうでもよさそうに髪をかきあげ、
「それどころか、私は反感を抱いています。赤子同然の十四歳を撒き餌に仕立て上げて知者ぶっておられるあなた方に」
言葉を切って、ニコラは表情を凍らせる。
眼差しだけが瞋恚の色合いだ。
「あなた方からは、不愉快な節足動物と同じにおいがします」
受け流すように、カザルスは軽く肩をくゆらせた。
「それはどうも。相手が男性なら手袋を投げつけているところですがね」
「紅茶に毒を注ぎました」
「姉上?」
狼狽したのはサキ一人で、カザルスは余裕の表情を崩さない。ニコラも氷のままだ。
「うそです」
「毒なんて、入れません」
もうサキからすると信じられないほど自由な生き物は、ぬいぐるみからフォークを抜き、手元のカップをかきまぜた。空っぽだったので、陶器をひっかいただけだ。
「でも、入れることは可能です。私のためなら何でもしてくれる、そういうお友達が、
あなたの近くにいないとも限りません」
「わかりますよ。私もその一人になりそうだ」
あくまでカザルスは余裕をくずさない。
どうでもいいけど大将として出征する朝にどうしてわき役みたいにおろおろしているのだろうとサキはみじめになる。
「弟に万が一のことが起こり、にもかかわらずあなた方の作戦が実を結ばなかった場合」
しなやかに手首を踊らせ、ニコラはもう一度フォークをぬいぐるみに突き刺した。
「あなたや宮廷評議会のみなさんには、相応の覚悟をしていただくことになります」
脅している。
それは異様な光景だった。侯爵家公女とはいえ、単なる十七の小娘が王都の全兵力を率いる将軍を脅している。
「手袋、やはり投げますか?」
その言葉で、サキはようやくニコラの意図に気付いた。
姉上は侮辱しているのだ。カザルスを、宮廷軍事評議会を。理由は、僕が侮辱されたから。
捨て石として選ばれた僕の命が侮辱されたからだ。その返礼として、評価に困るやり方で侮辱を返してくれたのだ。
正直、あまりありがたくはなかった。
カザルスや評議会をこれ以上刺激してほしくはないからだ。
それでも、サキは感謝していた。
またすこし、心の重荷が和らいだからだ。
フォークが刺さったままのぬいぐるみを挟んで、ニコラの向かい側に座っている。
右の頬がかすかに赤く、微笑を浮かべている。
「おはようございます殿下。まことにすがすがしい朝ですね」
だいたい予想はしていたが、恐縮する体はない。
「ちなみにこの頬は、つい今し方姉君にぶたれたものです」
「えっ」
「こちらに通されるなり前触れもなく一撃いただき、その後説明をいただいておりません。どう解釈してよいものやら」
サキはおそるおそるニコラを窺うが、ただ平然としているだけだ。
「確かに、お会いするなり一撃ち差し上げました。そのあと何もお伝えしていません」
「姉上……」
「でもお客様に飲み物も差し上げず苦情申し上げるのも失礼かと考え直し、紅茶とお菓子をお出ししたのです」
「いや、おかしいですよ絶対おかしいですよ」
サキはこの空間がいやになった。涼しい顔でお茶をすすめるニコラもニコラだが、大人しく席に着いたカザルスも相当なものだ。
堂々と、丁寧に5分以上費やして、カザルスは紅茶を飲み終えた。
「ごちそうさまです。大変、美味でした」
「それは何よりでした。では不作法で申し訳ないのですが、これより恨み言を言わせてい
ただきます」
ニコラは椅子を動かしカザルスとの距離を縮めるが、所作にやわらかさが無い。
「今回の出征を決意した弟の意向は尊重します。けれども喜んで弟をいけにえに差し出すわけではないと申し上げたいのです」
「殿下、漏洩は困りますな」
少将は大げさに眉を動かしたが、心底憤った様子ではない。
ニコラはどうでもよさそうに髪をかきあげ、
「それどころか、私は反感を抱いています。赤子同然の十四歳を撒き餌に仕立て上げて知者ぶっておられるあなた方に」
言葉を切って、ニコラは表情を凍らせる。
眼差しだけが瞋恚の色合いだ。
「あなた方からは、不愉快な節足動物と同じにおいがします」
受け流すように、カザルスは軽く肩をくゆらせた。
「それはどうも。相手が男性なら手袋を投げつけているところですがね」
「紅茶に毒を注ぎました」
「姉上?」
狼狽したのはサキ一人で、カザルスは余裕の表情を崩さない。ニコラも氷のままだ。
「うそです」
「毒なんて、入れません」
もうサキからすると信じられないほど自由な生き物は、ぬいぐるみからフォークを抜き、手元のカップをかきまぜた。空っぽだったので、陶器をひっかいただけだ。
「でも、入れることは可能です。私のためなら何でもしてくれる、そういうお友達が、
あなたの近くにいないとも限りません」
「わかりますよ。私もその一人になりそうだ」
あくまでカザルスは余裕をくずさない。
どうでもいいけど大将として出征する朝にどうしてわき役みたいにおろおろしているのだろうとサキはみじめになる。
「弟に万が一のことが起こり、にもかかわらずあなた方の作戦が実を結ばなかった場合」
しなやかに手首を踊らせ、ニコラはもう一度フォークをぬいぐるみに突き刺した。
「あなたや宮廷評議会のみなさんには、相応の覚悟をしていただくことになります」
脅している。
それは異様な光景だった。侯爵家公女とはいえ、単なる十七の小娘が王都の全兵力を率いる将軍を脅している。
「手袋、やはり投げますか?」
その言葉で、サキはようやくニコラの意図に気付いた。
姉上は侮辱しているのだ。カザルスを、宮廷軍事評議会を。理由は、僕が侮辱されたから。
捨て石として選ばれた僕の命が侮辱されたからだ。その返礼として、評価に困るやり方で侮辱を返してくれたのだ。
正直、あまりありがたくはなかった。
カザルスや評議会をこれ以上刺激してほしくはないからだ。
それでも、サキは感謝していた。
またすこし、心の重荷が和らいだからだ。