決闘の薦め
文字数 5,923文字
この獅子を眺めるのは三回目だ。
宮廷軍事評議会が開催される大広間へと繋がる扉を前にしながら、サキは感慨に浸っていた。
最初は戦争の前。君主になったばかりで囮役を押しつけられた。
次は一週間前。カヤを有罪とする決定に異を唱え、なんとか猶予を勝ち取った。
そして今回、カヤの冤罪を晴らすために、サキはここに来ている。緊張はしているが、これまでのような不安は感じない。積み重ねがある。この一ヶ月足らずで、自分は人間的に大幅な成長を遂げているーーーたぶん。
難しい仕事ではない。評議会の連中相手に論拠を連ね、それを新聞に発表することでカヤを有罪にするのは難しいという空気を作り上げるだけだ。戦場で前線に立つ行為に比べたら、微塵の危険もない楽勝の任務。前回評議員たちと渡り合えたことで自信もついている。
ただ、不安材料がないわけでもない。
扉の獅子が開く。中に入ると、円卓に座っていた評議会の面々が立ち上がった。
マリオン・イオナ・ゼマンコヴァ。
そして新たに加わった、カザルス・フェルミ・ギディングスの計六名。
カザルスと目が合ったので、睨みつけてやる。
「新聞で読んだよ」
カザルスが口を開きかけたので、サキは先手を打つ。
「君たち三名が、新たに評議員として加わったっていう話をさ。確かに、そっちの人数を増やさないなんて約束はしなかったけど、直接教えて欲しかったな」
「それは失礼をいたしました」
ぎりぎり謝罪と認識できる角度でカザルスは頭を下げた。
「なにぶん急な話でしたので。お三方より打診があり、実力不足と何度も固持させていただいたのですが、承知していただけず、どうしても」
傍らのマリオンの表情が、大嘘だと白状していた。
経緯はどうであれ、カザルスが全面に出てきた事態は極めて厄介だ。戦場といい、この前の会議といい、この男の狡猾さと回転の速さは認めざるを得ない。隙のない論証を持参したつもりだけれど、こいつなら瞬く間に適応して難しい反証を返してくるかもしれない。
残る二人も軽視するつもりはない。フェルミはカザルスほど悪賢いわけではないが、即応力に長けた人材であることは間違いない。ギディングスはーーー正直、有能さを知る機会には恵まれていなかったのだが、上官たちと同列に扱われている以上、何らかの才幹があるのは間違いないだろう。
「そんなに怖い顔をしないでいただきたい」
カザルスが不実さの見本みたいな微笑みを見せながら言った。
「ここは互いを弾劾したり、足を引っ張り合う会議ではありません。真実を手に入れるための集まりなのです」
「そうだね、そうであったら素晴らしいね」
サキも微笑みを返す。すでに、場はカザルスに支配されつつあるような気がしてならない。この男、すでに評議会を乗っ取りつつあるのだろうか。前から評議員だった三名は、それぞれ不味い料理を処理しているような複雑な顔をしていた。
「新聞記者たちも待ちかまえていることでしょうし、早速始めましょうか」
そう告げて、カザルス評議員は両腕を大きく広げた。
「それでは、議論を戦わせると致しましょう」
この日の評議会は、評議員にサキを加えた七名のみで構成されている。論証に必要な証人を出席させるようサキの方から要求することも可能だったろうが、今回、その必要はないと思われた。証言に関しては、後で確認させれば済む話だ。
ちなみに処分の対象であるカヤ自身の出席も要求していない。今回の論証は、カヤの証言がなくても成立するからだ。
彼女の身の安全という観点からは、レンカ城にいてもらった方が安心できるという理由もあった。
「この事件に関して、私はカヤ嬢を殺害犯人と見なしている評議会の方々の見解に疑義を差し挟み、彼女が犯人ではないという証拠を一週間の間に収集すると約束しました」
円卓の評議員たちを見回しながら、サキは話を切り出した。緊張で声が硬く聞こえる。
「結果を申し上げますと、遺憾ながら、カヤ嬢が犯人ではないと確定できるような物質的な手がかりを得ることは叶いませんでした」
マリオンの眉がつり上がる。一週間前に見せたような驕慢さは微塵も窺えず、証拠が見つからなかったという説明にも一切の気色を浮かべていない。こちらを侮る気持ちは一切ないようだ、とサキは気を引き締める。
「しかしながら私は主張します。カヤ嬢は議長殺害の犯人ではあり得ない、と。なぜなら殺害時の状況を推測した場合、彼女が犯人だった場合は犯行が成り立たないと思われるからです。これからその点について説明いたします」
サキは用意していた水筒から水を飲んだ。
「今から十五日前の正午前、議長はいばら荘の最上階で拳銃を手入れしていました。この拳銃は特注品で、一度紛失したためもう一度作らせたものでした。手入れを終えた後、議長は家宰のバンド氏に対して、『午後の間は指示があるまで誰もこの最上階に来ないように』と厳命しています」
評議員たちが手元の書類を一斉にめくりはじめた。関係者の証言をまとめてあるのだろう。
ギディングスだけ、めくり方に意欲が感じられない。
「生きている議長が目撃されたのは、このときが最後です。夕刻、議長は小劇場の椅子でもの言わぬ躯と化しておられました。この辺りに関して、評議員の方にも意見を伺いたいのですが」
サキは老人と視線を合わせ、
「ゼマンコヴァ評議員、議長が自ら拳銃の手入れをしておられた行為、この行動にどのような意味があると思われますか?」
「どのようも何も」
老評議員は皺だらけのあごを捻る。
「用心のためじゃろう。使用人にも知られたくない相手と会う約束をしていた。何やら後ろぐらい事情があったのかもしれません。いざというときのために、銃の具合を確かめていたのではないですかな」
笑顔を示し、サキは頷いた。
「私もそう考えました。ところが議長は、その拳銃で殺されてしまったのです。念のため確認しますが、議長の胸元に撃ち込まれていた弾丸は、あの拳銃から発射されたものと確定したんですよね?」
「拳銃をつくった工房に見せました」
答えてくれたのはフェルミだった。
「弾丸自体、その工房で作成された品なのは間違いありません。撃った拳銃ですが、拳銃をつくったときに工房で試し撃ちに使った弾丸が残ってました。議長の胸部から取り出した弾丸と比べてもらったところ、同じ銃から撃ち出されたのも間違いがないみたいです」
「それですっきりしました。議長はあの拳銃で撃たれて命を落とした。この事実から、一つの疑問が生じます」
サキは円卓の全員に視線を巡らせる。
「いったい犯人は、どうやって議長を射殺することができたのか、という疑問です」
「どうやって、だと?」
マリオンが眉を顰める。
「そんなもの拳銃を手に取り、引き金を引くだけで―――」
そこで言葉を詰まらせてしまった。
「お気付きのようですね」
今のところ、自分の話術が問題なく回っていることをサキは喜んだ。
「こともあろうに、議長は自分自身の持ち物で射殺されたのです。それもただの拳銃ではなく、秘密の会合に際して用心のために用意していた拳銃を使って、です。一体犯人は、拳銃をどうやって手中に収めたのか?これから犯人の行動を推測してみましょう。犯人は秘密の通路を利用して最上階までやって来ました。これは間違いありません。けれどもこの人物が、当日の昼過ぎに議長が約束していた人物だったのかどうかは判断できません。秘密通路を知っていた人物は複数人いたとも考えられますからね。犯人が約束の人物だった場合、議長はその人物と会うのを想定して銃を手入れしていたわけですから、相当警戒していたに違いありません。約束の人物ではなかった場合も、議長は予期せぬ訪問者に戸惑い、疑念を抱いたはずです。この者が今、やってきたのは偶然か、それとも予定の訪問者に関わっているのか、と」
上手く説明できているのかわからない。サキは言葉を切って、空気を補給した。
「犯人に対して議長は相当な警戒心を抱いていたはずなんです。それなのに自分の銃で殺されてしまった。それはどのような経緯だったのでしょうか。いくつかの場合に分けて考えてみましょう」
サキは右手を掲げ、親指を折った。
「第一に、議長の拳銃が壁に展示されていた場合。バンド氏が最後に議長と話した際、拳銃は壁に戻してありました。犯行時に犯人がどこにいたのかも分かりませんが、議長が小劇場の椅子に腰掛けていたので、犯人も近くにいたとします。皆さんご存じでしょうが、小劇場と拳銃が展示されている壁は離れた位置にあるので、犯人は議長を放ったらかしにして椅子を離れ、議長が見ている前で堂々と拳銃を壁から外し、また議長の正面に戻って引き金を引いた、と考えるしかありません。一連の動作を、議長に気付かれずに行うのは不可能でしょう」
「確かに変だ」
イオナの鋭い瞳が瞬いた。
「その状況で射殺されるというのは、あまりにも無防備すぎる」
「あり得ないなら、別の可能性を考えましょう」
二本目。サキは人差し指を曲げる。
「一つ目の考えは、犯人が議長の向かい側か近くにいた状態から始めましたが、そうではなかったとします。犯人は、階段から部屋に上がってきて、直ちに議長を殺した。椅子に座っていた議長のところに行く前に、肖像画の壁へ行って拳銃と弾丸を外し、議長の正面に回って引き金を引いた、というのは?」
「それもおかしい」
イオナは手で空を払う。
「秘密の来客を用心している状態で、部屋に入ってきた人物が自分の拳銃に弾を込めるのを指をくわえてみているとは考えづらい」
「では三本目。拳銃は壁ではなく、議長の手元か近くにあったならどうでしょう。犯人は議長から拳銃を素早く奪い取って撃ち殺した・・・」
「いや、それもおかしいっすよ」
ギディングスが気だるげな声で否定する。
「相手はあの議長ですよ?武器を奪われそうになったら抵抗しないわけがありません。片足を失ったとはいえ、あの巨体でむざむざ取られはしないでしょう」
「それは言い出すと、死体が綺麗すぎる点も気になってくるな?」
カザルスが笑いながら意見を追加した。
「議長の遺体には、胸の銃創を除いて、傷一つ見あたらなかった。やりあったなら擦り傷くらい残るはずなのに、軍服の破れすら見あたりませんでしたなあ」
「ううむううむ、議長の死に様自体は、普通と思うておったが」
ゼマンコヴァが震える。
「色々おかしなところが出てくるものじゃな。そもそも、正面から銃を突きつけられて撃たれたら、あんな綺麗な死に方にはならんじゃろ。身を守ろうとする。あの偉丈夫ならなおさらのことじゃ。柱みたいな腕で守ったら、弾丸も途中で止まったかもしれん」
「では四つ目の可能性です。犯人は、何らかの薬物を使用して議長を眠らせ、無抵抗のところを射殺した」
老人がいい感じに話を転がしてくれたので、サキも乗っかることにした。
「これなら議長が銃を奪われ、防御もせず射殺された点に説明がつくと思われます」
「その場合、今度はどうやって薬を飲ませたかが問題になりますな」
フェルミが大儀そうに肩をすくめる。
「いずれの場合にせよ、警戒心を抱いていたに違いない議長の目を盗んで飲み物に薬を入れるか、持参した薬を飲ませたことになる。銃を取り上げるのと同じくらいか、それ以上に難しい仕事ですよ」
「なるほど、薬を使うのも難しい」
サキは目を閉じ、眉を下げて困惑を演出する。
「これ以上妙案は思いつきません。議長に気取られもせず抵抗もさせずにあの拳銃を奪い、射殺するのは不可能だったという結論になってしまいます」
「まさかとは思うが、これがあんたの理屈なのか」
マリオンは青筋を立てて大声を上げた。
「議長を殺害するのは不可能。だからカヤ嬢も犯人ではあり得ない、と言いたいのかね?しかし現実に、議長は殺されているではないか!」
「言っていませんよ。議長を殺害できないなんて」
サキは怯まずに応じる。
「議長の拳銃を奪い取るのは困難。奪い取ったとしても、抵抗の痕跡も残さずに殺害するのは不可能。だとしたら」
ここが肝心だ。サキは声帯に力を込める。
「答えは一つです。議長自ら、あの拳銃を犯人に渡し、避けも防御もせずに射殺された」
「はあっ?」
ギディングスが間の抜けた声を出した。
「ばかな」
マリオンが体を揺らす。
「殿下は、議長の死が自殺だったと主張されるのか」
「違います。議長だけじゃなかったんです。相手も拳銃に身を晒していたんです」
サキは親指と人差し指で拳銃の形をつくった。
「あの拳銃は、少なくとも二丁造られたことがわかっています。最初に発注したものを紛失したからという理由で、もう一つ発注されましたが、紛失したというのは議長の自己申告にすぎません。本当は、無くしてなんていなかったとしたら?ある理由から二丁作成する必要があったものを隠すためだったとしたら?議長はもう一丁を隠し持っていて、自分はそちらを持ち、犯人には後で作らせた方を握らせたーーー」
「ちょっと、話に付いていけないのですが・・・」
縋 るゼマンコヴァに構わず、サキは続けた。
「壁に飾ってあった武具類の中で、あの拳銃だけが特注にも関わらず議長の体格に合わせたものではありませんでした。それは同じものを相手に持たせる必要があったからです。普通の大きさの拳銃でも、議長は扱える。反対に、議長の手に合わせた大振りの拳銃は、常人には扱いづらい。だから普通の寸法で作らせた。公平性を保つためにです」
「公平性、だと」
イオナが弾かれるように背筋をのばす。
「殿下は、この殺人が公平な行為だったと仰るのか」
「きわめて公平だったはずです。少なくとも建前上は」
サキは断言する。
「小劇場の上に向かい合っていた椅子。片方は明らかに議長のために作られた巨大なもの。そこに議長は腰掛け、拳銃を構える。そして向かい側の犯人も同じように銃を握り、おそらく――」
サキは拳銃役の親指を倒した。
「合図とともに、双方引き金を引いた」
「それではまるで・・・」
ゼマンコヴァが胸元を撫でる。
「決闘のような有様ではないか」
「ような、じゃなくて、そうなんですよ」
サキは結論を告げる。
「これは決闘なんです。議長は犯人と決闘を行った末に亡くなった。そういうことです」
宮廷軍事評議会が開催される大広間へと繋がる扉を前にしながら、サキは感慨に浸っていた。
最初は戦争の前。君主になったばかりで囮役を押しつけられた。
次は一週間前。カヤを有罪とする決定に異を唱え、なんとか猶予を勝ち取った。
そして今回、カヤの冤罪を晴らすために、サキはここに来ている。緊張はしているが、これまでのような不安は感じない。積み重ねがある。この一ヶ月足らずで、自分は人間的に大幅な成長を遂げているーーーたぶん。
難しい仕事ではない。評議会の連中相手に論拠を連ね、それを新聞に発表することでカヤを有罪にするのは難しいという空気を作り上げるだけだ。戦場で前線に立つ行為に比べたら、微塵の危険もない楽勝の任務。前回評議員たちと渡り合えたことで自信もついている。
ただ、不安材料がないわけでもない。
扉の獅子が開く。中に入ると、円卓に座っていた評議会の面々が立ち上がった。
マリオン・イオナ・ゼマンコヴァ。
そして新たに加わった、カザルス・フェルミ・ギディングスの計六名。
カザルスと目が合ったので、睨みつけてやる。
「新聞で読んだよ」
カザルスが口を開きかけたので、サキは先手を打つ。
「君たち三名が、新たに評議員として加わったっていう話をさ。確かに、そっちの人数を増やさないなんて約束はしなかったけど、直接教えて欲しかったな」
「それは失礼をいたしました」
ぎりぎり謝罪と認識できる角度でカザルスは頭を下げた。
「なにぶん急な話でしたので。お三方より打診があり、実力不足と何度も固持させていただいたのですが、承知していただけず、どうしても」
傍らのマリオンの表情が、大嘘だと白状していた。
経緯はどうであれ、カザルスが全面に出てきた事態は極めて厄介だ。戦場といい、この前の会議といい、この男の狡猾さと回転の速さは認めざるを得ない。隙のない論証を持参したつもりだけれど、こいつなら瞬く間に適応して難しい反証を返してくるかもしれない。
残る二人も軽視するつもりはない。フェルミはカザルスほど悪賢いわけではないが、即応力に長けた人材であることは間違いない。ギディングスはーーー正直、有能さを知る機会には恵まれていなかったのだが、上官たちと同列に扱われている以上、何らかの才幹があるのは間違いないだろう。
「そんなに怖い顔をしないでいただきたい」
カザルスが不実さの見本みたいな微笑みを見せながら言った。
「ここは互いを弾劾したり、足を引っ張り合う会議ではありません。真実を手に入れるための集まりなのです」
「そうだね、そうであったら素晴らしいね」
サキも微笑みを返す。すでに、場はカザルスに支配されつつあるような気がしてならない。この男、すでに評議会を乗っ取りつつあるのだろうか。前から評議員だった三名は、それぞれ不味い料理を処理しているような複雑な顔をしていた。
「新聞記者たちも待ちかまえていることでしょうし、早速始めましょうか」
そう告げて、カザルス評議員は両腕を大きく広げた。
「それでは、議論を戦わせると致しましょう」
この日の評議会は、評議員にサキを加えた七名のみで構成されている。論証に必要な証人を出席させるようサキの方から要求することも可能だったろうが、今回、その必要はないと思われた。証言に関しては、後で確認させれば済む話だ。
ちなみに処分の対象であるカヤ自身の出席も要求していない。今回の論証は、カヤの証言がなくても成立するからだ。
彼女の身の安全という観点からは、レンカ城にいてもらった方が安心できるという理由もあった。
「この事件に関して、私はカヤ嬢を殺害犯人と見なしている評議会の方々の見解に疑義を差し挟み、彼女が犯人ではないという証拠を一週間の間に収集すると約束しました」
円卓の評議員たちを見回しながら、サキは話を切り出した。緊張で声が硬く聞こえる。
「結果を申し上げますと、遺憾ながら、カヤ嬢が犯人ではないと確定できるような物質的な手がかりを得ることは叶いませんでした」
マリオンの眉がつり上がる。一週間前に見せたような驕慢さは微塵も窺えず、証拠が見つからなかったという説明にも一切の気色を浮かべていない。こちらを侮る気持ちは一切ないようだ、とサキは気を引き締める。
「しかしながら私は主張します。カヤ嬢は議長殺害の犯人ではあり得ない、と。なぜなら殺害時の状況を推測した場合、彼女が犯人だった場合は犯行が成り立たないと思われるからです。これからその点について説明いたします」
サキは用意していた水筒から水を飲んだ。
「今から十五日前の正午前、議長はいばら荘の最上階で拳銃を手入れしていました。この拳銃は特注品で、一度紛失したためもう一度作らせたものでした。手入れを終えた後、議長は家宰のバンド氏に対して、『午後の間は指示があるまで誰もこの最上階に来ないように』と厳命しています」
評議員たちが手元の書類を一斉にめくりはじめた。関係者の証言をまとめてあるのだろう。
ギディングスだけ、めくり方に意欲が感じられない。
「生きている議長が目撃されたのは、このときが最後です。夕刻、議長は小劇場の椅子でもの言わぬ躯と化しておられました。この辺りに関して、評議員の方にも意見を伺いたいのですが」
サキは老人と視線を合わせ、
「ゼマンコヴァ評議員、議長が自ら拳銃の手入れをしておられた行為、この行動にどのような意味があると思われますか?」
「どのようも何も」
老評議員は皺だらけのあごを捻る。
「用心のためじゃろう。使用人にも知られたくない相手と会う約束をしていた。何やら後ろぐらい事情があったのかもしれません。いざというときのために、銃の具合を確かめていたのではないですかな」
笑顔を示し、サキは頷いた。
「私もそう考えました。ところが議長は、その拳銃で殺されてしまったのです。念のため確認しますが、議長の胸元に撃ち込まれていた弾丸は、あの拳銃から発射されたものと確定したんですよね?」
「拳銃をつくった工房に見せました」
答えてくれたのはフェルミだった。
「弾丸自体、その工房で作成された品なのは間違いありません。撃った拳銃ですが、拳銃をつくったときに工房で試し撃ちに使った弾丸が残ってました。議長の胸部から取り出した弾丸と比べてもらったところ、同じ銃から撃ち出されたのも間違いがないみたいです」
「それですっきりしました。議長はあの拳銃で撃たれて命を落とした。この事実から、一つの疑問が生じます」
サキは円卓の全員に視線を巡らせる。
「いったい犯人は、どうやって議長を射殺することができたのか、という疑問です」
「どうやって、だと?」
マリオンが眉を顰める。
「そんなもの拳銃を手に取り、引き金を引くだけで―――」
そこで言葉を詰まらせてしまった。
「お気付きのようですね」
今のところ、自分の話術が問題なく回っていることをサキは喜んだ。
「こともあろうに、議長は自分自身の持ち物で射殺されたのです。それもただの拳銃ではなく、秘密の会合に際して用心のために用意していた拳銃を使って、です。一体犯人は、拳銃をどうやって手中に収めたのか?これから犯人の行動を推測してみましょう。犯人は秘密の通路を利用して最上階までやって来ました。これは間違いありません。けれどもこの人物が、当日の昼過ぎに議長が約束していた人物だったのかどうかは判断できません。秘密通路を知っていた人物は複数人いたとも考えられますからね。犯人が約束の人物だった場合、議長はその人物と会うのを想定して銃を手入れしていたわけですから、相当警戒していたに違いありません。約束の人物ではなかった場合も、議長は予期せぬ訪問者に戸惑い、疑念を抱いたはずです。この者が今、やってきたのは偶然か、それとも予定の訪問者に関わっているのか、と」
上手く説明できているのかわからない。サキは言葉を切って、空気を補給した。
「犯人に対して議長は相当な警戒心を抱いていたはずなんです。それなのに自分の銃で殺されてしまった。それはどのような経緯だったのでしょうか。いくつかの場合に分けて考えてみましょう」
サキは右手を掲げ、親指を折った。
「第一に、議長の拳銃が壁に展示されていた場合。バンド氏が最後に議長と話した際、拳銃は壁に戻してありました。犯行時に犯人がどこにいたのかも分かりませんが、議長が小劇場の椅子に腰掛けていたので、犯人も近くにいたとします。皆さんご存じでしょうが、小劇場と拳銃が展示されている壁は離れた位置にあるので、犯人は議長を放ったらかしにして椅子を離れ、議長が見ている前で堂々と拳銃を壁から外し、また議長の正面に戻って引き金を引いた、と考えるしかありません。一連の動作を、議長に気付かれずに行うのは不可能でしょう」
「確かに変だ」
イオナの鋭い瞳が瞬いた。
「その状況で射殺されるというのは、あまりにも無防備すぎる」
「あり得ないなら、別の可能性を考えましょう」
二本目。サキは人差し指を曲げる。
「一つ目の考えは、犯人が議長の向かい側か近くにいた状態から始めましたが、そうではなかったとします。犯人は、階段から部屋に上がってきて、直ちに議長を殺した。椅子に座っていた議長のところに行く前に、肖像画の壁へ行って拳銃と弾丸を外し、議長の正面に回って引き金を引いた、というのは?」
「それもおかしい」
イオナは手で空を払う。
「秘密の来客を用心している状態で、部屋に入ってきた人物が自分の拳銃に弾を込めるのを指をくわえてみているとは考えづらい」
「では三本目。拳銃は壁ではなく、議長の手元か近くにあったならどうでしょう。犯人は議長から拳銃を素早く奪い取って撃ち殺した・・・」
「いや、それもおかしいっすよ」
ギディングスが気だるげな声で否定する。
「相手はあの議長ですよ?武器を奪われそうになったら抵抗しないわけがありません。片足を失ったとはいえ、あの巨体でむざむざ取られはしないでしょう」
「それは言い出すと、死体が綺麗すぎる点も気になってくるな?」
カザルスが笑いながら意見を追加した。
「議長の遺体には、胸の銃創を除いて、傷一つ見あたらなかった。やりあったなら擦り傷くらい残るはずなのに、軍服の破れすら見あたりませんでしたなあ」
「ううむううむ、議長の死に様自体は、普通と思うておったが」
ゼマンコヴァが震える。
「色々おかしなところが出てくるものじゃな。そもそも、正面から銃を突きつけられて撃たれたら、あんな綺麗な死に方にはならんじゃろ。身を守ろうとする。あの偉丈夫ならなおさらのことじゃ。柱みたいな腕で守ったら、弾丸も途中で止まったかもしれん」
「では四つ目の可能性です。犯人は、何らかの薬物を使用して議長を眠らせ、無抵抗のところを射殺した」
老人がいい感じに話を転がしてくれたので、サキも乗っかることにした。
「これなら議長が銃を奪われ、防御もせず射殺された点に説明がつくと思われます」
「その場合、今度はどうやって薬を飲ませたかが問題になりますな」
フェルミが大儀そうに肩をすくめる。
「いずれの場合にせよ、警戒心を抱いていたに違いない議長の目を盗んで飲み物に薬を入れるか、持参した薬を飲ませたことになる。銃を取り上げるのと同じくらいか、それ以上に難しい仕事ですよ」
「なるほど、薬を使うのも難しい」
サキは目を閉じ、眉を下げて困惑を演出する。
「これ以上妙案は思いつきません。議長に気取られもせず抵抗もさせずにあの拳銃を奪い、射殺するのは不可能だったという結論になってしまいます」
「まさかとは思うが、これがあんたの理屈なのか」
マリオンは青筋を立てて大声を上げた。
「議長を殺害するのは不可能。だからカヤ嬢も犯人ではあり得ない、と言いたいのかね?しかし現実に、議長は殺されているではないか!」
「言っていませんよ。議長を殺害できないなんて」
サキは怯まずに応じる。
「議長の拳銃を奪い取るのは困難。奪い取ったとしても、抵抗の痕跡も残さずに殺害するのは不可能。だとしたら」
ここが肝心だ。サキは声帯に力を込める。
「答えは一つです。議長自ら、あの拳銃を犯人に渡し、避けも防御もせずに射殺された」
「はあっ?」
ギディングスが間の抜けた声を出した。
「ばかな」
マリオンが体を揺らす。
「殿下は、議長の死が自殺だったと主張されるのか」
「違います。議長だけじゃなかったんです。相手も拳銃に身を晒していたんです」
サキは親指と人差し指で拳銃の形をつくった。
「あの拳銃は、少なくとも二丁造られたことがわかっています。最初に発注したものを紛失したからという理由で、もう一つ発注されましたが、紛失したというのは議長の自己申告にすぎません。本当は、無くしてなんていなかったとしたら?ある理由から二丁作成する必要があったものを隠すためだったとしたら?議長はもう一丁を隠し持っていて、自分はそちらを持ち、犯人には後で作らせた方を握らせたーーー」
「ちょっと、話に付いていけないのですが・・・」
「壁に飾ってあった武具類の中で、あの拳銃だけが特注にも関わらず議長の体格に合わせたものではありませんでした。それは同じものを相手に持たせる必要があったからです。普通の大きさの拳銃でも、議長は扱える。反対に、議長の手に合わせた大振りの拳銃は、常人には扱いづらい。だから普通の寸法で作らせた。公平性を保つためにです」
「公平性、だと」
イオナが弾かれるように背筋をのばす。
「殿下は、この殺人が公平な行為だったと仰るのか」
「きわめて公平だったはずです。少なくとも建前上は」
サキは断言する。
「小劇場の上に向かい合っていた椅子。片方は明らかに議長のために作られた巨大なもの。そこに議長は腰掛け、拳銃を構える。そして向かい側の犯人も同じように銃を握り、おそらく――」
サキは拳銃役の親指を倒した。
「合図とともに、双方引き金を引いた」
「それではまるで・・・」
ゼマンコヴァが胸元を撫でる。
「決闘のような有様ではないか」
「ような、じゃなくて、そうなんですよ」
サキは結論を告げる。
「これは決闘なんです。議長は犯人と決闘を行った末に亡くなった。そういうことです」