孔雀男
文字数 1,561文字
幕が上がり、孔雀男が現れた。
舞台は歓声に包まれる。
孔雀男は、火口に落下した人間と孔雀の肉が混ざり合って生まれたとされる怪人だ。半分が孔雀、半分が人間。その異形に反して類希なる叡知に恵まれ、6世紀中ごろ、欧州の小邦で王子の側近を務めていたという。深い信頼関係で結ばれていた主従の物語は、「決闘の王子」という演劇の名で後世に伝わり、今、このときも観客を魅了している。
無垢な王子だった。民を愛し、侵略者に対しては自ら前線に立って戦った。不正を憎み、欠片の躊躇もなく告発を繰り返したので、悪党の恨みをかい、何度も決闘を挑まれた。
決闘は中世から近代にかけて、上流階級に属するものが侮辱を受けたと判断した際、しばしば訴訟の代わりに用いた解決方法だ。物語の中でも、王子は「根も葉もない罪を着せられた」と手袋を叩きつけられて、やむなく果たし合いに応じることになる。
それは火花舞い散り、剣技の妙が観客を酔わせる、王子役にとって最大の見せ場となる一幕だ。
しかし悪党の剣を野望と共に叩き折ったところで、まだ上演時間は二割ほど残されている。巨悪が潜んでいるのだ。悪党を操り、人々を苦しめることで利益を貪っていた黒幕は、自分の目論見を若造の王子ごときに看破されはしないとほくそ笑んでいる。
そのとき、王子が草笛を吹き鳴らす。虹色の光を放つ魔法の草笛だ。音色に応え、異形の怪人が姿を現したとき、観客の興奮は最高潮となる。
孔雀男のお出ましだ。
本日の怪人は、足下に七色の影を蠢かせながら、背中の羽を激しく旋回させている。指先からは白銀の粒、口元には金箔のきらめき。孔雀男の容姿や振る舞いをどう演出するかは公演や芝居座によって様々で、演出家の腕の見せ所となっている。
怪人は舞う。そのくちばしから、白い煙を吐き出した。一秒、二秒。純白の煙に赤い筋が混ざり、薄い瑪瑙色へと色合いを変える。悪人を苛む魔法の色だ。怪人は火山の魔力をその身に宿している。神聖な決闘を策謀で汚そうとしたふとどきものに罰を与えるのだ―
「ああお許しください。降参ですっ。仰せの通り、サボテンに毒を塗り、伯爵閣下の暗殺を企んだのは私めにございます」
悪者が自白する。頭を垂れる犯人に、「決闘の王子」は慈悲のしぐさで許しを与えた。
「正義が勝利したー」
「正義がー」
「正義がー」
「正義が勝利したあーっ」
劇場の袖で黒衣の合唱団がさえずりはじめた。大団円だ。演者が集まり、手をつないで楕円をつくる。中心に立つのは当然、王子と孔雀男だ。
程なくして、円陣がゆっくりと周り始める。王子と孔雀男のそれぞれ正面に来た役者は、劇中、自分が登場した場面の演技を、手早く身振りで再現する。応じて、主役二人も身をくゆらせる。再現が終わったところで円陣がずれ、次の役者も同じ行動を繰り返す。観客の記憶をくすぐり、感動をぶりかえさせる演出だ。
黒子が歌う。最初のうちはさりげなく、次第に場を支配する程の大音量で。
混声合唱が紡ぎだすのは、孔雀男のテーマ曲だ。
あれは闇かな あれは雲かな
あれは邪悪か あれは病か
悲しみの時代 怯えの世界
それでも我らは此処に立つ
かけらの望みを胸に秘め
よろめきつつも進むとき
願いを受け止め 舞い降りる
神のかけらが 舞い降りる
過ちの糸を断つ男
炎の正義を持つ男
孔雀男 孔雀男 じゃくおとこ
「くじゃく男ー」
「くーじゃくおとこー」
「じゃくおとこー」
終演の幕が垂れても、熱狂はまだまだ終わらない。劇場を出た客の大半は、興奮冷めやらぬ瞳で隣接した闘技場へ向かう。そこでは本物の決闘が行われる予定だった。
時は千七百九十三年。フランスではマリー・アントワネットが処刑場の露と消えた十月半ば。遠く離れたこの国の民衆は、飽きもせず虚構の正義に酔いしれていた。