巨人の死
文字数 3,397文字
「おお、申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません・・・」
正門近くまで駆け降りてきたのは、「恐縮」に手足が生えたような男だった。痩身を何度も屈めるので、頭頂部の寂しさが露わになっているが、肌艶は悪くないので、年はせいぜい四十代だろう。
「赤薔薇家家宰、バンドと申します。摂政殿下にはお初にお目にかかります。この度は私どもの不適際により、この地までご足労いただきまことに申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません・・・」
「ございませんはいいから、まず暴動を片づけさせてくれ」
カザルスが宥める。
ちなみに赤薔薇家とはグリムが当主を務める名門の俗称だ。
サキたちの黒繭家も同じ事情だが、貴族は所有する領土や爵位の名前を繋げたものが正式な家名となるため、名門貴族ほど家名が長ったらしく、舌を噛みかねない。そのため日常会話では俗称として家紋の絵柄で呼び合うのが習わしだった。
とりあえずサキは、外の暴徒たちに告げた未払いの解決策を使っても問題ないか確認を取った。
「・・・・それではそのように取り計らわせていただきます。書面を用意いたしますので、少々お待ち下さい。申し訳ございません」
バンドは懐からペンと羊皮紙を取り出し、救済策を手早い手つきで記した。羊皮紙には予め赤薔薇の印章が押印されていた。
ギディングスが受け取り、正門前へ駆けていく。歓声が聞こえた後、戻ってきた中佐は、暴徒が解散したと報告した。
「ひょっとして」
サキは瞬きを繰り返す。
「僕の役割、もう終わった?」
「まだです。残念ながら」
カザルスはバンドに流し目を送る。
「議長閣下の身に何かあったのか。それを聞き出していただきたい」
赤繭家家宰は身を震わせたが、すぐに背筋を伸ばし、
「申し訳ございません。これから説明させていただきます。館の中へお越しいただけますでしょうか」
「かまいませんが」
サキには腑に落ちない。
「聞き出すまでもなく話してもらえるのだったら、どうしてこれまでは黙っていたんです」
「その点につきましてもおいおいお話します。申し訳ございません」
「私は、帰った方がいいですか?弟に付いてきただけで、この件に関わりはないのですが」
ニコラが口を挟んだ。サキを案じて一緒に来てくれた姉だが、その心配はないと判断したようだ。たしかにこの場で彼女だけが部外者ということになる。
「摂政殿下の姉君でいらっしゃいましたら」
バンドは頭を下げる。
「同行いただけた方が、当方としても助かります。申し訳ございません」
サキは姉と顔を見合わせる。
「姉上、赤薔薇家に知り合いでも?」
「いないはずです。名家ですから、気付かずにやりとりをしていたかもしれませんが」
馬車と騎兵数名は正門のすぐ内側で待機させた。丘の勾配が激しく、馬は大儀そうに見えたからだ。加えて、いばらも邪魔をしている。正門の前後こそ綺麗に刈り取られて石畳が敷き詰められているものの、勾配が入る辺りで石畳の幅はぐっと狭くなり、成人男性二人が並べる程度の道が山頂まで伸びている。石畳の外では、いばらが乱雑に絡み合っており、馬車を強引に通せば、ずたずたに傷つけてしまうだろう。
ただし石畳を歩いている限り、いばらが引っかかるような不快さはない。いばらは舗道にかからないように、すっぱりと剪定さえているのだ。凄腕の庭師がいるな、とサキは感心する。
舗道を数分登ったところで、煉瓦造りの小屋に行き着いた。舗道自体は、小屋の右奥に続いている。
「どうぞこちらへ」
バンドが小屋の扉を開いたので、サキは意外に思った。
「いばら荘の本館へ行くのじゃないんですか」
「ああ、私も最初は戸惑いましたが、繋がっているんですよ」
カザルスが愉快そうに指摘する。
「この丘の中には洞窟が穿たれていて、あちこちに出口があるんです。出口の周辺を、煉瓦の建物で飾っているんですな」
「すると、一番上の建物が『いばら荘』じゃなくて」
サキは山頂から各所に点在する城館を見回した。
「この山岳そのものが、赤薔薇家の館ということですか」
「そのような認識で問題ございません。申し訳ありません」
バンドは頷いた。そろそろ分かって来たのだが、この家宰の口から出てくる「申し訳ありません」は修辞句程度の意味しかない。
「こちらの小屋からが、中枢部への近道となっておりますので。ささ、どうぞ」
洞窟暮らしと聞いて窮屈な空間を思い浮かべたサキだったが、その先入観は中へ入ったとたんに覆された。内部の調度品は、黒繭家のそれと大差ない。
清潔感のある白色の壁紙、落ち着いた艶消しの家具類、壁面を飾る大小の絵画・彫刻等。
一般の城館と異なるのは、洞窟内にあるため、窓が存在しない点と、円形の空気穴が各所の天井に穿たれているくらいだった。洞窟そのものとの取り合わせも、悪くない。入り口の小屋は赤黒い煉瓦で、そこから洞窟に入ると、岩壁も似た色合いになっている。洞窟に合わせた色の煉瓦を焼いたのだろう。
岩壁は途中から着色されて、次第に淡い色合いに変わり、純白に近づいたところで人工の壁紙に覆われる。色彩の変遷がさりげなく、自然と文明の間を旅しているようだ。
芝居用の描き割りが無造作に転がっている黒繭家の館より秩序立っている。正直言って。
何代前の当主の発案によるものか知らないが、グリムの印象にはそぐわない繊細さだな、とサキは評価した。
「この洞窟の大元は、建国以前から通されていたとの話にございます」
一同の先頭を歩きながらバンドが解説する。
「いずれの文明が作り上げたものか、詳細はわかっておりません。絵心のある民族だったようで、鳥を描いた壁画が一部に残ってございます」
緩い勾配を登って行く。洞窟内部にいるので、現在、丘のどの高さにいるか分からない。
「それを第二代当主が入手された後、数百年駆けて拡張と改造を施し、現在の形に落ち着きました。歴代当主の美観が解け合った産物にございます」
曲がり角も何度か折れたため、東西南北も曖昧になってしまった。なんとなく、バンドの支配下にいるような状況が不愉快だ。サキは話題を探す。
「議長は、邸内のどちらにいらっしゃるのですか?この騒動に顔を出さなかったのはどうしてです」
バンドの歩みが鈍くなった。
「このいばら荘で、何が起こったんですか。あなた方は何に困っているんです」
ふと気が付いたが、黒繭家ではフランケンの地位に該当する人物に、ここまで丁寧な言葉遣いをする必要はなかったかもしれない。他家の家宰だから、ある程度礼儀を払うべきかもしれないが。
バンドの歩みが止まった。感情の窺えない背中に、サキが次の言葉を探していたとき、カザルスが爆弾を投げつけた。
「議長閣下は、亡くなった」
家宰の背中が震えた。
「そういうことだな?しかも病死や自殺でもなくーーーーー殺された。違うか?」
からくり人形のようにぎこちない動きでバンドは振り向いた。
「申し訳ございません。おっしゃる通りにございます」
「いつから気づいてました?」
フェルミの問いに、少将は唇を歪めた。
「議長の許可がなければ給与の仮払いができない、という展開になった時点でだ。議長に判断を仰ぐことが不可能な状況で、議長より上位の者を連れてくるよう誘っている。議長の身に重大な何事かが発生したが、それを公表する際、大物を巻き込むことで自身の身の安全を保障させようと目論見んだーーーこの場合の自身というのは、このバンドに限らず、いばら荘の主立った面々だろうかな」
「あれ?ちょっと待ってカザルス」
今、聞き捨てならない発言があった。
「我が家に来た時点でわかってたってこと?お前、面倒ごとがあると承知の上で、僕を巻き込んだわけ」
「はっはっは」
はっはっはっ、じゃねえよ。
姉が拳を強く握りしめたのを、サキは見ない振りをした。
「申し訳ございません。おっしゃる通りにございます」
同じ言葉をバンドは繰り返した。
「一週間前の夕方にございます。旦那様が、ご自身のお部屋で事切れておられるのが発見されました。誰が見ても、人の手で殺されたと分かる状況にございました」
前を向き、家宰は再び歩き始めた。
「この先に、保管庫がございます。食材を、痛まないよう冷やし置くことが用途の部屋でして・・・・旦那様をそこに移してありますので、どうか吟味いただきたいのです」
正門近くまで駆け降りてきたのは、「恐縮」に手足が生えたような男だった。痩身を何度も屈めるので、頭頂部の寂しさが露わになっているが、肌艶は悪くないので、年はせいぜい四十代だろう。
「赤薔薇家家宰、バンドと申します。摂政殿下にはお初にお目にかかります。この度は私どもの不適際により、この地までご足労いただきまことに申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません・・・」
「ございませんはいいから、まず暴動を片づけさせてくれ」
カザルスが宥める。
ちなみに赤薔薇家とはグリムが当主を務める名門の俗称だ。
サキたちの黒繭家も同じ事情だが、貴族は所有する領土や爵位の名前を繋げたものが正式な家名となるため、名門貴族ほど家名が長ったらしく、舌を噛みかねない。そのため日常会話では俗称として家紋の絵柄で呼び合うのが習わしだった。
とりあえずサキは、外の暴徒たちに告げた未払いの解決策を使っても問題ないか確認を取った。
「・・・・それではそのように取り計らわせていただきます。書面を用意いたしますので、少々お待ち下さい。申し訳ございません」
バンドは懐からペンと羊皮紙を取り出し、救済策を手早い手つきで記した。羊皮紙には予め赤薔薇の印章が押印されていた。
ギディングスが受け取り、正門前へ駆けていく。歓声が聞こえた後、戻ってきた中佐は、暴徒が解散したと報告した。
「ひょっとして」
サキは瞬きを繰り返す。
「僕の役割、もう終わった?」
「まだです。残念ながら」
カザルスはバンドに流し目を送る。
「議長閣下の身に何かあったのか。それを聞き出していただきたい」
赤繭家家宰は身を震わせたが、すぐに背筋を伸ばし、
「申し訳ございません。これから説明させていただきます。館の中へお越しいただけますでしょうか」
「かまいませんが」
サキには腑に落ちない。
「聞き出すまでもなく話してもらえるのだったら、どうしてこれまでは黙っていたんです」
「その点につきましてもおいおいお話します。申し訳ございません」
「私は、帰った方がいいですか?弟に付いてきただけで、この件に関わりはないのですが」
ニコラが口を挟んだ。サキを案じて一緒に来てくれた姉だが、その心配はないと判断したようだ。たしかにこの場で彼女だけが部外者ということになる。
「摂政殿下の姉君でいらっしゃいましたら」
バンドは頭を下げる。
「同行いただけた方が、当方としても助かります。申し訳ございません」
サキは姉と顔を見合わせる。
「姉上、赤薔薇家に知り合いでも?」
「いないはずです。名家ですから、気付かずにやりとりをしていたかもしれませんが」
馬車と騎兵数名は正門のすぐ内側で待機させた。丘の勾配が激しく、馬は大儀そうに見えたからだ。加えて、いばらも邪魔をしている。正門の前後こそ綺麗に刈り取られて石畳が敷き詰められているものの、勾配が入る辺りで石畳の幅はぐっと狭くなり、成人男性二人が並べる程度の道が山頂まで伸びている。石畳の外では、いばらが乱雑に絡み合っており、馬車を強引に通せば、ずたずたに傷つけてしまうだろう。
ただし石畳を歩いている限り、いばらが引っかかるような不快さはない。いばらは舗道にかからないように、すっぱりと剪定さえているのだ。凄腕の庭師がいるな、とサキは感心する。
舗道を数分登ったところで、煉瓦造りの小屋に行き着いた。舗道自体は、小屋の右奥に続いている。
「どうぞこちらへ」
バンドが小屋の扉を開いたので、サキは意外に思った。
「いばら荘の本館へ行くのじゃないんですか」
「ああ、私も最初は戸惑いましたが、繋がっているんですよ」
カザルスが愉快そうに指摘する。
「この丘の中には洞窟が穿たれていて、あちこちに出口があるんです。出口の周辺を、煉瓦の建物で飾っているんですな」
「すると、一番上の建物が『いばら荘』じゃなくて」
サキは山頂から各所に点在する城館を見回した。
「この山岳そのものが、赤薔薇家の館ということですか」
「そのような認識で問題ございません。申し訳ありません」
バンドは頷いた。そろそろ分かって来たのだが、この家宰の口から出てくる「申し訳ありません」は修辞句程度の意味しかない。
「こちらの小屋からが、中枢部への近道となっておりますので。ささ、どうぞ」
洞窟暮らしと聞いて窮屈な空間を思い浮かべたサキだったが、その先入観は中へ入ったとたんに覆された。内部の調度品は、黒繭家のそれと大差ない。
清潔感のある白色の壁紙、落ち着いた艶消しの家具類、壁面を飾る大小の絵画・彫刻等。
一般の城館と異なるのは、洞窟内にあるため、窓が存在しない点と、円形の空気穴が各所の天井に穿たれているくらいだった。洞窟そのものとの取り合わせも、悪くない。入り口の小屋は赤黒い煉瓦で、そこから洞窟に入ると、岩壁も似た色合いになっている。洞窟に合わせた色の煉瓦を焼いたのだろう。
岩壁は途中から着色されて、次第に淡い色合いに変わり、純白に近づいたところで人工の壁紙に覆われる。色彩の変遷がさりげなく、自然と文明の間を旅しているようだ。
芝居用の描き割りが無造作に転がっている黒繭家の館より秩序立っている。正直言って。
何代前の当主の発案によるものか知らないが、グリムの印象にはそぐわない繊細さだな、とサキは評価した。
「この洞窟の大元は、建国以前から通されていたとの話にございます」
一同の先頭を歩きながらバンドが解説する。
「いずれの文明が作り上げたものか、詳細はわかっておりません。絵心のある民族だったようで、鳥を描いた壁画が一部に残ってございます」
緩い勾配を登って行く。洞窟内部にいるので、現在、丘のどの高さにいるか分からない。
「それを第二代当主が入手された後、数百年駆けて拡張と改造を施し、現在の形に落ち着きました。歴代当主の美観が解け合った産物にございます」
曲がり角も何度か折れたため、東西南北も曖昧になってしまった。なんとなく、バンドの支配下にいるような状況が不愉快だ。サキは話題を探す。
「議長は、邸内のどちらにいらっしゃるのですか?この騒動に顔を出さなかったのはどうしてです」
バンドの歩みが鈍くなった。
「このいばら荘で、何が起こったんですか。あなた方は何に困っているんです」
ふと気が付いたが、黒繭家ではフランケンの地位に該当する人物に、ここまで丁寧な言葉遣いをする必要はなかったかもしれない。他家の家宰だから、ある程度礼儀を払うべきかもしれないが。
バンドの歩みが止まった。感情の窺えない背中に、サキが次の言葉を探していたとき、カザルスが爆弾を投げつけた。
「議長閣下は、亡くなった」
家宰の背中が震えた。
「そういうことだな?しかも病死や自殺でもなくーーーーー殺された。違うか?」
からくり人形のようにぎこちない動きでバンドは振り向いた。
「申し訳ございません。おっしゃる通りにございます」
「いつから気づいてました?」
フェルミの問いに、少将は唇を歪めた。
「議長の許可がなければ給与の仮払いができない、という展開になった時点でだ。議長に判断を仰ぐことが不可能な状況で、議長より上位の者を連れてくるよう誘っている。議長の身に重大な何事かが発生したが、それを公表する際、大物を巻き込むことで自身の身の安全を保障させようと目論見んだーーーこの場合の自身というのは、このバンドに限らず、いばら荘の主立った面々だろうかな」
「あれ?ちょっと待ってカザルス」
今、聞き捨てならない発言があった。
「我が家に来た時点でわかってたってこと?お前、面倒ごとがあると承知の上で、僕を巻き込んだわけ」
「はっはっは」
はっはっはっ、じゃねえよ。
姉が拳を強く握りしめたのを、サキは見ない振りをした。
「申し訳ございません。おっしゃる通りにございます」
同じ言葉をバンドは繰り返した。
「一週間前の夕方にございます。旦那様が、ご自身のお部屋で事切れておられるのが発見されました。誰が見ても、人の手で殺されたと分かる状況にございました」
前を向き、家宰は再び歩き始めた。
「この先に、保管庫がございます。食材を、痛まないよう冷やし置くことが用途の部屋でして・・・・旦那様をそこに移してありますので、どうか吟味いただきたいのです」