上乗せの仕事

文字数 5,355文字

 自分を視る兵士の眼が、最初とは明らかに違う。軍旗を振り回しながら、サキはくすぐったさと、満足を同時に感じていた。
 合流したばかりのころは、ただ「そういう立場の人」として敬意を払ってもらっているだけだった。それが、半日足らずで一変している。出来栄えの素晴らしい絵か彫刻を眺めるような、賞賛の目線だ。
(わかってるさ。うぬぼれたりはしない)
 はしゃぐ自尊心に、サキは釘を刺す。
(これはぼくの人望とかではない。そんなもの存在しない。建前では一番偉いことになっている僕の命と、こいつらの命が同じ危うさに乗っている。それが感動させるんだろう)
それでも、旗としての役には立っている、とサキは喜ぶ。
 これも一つの「力」だ。漠然と憧れていた権力とは趣が異なるけれど、力の一つであることは違いない。死線の上で階級、身分を越えて共に戦うことで、兵士の士気を高める。これも素晴らしい力じゃないか。
僕は今、兵士たちに崇拝されている!
「坊ちゃま殿下」
フランケンがマスケットを担いで近づいてきた。
「まことに申しづらいのですが、邪魔なので退いていただけませんか。邪魔なので」
 崇拝されていなかった。
「ぼっちゃま殿下、とっととお下がりください」
両頬に血糊のついたフランケンの表情がサキを嘲笑っているようで、一気に醒めた。ついでに気づく。額の痛みもましになっている。
「なんでだよなんでだ僕も役に立ってるじゃないか」
「坊ちゃま殿下がいらしたことで皆が勇気付き、戦列が立ち直ったのは確かでございます。ですが正直に申し上げますと、ずっと居ていただく必要はないかと」
「でも僕はここにいたいんだ弾雨に身をさらすべきなんだっ」
「邪魔なのでございます。指揮車のせいで方陣が整いませんので」
「…言いたくはないが、お前は准尉だ。上官をすっとばして僕に意見できるのかよ」
フランケンは哀しげに振り返った。
「それが、今のは言いづらいからと私に押し付けられた、上司殿の意見でございまして」
視線の先で、軍帽からはみでるくらいくせ毛のひどい将校が、「言うなよ」と言いたげに苦虫を噛んでいる。
「それに危のうございます」
 フランケンの進言は間の抜けたものに聞こえた。
「なんだよ、むしろこれまでがこの上なく危なかったじゃないか。弾数も減った感じだし、ましになっただろう」
「兵士にとっては、その通りでございますが」
 出し抜けに執事兼兵士はサキの首をつかんだ。
「坊ちゃま殿下は別にございます」
 地面に転がされると同時に、サキの頭上を黒い光が掠めた。
 寝返りを打ち、立っていた位置を見る。つい先ほどまで自分の頭があった真後ろの灌木に穴が開いていた。
「あちらの狙いは、坊ちゃま殿下を華々しく討ち取るか、捉えることですゆえ」
 灌木の下、砲弾でえぐれた位置にサキをひきずりながら、フランケンは抑揚のない声で教える。
「坊ちゃま殿下にとっては、今の方がよほど危のうございます」
 冷えた唾をサキは飲み込んだ。
 たしかに乱戦でいつの間にか死んでいるより、今、撃ち抜かれる方が劇的な死に方だ。
 乏しい知識で、今のはライフルかなと考える。遠眼鏡を使いたいが、覗いたその眼を撃たれそうだ。
「狙撃地点から二千フース(約六百十メートル)は離れておりますな。さすがに二万人も揃えば、常識を超えた名手の二人くらい、紛れているものです」
 中腰で別の遠眼鏡を構えるフランケンは、恐怖心などどこかに預けて来たかのようだ。そのやせぎすの体がふいに揺らぎ、地面から仰向けに手足を伸ばす。ブーツの先は、敵陣だ。土を蹴り、膝を腹まで持ち上げる。素早く駆けてきた曹長が、膝の間にライフルを挟み込んだ。
 それが狙撃の体勢だとサキが理解する前に、銃口が火を噴いた。
 「ふむ」立ち上がり、遠眼鏡をもう一度覗いて老人は満足そうに肩を鳴らした。
「ご安心ください。これで一人になりました」
 サキは覗かない。それが信頼というものだろう。
 戦場で祖父に気に入られ、侯爵家に雇われたというのも頷ける腕前だ。
この老兵がいなかった場合、自分の頭の形がどうなっていたかを想像すると、再びサキの弱虫が騒ぎ始めた。
「まあそこまで言うのなら。僕はまだここに居たいけれど、仕方ないから戻るよ」
御者に方向転換を命じようとしたとき、
 目の前で地面が弾けた。砲撃が炸裂したのだ。
「うがっ」舌を噛みそうになる。緩んだ途端、これだ!
 悪態をつく暇はなかった。同様の衝撃が、立て続けて発生する。
 敵は何台大砲を持ってきたんだ?多すぎやしないか。
 たぶん違う、と頭が回転する。寄せてきているのだ。大砲を一か所に集めて、この大隊の正面に砲弾をばらまく。騎兵も含めて、迂闊に動けない。
 注目すべきは、これまで敵がそれをしてこなかったという点。サキが前線にいることは分かっていたはずだから、貴重な戦利品を吹き飛ばしてしまわないよう、控えていたのだろう。
 それが解禁された。
 つまり、サキの捕縛を諦めた。あるいは、どうでもよくなった。それとも、優先順位が変わった。
 もしかして……間に合ったのか。
 心に、光が射し込んだ。王都を救援にくると見せかけて正規軍を敵国に侵攻させるという作戦が成功したのだ。何時間前かはわからないが、その情報がグロチウスにも伝わった。それまでの間、敵軍を引き付けておくことで、王都も守りぬくことができた!
 いや、はしゃぐな。まだはしゃぐな……
 遠眼鏡で煙の隙間を探す。見間違いではない。敵の前線が遠くなっている。敵が、退却を始めたのだ。砲撃は、退却するための牽制だった!
「やったぞ―――っ」
 サキが叫ぶ前に、察しのいい兵士が歓喜の声を上げた。
「革命軍の奴ら、しっぽを巻いて逃げ出しやがった!」
「勝ったんだ!俺たち勝ったんだあっ」
「これで村も燃やされないで済んだ!母ちゃんも、娘も助かるんだ」
 喜びが前線を走る。サキは士官級の表情を確かめた。皆、兵士の弛緩を、あからさまに窘める様子はない。彼らがサキ同様に作戦の全貌を伝えられていたとは思えないが、ある程度、こういう展開になる可能性は知らされていたのだろう。
 そのとき、フランケンの大声が響いた。
「まだだ。まだ力を抜いてはならん。前を見ろ」
 再び砲弾の炸裂。
 そうだろう。そんなにグロチウスは甘くないはずだ。
 こちらの追撃を阻むために、与えられるだけの打撃を残して行くに決まっている。
 遠眼鏡のレンズを磨く。より鮮明になった視界に、これまでより近い位置に備え付けられた大砲が映り込んだ。遠ざかっていく敵の前線に比べると近すぎる。取り残されている。あえて残しておくことで、こちらの追撃を留める狙いかもしれない。大砲の周囲には砲兵数名が立っていた。
 あとで思い返してもどうしてそういう心境に至ったのか分析できないのだが、このとき、サキの心に蛮勇が沸いた。
(せっかく前線に来たんだ。一人くらい、殺してみたい)
 レンズを注視する。砲兵数名が、大砲から離れ、遠ざかる歩兵たちのところへ移動を始めた。残っている砲兵は一名だけだ。おそらくもう一度砲撃を行った後、大砲は放棄してこの一名も退却する命令なのだろう。
(一人なら、やれる)
 今しかない。君主自ら敵兵を討てば、盛り上がりは最高潮になるだろう。旗を放置して、サキは走り出していた。
 直進するほど馬鹿ではない。右手の叢は、頭が隠れるほど深く、大砲の付近まで続いている。回り込んで近寄ってやる。
 大砲を見据えながら、走る。叢を半ば進んだあたりで、そろそろ拳銃に弾を込めようかと一瞬、大砲から目を離した直後、
 砲口がサキの方へぐるりと旋回した。
 気付かれた?
 サキは己の楽観を死ぬほど後悔した。
 字句通り、死ぬ。
 いい感じに流れていたのに、最後の最後で調子に乗って命を落とすなんて。ある意味、僕らしい。
 轟音と同時に、目の前が真っ白になった。
 しかし足元はえぐれていない。身体もくっついたままだ。サキは生きている。噴煙は正面から流れてきた。吹き飛んだのは、敵の大砲だ。
 再び砲撃音。今度は遠い。さらに四回、異なった地点からと思われる砲火の音が響いた。着弾地点もばらばらに聞こえる。噴煙がますます濃さを増し、視界が白一緒になった。
 退却に際した敵軍の牽制砲撃に対して、こちらもやり返しているのだろう。巻き込まれかねないのと、視界不良で方角さえ見失いそうなので、サキは慌てて踵を返す。
「あ、サキ生きてた」
 バツの悪い思いで指揮車まで戻ると、カヤの隣にフェルミが座っていた。
「殿下、作戦は成功ですよ。もうお分かりのようですけどね」
 心底呆れた、という面持ちで大佐は腕を組んでいる。
「おめでとうフェルミ。君は優秀な指揮官だったな」
 こういう場面で臣下を称賛するのが君主の重要な仕事だと認識していたので、サキは言いたくもない称賛を口にした。
「ま、気の回る方だとは言われます」
フェルミは面倒くさそうに頬を撫でた。
「んなことより殿下、あんた、アホですか」
「……アホです、か」
「一人で大砲を落としにいくとか、ツイカで酔っ払った老兵でもやりませんよ。本末転倒でしょう?殿下、あんたはこの辺の奴らを盛り上げて戦わせるために来たわけで、盛り上がった奴らと一緒に死んでやるためじゃない」
自分が悪いとは思っていたサキだったが、フェルミの冷酷な物言いに軽く反感を覚えた。
「鬼畜すぎやしないか?彼らを使い捨てにするために勇気付けるみたいじゃないか」
「その通りですよ?大将なんてものは、下っ端を使い捨てにしてなんぼでしょうが」
大佐はなおも容赦ない。その下っ端に囲まれてなので、さすがに小声だったが。
「つかいすてー」
わかってはいる。矢面に立たされる兵士は、丁寧に包装されて金庫にしまわれる立場の自分とは同じではない。
それでも一緒に恐怖し、一緒に血を流した兵士を、そんな風に割り切ってしまう考えにサキは抵抗を感じた。
「笑わせたいのかよ。大将である僕自身が、そもそもお前たちの使い捨てじゃないか」
「ある意味では、そうです」
見上げたことにフェルミは否定しない。
「ですがこの国で一番高貴な使い捨てですよ。ここぞというときにこそ投げ入れて光る。だからそれ以外で無駄死にされると大損なんですよ。殿下が使い捨て扱いにむかついて、俺やカザルス将軍をいつか出し抜いてやろうってつもりなら」
フェルミは似合わない眼鏡をゆらして笑った。
「なおさらのこと、自分の価値ってやつをみすえるべきでしょうが」
サキは温かい言葉をかけてもらったような気になった。
ふと横を向くと、フランケンが慈父のような眼差しを注いでいる。
「なあ僕は用済みなんだよな。ここにいなくてももう誰も怒らないよな」
「まーね。ここまでやったら臆病者呼ばわりはないですよ。いっしょに退がって下さい」
「そうさせてもらうよ。別に怖い訳じゃないけど。敵に手柄を与えたくないし。ずっとここにいてもいいけど」
砲声はまだ止まない。フェルミは双眼鏡を二本も操って――効果があるのだろうか――砲撃の応酬を眺めている。
「あ、あの子面白い」
 カヤは恐るべき無神経さを発揮して、担架で運ばれる兵士を並走しながらスケッチしている。呆れて見ていたサキも、兵士の顔を見た瞬間、駆け寄った。
 あの少年兵だ。
 包帯で固定された胸元は、血が滲んでいる。瞳は見えない羽虫を追いかけるようにせわしなく巡っていた。
「がんばれ」
 聴覚は、人間の最も強い感覚だと何かで読んだ。サキの言葉が届いたのか、少年の瞳が戻ってくる。覗き込んでいるサキに気づいて、大きく見開かれた。
「せっしょう、でんか、ですか」
「そうだよ」
「どう、して」
 説明が難しい。
「死ぬんじゃない。君は死ぬべきじゃない。頑張れ」
 それだけ言って、見送った。カヤはもう、別の兵士をスケッチしている。
 サキの全身から緊張が抜けて行く。
 一生分、危ないことをした。
 敵軍の後ろ姿も完全に見えなくなり、放心状態になりかけたサキは、ふいに気にするべき事柄が頭に浮かび、傍らのフェルミに訊いた。
「負傷者は。死者はどのくらいだ」
「今わかっている分で死者二百余人、負傷者は統計が終わってません」
「意外と少ないんじゃないか」
「これから増えます。戦死者は、負傷が悪化して死ぬ方が圧倒的に多いですからね。それに」
 指揮車の台座を撫でながらフェルミは小声で言った。「まだ次がありますからね」
「次」
 サキが混乱しているとフェルミは意地悪そうに笑い、
「半日ほど休憩した後、追撃に移ります」
「はああああああ?」
 下手な冗談であってほしい、とサキは大佐を凝視するが、フェルミは滑らかに首を振る。
「聞いてねえよ!作戦書には書いてなかった!ひどいぞ!」
「そりゃ、あんたの心が持たないと判断したからですよ。知ってたら、あそこまで頑張れなかったでしょう」
「一生分、危ない目に遭ったんだよっ!もういっぱいいっぱいだっ。これ以上頑張れない!」
「もうひとがんばりしないと、その頑張りもクズになりますよ」
「それは……」サキは言葉に詰まった。それはいやだ。でもがんばるのもいやだ。
「ま、さっきみたいに前には出ないで結構ですよ。今度こそ、いるだけでいい」
「本当か?」
 一瞬、フェルミは目を泳がせた。
「……多分ね」
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登場人物紹介

サキ

「王国」名門貴族 黒繭家の次男


ニコラ

黒繭家長女 サキの姉


カヤ

女流画家 サキとニコラの幼馴染

侯爵

黒繭家当主 演劇「決闘の王子」演出総責任者

クロア

黒繭家当主夫人 サキとニコラの母

フランケン

黒繭家執事

カザルス

王国軍少将 

グリム

赤薔薇家当主 王国軍「宮廷軍事評議会」議長

マリオン

宮廷軍事評議会副議長

イオナ

宮廷軍事評議会書記

ゼマンコヴァ

宮廷軍事評議会参議

フェルミ

王国軍大佐

ギディングス

王国軍中佐

グロチウス

共和国軍総司令官

クローゼ

共和国軍中将

バンド

赤薔薇家家宰

コレート

イオナの妻 青杖家当主

ゲラク

赤薔薇家邸宅「いばら荘」掃除夫

レシエ準男爵

王国宮廷画家

ロッド

王国軍少佐 サキ・ニコラの又いとこ

ピーター・ウッドジュニア

 売文家

ジョン・ドゥ

売文家

ジャン・バティスト・ベルナール・フォン・ラインシール

売文家

孔雀男

謎の怪人

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