革命の足音
文字数 2,844文字
ゼマンコヴァは遺体に手を伸ばそうとして躊躇している様子だった。
「儂も平民出身故、平民の気持ちは理解しているつもりじゃったが」
結局諦めたのか、腕を引っ込める。
「思い上がりじゃったの。人の心とは、何と複雑なものか」
「感傷に浸るのは後回しでお願いします」
どこから調達したのか、フェルミが白い布を遺体に被せた。
「この男は満足して死んで行きました。ということは、仕込みが既に終わっている、と考えるべきでしょう。民衆を憤慨させ、暴動へ導き、革命へと発展させる。その道筋が立っていたからこそ、自分は先に死んでも問題ないと判断したんです。もたもたしていると、爆弾に火が付きますよ」
「何を抑えればよいのだ?」
気分を害したのか、ゼマンコヴァの声が硬い。フェルミは気にしない風で、
「フランス革命を参考に考えますと、喫茶店ですな。ああいう店には客に読ませるための雑誌や新聞が常備されてます。それらに眼を通しながら、客同士が意見を交わし、過激な発想を醸成させる。こいつらはそれなりに教養のある連中なので、学のない民衆を扇動するやり方にも長けている。ですのでバンドが息のかかっている者を送り込むとしたら、王都の喫茶店、ハマーム、軽食店の類でしょう。今すぐにでも、それらを封鎖すべきです」
ゼマンコヴァはマリオンの方を向いた。決断を促しているのだろう。
マリオンは拳を握りしめ、
「ふむ、では評議会の名の下に戒厳令を敷いて――――」
「私は反対ですな」
遮ったのはカザルスだった。
「フェルミ大佐の見立ては甘い。今更封鎖しても逆効果です。大火を手仰ぎで消そうとするような愚行ですよ」
「言ってくれますね」
フェルミもあからさまに不機嫌になっている。
「だったら少将が対案を出してくださいよ」
「対案はあるさ。なにもしない、という対案だ」
「はあ?」
「いかに優秀な革命分子でも、弁舌だけで民衆を暴徒に仕立てあげるなんて不可能だ。俺がバンドの手下なら、最初は『この問題に関して早期に回答するよう評議会に求めよう』とかいう口実で、あくまで穏当な抗議行動に留めておく。人を集めて、冬宮の前を行進するとかな。それに対して、兵士が発砲するなり、人が集まっていた喫茶店を封鎖するなり始めてからが本番だ。『こっちは穏健な態度をとっていたのに』『政府に刃向かうつもりなんてなかったのに』『向こうがそのつもりならこちらもやるしかない』そういう理屈で、戸惑う民衆に武器を握らせる。抗議行動を暴動に仕立て上げ、上手くすれば革命の出来上がり、というわけだ」
得意顔のカザルスに、フェルミは仏頂面を崩さない。
「認識が甘すぎるんじゃないですか。もうすでに暴動の段階に入っているのでは?石つぶてを喰らった官庁もあるんですよ」
「暴動とは言えねえよ、石を投げる程度なら。何もしないというのが情けないのだったら、戒厳令や、外出禁止例くらいは出してもいいだろうよ。騒ぎに乗じて暴れたいだけの馬鹿を削ぎ落とせるからな」
「少将」
フェルミはカザルスに一歩近づいた。
「あんた、何か企んでいませんか」
「何かって、なんだよ。上官を糾弾したいなら、もう少し具体的な言葉を使え」
カザルスの声は怒っていない。むしろ面白がるように弾んでいた。
「あのー、なんかぎすぎすしてますけど」
ギディングスが口を挿む。
「簡単な話じゃないですか。裏切り者に、名乗り出てもらったらいい」
場の空気が白けた。
劣等生に手を焼く教師のような調子で、マリオンが問いかける。
「ギディングス、もし貴公が裏切り者だったら、名乗り出るか?この状況で」
「へえ?嫌に決まってるじゃないですか」
「じゃあ何で提案した!」
「俺は、周りの人たちには俺より模範的でいて欲しいんですよ」
勝手すぎる。くらくらしてきたが、時間がないのは確かな話だ。サキは収拾を試みる。
「僕は、カザルス評議員の意見が正しいように思う。とりあえず様子観でいいんじゃないだろうか」
マリオンが片眉を上げた。フェルミが無表情のままこちらを見据えてくる。
「それは、摂政殿下より、我々宮廷軍事評議会への要請ですか?」
「要請というより、助言だよ」
フェルミの物言いに険を感じるが、サキは怯まない。
「評議会の方々が、こぞってこの摂政府へいらっしゃった。情報の共有を行った上で、僕の意見なり見解なりが欲しかったわけだろう?だったら口を挟んでも構わないはずだ」
「確かに意見は窺いたかった。しかし」
マリオンは襟元の羽根飾りを撫でる。
「『旗』の数は我々の方が上。我々を従わせるというのであれば、何らかの見返りを頂きたい」
国家元首に対して不遜にも思われる発言だが、従ってもいいと表明している辺りは前進かもしれない、とサキは前向きに評価する。
「先程読んだばかりの大正義新聞ですが、この僕に関してほとんど言及されていませんでした。意図的だとしたら、バンドの息がかかった革命分子は、現時点では僕と対立するつもりがない、と読み取ることができます。だったらあなた方評議会が危うくなった場合、僕が取りなして差し上げられるかもしれません」
「……なるほど。了解した」
マリオンは迷いを払うように肩を揺すった。
「私個人も、カザルス評議員の対策が無難であるように思う。皆も、それで構わないか?」
他の評議員たちも頷いた。フェルミも首の動きで賛同は示していたものの、納得できない、と瞳が語っていた。
「そうなりますと、我々がここに居続けるのはよろしくないですな」
おどけ気味に、カザルスは軽い声を出す。
「我々評議会が、摂政殿下と不可分の関係にあると勘違いされるのはまずい。そろそろ退散いたしましょう」
「それもそうだな」
イオナが兵士を部屋の中へ呼び入れて、バンドの遺体を搬送させた。その後で妻へ近付く。
「君は一旦、レンカ城へ戻って欲しい。城の警備は怠らないように」
「もちろんですわ」
コレートは敬礼の仕草を夫に向けた。それからニコニコと、場の全員を見回す。
「私のレンカ城は王都にも近く、要害に位置しています。殿下にニコラさん、カヤさんに評議会の皆様―――少しでも危うい状況とお考えになったら、遠慮せずお越しくださいませ。何なら、軍隊を引き連れてでも構いません。いよいよという場合は、レンカに遷都いただいても結構ですのよ」
「大変、魅力的なお誘いですな」
ゼマンコヴァがやんちゃ坊主のような笑顔を見せた。
「もしものときは甘えさせていただきましょう。まあ、そうならないことを心より祈っておりますが」
コレートと評議員たちは執務室の入り口へと向かう。フェルミの顔色が酷く悪いのが、サキには気になった。
「では摂政殿下、ひとまず失礼する」
入り口前で振り返り、マリオンは一礼した。
「先程約束いただいた取りなしの件、いよいよ、というときはお願いいたします」