玉座への誘い
文字数 2,574文字
その国には現在、王がいない。
「王国」を自称する国家だったにも関わらず、数年間、玉座は空っぽのまま放置されていた。男児に恵まれなかった最後の国王が、娘に婿をとらせるか、遠縁から養子を迎えるかの思案中に世を去ったからだ。
後には、困惑顔の重臣たちが残された。彼らは皆、何がなんでも権勢の頂点をと願うあくのつよい人種ではなく、亡き王のように自己主張に乏しい君主の下、合議制に近い形で穏やかに舵取りができればそれ満足だったからだ。そのやり方で、大過なく国を動かしてきた。次代の国王がでしゃばりだった場合、(本来、王はそういうものだが)噛み合っていた歯車に泥を注がれる懸念があった。
そのため重臣たちは、新国王の選出を意図的に長引かせるという「臨時措置」を採った。
血筋だけなら玉座についても許されそうな無難な人物数名をそじょうに上げ、しかし、だらだらと会議を続けるだけで決して結論は出さない。その内、国王の裁可を要する問題が持ち上がる。すると重臣たちは、国王候補たちに書面で依頼するのだ。
―――王宮にどなたをお迎えするかはいまだ定まっておりません。
しかし間の悪いことに、国王の許可なくしては動かせない案件が発生してございます。そこでお願い申しあげます。仮に、あくまで仮の措置として、皆様方を一体の王とも見なした上で、裁可をご依頼したいのです。
ようするに国王候補たちによる合議制でことを進めようというわけだ。わずかでも王位に色気を示す候補なら、この時点では重臣たちに恩を売るのが得策と考えるため、彼らの決定を退けることはしない。
それゆえ、国政は事実上、重臣たちの合議制で動かされる体となる。
四年と半年の間、この「臨時措置」は繰り返された。あきれた話だが、国王候補のただ一人として引き延ばしを糾弾しようとはしなかったのだ。むろん物事には限度があると承知していた重臣たちは、そろそろ別のごまかし方をひねり出す腹づもりではあったのだが――それをでっち上げる前に、ある宴席で食した巻き貝にあたり、ころりと全滅してしまったのだ。こともあろうに国王候補も幾人か道連れにして、である。
そして本日、黒繭家に手紙が届けられた。
そこには、黒繭家次男を候補に選出したと記されていた。つまり、サキが王位に就けるかもしれないのだ。
「応じるべきでは、ないな」
黒繭家の本邸。書簡を一読した黒繭家当主は、即座にそう答えた。サキには到底承伏できない決定だった。
「あり得ません、あり得ませんよ父上。僕や我が家の現状を、大きく変える好機じゃないですか」
「良い方向に変わるとは限らん」
重々しくかぶりを振る侯爵だが、自分で意匠を考えた着ぐるみの具合をためすため、頭にライオンの耳を乗せたままなのでさまにはならなかった。
そうでなくとも、サキはこの父親に大した威厳を感じていない。常日頃、軽蔑していた。貴族には、権勢を求めて王権の傍で策謀を練る集団と、気ままな趣味の世界に耽溺して領地に引きこもる人々の2種類があり、サキは前者を目指し、父は後者の典型だったから、上手くいかないのも当然ではあるのだが。
「確かに我が家は名家。玉座への誘いが届くのも、まあ、有りうることだが、うぬぼれはいかん。どうしても黒繭のものでなければ困る、という程ではない。それに当主の私や長男をを差し置いて人生経験に乏しい十四歳を迎えようというのは、どうもなあ。思うに、王宮の連中はお前を人形にしたてあげるつもりなのだろう」
「そんなこと、承知の上です」
サキは素直に認めた。
「経験の浅いうちは、彼らの言いなりになるのも仕方ないでしょう。場数を踏んで、大人になるまでには実権を握ります」
「……王になんぞ、どうしてなりたいのだね」
侯爵の呆れ顔は、まるで息子から奇術士だの剣闘士だのになりたいと聞かされたかのようだった。
「それは」サキは言葉につまる。
「男子たるもの、ええと、万世に語り継がれる偉業を成すことこそ本懐であり、えと、それには国王になってこそ、色々できるというか」
ぱこ、と頭がぶれる。それまで部屋のすみで石の沈黙を守っていたニコラが、台本を丸めてサキを叩いたのだ。
使用人を除いた黒繭家の構成は侯爵・侯爵夫人・長男・長女・次男の5名。現在長男は長期留学中、夫人は旅行中のため、とりあえずこの案件について口を挟む権利があるのはこの二人だけだった。ニコラには先に手紙を見せたが、表情だけで乗り気でないことが伺い知れた。
「サキ、無意味な音波を出さないで下さい」
「ひどいなっ」
弟の抗議を、ニコラは視線で受け流す。
「あなたの嘘は空々しすぎて聞く価値がありません。本当のところを、正直に言いなさい」
正直に言ってもほめられないだろうな、と予想されたが、サキは観念する。
「本当の、理由はですね…」
「理由は?」
サキは胸を張り、答えた。
「権力です。権力が欲しいからです」
「……なんでも正直に言えばいいものではありませんね」
やっぱりほめられなかった。ニコラは呆れ顔をサキに見せる。姉が弟に向ける、八割方がこの表情だ。
「だって、権力ですよ!人間なんです。みんなだれだって力を振りかざしたいでしょう?
王様なら、それが叶う。やりたいほうだいしたいじゃないですか。重税を搾り取る。悪法で縛り付ける。戦争で兵士をいっぱい動かしていっぱい人を殺す!最高じゃないですか!」
「さいていじゃないですか」
ニコラの眼差しに、侮蔑の色合いが加わった。傍らで、侯爵が悲しげに首を振る。
「ああ我が息子よ。なぜこのような権力の亡者に
育ってしまったのか」
返事につまる。だが、わかっている。
それは―――僕には「王冠」がないからだ。
自分を大したものだと信じる「芯」が備わっていること、それを「王冠」と呼ぶ。サキが勝手に呼んでいる。
兄上がそうだ。恵まれた体格に、寛厚さを宿らせた好男子だ。姉上もそうだ。雪のような冷静さと、それが具現化したような容姿。
父上は、下らない演劇にのめり込むことのできる無尽の情熱を持っている。母上の、上質のひまわりのような明るさ…
家族皆、それを持っているのに、サキだけ持っていない。
自分には、何一つ誇れるものがない。
「王国」を自称する国家だったにも関わらず、数年間、玉座は空っぽのまま放置されていた。男児に恵まれなかった最後の国王が、娘に婿をとらせるか、遠縁から養子を迎えるかの思案中に世を去ったからだ。
後には、困惑顔の重臣たちが残された。彼らは皆、何がなんでも権勢の頂点をと願うあくのつよい人種ではなく、亡き王のように自己主張に乏しい君主の下、合議制に近い形で穏やかに舵取りができればそれ満足だったからだ。そのやり方で、大過なく国を動かしてきた。次代の国王がでしゃばりだった場合、(本来、王はそういうものだが)噛み合っていた歯車に泥を注がれる懸念があった。
そのため重臣たちは、新国王の選出を意図的に長引かせるという「臨時措置」を採った。
血筋だけなら玉座についても許されそうな無難な人物数名をそじょうに上げ、しかし、だらだらと会議を続けるだけで決して結論は出さない。その内、国王の裁可を要する問題が持ち上がる。すると重臣たちは、国王候補たちに書面で依頼するのだ。
―――王宮にどなたをお迎えするかはいまだ定まっておりません。
しかし間の悪いことに、国王の許可なくしては動かせない案件が発生してございます。そこでお願い申しあげます。仮に、あくまで仮の措置として、皆様方を一体の王とも見なした上で、裁可をご依頼したいのです。
ようするに国王候補たちによる合議制でことを進めようというわけだ。わずかでも王位に色気を示す候補なら、この時点では重臣たちに恩を売るのが得策と考えるため、彼らの決定を退けることはしない。
それゆえ、国政は事実上、重臣たちの合議制で動かされる体となる。
四年と半年の間、この「臨時措置」は繰り返された。あきれた話だが、国王候補のただ一人として引き延ばしを糾弾しようとはしなかったのだ。むろん物事には限度があると承知していた重臣たちは、そろそろ別のごまかし方をひねり出す腹づもりではあったのだが――それをでっち上げる前に、ある宴席で食した巻き貝にあたり、ころりと全滅してしまったのだ。こともあろうに国王候補も幾人か道連れにして、である。
そして本日、黒繭家に手紙が届けられた。
そこには、黒繭家次男を候補に選出したと記されていた。つまり、サキが王位に就けるかもしれないのだ。
「応じるべきでは、ないな」
黒繭家の本邸。書簡を一読した黒繭家当主は、即座にそう答えた。サキには到底承伏できない決定だった。
「あり得ません、あり得ませんよ父上。僕や我が家の現状を、大きく変える好機じゃないですか」
「良い方向に変わるとは限らん」
重々しくかぶりを振る侯爵だが、自分で意匠を考えた着ぐるみの具合をためすため、頭にライオンの耳を乗せたままなのでさまにはならなかった。
そうでなくとも、サキはこの父親に大した威厳を感じていない。常日頃、軽蔑していた。貴族には、権勢を求めて王権の傍で策謀を練る集団と、気ままな趣味の世界に耽溺して領地に引きこもる人々の2種類があり、サキは前者を目指し、父は後者の典型だったから、上手くいかないのも当然ではあるのだが。
「確かに我が家は名家。玉座への誘いが届くのも、まあ、有りうることだが、うぬぼれはいかん。どうしても黒繭のものでなければ困る、という程ではない。それに当主の私や長男をを差し置いて人生経験に乏しい十四歳を迎えようというのは、どうもなあ。思うに、王宮の連中はお前を人形にしたてあげるつもりなのだろう」
「そんなこと、承知の上です」
サキは素直に認めた。
「経験の浅いうちは、彼らの言いなりになるのも仕方ないでしょう。場数を踏んで、大人になるまでには実権を握ります」
「……王になんぞ、どうしてなりたいのだね」
侯爵の呆れ顔は、まるで息子から奇術士だの剣闘士だのになりたいと聞かされたかのようだった。
「それは」サキは言葉につまる。
「男子たるもの、ええと、万世に語り継がれる偉業を成すことこそ本懐であり、えと、それには国王になってこそ、色々できるというか」
ぱこ、と頭がぶれる。それまで部屋のすみで石の沈黙を守っていたニコラが、台本を丸めてサキを叩いたのだ。
使用人を除いた黒繭家の構成は侯爵・侯爵夫人・長男・長女・次男の5名。現在長男は長期留学中、夫人は旅行中のため、とりあえずこの案件について口を挟む権利があるのはこの二人だけだった。ニコラには先に手紙を見せたが、表情だけで乗り気でないことが伺い知れた。
「サキ、無意味な音波を出さないで下さい」
「ひどいなっ」
弟の抗議を、ニコラは視線で受け流す。
「あなたの嘘は空々しすぎて聞く価値がありません。本当のところを、正直に言いなさい」
正直に言ってもほめられないだろうな、と予想されたが、サキは観念する。
「本当の、理由はですね…」
「理由は?」
サキは胸を張り、答えた。
「権力です。権力が欲しいからです」
「……なんでも正直に言えばいいものではありませんね」
やっぱりほめられなかった。ニコラは呆れ顔をサキに見せる。姉が弟に向ける、八割方がこの表情だ。
「だって、権力ですよ!人間なんです。みんなだれだって力を振りかざしたいでしょう?
王様なら、それが叶う。やりたいほうだいしたいじゃないですか。重税を搾り取る。悪法で縛り付ける。戦争で兵士をいっぱい動かしていっぱい人を殺す!最高じゃないですか!」
「さいていじゃないですか」
ニコラの眼差しに、侮蔑の色合いが加わった。傍らで、侯爵が悲しげに首を振る。
「ああ我が息子よ。なぜこのような権力の亡者に
育ってしまったのか」
返事につまる。だが、わかっている。
それは―――僕には「王冠」がないからだ。
自分を大したものだと信じる「芯」が備わっていること、それを「王冠」と呼ぶ。サキが勝手に呼んでいる。
兄上がそうだ。恵まれた体格に、寛厚さを宿らせた好男子だ。姉上もそうだ。雪のような冷静さと、それが具現化したような容姿。
父上は、下らない演劇にのめり込むことのできる無尽の情熱を持っている。母上の、上質のひまわりのような明るさ…
家族皆、それを持っているのに、サキだけ持っていない。
自分には、何一つ誇れるものがない。