謀略と水難
文字数 3,490文字
めぼしい収穫は得られなかった。
落胆している暇はない。次の評議会は一週間後。その席でカヤの無実を示す材料を披露しなければならないのだ。証拠が揃わなければ、一週間後の時点でこの件に関する評議は打ち切りとなり、カヤの有罪が確定してしまう。
やるべきことは他にもある。
摂政府に戻ったサキは、執務室の書棚から引っ張りだした「新聞・雑誌執筆者名鑑」に目を通した。出発前にニコラより提案された、有利な記事を書いてくれる記者を探すためだ。
「どの記者も、一長一短に思える」
分厚い本をめくりながら、サキは呟いた。
「そもそもどういう基準で選ぶべきなんでしょう」
「対・知性担当と対・感性担当の二種類が必要かと」
ニコラが助言する。
「一方はサキの主張したい事柄を余すところなく伝えてくれる執筆者。もう一方はサキが正しく、評議会が間違っている、という印象を植え付けてくれる執筆者。読者は、記事を最後まで読んでくれるとは限りません。熟読する読者と、読み飛ばしで済ませる読者両方に訴える必要があります」
「対・知性担当は」
サキは名鑑を閉じる。
「旧知の記者の方が分かってくれそうですよね」
来る前に提案されたように、これまでも黒繭家のために筆を執った経験のある記者がふさわしいだろう。やはり父親のつてを頼るしかない。
「感性に訴える方は・・・この名鑑で、評価が極端な執筆者を探しましょうか」
ぱらぱらとめくる内、お上品な名鑑とは思えないほど、けばけばしい惹句が踊る頁が複数見つかった。
おもねりの達人!疑惑の人物も、希代の悪党も、この男の筆にかかれば聖人君子に漂白されてしまう!
その筆に微塵の良心もなし、ピーター・ウッドジュニア!
誤魔化しの天才!
故事成語と聖書の引用句・謎の造語を駆使することで、なまぐさい出来事もフワフワとした神話的挿話に書き換える!
読了後に何も残さない男、ジャン・バティスト・ベルナール・フォン・ラインシール!
誹謗中傷の専門家!
この男の悪意に捕まったら最後、靴下に穴が空いていた程度の過失さえ、地獄の業火が似合いの大逆犯罪へと塗り変えられてしまう!
起こされた訴訟は星の数。ジョン・ドゥ!
・・・職業倫理的にはどうかと思うが、少なくとも腕は確かと思われる面々だ。たぶん。
早い内に連絡をとり、契約を交わしておこう。
「それと、証拠集めですが、早速明日からいばら荘へ赴くつもりです」
サキは執筆者名鑑を一旦閉じる。
「姉上が提案してくださった、画家に周辺を記録させるという調査方法ですが、監獄へ行く前に、フランケンを準男爵家へ使いにやっています。上手く運べば、早速明日の調査から同行させられると思います」
「気がかりなのは、天候ですね」
ニコラは執務室の窓から空を見上げた。
「この季節は秋雨がしばしば豪雨に変わりますから。途中の道のりで山崩れが起こったら、デジレへ入れなくなるかもしれません」
「それはさすがに、心配のしすぎですよ」
サキは鼻で笑った。
「ここ数年、山崩れや洪水の話なんて聞かないじゃないですか。それが、今に限って・・・」
翌日は大雨となった。
八時。王都の外れ、舗装路が途切れ小高い丘にさしかかる地点まで馬車でやってきたサキは、泥の連なりと化した田舎道を見て言葉を失った。とろけている。まるで安物のショコラだ。外観だけでまずいとわかるショコラだ。朝目覚めた時点で雨足が相当激しかったので、デジレまで馬車が使えそうか、様子を観に来ただけなのに。
「これはきついですな」
雨よけの外套をまとった御者が言う。
「デジレまで、ほとんどこういう感じの土ですからね。強引に走っても、車軸が泥粒を吸っていかれちまう。途中何台か乗り換える方法はありますが、今度はその馬車をどうやって道中に用意するか、って話になる」
摂政府へ戻ると、フランケンがニコラと何事か話し合っていた。
「ぼっちゃま殿下。カヤ様のご実家から、調査のために画工をお借りする件ですが」
老執事は真面目くさった顔で、絵筆を操るふりをする。
「この役目に有用と思われる者を、二十名も選出してくださいました。本日より調査に入っても構わない、とのお話でしたがどうなさいますか」
「ありがたいけれどできることがない」
サキは首を振る。
「さっきまでは無理してでもデジレに行こうかと考えてたけど。山崩れが発生しているかもしれないし、他家から借りる人たちに、そこまで危ないことはさせられない」
「私たちだけでも、出発しますか?」
ニコラが提案するが、サキは自信を失っていた。
「なんか、こういうときに限ってこんな風になるなんて、巡り合わせが悪いとしか思えません。この状況で無理矢理動いたら、もっと事態が悪化しそうな気がします」
「そういうものかもしれませんね」
ニコラも頷く。
「本日は、休養にします。焦る必要はないでしょう。まだ一日がふいになっただけですし」
まだ一日。このときは、まだそんな言葉で済まされる状況だったのだ。
翌朝。事態は全く好転しなかった。
相変わらずの雨量。むしろ先日より降り続い分だけ、ぬかるみは泥沼へと近付き、山崩れの危険性も増大している。
「いけない。判断を誤ったかも」サキは雨粒が踊る窓を眺めながら、執務室をいらいらと歩き回る。
「昨日の時点で、無理矢理にでもデジレへ立っていた方がましだったのでは」
「そうすると、画工たちを危険にさらすから、と取りやめにしたのでしょう?」
ニコラが指摘する。
「それはそうなんですけどね。でも、雨が止まなかったら事態はますます悪化するわけですし」
「評議会へ打診してはどうでしょう」
ニコラが解決策を告げる。
「デジレへ調査に赴けそうにないので、日取りを延ばして欲しいと」
「絶対無理ですよ。もっともらしい理由をつけて、許可しないに決まっています」
サキは顔面に苦虫を走らせる。
「このまま大雨が続くようなら、聞いてみるしかないかもしれませんけど」
「ぼっちゃま殿下」
フランケンが小走りで部屋に入ってきた。
「レンカ監獄のカヤ様より、急ぎの文が届いております」
「カヤから?」
サキはコレートの寛大さに驚いた。収容者が外部に手紙を送ることさえ許可されているのか。
包みを開く。間違いなくカヤの筆跡だ。
殿下に急いでお話したいことがあります。
すぐに監獄へ来てもらえませんか
サキは手紙をニコラに見せた。
「一昨日会ったときに教えてくれなかったのはどうしてだと思いますか」
「何とも言えませんね」
ニコラは手紙に顔を近付ける。
「例えば親族の方に諭されて、黙っていた秘密を話すつもりになったとか?直接会って聞いた方がいいでしょう」
サキは窓を見る。依然、雨は激しく降り続いている。
しかしカヤから手紙が届いたということは、まだレンカ城への道のりは往来ができる状態にあるという意味だ。ぐずぐずしていたら、それもどうなるかわからない。
サキはニコラと共にレンカ城へ急行した。
一昨日と同じ地点で馬車から降りる。渓谷の水嵩は前より増してはいたものの、石段が水没するほどではなかった。向こう岸に、大きな傘をさした人影が見える。川を渡る途中で、それがコレートであることに気付いた。
「殿下!ニコラさん!」
向こうもこちらに気付いたらしく、コレートが大声で手を振っている。
「急いで渡って下さい。石段が沈みます!」
一瞬顔を見合わせた後、姉弟は小走りで渡河を済ませた。
「ああよかった。渡られている途中に、放水が始まったら大変でした」
コレートが胸をなで下ろす。
「あの、放水というのは」
サキの問いに、青杖家当主は上流を指で示した。
「この渓谷の上に、当家で管理する溜め池がございますの。今朝のように豪雨で池が溢れる寸前になった場合、水門を開いて余分な水を谷へ流します。溜め池近くの農家に請われて、ついさきほど、開門の許可を出しましたのでーーー」
言い終わるが否や、茶色の濁流が稲妻のように目の前を横切った。
反対側の岸に残っていた御者が、慌てて馬車を後ろに下がらせる。馬が鳴きながら前足を上げた。
「このように、水位も流れも一変します。渡河の途中だったら、危ないところでしたわ」
「・・・迂闊でした」ニコラが低い声を出す。
「姉上?」
「サキ、これは策略です」
ニコラは顔の横で拳を握っている。
落胆している暇はない。次の評議会は一週間後。その席でカヤの無実を示す材料を披露しなければならないのだ。証拠が揃わなければ、一週間後の時点でこの件に関する評議は打ち切りとなり、カヤの有罪が確定してしまう。
やるべきことは他にもある。
摂政府に戻ったサキは、執務室の書棚から引っ張りだした「新聞・雑誌執筆者名鑑」に目を通した。出発前にニコラより提案された、有利な記事を書いてくれる記者を探すためだ。
「どの記者も、一長一短に思える」
分厚い本をめくりながら、サキは呟いた。
「そもそもどういう基準で選ぶべきなんでしょう」
「対・知性担当と対・感性担当の二種類が必要かと」
ニコラが助言する。
「一方はサキの主張したい事柄を余すところなく伝えてくれる執筆者。もう一方はサキが正しく、評議会が間違っている、という印象を植え付けてくれる執筆者。読者は、記事を最後まで読んでくれるとは限りません。熟読する読者と、読み飛ばしで済ませる読者両方に訴える必要があります」
「対・知性担当は」
サキは名鑑を閉じる。
「旧知の記者の方が分かってくれそうですよね」
来る前に提案されたように、これまでも黒繭家のために筆を執った経験のある記者がふさわしいだろう。やはり父親のつてを頼るしかない。
「感性に訴える方は・・・この名鑑で、評価が極端な執筆者を探しましょうか」
ぱらぱらとめくる内、お上品な名鑑とは思えないほど、けばけばしい惹句が踊る頁が複数見つかった。
おもねりの達人!疑惑の人物も、希代の悪党も、この男の筆にかかれば聖人君子に漂白されてしまう!
その筆に微塵の良心もなし、ピーター・ウッドジュニア!
誤魔化しの天才!
故事成語と聖書の引用句・謎の造語を駆使することで、なまぐさい出来事もフワフワとした神話的挿話に書き換える!
読了後に何も残さない男、ジャン・バティスト・ベルナール・フォン・ラインシール!
誹謗中傷の専門家!
この男の悪意に捕まったら最後、靴下に穴が空いていた程度の過失さえ、地獄の業火が似合いの大逆犯罪へと塗り変えられてしまう!
起こされた訴訟は星の数。ジョン・ドゥ!
・・・職業倫理的にはどうかと思うが、少なくとも腕は確かと思われる面々だ。たぶん。
早い内に連絡をとり、契約を交わしておこう。
「それと、証拠集めですが、早速明日からいばら荘へ赴くつもりです」
サキは執筆者名鑑を一旦閉じる。
「姉上が提案してくださった、画家に周辺を記録させるという調査方法ですが、監獄へ行く前に、フランケンを準男爵家へ使いにやっています。上手く運べば、早速明日の調査から同行させられると思います」
「気がかりなのは、天候ですね」
ニコラは執務室の窓から空を見上げた。
「この季節は秋雨がしばしば豪雨に変わりますから。途中の道のりで山崩れが起こったら、デジレへ入れなくなるかもしれません」
「それはさすがに、心配のしすぎですよ」
サキは鼻で笑った。
「ここ数年、山崩れや洪水の話なんて聞かないじゃないですか。それが、今に限って・・・」
翌日は大雨となった。
八時。王都の外れ、舗装路が途切れ小高い丘にさしかかる地点まで馬車でやってきたサキは、泥の連なりと化した田舎道を見て言葉を失った。とろけている。まるで安物のショコラだ。外観だけでまずいとわかるショコラだ。朝目覚めた時点で雨足が相当激しかったので、デジレまで馬車が使えそうか、様子を観に来ただけなのに。
「これはきついですな」
雨よけの外套をまとった御者が言う。
「デジレまで、ほとんどこういう感じの土ですからね。強引に走っても、車軸が泥粒を吸っていかれちまう。途中何台か乗り換える方法はありますが、今度はその馬車をどうやって道中に用意するか、って話になる」
摂政府へ戻ると、フランケンがニコラと何事か話し合っていた。
「ぼっちゃま殿下。カヤ様のご実家から、調査のために画工をお借りする件ですが」
老執事は真面目くさった顔で、絵筆を操るふりをする。
「この役目に有用と思われる者を、二十名も選出してくださいました。本日より調査に入っても構わない、とのお話でしたがどうなさいますか」
「ありがたいけれどできることがない」
サキは首を振る。
「さっきまでは無理してでもデジレに行こうかと考えてたけど。山崩れが発生しているかもしれないし、他家から借りる人たちに、そこまで危ないことはさせられない」
「私たちだけでも、出発しますか?」
ニコラが提案するが、サキは自信を失っていた。
「なんか、こういうときに限ってこんな風になるなんて、巡り合わせが悪いとしか思えません。この状況で無理矢理動いたら、もっと事態が悪化しそうな気がします」
「そういうものかもしれませんね」
ニコラも頷く。
「本日は、休養にします。焦る必要はないでしょう。まだ一日がふいになっただけですし」
まだ一日。このときは、まだそんな言葉で済まされる状況だったのだ。
翌朝。事態は全く好転しなかった。
相変わらずの雨量。むしろ先日より降り続い分だけ、ぬかるみは泥沼へと近付き、山崩れの危険性も増大している。
「いけない。判断を誤ったかも」サキは雨粒が踊る窓を眺めながら、執務室をいらいらと歩き回る。
「昨日の時点で、無理矢理にでもデジレへ立っていた方がましだったのでは」
「そうすると、画工たちを危険にさらすから、と取りやめにしたのでしょう?」
ニコラが指摘する。
「それはそうなんですけどね。でも、雨が止まなかったら事態はますます悪化するわけですし」
「評議会へ打診してはどうでしょう」
ニコラが解決策を告げる。
「デジレへ調査に赴けそうにないので、日取りを延ばして欲しいと」
「絶対無理ですよ。もっともらしい理由をつけて、許可しないに決まっています」
サキは顔面に苦虫を走らせる。
「このまま大雨が続くようなら、聞いてみるしかないかもしれませんけど」
「ぼっちゃま殿下」
フランケンが小走りで部屋に入ってきた。
「レンカ監獄のカヤ様より、急ぎの文が届いております」
「カヤから?」
サキはコレートの寛大さに驚いた。収容者が外部に手紙を送ることさえ許可されているのか。
包みを開く。間違いなくカヤの筆跡だ。
殿下に急いでお話したいことがあります。
すぐに監獄へ来てもらえませんか
サキは手紙をニコラに見せた。
「一昨日会ったときに教えてくれなかったのはどうしてだと思いますか」
「何とも言えませんね」
ニコラは手紙に顔を近付ける。
「例えば親族の方に諭されて、黙っていた秘密を話すつもりになったとか?直接会って聞いた方がいいでしょう」
サキは窓を見る。依然、雨は激しく降り続いている。
しかしカヤから手紙が届いたということは、まだレンカ城への道のりは往来ができる状態にあるという意味だ。ぐずぐずしていたら、それもどうなるかわからない。
サキはニコラと共にレンカ城へ急行した。
一昨日と同じ地点で馬車から降りる。渓谷の水嵩は前より増してはいたものの、石段が水没するほどではなかった。向こう岸に、大きな傘をさした人影が見える。川を渡る途中で、それがコレートであることに気付いた。
「殿下!ニコラさん!」
向こうもこちらに気付いたらしく、コレートが大声で手を振っている。
「急いで渡って下さい。石段が沈みます!」
一瞬顔を見合わせた後、姉弟は小走りで渡河を済ませた。
「ああよかった。渡られている途中に、放水が始まったら大変でした」
コレートが胸をなで下ろす。
「あの、放水というのは」
サキの問いに、青杖家当主は上流を指で示した。
「この渓谷の上に、当家で管理する溜め池がございますの。今朝のように豪雨で池が溢れる寸前になった場合、水門を開いて余分な水を谷へ流します。溜め池近くの農家に請われて、ついさきほど、開門の許可を出しましたのでーーー」
言い終わるが否や、茶色の濁流が稲妻のように目の前を横切った。
反対側の岸に残っていた御者が、慌てて馬車を後ろに下がらせる。馬が鳴きながら前足を上げた。
「このように、水位も流れも一変します。渡河の途中だったら、危ないところでしたわ」
「・・・迂闊でした」ニコラが低い声を出す。
「姉上?」
「サキ、これは策略です」
ニコラは顔の横で拳を握っている。