陰謀家たちの休息
文字数 2,886文字
いばら荘の決闘騒ぎから、五日が過ぎた。
本日は聖誕祭。さほど信仰心に篤いわけではないマリオンは、夜になっても冬宮で執務を続けていた。現在、円卓に腰かけている評議員は、彼一人だけ。もうじき摂政府に使いをさせたギディングスが戻ってくるはずだ。他の評議員は家族と過ごしたり、領地の教会で祈りを捧げたりするため帰宅済み。マリオンも仕事を片づけたらさっさと帰るつもりだ。
「まとまりましたよ」
扉を乱暴に開けて、ギディングスが入ってきた。
この若造を含む臨時の評議員三名は、けっきょく一ヶ月近く経った今でも解任されていない。何かと使い勝手がいいのと同時に、今一つ信用のおけない連中なので、近くに置いた方が安全だろうというマリオンの判断によるものだ。
ギディングスの場合、摂政殿下と割合年が近く、それなりに信用を得ている様子なので、交渉の緩衝材としてこき使ってやるつもりだ。
「赤薔薇家の領地ですけど、カヤ嬢の都合がいいように法律をいじらせてほしい、という話は取り下げてくれました」
「……思ったより、すんなり運んだな」
マリオンは椅子にもたれかかった。貴族法をないがしろにする素振りを見せたことが、フェルミの態度を硬化させ、いばら荘での騒動に繋がったと殿下は解釈したのだろう。こちらの過剰反応だったのは間違いないが、向こうも矛を収めてくれたのは有り難い。
「それと、カヤ嬢が赤薔薇家を相続する件ですけど、本人はやっぱり十分の一でもいいって言ってます」
「ずいぶん譲歩したものだな」
マリオンには意外な申し出だった。法律上、カヤ嬢には赤薔薇家のすべてを相続する権利があるのだが。
「かいつまんでいうと、だるいから、って理由だそうです」
「かいつままずに教えろ」
「ええとですね、カヤ嬢は別に、大貴族になりたいわけじゃないんですよ。絵描きとして便利なこともあるから、財産や地位は欲しい。でもでかすぎる権力は、余計な面倒に繋がりかねないし、準男爵家に迷惑をかけるかもしれないって」
マリオンは頭を下げて考え込む。その言い分を信じるとして、宙に浮いた残り九割の財産・領土をどのように動かすべきか。遠縁で意のままになりそうな連中を捜して分割相続させるのもよし、委任統治という形でひとまず預かるという手もあるな。カヤ嬢がこちらの味方になってくれそうな存在に成長したら、改めて引き取ってもらう、という案もある。
「摂政殿下ご自身からの要望もあるんですけど」
ギディングスの言葉に、マリオンは描いていた未来図を一端、心の隅に押しやった。当然、譲歩の裏には要求がくっついてくるものだ。
「要望その一。今後、評議会が決定した重要な事柄について、逐一摂政府へ報告をよこすように。重要かどうかの判断は、評議会で考えていいそうです」
まあ、当然の要求だ。仮の君主ではなく恒常的な国家元首であれば、当然そのように上奏を受けるものだ。しかし甘いな、とマリオンはほくそ笑む。こちらで面倒な話を遮断する余地が残っているではないか。
「要望その二。その一で伝える以外の事柄についても、定期的に報告を行うこと。期限は一ヶ月とする」
と、思ったら、きちんと保険をかけられていた。
「要望その三。現在、国政を掌握している休廷軍事評議会が、その立場を他の委員会等に譲り渡す場合、権限委譲の条件として、当三項目の遵守を譲渡先の機関に同意させること」
「ふふふふふ」
久しぶりに、マリオンは心の底から笑った。
「全く、抜け目のない小僧だ……まあ、そんなふうに育ててしまったのは我々らしいがな。フェルミも私も、殿下の幼児性を危険視していたが、今となってはむしろ反対に見える。大人の駆け引きを身に着けつつある、いやあな子供だ」
「その割には、なんか嬉しそうっすね」
首をかしげる中佐に、マリオンは微笑する。
「似ているかもしれん、と思ったのだよ。私の若い頃も、ああいう、かわいげのないガキだった。同族嫌悪だったかもしれない」
「あー、わかります」
ギディングスが同意した。
「マリオン評議員を若返らせて、顔をましにして、性格をまともにしたら殿下みたいになりますよね」
「……」
「要望その四」
ギディングスは悪びれもせずに報告を続ける。
「マリオン評議員の保有するクッキーを、定期的に摂政府へ送付すること。その際は、ギディングス評議員にも同量を与えるべし」
「おい」
疑念が芽生える。
「貴様、勝手に付け足してないか?」
「あーあ、私もデジレに居たかったですわ」
同日、レンカ城。城内の一室で、イオナは妻とともに窓の雪を眺めていた。
すでにデジレの出来事は国内外に知れ渡っている。共和国ではグロチウスが議長を殺害したという結論について、老将の武勇伝として賞賛する向きと、くだらないつくり話だとして反発する手合いに分かれているようだ。とはいえこの一件だけで停戦が破棄されるような事態には転ばないだろうというのが、衆目の一致するところだった。
「本物の孔雀男が現れるなんて!私だったら、いつの幻が浮かんだのかしら……」
当日、一人レンカ城に戻っていたコレートは、しきりに残念がっていた。
「あのとき私が見ていたのは」
イオナは思い返している。
「君と初めて一緒に出かけた舞台の孔雀男だった」
「まあ」
コレートは笑顔を咲かせる。なにが「まあ」なのかは窺い知れない。
「しかし、これでよかったのか」
「なにがです?」
「君は常々話しているじゃないか。傾いた青杖家を建て直したい、欲を言えば以前よりも隆盛させたいと。今回の騒動が、君の利益に繋がったとはとても思えないのだが」
「そんなことはありませんわ」
妻は首を横に振る。
「摂政殿下と直にお話をして、お人柄や考えを知る機会に恵まれました。滅多にない収穫でしたわ。長いものさしを使えば私たちは同世代ですし、姉君のニコラさんとも旧交を温めました。今後、問題が発生した折には助言を求めて頂けるかもしれません」
「ずいぶん気長なんだな」
イオナは感心する。妻は若い。若さとは、性急さを愛するものと思っていたのだが。
「いいえ、せっかちですわ」
窓際から離れたコレートは、部屋の中央のテーブルにあったツイカをグラスに注いで持ってきた。薦められるまま、イオナはグラスを傾ける。
「もしかしたら、王都が争乱に包まれるかもしれない。殿下も、評議員のみなさんも、このレンカにお移りになったら遷都が実現するかも、なーんて、ちょっぴり期待しておりましたもの。けれども殿下も評議会の皆様も、そこまで甘くはありませんでした。目論見が破れた以上、手に入ったものを大事に使うまでですわ」
「なあ、コレート」
妻に返杯しながら、イオナはおそるおそる訊ねた。
「よもや、してはいないだろうな。革命分子への援助など」
「まさか」
再びコレートは笑った。年若い妻に似つかわしい、あどけない笑顔だった。
「あり得ませんわ。私は国家に忠誠を誓う、青杖家の当主ですもの」
本日は聖誕祭。さほど信仰心に篤いわけではないマリオンは、夜になっても冬宮で執務を続けていた。現在、円卓に腰かけている評議員は、彼一人だけ。もうじき摂政府に使いをさせたギディングスが戻ってくるはずだ。他の評議員は家族と過ごしたり、領地の教会で祈りを捧げたりするため帰宅済み。マリオンも仕事を片づけたらさっさと帰るつもりだ。
「まとまりましたよ」
扉を乱暴に開けて、ギディングスが入ってきた。
この若造を含む臨時の評議員三名は、けっきょく一ヶ月近く経った今でも解任されていない。何かと使い勝手がいいのと同時に、今一つ信用のおけない連中なので、近くに置いた方が安全だろうというマリオンの判断によるものだ。
ギディングスの場合、摂政殿下と割合年が近く、それなりに信用を得ている様子なので、交渉の緩衝材としてこき使ってやるつもりだ。
「赤薔薇家の領地ですけど、カヤ嬢の都合がいいように法律をいじらせてほしい、という話は取り下げてくれました」
「……思ったより、すんなり運んだな」
マリオンは椅子にもたれかかった。貴族法をないがしろにする素振りを見せたことが、フェルミの態度を硬化させ、いばら荘での騒動に繋がったと殿下は解釈したのだろう。こちらの過剰反応だったのは間違いないが、向こうも矛を収めてくれたのは有り難い。
「それと、カヤ嬢が赤薔薇家を相続する件ですけど、本人はやっぱり十分の一でもいいって言ってます」
「ずいぶん譲歩したものだな」
マリオンには意外な申し出だった。法律上、カヤ嬢には赤薔薇家のすべてを相続する権利があるのだが。
「かいつまんでいうと、だるいから、って理由だそうです」
「かいつままずに教えろ」
「ええとですね、カヤ嬢は別に、大貴族になりたいわけじゃないんですよ。絵描きとして便利なこともあるから、財産や地位は欲しい。でもでかすぎる権力は、余計な面倒に繋がりかねないし、準男爵家に迷惑をかけるかもしれないって」
マリオンは頭を下げて考え込む。その言い分を信じるとして、宙に浮いた残り九割の財産・領土をどのように動かすべきか。遠縁で意のままになりそうな連中を捜して分割相続させるのもよし、委任統治という形でひとまず預かるという手もあるな。カヤ嬢がこちらの味方になってくれそうな存在に成長したら、改めて引き取ってもらう、という案もある。
「摂政殿下ご自身からの要望もあるんですけど」
ギディングスの言葉に、マリオンは描いていた未来図を一端、心の隅に押しやった。当然、譲歩の裏には要求がくっついてくるものだ。
「要望その一。今後、評議会が決定した重要な事柄について、逐一摂政府へ報告をよこすように。重要かどうかの判断は、評議会で考えていいそうです」
まあ、当然の要求だ。仮の君主ではなく恒常的な国家元首であれば、当然そのように上奏を受けるものだ。しかし甘いな、とマリオンはほくそ笑む。こちらで面倒な話を遮断する余地が残っているではないか。
「要望その二。その一で伝える以外の事柄についても、定期的に報告を行うこと。期限は一ヶ月とする」
と、思ったら、きちんと保険をかけられていた。
「要望その三。現在、国政を掌握している休廷軍事評議会が、その立場を他の委員会等に譲り渡す場合、権限委譲の条件として、当三項目の遵守を譲渡先の機関に同意させること」
「ふふふふふ」
久しぶりに、マリオンは心の底から笑った。
「全く、抜け目のない小僧だ……まあ、そんなふうに育ててしまったのは我々らしいがな。フェルミも私も、殿下の幼児性を危険視していたが、今となってはむしろ反対に見える。大人の駆け引きを身に着けつつある、いやあな子供だ」
「その割には、なんか嬉しそうっすね」
首をかしげる中佐に、マリオンは微笑する。
「似ているかもしれん、と思ったのだよ。私の若い頃も、ああいう、かわいげのないガキだった。同族嫌悪だったかもしれない」
「あー、わかります」
ギディングスが同意した。
「マリオン評議員を若返らせて、顔をましにして、性格をまともにしたら殿下みたいになりますよね」
「……」
「要望その四」
ギディングスは悪びれもせずに報告を続ける。
「マリオン評議員の保有するクッキーを、定期的に摂政府へ送付すること。その際は、ギディングス評議員にも同量を与えるべし」
「おい」
疑念が芽生える。
「貴様、勝手に付け足してないか?」
「あーあ、私もデジレに居たかったですわ」
同日、レンカ城。城内の一室で、イオナは妻とともに窓の雪を眺めていた。
すでにデジレの出来事は国内外に知れ渡っている。共和国ではグロチウスが議長を殺害したという結論について、老将の武勇伝として賞賛する向きと、くだらないつくり話だとして反発する手合いに分かれているようだ。とはいえこの一件だけで停戦が破棄されるような事態には転ばないだろうというのが、衆目の一致するところだった。
「本物の孔雀男が現れるなんて!私だったら、いつの幻が浮かんだのかしら……」
当日、一人レンカ城に戻っていたコレートは、しきりに残念がっていた。
「あのとき私が見ていたのは」
イオナは思い返している。
「君と初めて一緒に出かけた舞台の孔雀男だった」
「まあ」
コレートは笑顔を咲かせる。なにが「まあ」なのかは窺い知れない。
「しかし、これでよかったのか」
「なにがです?」
「君は常々話しているじゃないか。傾いた青杖家を建て直したい、欲を言えば以前よりも隆盛させたいと。今回の騒動が、君の利益に繋がったとはとても思えないのだが」
「そんなことはありませんわ」
妻は首を横に振る。
「摂政殿下と直にお話をして、お人柄や考えを知る機会に恵まれました。滅多にない収穫でしたわ。長いものさしを使えば私たちは同世代ですし、姉君のニコラさんとも旧交を温めました。今後、問題が発生した折には助言を求めて頂けるかもしれません」
「ずいぶん気長なんだな」
イオナは感心する。妻は若い。若さとは、性急さを愛するものと思っていたのだが。
「いいえ、せっかちですわ」
窓際から離れたコレートは、部屋の中央のテーブルにあったツイカをグラスに注いで持ってきた。薦められるまま、イオナはグラスを傾ける。
「もしかしたら、王都が争乱に包まれるかもしれない。殿下も、評議員のみなさんも、このレンカにお移りになったら遷都が実現するかも、なーんて、ちょっぴり期待しておりましたもの。けれども殿下も評議会の皆様も、そこまで甘くはありませんでした。目論見が破れた以上、手に入ったものを大事に使うまでですわ」
「なあ、コレート」
妻に返杯しながら、イオナはおそるおそる訊ねた。
「よもや、してはいないだろうな。革命分子への援助など」
「まさか」
再びコレートは笑った。年若い妻に似つかわしい、あどけない笑顔だった。
「あり得ませんわ。私は国家に忠誠を誓う、青杖家の当主ですもの」