暗号
文字数 2,582文字
「重ね重ね、申し訳ございませんでした」
ぬいぐるみに包まれたレンカ城の監獄内。
カヤが深々と頭を下げる。
「こちらこそ」
相手より軽い角度で、ニコラも頭を下げる。
「あなたに生きていてほしい、という私たちの身勝手を押しつけてごめんなさい」
本心からの言葉だった。
「堅いなあ、もう」
カヤは笑う。そのフードをかざる絵の具の染みが以前面会に訪れた際より増えていると気付いて、ニコラは嬉しくなった。描いているのだ。周囲を見渡すと、ぬいぐるみの隙間にスケッチされた紙切れも挟まっていた。
「それで、今日は何の用事?手伝ってあげなくていいの。サキを」
背中のライオンにカヤはもたれかかった。
「いばら荘では、前回もあの子は一定の成果を得ています。私が混ざって、調子を狂わせない方がいいでしょう」
ニコラは本心を答えた。
「私は私で、確かめたいことがあるのです」
「何だろう。お手柔らかにね」
「私的な事柄ばかり尋ねるようで、申し訳ないのですが」
左隣から耳が肥大したウサギが倒れてきたので、ニコラは押し退ける。
「犯行現場ですが、壁に肖像絵が飾ってあったのを覚えていますよね。あなたのお母様の絵が」
「うん。ちなみにあれ、お父さんが描いたんだよ」
誇らしげにカヤは言う。この場合のお父さんとは、義理の父親の準男爵だろう。
「わたしたちが最初にあの部屋に入った際、あの額縁の下に、暗号文を記した紙が張り付けてあるのをサキが見つけたのです」
「そうなんだ」
意外そうに目を開くカヤだが、嫌がる風ではない。
「あの暗号文は、解読のための『鍵』となる配列表がなければ読みとれない類のものと聞いています。議長が万が一に備えて遺言の類を記していた場合、誰かに配列表を見せていなければなりません」
「うんうん」
「その誰かとは、カヤ、あなたでは?肖像画の下の暗号を、すでに解読しているのではないですか」
「そだよ」
拍子抜けするくらい、あっさりとカヤは認めた。
「……ずいぶん、素直なんですね」
「どして?」
「今まで教えてくれなかったのですから、口外をためらう内容だったのではないかと」
「あー、ちがう、そういうのじゃないんだ」
カヤはからからと笑った。
「期待を外して申し訳ないけど、あれ、機密情報とか犯人の名前とか、そういうものじゃないの。ただの、グリムさんから私への私信。ちょっと気恥ずかしい内容だったから、言い出せなかっただけなんだ」
「さしつかえなければ、内容を教えてもらえませんか」
「いーよ。『カヤ、これまで済まなかった。私の存在は、君や君の母上にとって重圧以外の何者でもなかったかもしれない。どうか幸せな生涯を送ってくれ』これだけ」
カヤの瞳がわずかに潤む。
「まーったく、わかってたんなら改めろよ、って感じだよねえ。男ってやつはこう、取り繕うって言うか、手遅れになりがちって言うか」
「いい言葉だと思います」
端的に感想を述べた後、ニコラはカヤが動揺を鎮めるのを待った。
「質問。ニコラは、あの暗号の相手がどうしてわたしだって見抜いたの?」
瞳を落ち着かせたカヤは、殊更明るい声で質問を投げてくる。
「あの暗号があなたに向いている形式だからです。解読には鍵となる配列表が必要。けれども殺人が起こった場所に残っていた暗号等というものは、証拠品として評議会なり裁判所なりに押収されてしまうでしょう?誰かに配列表を渡していても、その人物が配列表と暗号を照らし合わせる機会がありません。けれどもカヤのように、一度目にしたものを忘れない才能の持ち主であれば、わざわざ配列表を持ってくる必要はありませんから」
「なるほどね。配列表は、戦争に行く前の日にグリムさんから手紙で届いたんだ。家に残してあるから、後でもらいに行ってよ」
カヤの発言だけではなく、現物を見て内容に嘘がないと確認して欲しいという配慮だろう。ニコラは謝意を伝えた。
「つまり議長の身になにかあったときは、お母様の絵の下にある遺言を見るようにとの指示があったというわけですね」
「あー、そこまで丁寧じゃなかったよ?配列表と、説明が届いただけ」
ニコラは髪をさわった。
「では、どうやって、あの絵の下に暗号文があるとわかったのですか?」
「わかったというか。最初から見えてたの。わたしが入ってきたとき、お母さんの絵は少しずらした位置に飾ってあったから」
「でも、わたしたちがあの部屋に来たとき、暗号は肖像画に隠れていました」
「ああ、それは私が動かした」
ばつが悪そうに、カヤは言う。
「なんか、お父さんの身体と、優しい言葉が同じ視界にあるのがしんどかったっていうか。ややこしいことしてごめん」
ニコラの思考の中に、鋭い光が走った。
「本当にごめんね。変に隠したから期待もたせちゃったよね。全然犯人とは関係ない内容なのに」
「……関係ないわけではありません。関係ないことが、関係しているのです」
「なにそれ、詭弁」
光は一瞬で消えた。
「ねえ、見つかるのかなあ。お父さんを殺した相手」
遠くをみるような眼で、カヤが訊く。
「憎いですか。やはり」
「憎いとかはない。本当に」
カヤは目尻を触る。
「サキの言うとおり、決闘で死んだのだったらお父さんも承知の上だろうしね。純粋な決闘だったとも思わないけど。何か思惑があって、それに失敗したんでしょう。仕方ないよ、そういう世界に生きていた人だったならね。そもそも軍人なんだし」
冷酷とも受け取れる発言だが、声が微かに震えて聞こえた。
「でもね。恩義があるのも確かなんだ。私の中で、区切りというか、けじめが欲しい」
俯くカヤを眺めながら、ニコラは先ほど訪れた光の意味を考えていた。
議長が殺害されてから三週間以上が経過している。これまでニコラは、議長と決闘を行った人物が誰かという点について、あまり注意を向けては来なかった。犯人の人物像を浮かび上がらせることは可能だとしても、その範囲を特定の個人にまで絞り込むまでは難しいだろうと推測していたからだ。弟も、おそらく同じ発想で動いているのだろう。
だがこのとき、この瞬間。
天啓のように閃きが舞い降りたのだ。
その光は、ニコラの中である個人の姿を形作りつつあった。
ぬいぐるみに包まれたレンカ城の監獄内。
カヤが深々と頭を下げる。
「こちらこそ」
相手より軽い角度で、ニコラも頭を下げる。
「あなたに生きていてほしい、という私たちの身勝手を押しつけてごめんなさい」
本心からの言葉だった。
「堅いなあ、もう」
カヤは笑う。そのフードをかざる絵の具の染みが以前面会に訪れた際より増えていると気付いて、ニコラは嬉しくなった。描いているのだ。周囲を見渡すと、ぬいぐるみの隙間にスケッチされた紙切れも挟まっていた。
「それで、今日は何の用事?手伝ってあげなくていいの。サキを」
背中のライオンにカヤはもたれかかった。
「いばら荘では、前回もあの子は一定の成果を得ています。私が混ざって、調子を狂わせない方がいいでしょう」
ニコラは本心を答えた。
「私は私で、確かめたいことがあるのです」
「何だろう。お手柔らかにね」
「私的な事柄ばかり尋ねるようで、申し訳ないのですが」
左隣から耳が肥大したウサギが倒れてきたので、ニコラは押し退ける。
「犯行現場ですが、壁に肖像絵が飾ってあったのを覚えていますよね。あなたのお母様の絵が」
「うん。ちなみにあれ、お父さんが描いたんだよ」
誇らしげにカヤは言う。この場合のお父さんとは、義理の父親の準男爵だろう。
「わたしたちが最初にあの部屋に入った際、あの額縁の下に、暗号文を記した紙が張り付けてあるのをサキが見つけたのです」
「そうなんだ」
意外そうに目を開くカヤだが、嫌がる風ではない。
「あの暗号文は、解読のための『鍵』となる配列表がなければ読みとれない類のものと聞いています。議長が万が一に備えて遺言の類を記していた場合、誰かに配列表を見せていなければなりません」
「うんうん」
「その誰かとは、カヤ、あなたでは?肖像画の下の暗号を、すでに解読しているのではないですか」
「そだよ」
拍子抜けするくらい、あっさりとカヤは認めた。
「……ずいぶん、素直なんですね」
「どして?」
「今まで教えてくれなかったのですから、口外をためらう内容だったのではないかと」
「あー、ちがう、そういうのじゃないんだ」
カヤはからからと笑った。
「期待を外して申し訳ないけど、あれ、機密情報とか犯人の名前とか、そういうものじゃないの。ただの、グリムさんから私への私信。ちょっと気恥ずかしい内容だったから、言い出せなかっただけなんだ」
「さしつかえなければ、内容を教えてもらえませんか」
「いーよ。『カヤ、これまで済まなかった。私の存在は、君や君の母上にとって重圧以外の何者でもなかったかもしれない。どうか幸せな生涯を送ってくれ』これだけ」
カヤの瞳がわずかに潤む。
「まーったく、わかってたんなら改めろよ、って感じだよねえ。男ってやつはこう、取り繕うって言うか、手遅れになりがちって言うか」
「いい言葉だと思います」
端的に感想を述べた後、ニコラはカヤが動揺を鎮めるのを待った。
「質問。ニコラは、あの暗号の相手がどうしてわたしだって見抜いたの?」
瞳を落ち着かせたカヤは、殊更明るい声で質問を投げてくる。
「あの暗号があなたに向いている形式だからです。解読には鍵となる配列表が必要。けれども殺人が起こった場所に残っていた暗号等というものは、証拠品として評議会なり裁判所なりに押収されてしまうでしょう?誰かに配列表を渡していても、その人物が配列表と暗号を照らし合わせる機会がありません。けれどもカヤのように、一度目にしたものを忘れない才能の持ち主であれば、わざわざ配列表を持ってくる必要はありませんから」
「なるほどね。配列表は、戦争に行く前の日にグリムさんから手紙で届いたんだ。家に残してあるから、後でもらいに行ってよ」
カヤの発言だけではなく、現物を見て内容に嘘がないと確認して欲しいという配慮だろう。ニコラは謝意を伝えた。
「つまり議長の身になにかあったときは、お母様の絵の下にある遺言を見るようにとの指示があったというわけですね」
「あー、そこまで丁寧じゃなかったよ?配列表と、説明が届いただけ」
ニコラは髪をさわった。
「では、どうやって、あの絵の下に暗号文があるとわかったのですか?」
「わかったというか。最初から見えてたの。わたしが入ってきたとき、お母さんの絵は少しずらした位置に飾ってあったから」
「でも、わたしたちがあの部屋に来たとき、暗号は肖像画に隠れていました」
「ああ、それは私が動かした」
ばつが悪そうに、カヤは言う。
「なんか、お父さんの身体と、優しい言葉が同じ視界にあるのがしんどかったっていうか。ややこしいことしてごめん」
ニコラの思考の中に、鋭い光が走った。
「本当にごめんね。変に隠したから期待もたせちゃったよね。全然犯人とは関係ない内容なのに」
「……関係ないわけではありません。関係ないことが、関係しているのです」
「なにそれ、詭弁」
光は一瞬で消えた。
「ねえ、見つかるのかなあ。お父さんを殺した相手」
遠くをみるような眼で、カヤが訊く。
「憎いですか。やはり」
「憎いとかはない。本当に」
カヤは目尻を触る。
「サキの言うとおり、決闘で死んだのだったらお父さんも承知の上だろうしね。純粋な決闘だったとも思わないけど。何か思惑があって、それに失敗したんでしょう。仕方ないよ、そういう世界に生きていた人だったならね。そもそも軍人なんだし」
冷酷とも受け取れる発言だが、声が微かに震えて聞こえた。
「でもね。恩義があるのも確かなんだ。私の中で、区切りというか、けじめが欲しい」
俯くカヤを眺めながら、ニコラは先ほど訪れた光の意味を考えていた。
議長が殺害されてから三週間以上が経過している。これまでニコラは、議長と決闘を行った人物が誰かという点について、あまり注意を向けては来なかった。犯人の人物像を浮かび上がらせることは可能だとしても、その範囲を特定の個人にまで絞り込むまでは難しいだろうと推測していたからだ。弟も、おそらく同じ発想で動いているのだろう。
だがこのとき、この瞬間。
天啓のように閃きが舞い降りたのだ。
その光は、ニコラの中である個人の姿を形作りつつあった。