「王国」の魔法
文字数 1,354文字
その国には名前がない。
「ラント」という呼び名があてがわれてはいるものの、これはドイツ語で「王国」を意味するもので、建国時に妙案が浮かばなかったことによる仮付けにすぎない。仮名のまま何百年も通している事実が示すように、あまり情熱的な経緯で成立した国家ではなかった。
地理的には、「ヨーロッパの角」と呼ばれる継水半島の上部三分の一を占める位置にある。六世紀頃まで、この地は氷に覆われた不毛の世界だったが、にわかに活発化した火山の地熱によって移住に適した気候に変化した。たちまち押し寄せたのが、様々な事情で故国を追われた亡命貴族、宗教家、遊牧民たちだった。
出自ごとに小規模なコミュニティーを作り上げ、細々と暮らしていた彼らだったが、十三世紀、欧州を席巻したモンゴル帝国の侵攻に対して、団結を余儀なくされる。主義主張・信教の違いは棚に上げたまま、命と財産を守るために急ごしらえで「国」を準備したのだ。意志疎通のため共通語をつくり、税制を敷き兵士を集め、最後に統治者として国王を立てた。
幸いにも半島へのモンゴル侵攻は小規模なものに終わった。
国王と取り巻きたちは、半分喜び、半分戸惑った。統一国家の存在意義が怪しくなったからだ。外敵が去った今、寄り合い所帯など些細なきっかけで解けてしまうかもしれない。繋ぎ留める魔法が必要だ。きらびやかな茶番が必要だ。
思案の末に創り出されたのが、国王の遠い先祖ーーーということになっているーー異国の王子とその従者を主役に据えた物語だった。
平易な筋書きに派手な装飾をまぶした初心者向けの演劇。全国の芝居座にたっぷりの支援金を与え、これを無料同然の見物料で上演させたのだ。娯楽に乏しい時代のこと、瞬く間に庶民は夢中になり、各地の劇場は満席となった。
道ばたで拾う硬貨一枚で足りるほど破格の見物料だったから、年端もいかない子供たちさえ観劇に訪れた。物語は、幼い観客に価値観を染み込ませる。多民族共生の素晴らしさ、それらを束ねる王家の尊さ……、ときにさりげなく、ときにあからさまな賞賛が、俳優の口を通して成長期の脳内を浸してゆく。
やがて子供たちは創立間もない王家に対して敬意を覚え、異なるコミュニティーに属する子供に対しても、「同じ劇を観て育った仲間」として親近感を抱いた。彼らが大人になり、社会の主力となったとき、宗派や民族の違いを理由に国家の解体を主張する発想は縁遠いものとなっていた。
数世紀が過ぎた。その間、国内で民族や宗教に関連した争いが皆無だったわけではなかったが、国を割るほどの大乱には発展しなかった。おかげで王国は健やかに成長を続け、周辺国家に対して経済的、軍事的な優位を得た。
王子と怪人は、生前の偉業よりもより多くの功徳を子孫に施したといえるだろう。
じつのところ、王子も孔雀男も実像がどのようなものだったかは、あやふやだ。そもそも孔雀とくっついた人間などあり得ないし、心の清らかな王族などは、さらにいるはずのない珍獣だ。しかしカビ臭い古文書が示す史実よりも、劇場で繰り返し吹き込まれる伝説を民衆は信じた。信じることを選んだのだ。
こうして演劇「決闘の王子」は国民の血肉となり、後世まで受け継がれているのだった。
「ラント」という呼び名があてがわれてはいるものの、これはドイツ語で「王国」を意味するもので、建国時に妙案が浮かばなかったことによる仮付けにすぎない。仮名のまま何百年も通している事実が示すように、あまり情熱的な経緯で成立した国家ではなかった。
地理的には、「ヨーロッパの角」と呼ばれる継水半島の上部三分の一を占める位置にある。六世紀頃まで、この地は氷に覆われた不毛の世界だったが、にわかに活発化した火山の地熱によって移住に適した気候に変化した。たちまち押し寄せたのが、様々な事情で故国を追われた亡命貴族、宗教家、遊牧民たちだった。
出自ごとに小規模なコミュニティーを作り上げ、細々と暮らしていた彼らだったが、十三世紀、欧州を席巻したモンゴル帝国の侵攻に対して、団結を余儀なくされる。主義主張・信教の違いは棚に上げたまま、命と財産を守るために急ごしらえで「国」を準備したのだ。意志疎通のため共通語をつくり、税制を敷き兵士を集め、最後に統治者として国王を立てた。
幸いにも半島へのモンゴル侵攻は小規模なものに終わった。
国王と取り巻きたちは、半分喜び、半分戸惑った。統一国家の存在意義が怪しくなったからだ。外敵が去った今、寄り合い所帯など些細なきっかけで解けてしまうかもしれない。繋ぎ留める魔法が必要だ。きらびやかな茶番が必要だ。
思案の末に創り出されたのが、国王の遠い先祖ーーーということになっているーー異国の王子とその従者を主役に据えた物語だった。
平易な筋書きに派手な装飾をまぶした初心者向けの演劇。全国の芝居座にたっぷりの支援金を与え、これを無料同然の見物料で上演させたのだ。娯楽に乏しい時代のこと、瞬く間に庶民は夢中になり、各地の劇場は満席となった。
道ばたで拾う硬貨一枚で足りるほど破格の見物料だったから、年端もいかない子供たちさえ観劇に訪れた。物語は、幼い観客に価値観を染み込ませる。多民族共生の素晴らしさ、それらを束ねる王家の尊さ……、ときにさりげなく、ときにあからさまな賞賛が、俳優の口を通して成長期の脳内を浸してゆく。
やがて子供たちは創立間もない王家に対して敬意を覚え、異なるコミュニティーに属する子供に対しても、「同じ劇を観て育った仲間」として親近感を抱いた。彼らが大人になり、社会の主力となったとき、宗派や民族の違いを理由に国家の解体を主張する発想は縁遠いものとなっていた。
数世紀が過ぎた。その間、国内で民族や宗教に関連した争いが皆無だったわけではなかったが、国を割るほどの大乱には発展しなかった。おかげで王国は健やかに成長を続け、周辺国家に対して経済的、軍事的な優位を得た。
王子と怪人は、生前の偉業よりもより多くの功徳を子孫に施したといえるだろう。
じつのところ、王子も孔雀男も実像がどのようなものだったかは、あやふやだ。そもそも孔雀とくっついた人間などあり得ないし、心の清らかな王族などは、さらにいるはずのない珍獣だ。しかしカビ臭い古文書が示す史実よりも、劇場で繰り返し吹き込まれる伝説を民衆は信じた。信じることを選んだのだ。
こうして演劇「決闘の王子」は国民の血肉となり、後世まで受け継がれているのだった。