いばら荘にて
文字数 1,724文字
夕暮れがデジレの薔薇を溶かす頃、街道はいばら荘を目指す見物人の馬車でごった返していた。富裕層の個人用馬車、庶民の乗り合い馬車、貧困層でも利用できる二階建て馬車等、王都の御者すべてが出払っているのではと思われるほどの盛況ぶりだった。
日常的に街道を使用している花売りや運送屋はぶつくさと不平をこぼしていたが、渋滞の理由を聞くと、手のひらをかえして渋滞に加わるお調子者もいる。
彼ら・彼女らのお目当ては当然、摂政殿下と議長殺害犯の決闘だ。
もちろん、決闘が摂政殿下と裏切り者の二人きりで執り行われるという話は誰もが承知している。それでも人々は期待していた。勝利した摂政殿下が、犯人の躯を抱えて現れる瞬間を誰よりも早く拝めないものかと。不謹慎なことに、評議会の面々を対象にして犯人当ての賭博まで開催されていた。(ちなみに十七時時点で本命はマリオン、大穴はゼマンコヴァ)
いばら荘に近い位置にある広場には大小の屋台が建ち並び、「デジレ決闘パン」だの「いばら荘死体ケーキ」だの怪しげな特産品が店先を飾っている。
カザルスが嗤った通り、この「サーカス」は老若男女にとびきりの娯楽を提供したようだ。
いばら荘の最上階。窓から喧噪を見下ろした後で、サキは懐中時計に眼をやった。現在、十七時十分。
まさかもう一度、この城を訪れる羽目になるとは予想していなかった。主であるグリムを失い、仕切役のバンドも世を去ったいばら荘は、心なしか前より精細を欠いて見える。
サキは携帯してきた双眼鏡で眼下を見渡した。新聞戦車も広場に停まっている。決闘が終わったら、その場で号外を刷りまくる手はずなのだろう。
(まあ、しないんだけどね、決闘なんて)
サキはソファーに飛び込んだ。
いばら荘周辺は、評議会に頼んで兵士を配備させ、件の隠し通路を除いては場内に出入りできないよう封鎖している。隠し通路の入り口付近も複数の天幕で覆い隠し、通路を使用する人物が人目に付かないよう、配慮させている。このように依頼しているのは、決闘を行うつもりがないことを評議会の面々にも伝えていないからだ。あの中に犯人が混ざっている可能性が高い以上、犯人が判明していると教えるわけにはいかない。
サキ自身は、決闘をすることになるとは微塵も考えていない。
ニコラは日没まで時間を稼いでくれと言った。暴徒達に告げた決闘開始は七時。それまでに間違いなく日は沈む。
生まれてこの方、サキは姉に約束を破られた覚えがない。犯人の正体についてなにも聞かされていないサキだったが、姉に対しては絶大な信頼を抱いている。犯人がここへやってくる前に、姉が犯人を告発してくれるはずだ。自分はこれ以上、何もしなくていい。
今度こそ、本当におしまいだ。面倒も、危険も、すべて切り抜けた。
退屈だな、とサキは周囲を見回す。本でも持ってくればよかった。この最上階にあった書物は犯人が燃やしてしまったので暇つぶしができない。ソファーを離れ、適当に部屋を歩く。次第に気分が高揚してきた。昼間の光景を思い出す。
人間の群を、権威で操った。
戦場で二回、デジレで一回、冬宮前で一回。状況に強いられた行為だったから、これまでは手応えを測る余裕がなかった。慣れてきたせいか、ようやく気付く。これ、結構面白い。
こんなことを人に知られたら鬼畜よばわりされるかも知れないけれど、今は無人の最上階だ。大声を出してしまおう。
「超楽しい。大勢の人間を玩具みたいに動かすのって!」
支配者の悦楽が、ようやく身についてきたのかもしれない。今後は、より大勢を、なるべく危険の少ない状況で遊び道具にしたいものだ。今回の騒動は、その練習と考えればいいだろう。
そう考えると、この二ヶ月近く、難儀した経験も無駄ではなかったと思われる。
色々苦労もあったけど、最後には大体サキの思い通りで終わったのだから。
(つまり、この僕が望めば、全て叶う……!)
それは自惚れ過ぎかもしれないが、戦場に出る前に比べると、前向きな気持ちになれた点は間違いない。
サキは満ち足りた気分だった。
……階下に響く、足音を聴くまでは。