外道どもの宴
文字数 4,203文字
「まさか相打ちとはな。笑えねえ」
混沌の戦場。王国軍の縦列最後尾に位置する司令部で、即席の布陣図を見据え、カザルスは毒付いた。
あわただしく伝令が飛び交い、呼吸一つの間に中隊の位置を示すピンが地形図から抜き取られ、あるいは差し込まれる。互いに敵の先頭をかわし、腹部の分断を狙った両軍の試みは、半分成功、半分失敗に終わった。双方が分断されたのだ。
半分にされた二匹の蛇はのたうち回り、これ以上の痛打を放つことが難しい。情報と命令という血流が途切れたせいだ。
「グロチウスもあちらの後列にいるだろうな」カザルスは親指をかじる。焦りを封じようとするとき出てしまう、子供の癖だった。「光栄なことに、俺とグロチウスは前線への手綱のかけ方が似ているらしい。それはつまり、負けそうだってことだ」
「援軍が頑張っているのにですか」
遠眼鏡片手にギディングスが疑問を挟む。半時間前に到着したアーカベルグの選抜民兵たちは、直ちに敵の脇腹へ襲いかかった。無秩序に乱れはじめている戦場に、統制を保った援軍が投入されることの効果は絶大なもので、本来なら直ちに勝敗が決してもおかしくはなかったのだが。
「化け物だなあ。グロチウス」
カザルスは嘆息した。
崩壊しない。革命軍の、グロチウスの蛇は、この横撃に耐えている。すさまじいのはグロチウスの用兵の才だった。中隊や大隊の組み方、浮き足立った部隊を静める配置など、窺い知れる布陣を眺める限り、グロチウスとカザルスの発想は似通っている。だからこそ、格の違いが明瞭なのだ。自身のそれを一流と自認しているカザルスだが、悔しいことに、グロチウスは超一流だ。
焦慮が、カザルスの背中を走る。もうすぐ落ちる。夜の帳が落ちる。不明瞭な視界の中、乱戦にもつれこめば、散兵に慣れている革命軍に軍配が上がるだろう。
「あの老将を、俺はまだまだ低く見積もりすぎていたようだ。グロチウスの知謀を、神のごときものと仮定する」
再度かじりかけた親指を、口の手前で止め、カザルスは自問する。
「摂政殿下は、案外使える飾りだった。報告が来ている。アーカベルグにおけるこちらの死傷者数は、予想を下回るものだったな」
「想定より二割減ですね。正直、驚いています」
布陣図に混ざった報告書を眺め、副官も同意した。黒繭家の少年に、カザルスは本気で感謝していた。殿下は十二分に役立ってくれた。勝てたら、おもちゃでも贈って差し上げよう。いやがらせのつもりだが。
「殿下の効用はグロチウスも理解している。そしてこの戦場で俺たちとぶつかった後、殿下が追撃にやって来ることも想定していたはずだ。だとしたら、ずらりと並べた縦列の中でも、追撃に身をさらす方の横腹を硬くするだろう?」
「つまり、反対側は脆いと?」
「グロチウスが天才でも、優秀な兵士は限りがあるからな」
カザルスは布陣図から、わずかに残しておいた予備部隊を吟味する。
「帰ってくる途中に、国境の近くで合流させた選抜民兵が残っていたな」
部隊番号を頭の中で掬い上げる。試験段階の選抜民兵制度は、国境や各地の要衝で仮運用を開始しているため、この局面で足しにすることが出来たのだ。
「ひとつまみでいい。殿下の向かい側から、精鋭をぶつけてやろう。第二十五中隊と、第三十一中隊を前線へ回せ」
カザルスが暗唱した部隊番号に、副官は露骨に眉をしかめた。
「どっちも精鋭なんかじゃありません。ゴミですよ」
「知ってる」
カザルスも否定はしない。そもそも余裕のない戦いをしている以上、選りすぐりは真っ先に敵の矢面に立たせるのが当然で、予備の精鋭など存在しないのだ。
「訓練の成績は散々だったな。この際、士気が高ければ練度には目をつむる」
「士気もだめですよ。ゴミ共に愛国心なんて望めません」
「それも知っている。だから俺がじきじきにはっぱをかける」
宣言して、カザルスは早足で歩きだした。半信半疑の面で、副官も付いてくる。
「勝つための魔法だ。特製のインチキを注ぎ込んでやる」
前線に顔をみせた指揮官を、兵士たちは無感動な眼差しで迎えた。祖国の危機だというのに、いい感じにクズ共だ、とカザルスは嬉しくなる。
郷土から有能な若者を選り選る選抜民兵、といえば聞こえはいいが、コネだの収賄だのが存在する限り、非の打ち所がない好青年は推薦を免れ、打ち所ばかりのゴロツキが放り込まれる例も多い。結果、頑丈さだけは規定にかなうような、犯罪者の一歩手前共が軍勢の何割かを占めることになる。
今回、カザルスがつまみ上げる一団は、とくにその色が強い連中だ。
「いくらなんでも、極端に分けすぎたのでは?」
ギディングスが小声で咎めた。たしかに悪い部分と良い部分は、混ぜ合わせるのが常識的な編成だ。
「いい子ちゃんたちは殿下に合流させるからな。まともな連中なら、さなぎ前の十四歳が頑張るのを見て奮い立つだろう。相性ってやつがある。俺が振り降ろすには、ねじれた連中の方が使いやすい」
風を嗅ぎ、カザルスの気分は一段持ち上がる。官能的な血の香りだ。
目つきの悪い兵士の中でも、とくにドブ溜まりのような眼の色をした一人を見繕い、話しかける。
「お前、革命軍を知ってるか?」
はあ?と兵士は気の抜けた声を返す。気むずかしい指揮官ならその態度だけで懲罰ものだが、カザルスは気にも留めない。
「革命の兵士たちはな、俺たちとは別物だって話だ。なにが違う?戦う理由が違う。奴らは理想のために銃を取る。フランスみたいに国王をちょんぎって、貴族も奴隷もない幸せな世界をつくりあげようって考えてる。見上げた意気じゃないか」
崇拝するような声色を乗せたため、兵士たちは怪訝な顔をしていた。カザルスは敵陣を指さした。歩兵師団と思われる一群の先頭に、藍色の旗。
「……見えるか?あの旗には、天使が描いてあるらしい。自由・平等・博愛を司る天使様だ。その姿を見るとな、恐怖も迷いも真っ白に消えて、戦う勇気が無限に湧き出てくるそうだ。今から俺たちが殺しあうのは、そういう天使様の兵隊なんだよ」
兵士の表情は硬い。
この欧州で、上と下をひっくり返した爆発力のすさまじさは、僻地のごろつきにも届いているのだろう。
「革命の天使ーーー」
カザルスは彫像のような無表情をつくり、
「くっだらねえよなぁーーーっ!」
一瞬の後に、破顔した。
それは世の中まるごとを侮蔑するような悪魔の笑顔。
「正義の天使?そいつが何してくれるっていうんだ?いくさに勝ったら一発ヤラせてくれるとでも?んなわけねえよなあ、だったら場末のアバズレ年増の似顔絵でも飾っといたほうがましってもんだろが!」
「要は革命軍なんざ、そんながらくたにかしずくバカぞろいってことさ。恐れるな。お前等はえりすぐりのろくでなし共だ。万民の自由?んなもん求めんな。ツバ吐け。鼻水垂れてやれ」
「いいか、勝ち残るものには『みんなの自由』なんて必要ない。『俺たちだけ自由』!求めるのはそれだけだ。手柄を立てろ。英雄気取りで凱旋だ。金・権力・女、好きなだけ手に入れろ!それこそが本当の自由、いやらしくドス黒くかがやく戦士の自由ってものだろうが!」
馬群のいななきに、上等なけもののうなり声が混じりはじめた。まともな生き方から外れ、のし上がるにはそれしか残されていない狼たち。粘り気を帯びた彼らの視線に、カザルスは口笛を鳴らす。
「行ってこいウジ虫ども。革命軍の、砂糖菓子みたいな甘っちょろい夢を」
そして、吠えた。
「食い散らし、ねぶり倒して、よだれカスに変えてやれっ」
ーー地面が煮立っていた。敵のはらわたも、はじけた肉の飛沫も。そして何より俺たちの脳味噌が煮立っていた。どいつもこいつも狂っていたよ。最高だった。アレより気持ちよかった。
この突撃に参加した兵士の中で、命と正気を失わずに帰ってこられた幸運な一人は、従軍記者にそのように語った。
すべて、カザルスに吹き込まれたインチキが原因だ。ごろつきたちは、これまで否定されて生きてきた。幼い時分は不良と呼ばれ、長じてはろくでなしと罵られ、反発しながらも、枠にはまった暮らしができない自分たちをどこかで蔑んでいた。
無欲に、従順に生きられない性を、できそこないの証とあきらめていた。
ところが、あの胡散臭い将軍は言ったのだ。欲望を抱くことは間違いではないと。踏みつけ、奪う行為も許される場合があると請け負ったのだ。顔立ちから仕草まで信用できない要素の塊のような将軍なのに、なぜかその言葉だけには真実、酔わせる響きが混ざっていた。
お前たちは、ろくでなしかもしれない。ごろつきかもしれない。
しかし、無駄ではない。屑であっても、無意味とは違うのだ。
そんなふうに認められた気がして、「蛆虫」どもは、狂ったように戦場を駆けた。
結果、彼らの半数以上が命を落とすことになる。
反対側を攻めていたサキの軍勢も士気は旺盛だったが、煽ったサキ自身が前線に出たため、無謀な突撃には走らなかった。一方、カザルスはたきつけるだけたきつけた後、後方に戻ってあぐらをかいていたため、たがの外れた「蛆虫」どもは狂乱を持続させたまま戦い続けたのだ。
カザルスは、前線を見通すことのできる丘陵地に移動している。配下の狂乱ぶりに手を叩いて笑っていた。
「兵隊ども、良い感じに煮立ってきたな」
「煮立って来た?」
興味のない娯楽について尋ねるような声でギディングスが訊いた。
「兵士は三種類だ。一つ目は、命を惜しむお利口共。これは使えない。無駄に生きるからな。二つ目は、死をも恐れないバカ共。これはまずまず有用だが、最高じゃあない。無駄に死んじまうからな。戦場で申し分なく殺し回ってくれるのは」
カザルスは遠眼鏡を覗き、笑う。
「何が起こっても自分だけは死なないと勘違いしてる大バカ共だ。この瞬間、あいつらはそうなってる。いい小石に変わってくれた」
「小石?」
「天秤だよ。俺とグロチウスの勝敗を示すはかりだよ。今釣りあっているその上に、小石を投げ入れたら傾くかもしれない。動かないかもしれない」
「酷い賭博師だ」
ギディングスは目を細める。
「やっぱり俺、帰っていいですか?」
混沌の戦場。王国軍の縦列最後尾に位置する司令部で、即席の布陣図を見据え、カザルスは毒付いた。
あわただしく伝令が飛び交い、呼吸一つの間に中隊の位置を示すピンが地形図から抜き取られ、あるいは差し込まれる。互いに敵の先頭をかわし、腹部の分断を狙った両軍の試みは、半分成功、半分失敗に終わった。双方が分断されたのだ。
半分にされた二匹の蛇はのたうち回り、これ以上の痛打を放つことが難しい。情報と命令という血流が途切れたせいだ。
「グロチウスもあちらの後列にいるだろうな」カザルスは親指をかじる。焦りを封じようとするとき出てしまう、子供の癖だった。「光栄なことに、俺とグロチウスは前線への手綱のかけ方が似ているらしい。それはつまり、負けそうだってことだ」
「援軍が頑張っているのにですか」
遠眼鏡片手にギディングスが疑問を挟む。半時間前に到着したアーカベルグの選抜民兵たちは、直ちに敵の脇腹へ襲いかかった。無秩序に乱れはじめている戦場に、統制を保った援軍が投入されることの効果は絶大なもので、本来なら直ちに勝敗が決してもおかしくはなかったのだが。
「化け物だなあ。グロチウス」
カザルスは嘆息した。
崩壊しない。革命軍の、グロチウスの蛇は、この横撃に耐えている。すさまじいのはグロチウスの用兵の才だった。中隊や大隊の組み方、浮き足立った部隊を静める配置など、窺い知れる布陣を眺める限り、グロチウスとカザルスの発想は似通っている。だからこそ、格の違いが明瞭なのだ。自身のそれを一流と自認しているカザルスだが、悔しいことに、グロチウスは超一流だ。
焦慮が、カザルスの背中を走る。もうすぐ落ちる。夜の帳が落ちる。不明瞭な視界の中、乱戦にもつれこめば、散兵に慣れている革命軍に軍配が上がるだろう。
「あの老将を、俺はまだまだ低く見積もりすぎていたようだ。グロチウスの知謀を、神のごときものと仮定する」
再度かじりかけた親指を、口の手前で止め、カザルスは自問する。
「摂政殿下は、案外使える飾りだった。報告が来ている。アーカベルグにおけるこちらの死傷者数は、予想を下回るものだったな」
「想定より二割減ですね。正直、驚いています」
布陣図に混ざった報告書を眺め、副官も同意した。黒繭家の少年に、カザルスは本気で感謝していた。殿下は十二分に役立ってくれた。勝てたら、おもちゃでも贈って差し上げよう。いやがらせのつもりだが。
「殿下の効用はグロチウスも理解している。そしてこの戦場で俺たちとぶつかった後、殿下が追撃にやって来ることも想定していたはずだ。だとしたら、ずらりと並べた縦列の中でも、追撃に身をさらす方の横腹を硬くするだろう?」
「つまり、反対側は脆いと?」
「グロチウスが天才でも、優秀な兵士は限りがあるからな」
カザルスは布陣図から、わずかに残しておいた予備部隊を吟味する。
「帰ってくる途中に、国境の近くで合流させた選抜民兵が残っていたな」
部隊番号を頭の中で掬い上げる。試験段階の選抜民兵制度は、国境や各地の要衝で仮運用を開始しているため、この局面で足しにすることが出来たのだ。
「ひとつまみでいい。殿下の向かい側から、精鋭をぶつけてやろう。第二十五中隊と、第三十一中隊を前線へ回せ」
カザルスが暗唱した部隊番号に、副官は露骨に眉をしかめた。
「どっちも精鋭なんかじゃありません。ゴミですよ」
「知ってる」
カザルスも否定はしない。そもそも余裕のない戦いをしている以上、選りすぐりは真っ先に敵の矢面に立たせるのが当然で、予備の精鋭など存在しないのだ。
「訓練の成績は散々だったな。この際、士気が高ければ練度には目をつむる」
「士気もだめですよ。ゴミ共に愛国心なんて望めません」
「それも知っている。だから俺がじきじきにはっぱをかける」
宣言して、カザルスは早足で歩きだした。半信半疑の面で、副官も付いてくる。
「勝つための魔法だ。特製のインチキを注ぎ込んでやる」
前線に顔をみせた指揮官を、兵士たちは無感動な眼差しで迎えた。祖国の危機だというのに、いい感じにクズ共だ、とカザルスは嬉しくなる。
郷土から有能な若者を選り選る選抜民兵、といえば聞こえはいいが、コネだの収賄だのが存在する限り、非の打ち所がない好青年は推薦を免れ、打ち所ばかりのゴロツキが放り込まれる例も多い。結果、頑丈さだけは規定にかなうような、犯罪者の一歩手前共が軍勢の何割かを占めることになる。
今回、カザルスがつまみ上げる一団は、とくにその色が強い連中だ。
「いくらなんでも、極端に分けすぎたのでは?」
ギディングスが小声で咎めた。たしかに悪い部分と良い部分は、混ぜ合わせるのが常識的な編成だ。
「いい子ちゃんたちは殿下に合流させるからな。まともな連中なら、さなぎ前の十四歳が頑張るのを見て奮い立つだろう。相性ってやつがある。俺が振り降ろすには、ねじれた連中の方が使いやすい」
風を嗅ぎ、カザルスの気分は一段持ち上がる。官能的な血の香りだ。
目つきの悪い兵士の中でも、とくにドブ溜まりのような眼の色をした一人を見繕い、話しかける。
「お前、革命軍を知ってるか?」
はあ?と兵士は気の抜けた声を返す。気むずかしい指揮官ならその態度だけで懲罰ものだが、カザルスは気にも留めない。
「革命の兵士たちはな、俺たちとは別物だって話だ。なにが違う?戦う理由が違う。奴らは理想のために銃を取る。フランスみたいに国王をちょんぎって、貴族も奴隷もない幸せな世界をつくりあげようって考えてる。見上げた意気じゃないか」
崇拝するような声色を乗せたため、兵士たちは怪訝な顔をしていた。カザルスは敵陣を指さした。歩兵師団と思われる一群の先頭に、藍色の旗。
「……見えるか?あの旗には、天使が描いてあるらしい。自由・平等・博愛を司る天使様だ。その姿を見るとな、恐怖も迷いも真っ白に消えて、戦う勇気が無限に湧き出てくるそうだ。今から俺たちが殺しあうのは、そういう天使様の兵隊なんだよ」
兵士の表情は硬い。
この欧州で、上と下をひっくり返した爆発力のすさまじさは、僻地のごろつきにも届いているのだろう。
「革命の天使ーーー」
カザルスは彫像のような無表情をつくり、
「くっだらねえよなぁーーーっ!」
一瞬の後に、破顔した。
それは世の中まるごとを侮蔑するような悪魔の笑顔。
「正義の天使?そいつが何してくれるっていうんだ?いくさに勝ったら一発ヤラせてくれるとでも?んなわけねえよなあ、だったら場末のアバズレ年増の似顔絵でも飾っといたほうがましってもんだろが!」
「要は革命軍なんざ、そんながらくたにかしずくバカぞろいってことさ。恐れるな。お前等はえりすぐりのろくでなし共だ。万民の自由?んなもん求めんな。ツバ吐け。鼻水垂れてやれ」
「いいか、勝ち残るものには『みんなの自由』なんて必要ない。『俺たちだけ自由』!求めるのはそれだけだ。手柄を立てろ。英雄気取りで凱旋だ。金・権力・女、好きなだけ手に入れろ!それこそが本当の自由、いやらしくドス黒くかがやく戦士の自由ってものだろうが!」
馬群のいななきに、上等なけもののうなり声が混じりはじめた。まともな生き方から外れ、のし上がるにはそれしか残されていない狼たち。粘り気を帯びた彼らの視線に、カザルスは口笛を鳴らす。
「行ってこいウジ虫ども。革命軍の、砂糖菓子みたいな甘っちょろい夢を」
そして、吠えた。
「食い散らし、ねぶり倒して、よだれカスに変えてやれっ」
ーー地面が煮立っていた。敵のはらわたも、はじけた肉の飛沫も。そして何より俺たちの脳味噌が煮立っていた。どいつもこいつも狂っていたよ。最高だった。アレより気持ちよかった。
この突撃に参加した兵士の中で、命と正気を失わずに帰ってこられた幸運な一人は、従軍記者にそのように語った。
すべて、カザルスに吹き込まれたインチキが原因だ。ごろつきたちは、これまで否定されて生きてきた。幼い時分は不良と呼ばれ、長じてはろくでなしと罵られ、反発しながらも、枠にはまった暮らしができない自分たちをどこかで蔑んでいた。
無欲に、従順に生きられない性を、できそこないの証とあきらめていた。
ところが、あの胡散臭い将軍は言ったのだ。欲望を抱くことは間違いではないと。踏みつけ、奪う行為も許される場合があると請け負ったのだ。顔立ちから仕草まで信用できない要素の塊のような将軍なのに、なぜかその言葉だけには真実、酔わせる響きが混ざっていた。
お前たちは、ろくでなしかもしれない。ごろつきかもしれない。
しかし、無駄ではない。屑であっても、無意味とは違うのだ。
そんなふうに認められた気がして、「蛆虫」どもは、狂ったように戦場を駆けた。
結果、彼らの半数以上が命を落とすことになる。
反対側を攻めていたサキの軍勢も士気は旺盛だったが、煽ったサキ自身が前線に出たため、無謀な突撃には走らなかった。一方、カザルスはたきつけるだけたきつけた後、後方に戻ってあぐらをかいていたため、たがの外れた「蛆虫」どもは狂乱を持続させたまま戦い続けたのだ。
カザルスは、前線を見通すことのできる丘陵地に移動している。配下の狂乱ぶりに手を叩いて笑っていた。
「兵隊ども、良い感じに煮立ってきたな」
「煮立って来た?」
興味のない娯楽について尋ねるような声でギディングスが訊いた。
「兵士は三種類だ。一つ目は、命を惜しむお利口共。これは使えない。無駄に生きるからな。二つ目は、死をも恐れないバカ共。これはまずまず有用だが、最高じゃあない。無駄に死んじまうからな。戦場で申し分なく殺し回ってくれるのは」
カザルスは遠眼鏡を覗き、笑う。
「何が起こっても自分だけは死なないと勘違いしてる大バカ共だ。この瞬間、あいつらはそうなってる。いい小石に変わってくれた」
「小石?」
「天秤だよ。俺とグロチウスの勝敗を示すはかりだよ。今釣りあっているその上に、小石を投げ入れたら傾くかもしれない。動かないかもしれない」
「酷い賭博師だ」
ギディングスは目を細める。
「やっぱり俺、帰っていいですか?」