道化師の導き
文字数 5,109文字
「兵隊さんの外套、ねえ……」
乱雑に並べられた樽の中から、女主人は紐でくくられた紙束を取り出した。様々な筆跡で、品名や個数等が列記されている。
「こいつはこの市の店主全員からあたしが受け取る決まりになっている商品の目録だ。全部じゃあない。店主の方で、疑いを持った品だけ記録して、あたしに提出することになっている」
紙束を開きながら女主人は意味ありげに笑う。
「うすうす感づいているだろうけど、この市には出所の怪しい品も並んでる。要は、盗品だね。ここに買いに来る奴も売る奴も、盗まれる方が間抜けなんだって了見の持ち主ばかりだけれども、盗まれた側の事情もあるからね。親の形見だの、先祖代々の品を取り戻したいんですって尋ねて来た場合は、この目録でそれらしい品を探してやるんだ」
窃盗の被害者に配慮しているのか。案外親切だ、とサキは思ったが、
「そして少々、色をつけて買い取ってもらうのさ」
そうでもなかった。
「悪いけど、この一ヶ月でそれっぽい品は入ってないねえ」
紙束を閉じ、店主は首を振る。
「今後、もし血痕の付いた軍用の外套が店に並んだら、保管して・・いや、予約しておいてくれないかな」
「手間賃として、これくらいもらえるなら」
店主が示した金額は、外套一枚の取置き代としては法外なものだったが、サキが払えなくはない数字だった。足下を見られているかもしれないが、ここでけちっても仕方ない。了承しておく。
「他に聞きたい話は?」
店主は酒席を見渡した。酔客たちはサキが奢ったツイカを飲み干している最中で、まだ列は復活していない。
サキは少しだけ考えた後で、
「運び屋、みたいな人を知らないかな。絶対見られたくない手紙とかの受け渡しを請け負う人で、貴族からも仕事を受けるような……」
「いるよ」
女主人は指を鳴らす。
「後で行かせるから、湖の側で待っといておくれ」
天幕から距離を置いた湖の畔。サキと御者の前に現れたのは、来る途中で眼にした白面の道化師だった。
「お待たせしました」
目線がおかしい。サキの正面に立っているが、サキを見ていないようだ。足下もふらついている。
「もしかして」
道化の眼を覗き込み、サキは気が付いた。
「はい。全く見えません」
道化師は首をすくめた。
「最初に、お顔を触らせていただいてよろしいでしょうか」
仕事の前に、相手を確かめることにしているのだ、と道化は言う。サキは了承した。盲目で、機密に関わる商いをしているのだから当然の用心だろう。
「白い手が、サキの頬を触れる。白粉の香りが鼻に触りはしたが、指そのものに不快感は覚えなかった。ただ「確かめる」だけの動作だからかもしれない。
「失礼」
道化師の表情が引き締まる。
「おそれながら、摂政殿下でいらっしゃいますか」
「そうです」
相手の口調に教養を感じたので、サキは正直に答えた。
「これは、知らないこととは言えご無礼をいたしました」
「いえ、それより、どうして判ったんです?」
「経験のなせる技にございます」
奇術の種あかしをする際のように、道化は掌を並べて見せた。
「肌に、主にお顔の肌に触れることで、大体は判ります。肌には表面的な荒れ具合と内部の荒れ具合がございまして、前者の荒れが甚だしければ下層階級、きれいなものなら上流階級の人間です。後者の荒れ具合からは、おおまかな加齢の測定が可能です。どれだけ化粧液や美容体操で引き締めたところで、誤魔化せるものではございません」
道化師は両手を合わせ、蝶のように羽ばたかせた。
「お声の具合からも窺い知れましたが、どちらの意味でも肌が荒れていない貴方様は非常にお若く、貴族階級に所属しておられる方と推察可能でした。その上で、額に傷跡を持っておられます」
サキは掌で額を触る。戦場で付けられた傷だ。このごろは余り意識していなかった。
「それなりに深い傷跡のため、戦争か決闘で付けられたものと思われました。貴族の方が負傷する機会はそれくらいしかございません。しかしながら、肌が相当に瑞々しく、どう考えても十代前半のお年頃なのです。そのお年で決闘や戦場に赴かれる例は非常に希であり、あてはまるお方がお一人いらっしゃいますので……」
「すごいですね」
サキは本気で感心していた。
「まるで、一種の超人だ」
「必要に迫られてのことでございまして」
道化師は優雅に一礼した。
「元々わたくしは、曲芸団の演出家兼出演者でございました。もう二十年以上昔になりますが、稽古中に舞台から落下して頭を打ち、光を失ってしまいました。演技も演出も続けられなくなり、生きるために磨きあげた感覚なのでございます」
誇るように両手の指をぴんと伸ばした道化師だったが、すぐさまおどけるように拳をつくった。
「けれども世の中というものは皮肉の織り合わせでございまして、このような身体だからこそ、頂ける仕事もあったのです」
「なるほど」
サキは拳で平手を叩く。
「手紙を託す相手として、これ以上信頼できる人材はいないというわけですね」
「絶対に中身を盗み見られる心配のない配達人。それが私めにございます」
ピエロは片足でくるくると一回転した。暗闇に身を置きながら、大した平衡感覚だ。
「最初にお仕事をいただいたのは、十五年前でございました。王都にご住まいの老婦人から、デジレのご子息の元へ急報を伝えるよう手紙を託されたのでございます。当時の私は現在ほどは周囲の状況を知る術に通じていなかったため、移動は緊張を伴うものでした。しかも、この依頼には恐るべき企てが隠されていたために――――」
それから半刻以上、道化師はこれまでこなして来た仕事について、延々と語り続けた(おそらく、依頼主に迷惑がかからない範囲内で)。サキが傍らの御者を見ると、いらいらと口を動かしている。話を打ち切ってはどうか、と言いたいのだろう。
しかしサキは、道化師の自慢話を本人の気の済むまで聞かせてもらうつもりだった。
数年前から、サキは決闘や黒繭劇場の関係者が催す宴席に顔を出していた(出すよう強制されていた)。時折、やたら長話をする大人に捕まって、閉口した覚えがある。多くの場合、長口舌を振るうのは黒繭家に比べると地位の低い下級貴族か、平民にあたる人々だった。
たいして聞き上手でもない自分を、どうして話相手に選ぶのか―――最近になってサキは、薄々理解し始めている。
王国には、それなりに強固な身分制度が存在する。
貴族と平民の格差は相当なものだ。経済力・権力・発言の権利等、平民は突出した天才でもなければ、努力を重ねても、貴族を凌ぐ位置に立つことは難しい。
しかし平民や下級貴族であっても、名門貴族より優位に立てる瞬間が存在する。「教える」「伝える」行為の最中だ。
誰かに何かを伝える際、その内容が何であれ、そこには情報を持たない者に対して、持っているものが「与える」という一種の上下関係が発生する。
つまり平民であっても下級貴族であっても、何かを教えるとき、限定的に「えらい人」の上位に立つことができるのだ。
だから饒舌になる。身分差を意識している人間ほど、教養に恵まれながら地位や身分に恵まれていない人間ほど、「えらい人」に語りたがるのだ。
結局、道化師の懐旧は四十五分に及んだ。元演出家だけあって、どの挿話も味付けの利いた興味深い話だった。
声帯と体力を使いすぎたのか、ピエロはぜいぜいと息を切らして下を向いていたが、少し経ってこちらを向いた顔は赤く染まっていた。
「これは申し訳ございません。私としたことが無駄話を連ねてしまいました……お仕事ですね、どちらにお届けすればいいのでしょうか」
「新しい仕事ではなく、これまで受けた依頼について教えて欲しいのです」サキはなるべく柔らかい声を心がける。
「この一ヶ月くらいで、赤薔薇家当主の依頼を受けませんでしたか」
職業倫理・保身・良心・・様々な感情がピエロの表情に浮かんだように思われた。
「ご当主が何者かに殺害された件ですね。評議会はご息女を、殿下は決闘の相手を下手人と考えておられるとか」
事件に関して、道化師はゲラクよりも遙かに詳しいようだ。
「確かにご依頼を受けました。この件は、墓場まで持っていくつもりでした。私の証言がどのように事件を転がすか想像もつかないもので、誰かを不幸にしたくはなかったのです」
目を細めて告げる。化粧を拭ったら、実直そうな素顔をしているかもしれない、とサキは想像した。
「しかしながら、わざわざこのような場所にまで来ていただき、ここまで話を聞いてくださった殿下に対しては、誠意でお応えするのが正道であると思われます」
傍らで、御者が口笛を吹いていた。対応は間違っていなかった。
「議長閣下が私を訪ねていらっしゃったのは、亡くなる二日前だったと記憶しております」
風で冷やしたいのか、ピエロは湖に顔を向ける。
「議長が直接ですか」
サキは少し驚いた。あれほど悪目立ちする人間が、直々に出向いていたとは予想外だ。使用人にも託せない依頼だったのだろう。
「ご依頼は、翌日の正午までに、指定された隠し場所まで手紙と品物を届けてもらいたい、という内容でした」
「隠し場所、というのはこの近くですか」
「歩いていける距離にございます。ありふれた草原の中に、秘密の受け渡しに適した倉があるとの説明でした。ご自身で行かれなかったのは、平凡な草原だからこそ、あのように巨体のお方が入っていくのを見られると近所の印象に残ってしまうとのご判断のようでして、私の場合、化粧を落とせばさほど人目にも留まりませんから」
「手紙の内容について、言及はなかったんですね?」
「はい。相手の方にも隠し場所は教えてあるので、手紙と品物を放り込むだけでいい、とのお話でした。依頼はそれだけでございます」
品物、という言葉にサキは興味を牽かれた。
酒場の女主人に聞きたい話はないかと問われた際、サキの脳裏によぎったのは、議長が決闘相手とどのようにして連絡をとっていたかという疑問だった。秘密の決闘は、互いに連絡を取り合っていなければ成り立たないものだが、おそらく決闘の日時は、早い時期から決まっていたわけではない。決定していたなら、その日はカヤが邪魔にならないように、口実を設けて遠ざけておくことも可能だったろう。そうしなかったのは、議長、もしくは犯人の事情で、直前まで日時が変更される可能性があったからだろう。
だから信用のおける連絡係を使っていたのではと考え、これが大当たりだった。問題は、品物とやらの正体だ。
「手紙と一緒に放り込むよう依頼された品物というのは」
期待に胸を高鳴らせながら、サキは訊いた。
「ひょっとすると、衣類ですか」
「そうだったと思われます。麻袋に入った状態で手渡されましたが、運ぶ途中で袋から落としていないか中身を確かめましたところ、襟や袖口がございましたので」
「軍用の外套でしょうか?」
「確実ではございませんが、十中八九はそうかと思います。触った限りでは、襟の部分が全体に比べて大きいものでしたので。あそこまで襟が高い服は、軍用の外套くらいです」
胸の高鳴りが加速する。
「依頼は、それで終わりでしたか。隠し場所へ持って行った後の指示とかは」
「とくにございませんでした。翌日の朝に指定された場所へ向かい、教わった通りに品物と手紙を納めて終わりです」
最後に訊くべき事柄がある。サキは頭の中で、言葉を慎重に並べる。
「先ほどは興味深い話を聞かせてもらいました。あなたがこの仕事に、あるいはこの仕事をこれまでこなして来た自分自身に誇りを持っておられることは理解したつもりです」
虚をつかれたように、ピエロの頬が緩んだ。
「その上でお願いします。隠し場所がどこかを教えてもらえせんか」
ゲラクに対してもそうだったが、サキは報酬をちらつかせて協力を強いるやり方は採りたくない。盲目が理由であっても、おそらくこのピエロは依頼人に信頼できる運び屋と見なされている事実を誇りに思っている。お金より、その部分を撫でてあげた方がいい。
「そこまで礼を尽くしていただいたのなら、お伝えする他にございませんな」道化師は自分を抱くように両腕を交差させた。
「地所で申しますとデジレ三百の四に該当する草原です。倉の場所が少々わかりづらいので、探し方を詳しくお伝えします」
乱雑に並べられた樽の中から、女主人は紐でくくられた紙束を取り出した。様々な筆跡で、品名や個数等が列記されている。
「こいつはこの市の店主全員からあたしが受け取る決まりになっている商品の目録だ。全部じゃあない。店主の方で、疑いを持った品だけ記録して、あたしに提出することになっている」
紙束を開きながら女主人は意味ありげに笑う。
「うすうす感づいているだろうけど、この市には出所の怪しい品も並んでる。要は、盗品だね。ここに買いに来る奴も売る奴も、盗まれる方が間抜けなんだって了見の持ち主ばかりだけれども、盗まれた側の事情もあるからね。親の形見だの、先祖代々の品を取り戻したいんですって尋ねて来た場合は、この目録でそれらしい品を探してやるんだ」
窃盗の被害者に配慮しているのか。案外親切だ、とサキは思ったが、
「そして少々、色をつけて買い取ってもらうのさ」
そうでもなかった。
「悪いけど、この一ヶ月でそれっぽい品は入ってないねえ」
紙束を閉じ、店主は首を振る。
「今後、もし血痕の付いた軍用の外套が店に並んだら、保管して・・いや、予約しておいてくれないかな」
「手間賃として、これくらいもらえるなら」
店主が示した金額は、外套一枚の取置き代としては法外なものだったが、サキが払えなくはない数字だった。足下を見られているかもしれないが、ここでけちっても仕方ない。了承しておく。
「他に聞きたい話は?」
店主は酒席を見渡した。酔客たちはサキが奢ったツイカを飲み干している最中で、まだ列は復活していない。
サキは少しだけ考えた後で、
「運び屋、みたいな人を知らないかな。絶対見られたくない手紙とかの受け渡しを請け負う人で、貴族からも仕事を受けるような……」
「いるよ」
女主人は指を鳴らす。
「後で行かせるから、湖の側で待っといておくれ」
天幕から距離を置いた湖の畔。サキと御者の前に現れたのは、来る途中で眼にした白面の道化師だった。
「お待たせしました」
目線がおかしい。サキの正面に立っているが、サキを見ていないようだ。足下もふらついている。
「もしかして」
道化の眼を覗き込み、サキは気が付いた。
「はい。全く見えません」
道化師は首をすくめた。
「最初に、お顔を触らせていただいてよろしいでしょうか」
仕事の前に、相手を確かめることにしているのだ、と道化は言う。サキは了承した。盲目で、機密に関わる商いをしているのだから当然の用心だろう。
「白い手が、サキの頬を触れる。白粉の香りが鼻に触りはしたが、指そのものに不快感は覚えなかった。ただ「確かめる」だけの動作だからかもしれない。
「失礼」
道化師の表情が引き締まる。
「おそれながら、摂政殿下でいらっしゃいますか」
「そうです」
相手の口調に教養を感じたので、サキは正直に答えた。
「これは、知らないこととは言えご無礼をいたしました」
「いえ、それより、どうして判ったんです?」
「経験のなせる技にございます」
奇術の種あかしをする際のように、道化は掌を並べて見せた。
「肌に、主にお顔の肌に触れることで、大体は判ります。肌には表面的な荒れ具合と内部の荒れ具合がございまして、前者の荒れが甚だしければ下層階級、きれいなものなら上流階級の人間です。後者の荒れ具合からは、おおまかな加齢の測定が可能です。どれだけ化粧液や美容体操で引き締めたところで、誤魔化せるものではございません」
道化師は両手を合わせ、蝶のように羽ばたかせた。
「お声の具合からも窺い知れましたが、どちらの意味でも肌が荒れていない貴方様は非常にお若く、貴族階級に所属しておられる方と推察可能でした。その上で、額に傷跡を持っておられます」
サキは掌で額を触る。戦場で付けられた傷だ。このごろは余り意識していなかった。
「それなりに深い傷跡のため、戦争か決闘で付けられたものと思われました。貴族の方が負傷する機会はそれくらいしかございません。しかしながら、肌が相当に瑞々しく、どう考えても十代前半のお年頃なのです。そのお年で決闘や戦場に赴かれる例は非常に希であり、あてはまるお方がお一人いらっしゃいますので……」
「すごいですね」
サキは本気で感心していた。
「まるで、一種の超人だ」
「必要に迫られてのことでございまして」
道化師は優雅に一礼した。
「元々わたくしは、曲芸団の演出家兼出演者でございました。もう二十年以上昔になりますが、稽古中に舞台から落下して頭を打ち、光を失ってしまいました。演技も演出も続けられなくなり、生きるために磨きあげた感覚なのでございます」
誇るように両手の指をぴんと伸ばした道化師だったが、すぐさまおどけるように拳をつくった。
「けれども世の中というものは皮肉の織り合わせでございまして、このような身体だからこそ、頂ける仕事もあったのです」
「なるほど」
サキは拳で平手を叩く。
「手紙を託す相手として、これ以上信頼できる人材はいないというわけですね」
「絶対に中身を盗み見られる心配のない配達人。それが私めにございます」
ピエロは片足でくるくると一回転した。暗闇に身を置きながら、大した平衡感覚だ。
「最初にお仕事をいただいたのは、十五年前でございました。王都にご住まいの老婦人から、デジレのご子息の元へ急報を伝えるよう手紙を託されたのでございます。当時の私は現在ほどは周囲の状況を知る術に通じていなかったため、移動は緊張を伴うものでした。しかも、この依頼には恐るべき企てが隠されていたために――――」
それから半刻以上、道化師はこれまでこなして来た仕事について、延々と語り続けた(おそらく、依頼主に迷惑がかからない範囲内で)。サキが傍らの御者を見ると、いらいらと口を動かしている。話を打ち切ってはどうか、と言いたいのだろう。
しかしサキは、道化師の自慢話を本人の気の済むまで聞かせてもらうつもりだった。
数年前から、サキは決闘や黒繭劇場の関係者が催す宴席に顔を出していた(出すよう強制されていた)。時折、やたら長話をする大人に捕まって、閉口した覚えがある。多くの場合、長口舌を振るうのは黒繭家に比べると地位の低い下級貴族か、平民にあたる人々だった。
たいして聞き上手でもない自分を、どうして話相手に選ぶのか―――最近になってサキは、薄々理解し始めている。
王国には、それなりに強固な身分制度が存在する。
貴族と平民の格差は相当なものだ。経済力・権力・発言の権利等、平民は突出した天才でもなければ、努力を重ねても、貴族を凌ぐ位置に立つことは難しい。
しかし平民や下級貴族であっても、名門貴族より優位に立てる瞬間が存在する。「教える」「伝える」行為の最中だ。
誰かに何かを伝える際、その内容が何であれ、そこには情報を持たない者に対して、持っているものが「与える」という一種の上下関係が発生する。
つまり平民であっても下級貴族であっても、何かを教えるとき、限定的に「えらい人」の上位に立つことができるのだ。
だから饒舌になる。身分差を意識している人間ほど、教養に恵まれながら地位や身分に恵まれていない人間ほど、「えらい人」に語りたがるのだ。
結局、道化師の懐旧は四十五分に及んだ。元演出家だけあって、どの挿話も味付けの利いた興味深い話だった。
声帯と体力を使いすぎたのか、ピエロはぜいぜいと息を切らして下を向いていたが、少し経ってこちらを向いた顔は赤く染まっていた。
「これは申し訳ございません。私としたことが無駄話を連ねてしまいました……お仕事ですね、どちらにお届けすればいいのでしょうか」
「新しい仕事ではなく、これまで受けた依頼について教えて欲しいのです」サキはなるべく柔らかい声を心がける。
「この一ヶ月くらいで、赤薔薇家当主の依頼を受けませんでしたか」
職業倫理・保身・良心・・様々な感情がピエロの表情に浮かんだように思われた。
「ご当主が何者かに殺害された件ですね。評議会はご息女を、殿下は決闘の相手を下手人と考えておられるとか」
事件に関して、道化師はゲラクよりも遙かに詳しいようだ。
「確かにご依頼を受けました。この件は、墓場まで持っていくつもりでした。私の証言がどのように事件を転がすか想像もつかないもので、誰かを不幸にしたくはなかったのです」
目を細めて告げる。化粧を拭ったら、実直そうな素顔をしているかもしれない、とサキは想像した。
「しかしながら、わざわざこのような場所にまで来ていただき、ここまで話を聞いてくださった殿下に対しては、誠意でお応えするのが正道であると思われます」
傍らで、御者が口笛を吹いていた。対応は間違っていなかった。
「議長閣下が私を訪ねていらっしゃったのは、亡くなる二日前だったと記憶しております」
風で冷やしたいのか、ピエロは湖に顔を向ける。
「議長が直接ですか」
サキは少し驚いた。あれほど悪目立ちする人間が、直々に出向いていたとは予想外だ。使用人にも託せない依頼だったのだろう。
「ご依頼は、翌日の正午までに、指定された隠し場所まで手紙と品物を届けてもらいたい、という内容でした」
「隠し場所、というのはこの近くですか」
「歩いていける距離にございます。ありふれた草原の中に、秘密の受け渡しに適した倉があるとの説明でした。ご自身で行かれなかったのは、平凡な草原だからこそ、あのように巨体のお方が入っていくのを見られると近所の印象に残ってしまうとのご判断のようでして、私の場合、化粧を落とせばさほど人目にも留まりませんから」
「手紙の内容について、言及はなかったんですね?」
「はい。相手の方にも隠し場所は教えてあるので、手紙と品物を放り込むだけでいい、とのお話でした。依頼はそれだけでございます」
品物、という言葉にサキは興味を牽かれた。
酒場の女主人に聞きたい話はないかと問われた際、サキの脳裏によぎったのは、議長が決闘相手とどのようにして連絡をとっていたかという疑問だった。秘密の決闘は、互いに連絡を取り合っていなければ成り立たないものだが、おそらく決闘の日時は、早い時期から決まっていたわけではない。決定していたなら、その日はカヤが邪魔にならないように、口実を設けて遠ざけておくことも可能だったろう。そうしなかったのは、議長、もしくは犯人の事情で、直前まで日時が変更される可能性があったからだろう。
だから信用のおける連絡係を使っていたのではと考え、これが大当たりだった。問題は、品物とやらの正体だ。
「手紙と一緒に放り込むよう依頼された品物というのは」
期待に胸を高鳴らせながら、サキは訊いた。
「ひょっとすると、衣類ですか」
「そうだったと思われます。麻袋に入った状態で手渡されましたが、運ぶ途中で袋から落としていないか中身を確かめましたところ、襟や袖口がございましたので」
「軍用の外套でしょうか?」
「確実ではございませんが、十中八九はそうかと思います。触った限りでは、襟の部分が全体に比べて大きいものでしたので。あそこまで襟が高い服は、軍用の外套くらいです」
胸の高鳴りが加速する。
「依頼は、それで終わりでしたか。隠し場所へ持って行った後の指示とかは」
「とくにございませんでした。翌日の朝に指定された場所へ向かい、教わった通りに品物と手紙を納めて終わりです」
最後に訊くべき事柄がある。サキは頭の中で、言葉を慎重に並べる。
「先ほどは興味深い話を聞かせてもらいました。あなたがこの仕事に、あるいはこの仕事をこれまでこなして来た自分自身に誇りを持っておられることは理解したつもりです」
虚をつかれたように、ピエロの頬が緩んだ。
「その上でお願いします。隠し場所がどこかを教えてもらえせんか」
ゲラクに対してもそうだったが、サキは報酬をちらつかせて協力を強いるやり方は採りたくない。盲目が理由であっても、おそらくこのピエロは依頼人に信頼できる運び屋と見なされている事実を誇りに思っている。お金より、その部分を撫でてあげた方がいい。
「そこまで礼を尽くしていただいたのなら、お伝えする他にございませんな」道化師は自分を抱くように両腕を交差させた。
「地所で申しますとデジレ三百の四に該当する草原です。倉の場所が少々わかりづらいので、探し方を詳しくお伝えします」