素直さこそ刃
文字数 4,442文字
どうする?どうする?どうしよう!
もう酷使するつもりはなかったはずの脳味噌に、サキは懇願を繰り返す。この場を切り抜ける知恵を授けてくれ。強引でもいい。外道でもいい。
結論は、単純なものだった。
自分には人を撃った経験がない。フェルミは経験豊富な軍人だ。利き腕を負傷してなお、技量は圧倒的にこちらが劣勢だろう。
使った経験のない道具より、成果を挙げている道具を当てにするべきだ。
自分の場合、それは言葉だ。
言葉で身を守る―――いや、言葉で殺す。覚悟しろフェルミ大佐。僕の発言で、お前を自殺させてやる。
「判った。決闘には応じるよ」
サキは冷静さを装って、ゆっくりと決闘場へと移動する。
「せっかくだから、議長が決闘したあの台を使わせてもらおう。足を固定する必要はないだろうけど」
フェルミとサキ、向かい合って椅子に腰かけた。拳銃はまだ構えていない。
サキは心の棚から効果的な言葉を探した。
「なあフェルミ。僕を殺して只で済むと思っているのかい」
「……随分陳腐な脅し文句ですね」
フェルミの口元が綻んだ。
「そういう意味じゃないよ。僕を殺すようなまねをして、君の心は無事で済むのかと聞いているんだよ」
フェルミが両目を見開いた。
「若造の決めつけかもしれないけれど、フェルミ、君は感受性の強い人間だ。僕より、他の評議会の面々よりずっとね。だからつらいはずだ。君の子供と言ってもおかしくないような年齢の君主をその手にかけるなんて、地獄の責め苦じゃあないのかな?」
「なかなか鋭いところをつきますね」
フェルミは肩の痛みをこらえるように頬を歪めた。
「それはつらいですよ。良心も痛みますよ。ですが、俺には責任があるんです」
「責任?」
呑み込めない言葉だった。評議会の中では新顔であり、階級も二番目に低いフェルミは、むしろ責任を負わなくて済む方ではないのか。
「俺が本当に善良な人間だったら、あんたを戦場から逃がしてやれたんです」
フェルミの口から出たのは全く意外な言葉だった。
「聞かされていました。バカな子供をだまして、旗印に据えるって作戦をね。合理的だと思いました。けど俺は、その子の行く末についても思いを馳せてしまった――同じ年頃の娘がいるものでね―――その子は、戦場で命を落とすかもしれない。命を拾ったとしても、戦場に立つことで、渦の中心に放り込まれたことで、何らかの歪みは免れないだろうと想像しました。怖くもなったんです。怪物が生まれるかもしれないって。万能感、復讐心、幼児性……やっかいな心を蠢かせながら、影響力だけは強大な魔物に成り果てるかもしれないってね。今のあんたは、それに近いものに見えて仕方ない」
ものすごい過大評価だ。しかしサキには、自分がそんな大層なものではないと主張する材料もない。
「もしそんな化け物が生まれたら、止めなかった俺にも責任の一端がある。だからこそ自分の手で、その子を殺すべきだと決めたんですよ」
王国軍の大佐を、サキは真っ直ぐに眺めた。きれいな眼をしているな、と今さらながら気付く。
「せめて最後は、俺の手を汚すべきだと考えたんですよ」
「それって」
サキは悪意を込めて微笑んだ。
「僕の血で綺麗になりたいって意味だよな」
「……そういう、ことにもなりますかね」
鉄のように、フェルミは揺るがない。
「お喋りは終わりにしましょう。早く構えて下さい」
「待って」
立ち上がろうとするフェルミをサキは制した。
「最後に言っておきたいことがある」
「随分あきらめが早いですね」
心の中で、サキは刃を用意する。
これまで自分は民衆の欲する言葉を捜し当て、ばらまくことで力に変えてきた。今回は逆だ。目の前の男が最も欲しがらない言葉を連ね、心に致命傷を与える。反対にするだけ。きっと、できるはずだ。
「つい最近まで、僕は世の中を馬鹿の集まりだと決めつけていた。くだらない伝統、くだらない仕事。そんなものを有り難がる大人たちを心底軽蔑していたよ。権力を手に入れたら、馬鹿ばっかりの世の中なんて、たやすく好き放題にできるって信じてたんだ」
「今は違うんですか」
「もちろん、違う。騙されて戦場に放り込まれ、女の子一人救うだけで結構な苦労を強いられ、やっと思い通りになったと気を抜いたら殺されかけている。嫌でも認識を改めるしかない。世の中は馬鹿ばっかりなんかじゃない。ずる賢い狐に牛耳られている!」
「嬉しそうに話すんですね。随分と」
「少なくとも、絶望はせずに済んだからね。無垢だけど愚かな世界より、邪悪でも賢い世界の方が希望に満ち溢れているに決まってる。だから」
とくに演出を加えず、サキは「素」の瞳でフェルミを見た。
「今死んでも、最悪じゃあない。思い通りにはならなかったけど、世の中は捨てたものじゃないって理解した上で死んで行ける。それだけは、君たちに感謝したい」
その言葉はサキの本心だった。混じり気のない生の気持ちを伝えることが最も残酷だろうと判断したからだ。
効果はあった。サキの言葉は、確実に標的を抉っていた。
フェルミは震えていた。恐怖や寒気によるそれとは明らかに別種の震え。内面の崩壊を堪えようとしているような身体の揺らぎだった。立ち上がろうとして、ぐらりと右肩が下がる。舌を噛みきる直前のように剥き出しの歯を軋ませ、瞳は死体に近い虚ろさだ。顔色を失い、不吉な静脈が浮き出ている。
(自害しろ!)
サキは念じた。
しかし、それでも、フェルミは崩れなかった。
震えを、何か手ごわい力に転化して力強く立ち上がった。
「銃を構えて下さい殿下」
何でもなかったように、口をきく。
(だめか)
「やるだけはやったつもりなんだけどな」
サキも立ち上がり、拳銃の位置を整える。
「やはり、あんたは恐ろしい人だ」
フェルミは大きな息を吐いた。
「この国には危険すぎる」
「そんなにすごい人間なら、上手く行ったはずだよ」
サキは眼を伏せる。
「この場は、独力で切り抜けたかった。でも運も実力って言うからな」
二人の間を光の粒が通り過ぎた。風に飛ばされた微細な埃が夕日を反射している。
つまり、窓から風が吹いている。
フェルミが右手の窓を振り向いた。
サキは数秒前に気付いていた。誰かが窓に布を貼り付け、音を立てないように侵入を試みていた。鋭敏なフェルミなら、それより早く察知してしかるべきだったろう。しかしサキの言葉が鈍らせていた。
窓が割れ、窓枠から梯子の先端が除いている。侵入者はすでに梯子から飛び降りて、完璧な射撃体制を整えていた。
フェルミが拳銃に引き金をかける。
侵入者―――黒繭家執事フランケンは、恭しい口調で警告を発した。
「おやめ下さい。私の腕は充分ご承知のはず。加えて、ニ対一という状況です」
「今更引き下がれるものか」
フェルミの眼は諦めていない。
「俺のせいで、評議会と殿下の仲は修復不可能なまでに決裂した。もはやとことんまでやり合う他にない」
「不問にする、と言ったら?」
サキは拳銃を構えていた手を下げる。
「フェルミ、君が諦めてくれたら、評議会の決定で僕を殺そうとした話は、なかったことにしてもいいと言ったら?」
フェルミは口を大きく開く。
「お人好しにもほどがある」
「お人好しじゃない。狡猾なんだ。さらにずるがしこくなるつもりなんだ」
サキは正直な胸の内を話す。この期に及んで繕いは不要だ。
「反省してるんだよ。あからさま過ぎた。カヤの一件はともかく、貴族制度に口を出そうとしたのは余りに性急だった。当分は自重するよ。僕は十四だ。支配を広げるのは、もっと緩やかに、さりげなくでも問題ないからな」
一歩前へ進み、背中越しにサキは語りかける。
「どうする?今のところ、僕は君たちに対して約束破りはしていない。信じるか、抗がうか?」
溜息をついた後、フェルミは銃を床に捨て、両手を挙げた。
「……負けましたよ」
負かしてやった。正直、戦争に勝ったときより嬉しい。
「素晴らしいぞフランケン、よく気付いてくれた!」
サキはフランケンを賞賛するが、本人は涼しい顔で、
「お褒めいただく程ではございません。城の下で見張っておりましたから、合図を受けてすぐに動いただけのことです」
「合図?」
銃を構えたまま、フランケンは窓に眼をやった。
「窓のカーテンを動かし、『タスケニコイ』と信号を下さったではありませんか」
「信号、ああ、ああ、そうだったな」
フェルミの手前、サキは曖昧に頷いた。
すっかり忘れていた。戦争前にサキが採用のサインを入れた、カーテンを利用した短距離通信だ。
カーテンを動かしていたのは自分ではない。ギディングスだ。思ったより抜け目ない男かもしれない。評議会を免罪する理由が、一つ増えたのも確かだが。
窓の下で誰かが騒いでいる。決闘前に何者かが無断で侵入したのだから当たり前だろう。兵士が数名集まっていたが、「何も問題はない。そのまま待機するように」とサキが声をかけると、敬礼して後ろへ下がった。
その後、三人は階下へ移動して、ゼマンコヴァを助け出した。老人が閉じこめられていた水牢は、底部を滑車で引き上げる機構が備わっていたため、救出は簡単だった。
ずぶぬれのゼマンコヴァはフェルミに掴みかかり兼ねない剣幕だったが、和解を提示したとサキが伝えると、渋々ながら引き下がってくれた。撃ち合いが終わる頃合いを見計らっていたのか、ギディングスもどこからともなく現れた。それとなく感謝の意を伝える。
「これから、どうされるおつもりか」
城内で拝借したタオルで頭を拭きながらゼマンコヴァが訊く。現在、十七時五十五分。
「予定通り、十九時の決闘は執り行うということでよろしいのですかな」
「たぶん、決闘をする必要はなくなります」
一部分だけ、サキは予定を教える。
「それまでに、僕の姉が、何とかしてくれることになっているんです」
「なんとかって、何です?」
ギディングスが興味を示す。
「時間がなかったから、聞いてない。とにかく何とかしてくれるそうなんだ」
「んな無茶な」
自分で肩の手当をしていたフェルミが、呆れ顔になった。
「何をするのか確認もしないで、何とかならなかったらどうするんです」
「絶対に、何とかしてくれる。姉上はそういう人なんだよ」
言いながら、サキはだんだん不安になってきた。これで、姉上が間に合わなかったらどうしよう……
焦っている内に、十八時ちょうどになった。何をはじめてくれるのか、サキが窓の外を注視していると、風に乗って部屋へ迷い込んできたものがある。
「これが、『何とか』ですかな」
ゼマンコヴァが手に取り、不思議そうに眺める。
それは孔雀の羽根だった。
もう酷使するつもりはなかったはずの脳味噌に、サキは懇願を繰り返す。この場を切り抜ける知恵を授けてくれ。強引でもいい。外道でもいい。
結論は、単純なものだった。
自分には人を撃った経験がない。フェルミは経験豊富な軍人だ。利き腕を負傷してなお、技量は圧倒的にこちらが劣勢だろう。
使った経験のない道具より、成果を挙げている道具を当てにするべきだ。
自分の場合、それは言葉だ。
言葉で身を守る―――いや、言葉で殺す。覚悟しろフェルミ大佐。僕の発言で、お前を自殺させてやる。
「判った。決闘には応じるよ」
サキは冷静さを装って、ゆっくりと決闘場へと移動する。
「せっかくだから、議長が決闘したあの台を使わせてもらおう。足を固定する必要はないだろうけど」
フェルミとサキ、向かい合って椅子に腰かけた。拳銃はまだ構えていない。
サキは心の棚から効果的な言葉を探した。
「なあフェルミ。僕を殺して只で済むと思っているのかい」
「……随分陳腐な脅し文句ですね」
フェルミの口元が綻んだ。
「そういう意味じゃないよ。僕を殺すようなまねをして、君の心は無事で済むのかと聞いているんだよ」
フェルミが両目を見開いた。
「若造の決めつけかもしれないけれど、フェルミ、君は感受性の強い人間だ。僕より、他の評議会の面々よりずっとね。だからつらいはずだ。君の子供と言ってもおかしくないような年齢の君主をその手にかけるなんて、地獄の責め苦じゃあないのかな?」
「なかなか鋭いところをつきますね」
フェルミは肩の痛みをこらえるように頬を歪めた。
「それはつらいですよ。良心も痛みますよ。ですが、俺には責任があるんです」
「責任?」
呑み込めない言葉だった。評議会の中では新顔であり、階級も二番目に低いフェルミは、むしろ責任を負わなくて済む方ではないのか。
「俺が本当に善良な人間だったら、あんたを戦場から逃がしてやれたんです」
フェルミの口から出たのは全く意外な言葉だった。
「聞かされていました。バカな子供をだまして、旗印に据えるって作戦をね。合理的だと思いました。けど俺は、その子の行く末についても思いを馳せてしまった――同じ年頃の娘がいるものでね―――その子は、戦場で命を落とすかもしれない。命を拾ったとしても、戦場に立つことで、渦の中心に放り込まれたことで、何らかの歪みは免れないだろうと想像しました。怖くもなったんです。怪物が生まれるかもしれないって。万能感、復讐心、幼児性……やっかいな心を蠢かせながら、影響力だけは強大な魔物に成り果てるかもしれないってね。今のあんたは、それに近いものに見えて仕方ない」
ものすごい過大評価だ。しかしサキには、自分がそんな大層なものではないと主張する材料もない。
「もしそんな化け物が生まれたら、止めなかった俺にも責任の一端がある。だからこそ自分の手で、その子を殺すべきだと決めたんですよ」
王国軍の大佐を、サキは真っ直ぐに眺めた。きれいな眼をしているな、と今さらながら気付く。
「せめて最後は、俺の手を汚すべきだと考えたんですよ」
「それって」
サキは悪意を込めて微笑んだ。
「僕の血で綺麗になりたいって意味だよな」
「……そういう、ことにもなりますかね」
鉄のように、フェルミは揺るがない。
「お喋りは終わりにしましょう。早く構えて下さい」
「待って」
立ち上がろうとするフェルミをサキは制した。
「最後に言っておきたいことがある」
「随分あきらめが早いですね」
心の中で、サキは刃を用意する。
これまで自分は民衆の欲する言葉を捜し当て、ばらまくことで力に変えてきた。今回は逆だ。目の前の男が最も欲しがらない言葉を連ね、心に致命傷を与える。反対にするだけ。きっと、できるはずだ。
「つい最近まで、僕は世の中を馬鹿の集まりだと決めつけていた。くだらない伝統、くだらない仕事。そんなものを有り難がる大人たちを心底軽蔑していたよ。権力を手に入れたら、馬鹿ばっかりの世の中なんて、たやすく好き放題にできるって信じてたんだ」
「今は違うんですか」
「もちろん、違う。騙されて戦場に放り込まれ、女の子一人救うだけで結構な苦労を強いられ、やっと思い通りになったと気を抜いたら殺されかけている。嫌でも認識を改めるしかない。世の中は馬鹿ばっかりなんかじゃない。ずる賢い狐に牛耳られている!」
「嬉しそうに話すんですね。随分と」
「少なくとも、絶望はせずに済んだからね。無垢だけど愚かな世界より、邪悪でも賢い世界の方が希望に満ち溢れているに決まってる。だから」
とくに演出を加えず、サキは「素」の瞳でフェルミを見た。
「今死んでも、最悪じゃあない。思い通りにはならなかったけど、世の中は捨てたものじゃないって理解した上で死んで行ける。それだけは、君たちに感謝したい」
その言葉はサキの本心だった。混じり気のない生の気持ちを伝えることが最も残酷だろうと判断したからだ。
効果はあった。サキの言葉は、確実に標的を抉っていた。
フェルミは震えていた。恐怖や寒気によるそれとは明らかに別種の震え。内面の崩壊を堪えようとしているような身体の揺らぎだった。立ち上がろうとして、ぐらりと右肩が下がる。舌を噛みきる直前のように剥き出しの歯を軋ませ、瞳は死体に近い虚ろさだ。顔色を失い、不吉な静脈が浮き出ている。
(自害しろ!)
サキは念じた。
しかし、それでも、フェルミは崩れなかった。
震えを、何か手ごわい力に転化して力強く立ち上がった。
「銃を構えて下さい殿下」
何でもなかったように、口をきく。
(だめか)
「やるだけはやったつもりなんだけどな」
サキも立ち上がり、拳銃の位置を整える。
「やはり、あんたは恐ろしい人だ」
フェルミは大きな息を吐いた。
「この国には危険すぎる」
「そんなにすごい人間なら、上手く行ったはずだよ」
サキは眼を伏せる。
「この場は、独力で切り抜けたかった。でも運も実力って言うからな」
二人の間を光の粒が通り過ぎた。風に飛ばされた微細な埃が夕日を反射している。
つまり、窓から風が吹いている。
フェルミが右手の窓を振り向いた。
サキは数秒前に気付いていた。誰かが窓に布を貼り付け、音を立てないように侵入を試みていた。鋭敏なフェルミなら、それより早く察知してしかるべきだったろう。しかしサキの言葉が鈍らせていた。
窓が割れ、窓枠から梯子の先端が除いている。侵入者はすでに梯子から飛び降りて、完璧な射撃体制を整えていた。
フェルミが拳銃に引き金をかける。
侵入者―――黒繭家執事フランケンは、恭しい口調で警告を発した。
「おやめ下さい。私の腕は充分ご承知のはず。加えて、ニ対一という状況です」
「今更引き下がれるものか」
フェルミの眼は諦めていない。
「俺のせいで、評議会と殿下の仲は修復不可能なまでに決裂した。もはやとことんまでやり合う他にない」
「不問にする、と言ったら?」
サキは拳銃を構えていた手を下げる。
「フェルミ、君が諦めてくれたら、評議会の決定で僕を殺そうとした話は、なかったことにしてもいいと言ったら?」
フェルミは口を大きく開く。
「お人好しにもほどがある」
「お人好しじゃない。狡猾なんだ。さらにずるがしこくなるつもりなんだ」
サキは正直な胸の内を話す。この期に及んで繕いは不要だ。
「反省してるんだよ。あからさま過ぎた。カヤの一件はともかく、貴族制度に口を出そうとしたのは余りに性急だった。当分は自重するよ。僕は十四だ。支配を広げるのは、もっと緩やかに、さりげなくでも問題ないからな」
一歩前へ進み、背中越しにサキは語りかける。
「どうする?今のところ、僕は君たちに対して約束破りはしていない。信じるか、抗がうか?」
溜息をついた後、フェルミは銃を床に捨て、両手を挙げた。
「……負けましたよ」
負かしてやった。正直、戦争に勝ったときより嬉しい。
「素晴らしいぞフランケン、よく気付いてくれた!」
サキはフランケンを賞賛するが、本人は涼しい顔で、
「お褒めいただく程ではございません。城の下で見張っておりましたから、合図を受けてすぐに動いただけのことです」
「合図?」
銃を構えたまま、フランケンは窓に眼をやった。
「窓のカーテンを動かし、『タスケニコイ』と信号を下さったではありませんか」
「信号、ああ、ああ、そうだったな」
フェルミの手前、サキは曖昧に頷いた。
すっかり忘れていた。戦争前にサキが採用のサインを入れた、カーテンを利用した短距離通信だ。
カーテンを動かしていたのは自分ではない。ギディングスだ。思ったより抜け目ない男かもしれない。評議会を免罪する理由が、一つ増えたのも確かだが。
窓の下で誰かが騒いでいる。決闘前に何者かが無断で侵入したのだから当たり前だろう。兵士が数名集まっていたが、「何も問題はない。そのまま待機するように」とサキが声をかけると、敬礼して後ろへ下がった。
その後、三人は階下へ移動して、ゼマンコヴァを助け出した。老人が閉じこめられていた水牢は、底部を滑車で引き上げる機構が備わっていたため、救出は簡単だった。
ずぶぬれのゼマンコヴァはフェルミに掴みかかり兼ねない剣幕だったが、和解を提示したとサキが伝えると、渋々ながら引き下がってくれた。撃ち合いが終わる頃合いを見計らっていたのか、ギディングスもどこからともなく現れた。それとなく感謝の意を伝える。
「これから、どうされるおつもりか」
城内で拝借したタオルで頭を拭きながらゼマンコヴァが訊く。現在、十七時五十五分。
「予定通り、十九時の決闘は執り行うということでよろしいのですかな」
「たぶん、決闘をする必要はなくなります」
一部分だけ、サキは予定を教える。
「それまでに、僕の姉が、何とかしてくれることになっているんです」
「なんとかって、何です?」
ギディングスが興味を示す。
「時間がなかったから、聞いてない。とにかく何とかしてくれるそうなんだ」
「んな無茶な」
自分で肩の手当をしていたフェルミが、呆れ顔になった。
「何をするのか確認もしないで、何とかならなかったらどうするんです」
「絶対に、何とかしてくれる。姉上はそういう人なんだよ」
言いながら、サキはだんだん不安になってきた。これで、姉上が間に合わなかったらどうしよう……
焦っている内に、十八時ちょうどになった。何をはじめてくれるのか、サキが窓の外を注視していると、風に乗って部屋へ迷い込んできたものがある。
「これが、『何とか』ですかな」
ゼマンコヴァが手に取り、不思議そうに眺める。
それは孔雀の羽根だった。