象の背中にて
文字数 3,557文字
革命軍の新兵器か、と最初は考えた。
西日に光る、指先大の白い何かが砂塵の中から降ってくる。ツバメの急降下のような速度で、しかも大量にだ。決まって砲撃の応酬の後に現れるので、革命軍はこの局面で試作品を投入してきたのかとサキは戦慄した。
しかしこの戦局で投入する虎の子にしては、威力がない。
軍帽や鼻のてっぺんを切り裂かれた兵士が何人かいるが、めくれた皮を邪魔そうにぶらぶらさせるだけで、毒も回っていないようだ。
武器じゃないのか?
再びの砲撃で、近くの潅木に食い込んだそれを間近でみたサキは、帰ってベッドに潜り込みたくなった。
指先大のそれは、
おそらく砲弾で兵士の手が-----多分腕ごとだろうが-------千切れとんだ成れの果てなのだろう。
食卓からこぼれ落ちたリンゴソースの骨付き肉のように、熱気を帯びた動物の部品はたやすくばらばらに離れてしまう。
さらに爆発の勢いが加わったため、中途半端な凶器となってここまでたどりついたのだ。
「革命軍兵士の指ですな」
近くにいたフランケンと同じ年嵩の軍曹がのぞきこんで笑った。
「この古傷は砲兵だ。こいつはいい、敵の貴重な兵力を削いだ」
「前向きだな、すさまじく前向きだな」
げんなりしてサキは砂を吐き出した。
粉塵が、鼻から口から絶えず入ってくるので、たまにはこうしないと喉をやられてしまうのだ。
(こんなの、先生は教えてくれなかった)
サキは家庭教師を恨んだ。
呑気な教師の表情は、しかし粉塵の白に紛れてしまう。
この場に不必要な怒りを捨てて、周囲を見回し、伝令の印を付けた兵士を探す。
戦いは乱戦にもつれこんだらしく、戦況がこの数十分間、全く伝わってこないのだ。
サキの主観では前線に立っているはずだ。しかしその割りには時折、台風の目のように静寂につつまれるときがある。
敵味方共に方向を、相手を見失い、神様しかわかっていないのではないだろうか。
轟音がこだまして、再びそれが降って来た。
「ああ、また!戦場には何本指があるんだよ!」
こんなのは違う。自分はまがりなりにも大将なのに……
くせ毛をぐちゃぐちゃに撫でる。
なすすべもない。
まるで暴れまくる、巨大な獣の背中にいるようだ。
「負けたな」
馬上のグロチウスは、正直に現状を認めた。兵士たちが自暴自棄に走らないよう、小声ではあったが。
「いえ、まだ前線の転がり方次第ではーー」
声を張り上げるクローゼに、首を横に振る。
「いや、すでに状況は、どの程度巧く負けるかという段階に入っている。そして残念ながら、現在の政府に負け方を評価してくれる慧眼の議員はいない」
老将の指摘に、副官は弱々しくうなだれた。
「戦いには負けた。しかし一軍の長として、私にはなすべき責務がある。祖国へ帰還した将兵が不利益を被らぬよう、
グロチウスの意図に気づいたのだろう、副官の顔色が変わった。
「将軍、自棄になってはいけません」
「やけではない。熟考した上での選択だ」
老将は腰のピストルを抜き、装填前の銃口に口づけした。はて、人を撃つのは何年ぶりだろうか?
「ああうあ」
サキは空気を吐いた。
うずくまる大男のような灌木に抱きついて、いつの間にか眠っていたようだ。視界が黒い。土砂の黒か、闇の黒なのか判別がつかない。黒はどろどろと前方へ流れ、上昇してコウモリに分かれた。
首を振って、夢の境界を払う。
どれだけ眠っていたのだろう?流れ弾に当たらなかったのは奇跡だ。
嵐の中の無風みたいに、攻撃の対象外となった地点に迷い込んだのかも知れない。
「兵士の内蔵、国家の切り身」
誰かが歌っている。岩から出てくるような無機質な歌声だ。負傷兵のうわごとかもしれない。サキも合わせて歌う。「兵士の内蔵、国家の切り身」何だか楽しくなってきた。薄れて行く。台地から空までを貫いていた鋼のつららみたいな緊張感が、次第に失われ始めたのをサキは感じ取った。
相変わらず弾は飛び、兵は死に、指も降っている。だが演出の狂った芝居さながら、何か間の抜けた空気が漂い始めていた。
兵士たちの表情から、張りが抜け始める。サキ同様、殺気のほぐれを読み取ったのだろう。むろん、安心はできない。戦場を厭う心理が生み出した、一種の集団幻覚かもしれない。
しかし轟音が薄れ、指が止み、新しい血の匂いが薄れたとき、サキは一段落を確信した。
カザルスがサキの元を訪れたのだ。この男を見て安心するというのも、皮肉な話だった。
「殿下、もう結構でごまいます」
慇懃無礼な口ぶりには、はりきりすぎです、という非難が窺えなくもない。
「本当に?」
「じきに終わります。グロチウスが死にました。おそらく」
意外な情報だった。最高指揮官が戦死とは、あまり例のある話ではない。ましてグロチウスは、戦場の呼吸を知り抜いた驍将だったはずなのに。
「グロチウスは自ら全線で突撃に加わり、わが軍の銃弾を浴びました。死体は未確認ですが、まず生きてはいないでしょう」
「どうしてそんなことを」
「殿下、あなたと似たような具合ですよ」
揶揄と称揚を巧妙に混ぜながらカザルスは笑う。
「勝つためと、守るため。兵士を鼓舞するために前線で戦い、己の体面を保つことで、革命の渦から配下を救おうとしたんでしょう」
「革命から?彼らは革命のために戦っているんだろう?」
「すでに共食いが始まっているのです。彼らの本国ではね」
言って、左の手のひらで右のこぶしを食べるふりをした。
「このまま帰還したら、付け込まれる。『裏切者』だの『間違った革命派』だの烙印を押されて、将官も、兵士も縛り首にされるかもしれない。だからご立派な老将軍殿は、『命を投げうって戦ったグロチウス将軍の兵隊』として部下を返してやろうと考えたのでしょう」
「・・・立派なものだな」
そういえば最後の最後まで、敵を憎いとは感じなかったな、とサキは不思議に思った。
敵国の実情がカザルスの言う通りだとすれば、両軍の大将は、敵より味方の影に怯えていたということになる。
「おかげさまで敵の分断に成功しましたので、降伏勧告の準備を整えています。兵は武装解除ののち、段階的に解放。将官は、捕虜交換に使うか、お望みの場合は亡命を認めるというところでしょうか」
その辺りは評議会が決める話だろう。名目上の大将としては、結果さえ教えてもらえればいいという気分だった。
「しかし死んだのか、グロチウス」
「多分ですが。私も実感がございません。何しろあのグロチウスですから。小さいころ、誰もが絵本で憧れたあの名将を討ち果たしたというのは……まるで夢心地です。光栄な話ですな」
「人を尊敬したりするんだな。貴公のような男でも」
「はっはっは」
少将は快笑で受け流す。
「多少なりとも軍務に携わる者で、グロチウスの偉大さを認められない奴がいるとしたら、そいつは除隊すべきでしょう」
カザルスは追憶するような視線を空に送る。空は鉛色だ。
「この眼で見たのです。敵味方が血煙の中で踊るような乱戦でした。ふと、埃の隙間から騎乗の老将軍が見えたんです。1ルーデと開いていない距離でした。一瞬、眼が合った。私は一目でグロチウスと分かりました。向こうは、私の顔なんて知らないに違いありません。ついつい、話しかけそうになりましたよ。『グロチウス将軍!私は王国軍のカザルス少将です!此度の作戦は私が発案したものです!如何です?なかなか味なやり口だったでしょう?』とね」
愉しそうに話すカザルスを前に、こいつは僕より子供なのかもしれない、とサキは考える。子供の要素を残したままの大人。醜悪と貶すべきか、美麗と称えるべきか。
「しかし声を張り上げる前に味方の銃弾が降り注ぎました。その後は土埃で見失ってしまいましたが、命中していたなら、即死でしょうな。その後も乱戦が続いたので正確な地点はわからなくなってしまいましたが、じきに見つかるでしょう」
それから十日後。グロチウスの遺体は、北方国境付近を流れる農業水路の曲がり角で発見された。水路の一部が冬草で覆われていたために、発見が遅れたのだという。
王都へ移送された遺体にサキが対面できたのは、その翌日のことだった。わざわざ会わせてくれたのだが、別に嬉しくはない。
冬の冷水に保たれたためか、遺体の痛みは少なかった。白く固まった顔を見ても、不快感は覚えない。
やはり怒りも、憎しみもサキは感じない。むしろ浮かんだのは、広い意味の「同業者」に対する同情だった。この人と自分では立場が違う。それでも似通った悩みは抱えていたかもしれない。多分、そうだ。
急ごしらえの棺に頭を傾け、サキは誰にも聞こえないよう、小声で囁いた。
「ええと、なんというか、おつかれさまでした」
西日に光る、指先大の白い何かが砂塵の中から降ってくる。ツバメの急降下のような速度で、しかも大量にだ。決まって砲撃の応酬の後に現れるので、革命軍はこの局面で試作品を投入してきたのかとサキは戦慄した。
しかしこの戦局で投入する虎の子にしては、威力がない。
軍帽や鼻のてっぺんを切り裂かれた兵士が何人かいるが、めくれた皮を邪魔そうにぶらぶらさせるだけで、毒も回っていないようだ。
武器じゃないのか?
再びの砲撃で、近くの潅木に食い込んだそれを間近でみたサキは、帰ってベッドに潜り込みたくなった。
指先大のそれは、
指先
だった。おそらく砲弾で兵士の手が-----多分腕ごとだろうが-------千切れとんだ成れの果てなのだろう。
食卓からこぼれ落ちたリンゴソースの骨付き肉のように、熱気を帯びた動物の部品はたやすくばらばらに離れてしまう。
さらに爆発の勢いが加わったため、中途半端な凶器となってここまでたどりついたのだ。
「革命軍兵士の指ですな」
近くにいたフランケンと同じ年嵩の軍曹がのぞきこんで笑った。
「この古傷は砲兵だ。こいつはいい、敵の貴重な兵力を削いだ」
「前向きだな、すさまじく前向きだな」
げんなりしてサキは砂を吐き出した。
粉塵が、鼻から口から絶えず入ってくるので、たまにはこうしないと喉をやられてしまうのだ。
(こんなの、先生は教えてくれなかった)
サキは家庭教師を恨んだ。
呑気な教師の表情は、しかし粉塵の白に紛れてしまう。
この場に不必要な怒りを捨てて、周囲を見回し、伝令の印を付けた兵士を探す。
戦いは乱戦にもつれこんだらしく、戦況がこの数十分間、全く伝わってこないのだ。
サキの主観では前線に立っているはずだ。しかしその割りには時折、台風の目のように静寂につつまれるときがある。
敵味方共に方向を、相手を見失い、神様しかわかっていないのではないだろうか。
轟音がこだまして、再びそれが降って来た。
「ああ、また!戦場には何本指があるんだよ!」
こんなのは違う。自分はまがりなりにも大将なのに……
くせ毛をぐちゃぐちゃに撫でる。
なすすべもない。
まるで暴れまくる、巨大な獣の背中にいるようだ。
「負けたな」
馬上のグロチウスは、正直に現状を認めた。兵士たちが自暴自棄に走らないよう、小声ではあったが。
「いえ、まだ前線の転がり方次第ではーー」
声を張り上げるクローゼに、首を横に振る。
「いや、すでに状況は、どの程度巧く負けるかという段階に入っている。そして残念ながら、現在の政府に負け方を評価してくれる慧眼の議員はいない」
老将の指摘に、副官は弱々しくうなだれた。
「戦いには負けた。しかし一軍の長として、私にはなすべき責務がある。祖国へ帰還した将兵が不利益を被らぬよう、
しるし
をつくるという責任がな」グロチウスの意図に気づいたのだろう、副官の顔色が変わった。
「将軍、自棄になってはいけません」
「やけではない。熟考した上での選択だ」
老将は腰のピストルを抜き、装填前の銃口に口づけした。はて、人を撃つのは何年ぶりだろうか?
「ああうあ」
サキは空気を吐いた。
うずくまる大男のような灌木に抱きついて、いつの間にか眠っていたようだ。視界が黒い。土砂の黒か、闇の黒なのか判別がつかない。黒はどろどろと前方へ流れ、上昇してコウモリに分かれた。
首を振って、夢の境界を払う。
どれだけ眠っていたのだろう?流れ弾に当たらなかったのは奇跡だ。
嵐の中の無風みたいに、攻撃の対象外となった地点に迷い込んだのかも知れない。
「兵士の内蔵、国家の切り身」
誰かが歌っている。岩から出てくるような無機質な歌声だ。負傷兵のうわごとかもしれない。サキも合わせて歌う。「兵士の内蔵、国家の切り身」何だか楽しくなってきた。薄れて行く。台地から空までを貫いていた鋼のつららみたいな緊張感が、次第に失われ始めたのをサキは感じ取った。
相変わらず弾は飛び、兵は死に、指も降っている。だが演出の狂った芝居さながら、何か間の抜けた空気が漂い始めていた。
兵士たちの表情から、張りが抜け始める。サキ同様、殺気のほぐれを読み取ったのだろう。むろん、安心はできない。戦場を厭う心理が生み出した、一種の集団幻覚かもしれない。
しかし轟音が薄れ、指が止み、新しい血の匂いが薄れたとき、サキは一段落を確信した。
カザルスがサキの元を訪れたのだ。この男を見て安心するというのも、皮肉な話だった。
「殿下、もう結構でごまいます」
慇懃無礼な口ぶりには、はりきりすぎです、という非難が窺えなくもない。
「本当に?」
「じきに終わります。グロチウスが死にました。おそらく」
意外な情報だった。最高指揮官が戦死とは、あまり例のある話ではない。ましてグロチウスは、戦場の呼吸を知り抜いた驍将だったはずなのに。
「グロチウスは自ら全線で突撃に加わり、わが軍の銃弾を浴びました。死体は未確認ですが、まず生きてはいないでしょう」
「どうしてそんなことを」
「殿下、あなたと似たような具合ですよ」
揶揄と称揚を巧妙に混ぜながらカザルスは笑う。
「勝つためと、守るため。兵士を鼓舞するために前線で戦い、己の体面を保つことで、革命の渦から配下を救おうとしたんでしょう」
「革命から?彼らは革命のために戦っているんだろう?」
「すでに共食いが始まっているのです。彼らの本国ではね」
言って、左の手のひらで右のこぶしを食べるふりをした。
「このまま帰還したら、付け込まれる。『裏切者』だの『間違った革命派』だの烙印を押されて、将官も、兵士も縛り首にされるかもしれない。だからご立派な老将軍殿は、『命を投げうって戦ったグロチウス将軍の兵隊』として部下を返してやろうと考えたのでしょう」
「・・・立派なものだな」
そういえば最後の最後まで、敵を憎いとは感じなかったな、とサキは不思議に思った。
敵国の実情がカザルスの言う通りだとすれば、両軍の大将は、敵より味方の影に怯えていたということになる。
「おかげさまで敵の分断に成功しましたので、降伏勧告の準備を整えています。兵は武装解除ののち、段階的に解放。将官は、捕虜交換に使うか、お望みの場合は亡命を認めるというところでしょうか」
その辺りは評議会が決める話だろう。名目上の大将としては、結果さえ教えてもらえればいいという気分だった。
「しかし死んだのか、グロチウス」
「多分ですが。私も実感がございません。何しろあのグロチウスですから。小さいころ、誰もが絵本で憧れたあの名将を討ち果たしたというのは……まるで夢心地です。光栄な話ですな」
「人を尊敬したりするんだな。貴公のような男でも」
「はっはっは」
少将は快笑で受け流す。
「多少なりとも軍務に携わる者で、グロチウスの偉大さを認められない奴がいるとしたら、そいつは除隊すべきでしょう」
カザルスは追憶するような視線を空に送る。空は鉛色だ。
「この眼で見たのです。敵味方が血煙の中で踊るような乱戦でした。ふと、埃の隙間から騎乗の老将軍が見えたんです。1ルーデと開いていない距離でした。一瞬、眼が合った。私は一目でグロチウスと分かりました。向こうは、私の顔なんて知らないに違いありません。ついつい、話しかけそうになりましたよ。『グロチウス将軍!私は王国軍のカザルス少将です!此度の作戦は私が発案したものです!如何です?なかなか味なやり口だったでしょう?』とね」
愉しそうに話すカザルスを前に、こいつは僕より子供なのかもしれない、とサキは考える。子供の要素を残したままの大人。醜悪と貶すべきか、美麗と称えるべきか。
「しかし声を張り上げる前に味方の銃弾が降り注ぎました。その後は土埃で見失ってしまいましたが、命中していたなら、即死でしょうな。その後も乱戦が続いたので正確な地点はわからなくなってしまいましたが、じきに見つかるでしょう」
それから十日後。グロチウスの遺体は、北方国境付近を流れる農業水路の曲がり角で発見された。水路の一部が冬草で覆われていたために、発見が遅れたのだという。
王都へ移送された遺体にサキが対面できたのは、その翌日のことだった。わざわざ会わせてくれたのだが、別に嬉しくはない。
冬の冷水に保たれたためか、遺体の痛みは少なかった。白く固まった顔を見ても、不快感は覚えない。
やはり怒りも、憎しみもサキは感じない。むしろ浮かんだのは、広い意味の「同業者」に対する同情だった。この人と自分では立場が違う。それでも似通った悩みは抱えていたかもしれない。多分、そうだ。
急ごしらえの棺に頭を傾け、サキは誰にも聞こえないよう、小声で囁いた。
「ええと、なんというか、おつかれさまでした」