外套の秘密
文字数 3,763文字
同時刻。
正規軍第十七大隊の指揮官であるロッド少佐は、ケイン近郊の丘陵地で小規模な軍事演習を行った後、部下たちと雑談に興じていた。
ロッドは黒繭家の親族で、サキたちのまたいとこにあたる。先の戦争では、自身が重要な局面を任されなかったことに不満たらたらだった。今年で三十歳。まだまだ出世を望んでいる一方で、係累が国家元首の地位に就いた現状に危うさも感じていた。
そのためニコラより面会を希望する便りが届いたときには、喜びつつ、一片の猜疑心も芽生えた。
「突然伺って申し訳ありません」
到着するや否や、またいとこはロッドに頭を下げた。
「ほんの数分程度でいいので、教えていただきたいことがあるのです」
「それは構わないが」
ロッドは警戒しつつ訊く。
「二人きりが望ましい話かな?」
絵描きの娘の処遇を巡って、サキと評議会が対立している話は新聞で読んでいる。状況が悪化した場合に、自分に何かさせようとしているのか。
「部下の方がいらっしゃっても結構です。むしろ無用の疑いを避けるため、その方が望ましいでしょう」
聡い子だ、とロッドは嬉しくなる。同時に彼女を見て鼻を伸ばしている配下たちに失望を覚えた。彼女の美しさだけに興味を牽かれていては本質を見失う羽目になる。
「それでは、カヤ嬢の審判とは別の話なんだね」
「無関係ではありません」
ニコラは首を横に振る。
「たぶんですが、彼女の裁判に関しては、無罪という形で本日中に決着がつくと思われます。弟は彼女を有罪にさせない点にだけ注力しているので、その後、真犯人の特定にまで発展することはないでしょう。うやむやのまま終わるかもしれません」
ニコラが言外に言いたい話が、ロッドには理解できた。
現時点ではどの新聞記事も明確に指摘してはいないが、匂わせてはいる情報として、「議長を殺害した犯人は、軍上層部にいるのではないか」というものがある。本当なら評議会で犯人が名指しされることはあり得ないだろう。軍上層部に対して、ロッドはそこまで信頼を抱いてはいなかった。
「しかし私としては、犯人を特定しておきたいのです。後々に遺恨を残さないためにも」
「知っているというのかい。僕が、犯人の正体を」
「知らないと思います」
ニコラはあっさりと否定した。
「軍隊内の決まり事について確認しないとつながらない線があるもので、信頼のおける武官にご教授を願いたいのです」
「ああ、なるほど、そう、そういうことね」
納得したロッドだったが、さほど能力を重視した人選でもないと判って、少し落胆した。
「侮辱に思われるようならごめんなさい。ですが、誰でもよかったわけではありません」
顔に出たのだろうか。半分に近い年の少女に慰めてもらったようで、少々堪える。
「……いいよ。何でも訊いてくれたまえ」
「では最初に、この大隊における軍用の外套の取り扱いについて教えていただけますか」
予想外の質問だった。
「外套」
「はい、外套です」
曇りのない眼でニコラは答える。
「軍服は評議会の審査を得た上で民間の仕立屋が縫製している。それを各方面の部隊が買い上げている、という話までは知っています。その後、各部隊でどのように備蓄を行っているのか、中でも外套に限った扱いを知りたいのです」
外套を軍隊でどう使っているかを知ることが、どうして犯人につながるのかーーーロッドの脳内は疑問符で満たされたが、追求はしないことにした。
「まず軍用品全般に関してだが、基本的には大隊(千人)単位で管理している。支給されたものは備蓄係が倉庫に集め、兵士個人に管理させるものと、必要に応じて倉庫から取り出すものに仕分けを行う。軍服の場合、軍帽やズボン、ジャケットにブーツなどが前者、外套や傘は後者に当てはまる」
「外套や傘を倉庫で管理しているのは、常に携帯している必要がないからでしょうか」
「ああ。兵士の携行品を最小限に抑えるというのが軍の方針なんだ。主に行軍速度を早める目的だね。ただしどの部隊も、徹底してはいない。寒冷地で外套を倉庫から持ち出した兵士が、猛暑になって携帯を続けていても、指導もしないし罰則もない。いちいち咎めていては上官の身が持たないからね」
「倉庫の管理自体は、厳重なものなのですか」
「時と場合による。行軍の際は積み荷として馬に牽かせるし、幕営地では天幕の中にしまうから、自ずと管理は緩くなってしまう。ただ、極寒の地に進軍する直前で敵に外套を焼かれでもしたら大損害に繋がるので、そういう場合は厳重な警備を立てる」
「肌寒くなってきて外套が欲しくなるような場合、末端の兵士はどのように手続きを行えばいいのでしょうか」
「倉庫の近くに備蓄係がいるから、名前と所属を告げて、記録を残してもらった上で、受け取る。外套を返しに来た場合も同様だ」
「すると、外套を二着以上持ち出したりはできない仕組みなのですね?」
「いや……そうでもない」
ロッドは声を小さくする。
「名前の記入はあくまで形式的なもので、同じ名前で複数着持ち出したままの兵士がいても追求なんかしない。そもそも戦場に着ていくものなんだから、爆風で破れたり、銃剣で切り裂かれたりするはずで、その都度新しいものを請求する兵士に、前の外套はどうした、なんて責めてたら時間がもったいないからね」
「なるほど」
ニコラは少し目を伏せて、考え込んでいた。
「外套ですが、階級によって衣装は異なっていなかったですよね」
「同じだね。下に着る軍服は違うけど、外套自体は兵卒も尉官も、佐官も同じ」
「外套を受け取る手続きも同じですか?」
「同じということになっている。建前上はね」
ロッドは肩をすくめて笑った。
「ただ、受付の階級は軍曹だから、高位の者が手続きを面倒がって無理矢理外套を持ち出したら、止められはしないだろうと思う。まあ、僕は決まりを守ってるけど」
「こちらの大隊のみではなく、他の部隊でも大体そんな運用なのでしょうか」
ニコラは頭を斜めにした。
「だとしたら、失礼ですが……割合、雑、なのですね」
「その謗りは否定できない」
苦笑いしつつ、ロッドは頭を掻いた。
「弁護させてもらうなら、あえて雑にしている、と言うべきだろうね。決まり事には絶対に遵
守すべき要素とそうでない要素がある。これを取り違えると、よけいな手間がかかって、一種の人的損失を被るからね」
「事の是非はともかく、どの部隊でも同様の運用が行われているというわけですね」
ニコラは何度か頷いていた。
「質問が多くてお手間をおかけします。たとえばロッド、貴方が、自分の部隊から離れているときに、外套を手に入れたいと思ったらどういう手段を執りますか」
「仕立屋に行くだろうね。町中ならそこら中に看板があるだろうし、田舎でも村に一つは縫製を生業にしている家がある。そこへ言って、軍服か身分を示す書類を見せて一着仕立ててもらうか、作り置きのがあれば売ってもらう」
「そうした用意のない地域もあるのでは?」
「いや、どんな田舎でも、縫製できる仕立屋はあるはずなんだ。君も知ってるだろうけど、選抜民兵制度の本格的な運用開始に間に合わせるためだ。彼らに軍服を提供するために、型紙や縫製の手引き書を配布しているし、資金援助も行っているからね。そういう意図もあるから、わが軍の軍服は比較的作りやすい構造になっているんだよ」
聞き忘れた質問を探しているのか、少しの間ニコラは黙っていた。
「仮に、軍を退役された方が、外套を新しく入手したいと望む場合、どうしたらいいでしょうか」
「同じだよ。仕立て屋を探して、買ったらいい」
「退役軍人でも、問題ないのですか?」
「問題ない。軍を退いた後も、現役時代の付き合いで、祭典に出席したりするからね。戦勝間もない今なんか、あちこちで式典が開かれてる。だから外套や軍服を伸張する退役軍人も結構いるんだよ」
「ありがとうございます。大変、参考になりました」
ニコラは頭を下げた。丁寧すぎる角度だ。ロッドはむず痒い気持ちになった。近くを通りかかった士官が、非難めいた視線を送ってくる。年若い少女を虐めているように思われたのだろうか。
「ど、どういたしまして。犯人を見つけ出す助けになったかな」
「なりました。これ以上ないほどに」
まじめそのものの表情で、ニコラは言う。外套の話しかしていないんだが、とロッドは訝った。
「本当に助かりました。後日、何かの形でお礼をさせていただきますね」
「気にしないで。大した話はしていないから」
遠慮を舌に乗せた後で、ロッドは少々色気を出した。
「……まあ、もし、謝礼をしてくれるつもりがあるのなら、ご婦人とお近づきになれる機会を設けて欲しいかな」
これまで軍務にのめりこんで来たせいで機会を逃していたが、そろそろ身を固めたいと思い始めているロッドだった。
「どういった女性がお好みですか」
「贅沢は言わない。穏やかな性情で、僕を尊重してくれる女性なら」
ニコラは悲しげに首を横に振った。これまでロッドが目にした中で、最も感情豊かな表情だったかもしれない。
「贅沢です」
正規軍第十七大隊の指揮官であるロッド少佐は、ケイン近郊の丘陵地で小規模な軍事演習を行った後、部下たちと雑談に興じていた。
ロッドは黒繭家の親族で、サキたちのまたいとこにあたる。先の戦争では、自身が重要な局面を任されなかったことに不満たらたらだった。今年で三十歳。まだまだ出世を望んでいる一方で、係累が国家元首の地位に就いた現状に危うさも感じていた。
そのためニコラより面会を希望する便りが届いたときには、喜びつつ、一片の猜疑心も芽生えた。
「突然伺って申し訳ありません」
到着するや否や、またいとこはロッドに頭を下げた。
「ほんの数分程度でいいので、教えていただきたいことがあるのです」
「それは構わないが」
ロッドは警戒しつつ訊く。
「二人きりが望ましい話かな?」
絵描きの娘の処遇を巡って、サキと評議会が対立している話は新聞で読んでいる。状況が悪化した場合に、自分に何かさせようとしているのか。
「部下の方がいらっしゃっても結構です。むしろ無用の疑いを避けるため、その方が望ましいでしょう」
聡い子だ、とロッドは嬉しくなる。同時に彼女を見て鼻を伸ばしている配下たちに失望を覚えた。彼女の美しさだけに興味を牽かれていては本質を見失う羽目になる。
「それでは、カヤ嬢の審判とは別の話なんだね」
「無関係ではありません」
ニコラは首を横に振る。
「たぶんですが、彼女の裁判に関しては、無罪という形で本日中に決着がつくと思われます。弟は彼女を有罪にさせない点にだけ注力しているので、その後、真犯人の特定にまで発展することはないでしょう。うやむやのまま終わるかもしれません」
ニコラが言外に言いたい話が、ロッドには理解できた。
現時点ではどの新聞記事も明確に指摘してはいないが、匂わせてはいる情報として、「議長を殺害した犯人は、軍上層部にいるのではないか」というものがある。本当なら評議会で犯人が名指しされることはあり得ないだろう。軍上層部に対して、ロッドはそこまで信頼を抱いてはいなかった。
「しかし私としては、犯人を特定しておきたいのです。後々に遺恨を残さないためにも」
「知っているというのかい。僕が、犯人の正体を」
「知らないと思います」
ニコラはあっさりと否定した。
「軍隊内の決まり事について確認しないとつながらない線があるもので、信頼のおける武官にご教授を願いたいのです」
「ああ、なるほど、そう、そういうことね」
納得したロッドだったが、さほど能力を重視した人選でもないと判って、少し落胆した。
「侮辱に思われるようならごめんなさい。ですが、誰でもよかったわけではありません」
顔に出たのだろうか。半分に近い年の少女に慰めてもらったようで、少々堪える。
「……いいよ。何でも訊いてくれたまえ」
「では最初に、この大隊における軍用の外套の取り扱いについて教えていただけますか」
予想外の質問だった。
「外套」
「はい、外套です」
曇りのない眼でニコラは答える。
「軍服は評議会の審査を得た上で民間の仕立屋が縫製している。それを各方面の部隊が買い上げている、という話までは知っています。その後、各部隊でどのように備蓄を行っているのか、中でも外套に限った扱いを知りたいのです」
外套を軍隊でどう使っているかを知ることが、どうして犯人につながるのかーーーロッドの脳内は疑問符で満たされたが、追求はしないことにした。
「まず軍用品全般に関してだが、基本的には大隊(千人)単位で管理している。支給されたものは備蓄係が倉庫に集め、兵士個人に管理させるものと、必要に応じて倉庫から取り出すものに仕分けを行う。軍服の場合、軍帽やズボン、ジャケットにブーツなどが前者、外套や傘は後者に当てはまる」
「外套や傘を倉庫で管理しているのは、常に携帯している必要がないからでしょうか」
「ああ。兵士の携行品を最小限に抑えるというのが軍の方針なんだ。主に行軍速度を早める目的だね。ただしどの部隊も、徹底してはいない。寒冷地で外套を倉庫から持ち出した兵士が、猛暑になって携帯を続けていても、指導もしないし罰則もない。いちいち咎めていては上官の身が持たないからね」
「倉庫の管理自体は、厳重なものなのですか」
「時と場合による。行軍の際は積み荷として馬に牽かせるし、幕営地では天幕の中にしまうから、自ずと管理は緩くなってしまう。ただ、極寒の地に進軍する直前で敵に外套を焼かれでもしたら大損害に繋がるので、そういう場合は厳重な警備を立てる」
「肌寒くなってきて外套が欲しくなるような場合、末端の兵士はどのように手続きを行えばいいのでしょうか」
「倉庫の近くに備蓄係がいるから、名前と所属を告げて、記録を残してもらった上で、受け取る。外套を返しに来た場合も同様だ」
「すると、外套を二着以上持ち出したりはできない仕組みなのですね?」
「いや……そうでもない」
ロッドは声を小さくする。
「名前の記入はあくまで形式的なもので、同じ名前で複数着持ち出したままの兵士がいても追求なんかしない。そもそも戦場に着ていくものなんだから、爆風で破れたり、銃剣で切り裂かれたりするはずで、その都度新しいものを請求する兵士に、前の外套はどうした、なんて責めてたら時間がもったいないからね」
「なるほど」
ニコラは少し目を伏せて、考え込んでいた。
「外套ですが、階級によって衣装は異なっていなかったですよね」
「同じだね。下に着る軍服は違うけど、外套自体は兵卒も尉官も、佐官も同じ」
「外套を受け取る手続きも同じですか?」
「同じということになっている。建前上はね」
ロッドは肩をすくめて笑った。
「ただ、受付の階級は軍曹だから、高位の者が手続きを面倒がって無理矢理外套を持ち出したら、止められはしないだろうと思う。まあ、僕は決まりを守ってるけど」
「こちらの大隊のみではなく、他の部隊でも大体そんな運用なのでしょうか」
ニコラは頭を斜めにした。
「だとしたら、失礼ですが……割合、雑、なのですね」
「その謗りは否定できない」
苦笑いしつつ、ロッドは頭を掻いた。
「弁護させてもらうなら、あえて雑にしている、と言うべきだろうね。決まり事には絶対に遵
守すべき要素とそうでない要素がある。これを取り違えると、よけいな手間がかかって、一種の人的損失を被るからね」
「事の是非はともかく、どの部隊でも同様の運用が行われているというわけですね」
ニコラは何度か頷いていた。
「質問が多くてお手間をおかけします。たとえばロッド、貴方が、自分の部隊から離れているときに、外套を手に入れたいと思ったらどういう手段を執りますか」
「仕立屋に行くだろうね。町中ならそこら中に看板があるだろうし、田舎でも村に一つは縫製を生業にしている家がある。そこへ言って、軍服か身分を示す書類を見せて一着仕立ててもらうか、作り置きのがあれば売ってもらう」
「そうした用意のない地域もあるのでは?」
「いや、どんな田舎でも、縫製できる仕立屋はあるはずなんだ。君も知ってるだろうけど、選抜民兵制度の本格的な運用開始に間に合わせるためだ。彼らに軍服を提供するために、型紙や縫製の手引き書を配布しているし、資金援助も行っているからね。そういう意図もあるから、わが軍の軍服は比較的作りやすい構造になっているんだよ」
聞き忘れた質問を探しているのか、少しの間ニコラは黙っていた。
「仮に、軍を退役された方が、外套を新しく入手したいと望む場合、どうしたらいいでしょうか」
「同じだよ。仕立て屋を探して、買ったらいい」
「退役軍人でも、問題ないのですか?」
「問題ない。軍を退いた後も、現役時代の付き合いで、祭典に出席したりするからね。戦勝間もない今なんか、あちこちで式典が開かれてる。だから外套や軍服を伸張する退役軍人も結構いるんだよ」
「ありがとうございます。大変、参考になりました」
ニコラは頭を下げた。丁寧すぎる角度だ。ロッドはむず痒い気持ちになった。近くを通りかかった士官が、非難めいた視線を送ってくる。年若い少女を虐めているように思われたのだろうか。
「ど、どういたしまして。犯人を見つけ出す助けになったかな」
「なりました。これ以上ないほどに」
まじめそのものの表情で、ニコラは言う。外套の話しかしていないんだが、とロッドは訝った。
「本当に助かりました。後日、何かの形でお礼をさせていただきますね」
「気にしないで。大した話はしていないから」
遠慮を舌に乗せた後で、ロッドは少々色気を出した。
「……まあ、もし、謝礼をしてくれるつもりがあるのなら、ご婦人とお近づきになれる機会を設けて欲しいかな」
これまで軍務にのめりこんで来たせいで機会を逃していたが、そろそろ身を固めたいと思い始めているロッドだった。
「どういった女性がお好みですか」
「贅沢は言わない。穏やかな性情で、僕を尊重してくれる女性なら」
ニコラは悲しげに首を横に振った。これまでロッドが目にした中で、最も感情豊かな表情だったかもしれない。
「贅沢です」