デジレ街道
文字数 5,103文字
デジレは薔薇の産地として名高い。
詩人は唄う。「デジレの薔薇は血の薔薇、鉄の薔薇」
艶めいた赤と、剪定後も型崩れしない頑丈さを誇るこの品種は、式典等で列席者の胸元を飾る用途に好まれる。戦勝間もないこの時期は、各地で慰労会が絶え間無く催されているため、薔薇売りたちにとって絶好の稼ぎ時だった。ケインを立って二時間の間に、サキの乗り込んだ馬車は花を満杯に詰め込んだ荷車と十数度もすれ違っている。
風にこぼれる赤に、少年は戦場を思い出していた。
「暴動です。議長閣下の領地で暴動が起こっています」
馬車の座席から身を乗り出し、鞭を増やすよう御者に手振りで指示を与えながらカザルスは言った。馬車は戦場でサキが乗ったものから装飾を省いたような造りで、乗り心地は悪くない。座席にはカザルス、フェルミ、サキにニコラの四人。騎兵が四騎、護衛のため併走している。
「原因は給金の不払いです。閣下のお膝元にある薔薇園全ての雇い人に対して支払いが滞っています。今日で一週間です」
時折、道の凹みに弾む馬車にもおかまいなしに早口で状況を説明するカザルスの隣で、フェルミは黙ったままだ。この二人、そんなに仲良しではないなとサキは考える。
「議長閣下の領地ともなれば、薔薇園の雇い人だけでも千人を下りません。中でも気の荒い者たちが支払いを求めて徒党を組み、『いばら荘』周辺で暴れ回っております……ああ、いばら荘というのは、議長閣下のお屋敷です。天然のいばらが砦のように館を包んでいる、なかなかおもしろい場所ですよ」
いばら荘。サキも聞いた覚えのある名だ。グリムが風変わりな邸宅に住んでいるという話も誰かの噂で耳にしていた。
しかし今は、建物に興味を持つ余裕はない。
「どうして不払いなんてことに?」
サキは不思議でならない。大貴族であり現時点で王国最大の権力者でもあるグリムにとって、その程度の支払いなどたかが知れているはずなのに。
「議長閣下は、ああ見えて細かいお方です。微々たる給金であっても逐一、閣下の決済が必要とのことです。それが滞っているのだとしましたら」
「議長の身に何か起こったと?」
サキが推測を述べると、カザルスは首肯した。
「私も停戦合意の調印式以来、お会いできていないのですよ。各地に配下を送って事情を探らせているのですが、どうも要領を得ません。しかし王都にいらっしゃるのであれば、誰かの眼には触れるでしょうから、少なくとも何か起きる前まではデジレにいらっしゃったと考えるべきでしょう……」
「とりあえず、騒ぎを収めるだけだったら」
サキは無難な対策を口にした。
「仮の給料を払えばいいのでは?常雇いの者なら毎月の給金に大差はないだろうから、暫定的に先月分と同じ額を渡して、後で調整するとか」
カザルスは悲しげに首を横に振る。
「すでに提案しておりますが、閣下の承認なしに大きな金を動かすことはたとえ家宰でも許されていないとのことでして」
融通が利かないのも程がある、とサキは呆れたが、
「……ようするに、誰も責任を取りたくないんだな。けれども命じたのが『議長より上』の人間なら仕方がなかったといいわけができる。そこで僕の出番か」
「ご明察でございます」
「つまり困難事を解決するために、僕の権威が必要というわけだな」
「そういうことになりますな」
「だったらさあ」
サキは次第に腹が立ってきた。
「あるだろ!デジレの前に!僕に伝えるべきことが!」
はて?と言いたげに少将は頬の筋肉を動かした。
「せ・ん・そ・うだよ!戦争は一体どうなった!」
「戦争は我が軍の勝利、現在は停戦状態ですが?」
「知ってるよ!新聞で読んだよ!」
停戦条約が締結されたのは十日前だった。
各社の記事によると、今回の戦争に参加した全ての将校が両国国境線上で顔を合わせ、互いの健闘を称えつつ、軍服・外套などの軍用品一式を交換したという。これは伝統的な停戦の様式で、この作法に則った停戦条約は、歴史上、破棄された例が少ない強固なものだ。
「僕が怒ってるのは何で新聞なんかで知らなきゃいけないってことだよ!合戦が終わったらお払い箱にして、何も知らせてこない!政治の駆け引きとか、情勢の転換点とかさあ、立場にふさわしい情報を伝えてくれるべきだろうが!」
「なるほど。ほったらかしにされていたのが気に食わないと」
「僕がわるいみたいな言い方するなっ」
「それは失礼。では機密に触れない程度にお伝えしましょう」
御者に一瞬、ニコラに数秒視線を寄せてからカザルスは別の説明に移った。
「グロチウスは死にました。死ぬような作戦に参加したからです。本来ならばあのような危うい戦い、たとえグロチウスの発案であっても違う者を戦場に送ったはずです……つまり人材不足。用兵に明るい人物が革命軍には足りていない、と我々は分析しました。蜂起と政権奪取には成功したものの、諸外国とやり合うには駒が足りなかったのだろうと推測したわけです。グロチウスの死は、革命軍から軍事の要が失われたことを意味します。これを受けて、我らの選択肢は二つございます。一つ。敵の弱体化に乗じて徹底的に叩く。二つ。守りに転じて棘を生やす」
「二番目を選んだな。その理由は?」
「あやういからです。諸外国が」
サキの問いに、カザルスは神妙な面もちで答える。
「依然、正規軍の大半が共和国内にある以上、この機に乗じて我が国を襲うような山っ気のある国がないとは言い切れません。そのため革命軍と早期に手打ちをして、浮いた戦力を諸外国への威嚇に充てるべきと判断したのです。これは被害妄想でもなんでもなく、実際に手を伸ばしてきた国があります。軍事機密の買取りという手を使って」
聞き捨てならない話だった。「買取りって?」
「戦闘終了の三日後、軍の事務方一名が逮捕されました。その前日に旅券も持たずに共和国へ渡り、帰ってきたところで不審人物として憲兵に捕縛されたのです。取調べの結果、大金と引き換えに革命軍の将校へ我が軍の機密を漏らしていたと判明しました」
「機密」
「それほど致命的な内容ではありません。軍の規定上、機密に分類されるという程度のもので各部隊の組織図や所属官の姓名といった細々とした情報です。革命軍の将校にとっては割に合わない買い物だったでしょう。しかしながら問題なのは、裏切り者が情報を売りさばいた相手が革命軍だけではなかったという事実です。共和国内には他国の間諜も侵入していて、彼らにも機密を売り渡したと白状したのです」
「他国、とは具体的にどの国なんだ」
カザルスは哀しげな顔で両手を挙げた。
「全てです。この継水半島に籍を置く国家全て」
「それはひどい……」
「全く、我が国も嫌われたものです。嫉みの的となるは強国の常とは言え、民は従順、官吏は勤勉、兵士は剛健と、好かれる材料がこれだけ揃っていますのにねえ」
「……兵士の上に立つ連中がまずいのでは?」
「はっはっは」
笑い事じゃないよ。
「とにかく、ご近所の方々が我が国と同盟するどころか隙あらば喉笛を喰いちぎろうと狙い済ましている餓狼であることが明らかになったわけです。もちろん、軍事・外交というものは両面からかかるものですので警戒しすぎるのも滑稽ですが、少なくとも、共和国へ長期に渡って軍を駐留させるのは得策でないと判断したわけでして」
ふいにサキは、別の思考に誘われる。
推測するだの判断するだの、主語は誰だろう。普通に考えれば宮廷軍事評議会の面々だろうが、彼らに対してカザルスはどれほどの影響力を持っているのだろうか。
最初の内、陰謀は評議会が練り上げたもので、カザルスはその走狗にすぎないと見えていた。
しかし王都を捨て置き敵国の首都を目指すという正気の沙汰ではない軍事行動はカザルスの発案によるものだ。もしかするとこの信用のおけない少将こそが、現時点で事実上、王国の支配者の地位にいるのではないか。
「……というわけで、わたしたちはテニスで汗を流しました」
テニス?
おかしな話に流れている。
「すまない、聞き逃した。テニスがなんだって?」
「ちょっとした親睦ですよ。四日前ですが、停戦合意の事務作業の合間にね、国境にテニスコートをつくって、両軍の将校から代表を選んで試合をしたんです。テニスはいいですな。日常で使う筋肉とは違う部分を使いますもので、疲労さえも不思議と心地がいい!」
「……いいご身分だな……」
そういう催事が外交の駆け引きには必須であることくらいサキも承知しているのだが、それでもいい気はしなかった。その間、頭の傷でうんうん唸っていたのだ。
「向こうは迷惑したんじゃないか。負傷者も混ざっていただろうに」
「それは心配無用です」カザルスは涼しい顔で保証する。
「両軍共に、佐官以上のけが人は皆無でしたから。あるんですなあ。こういう幸運が」
「へ、へえ……」
ぶり返す怒りを、サキは我慢する。命を落としたグロチウスと、額を切った自分。奇しくも両軍の大将格だけが負傷したことになる。たまたまだろうが、何かやりきれない。
「負傷者といえば」話題を変える。
「こちらの損害は、どのくらいで収まりそうなんだ」
黙りこくっていたフェルミにサキは訊いた。戦争ではその場で命を落とすより、負傷を悪化させた死亡者が多いと教わって以来、気にかかっていたからだ。
「お訊ねなのは、殿下の指揮下にあった選抜民兵ですよね」
サキは無言で頷いた。
「現時点で千十余人です。」
フェルミはそらんじる。
「これ以上大幅には増えないでしょう」
「千人を超えたか」
負傷の不満が、一瞬で冷えた。
「ちょっとした街の人口じゃないか」
「悪い数字じゃないですよ」
あっけらかんとフェルミは言う。
「三倍の敵相手に数時間やり合ってこの程度なら、十分及第点でしょう」
そうは言われても、喜べない。戦場から二週間経った今でも、眼を閉じると死体の山が浮かんでくる。
―――戦争で兵士をいっぱい動かしていっぱい人を殺す!最高じゃないですか!
どこのだれだろう、そんなことを口にしていたバカは。
「青い顔をすることはありません」
事務的な抑揚で、フェルミは慰めを重ねる。
「戦史を紐解けば、同様の状況で、もっと悲惨な数字が見つかります。比較すると、喜んでもいい数値ですよ」
「・・・・数学の問題じゃないんだよ」
サキは吐き捨てるが、
「数学の問題です」
不意の反撃に、たじろいだ。フェルミの声から事務手続きが消えている。
「全滅だってありうるような戦力差だったのに、二割程度の損耗で済んだ。それはあんたの功績で、誇っていいところですよ。殿下のどういう行動がその数字をつくったか、しっかり学んでもらわないと困りますな」
サキは目を瞬いた。こいつは希に親戚の年長者みたいな助言をよこす。正直、むずがゆい。
「口をはさんでもよろしいですか」
ふいに言葉を発したのは、それまで沈黙していたニコラだ。返答を待たずに、続ける。
「フェルミ大佐は、カザルス少将の配下でいらっしゃるのですね」
「……そうですが」
フェルミは答えた。戸惑いを混ぜた風の声だった。
「それでは弟をかつぎあげて戦場に投げ込むという今回の企てにも、関わっていらっしゃったのですね」
「まあ、そういうことになりますね」
応える声が重い。
「それでは最初のうちは弟を戦場で使い捨てるつもりでいたものが」
二コラの声と目線が冷気を上げた。
「ものになりそうとわかった途端、教師面をされている、というわけですか」
沈黙。
フェルミは気まずそうに俯いてしまう。
彼を気の毒に思わなくもないサキだったが、姉を嗜めるほど思い入れもないので、黙っておいた。
「はっはっは」
カザルスが豪快に笑う。
「言われたな大佐!いや、ご指摘ごもっとも。こいつはどうしようもないやつなんです。自分も含め、だーれも幸せにしない、偽善の塊だ」
「……あんたよりはましな性分ですよ」
「そいつはどうかな?泣きながら殺すやつ、笑って殺すやつ。どっちの始末がわるい?」
「貴方の評価を上げたわけではありません」
二コラが氷を挟む。
「依然、最低のままです」
笑いながらカザルスは肩をすくめる。そのまま一同、目的地まで無言だった。