トランプと推理
文字数 3,384文字
サキが交渉した翌日の朝から、早くも摂政府内の捜索が実行された。
動員された兵士は二十名程度。彼らを連れてきたのはギディングスだったが、終始「眠い」とこぼしながら執務室で待機していただけで、まともに指揮を執る様子は見受けられなかった。というより、サキはこの男が仕事をする光景を見た覚えがない。
兵士たちはめいめいの判断で建物内を見て回り、念のためサキも同行して作業を監視していたが、当然ながら議長の叔父も義弟も見つかるはずはなかった。ちなみに前日からニコラとカヤが客間に泊まっていたため、兵士たちは客間を捜してよいものか躊躇していたが、両人とも問題ないと承諾した。この二人に、赤薔薇家の人間を匿う理由があるはずもない。
「まあ、いるわけないよな。じゃあ捜索は終了っと」
兵士たちの報告を受けたギディングスは無感動に応じる。ものの一時間程度で捜索は終わり、兵士たちは辞去したが、ギディングスだけはまだ執務室に居座っている。
「すいません。今日は夕方まで、ここに居させてもらって構いませんか」
「いいけど、戻らなくていいのか?評議会へ」
「いやなんですよ。その評議会が」
中佐は虫を払うように手を振った。
「目当てが見つからないものだから、皆さん、ぎすぎすしてましてね。俺、一番年下だし下っ端だから、気を遣うんですよ。色々と」
サキは意外に思う。気を遣ったりするのか。この男も。評議会に出席した際、そういう素振りは微塵も見受けられなかったけれど。
「あーあ、しんどいなあ。宮仕えってやつは。もっと自由に生きたいですよ」
けっこう自由に見えるけど……
「とにかく、この摂政府にも標的は隠れていないと証明してもらった。取り決めの通り、僕の出番ってことになるのかな?」
赤薔薇家が国外に有する不動産を捜索するために、サキの名前で諸外国と交渉するという話だ。
「今日明日、って話にはならないと思います」
ギディングスは額に落ちた前髪をかき上げる。
「マリオン評議員とかは、封鎖した邸宅のどこかに隠し部屋があるんじゃないかって疑っているんです。いばら荘にも隠し通路があった以上、似たような仕掛けがあるかもしれませんからね。どこかで息を潜めているとしたら、食料が尽きたら音を上げるかもしれないって」
なるほど。とりあえずは様子見に徹するというわけか。外交をやってみたかったサキだが、急くつもりは特になかった。
そのあと、執務室でトランプをやることになった。ギディングスも含めた四名で。暇そうにしている中佐に、ニコラが勝負を持ちかけたのだ。昼過ぎにコレートが訪ねて来た頃には、すでに十ゲームが終了していた。
「あら、ご機嫌斜めですね」
トランプを切りながらあからさまに眉根を寄せるニコラを見て、青杖家当主は不思議そうに首を傾げる。
「そういえば、拙宅で勝負された際も面白くなさそうでしたよね」
「姉は、全勝しないと気分が悪いんですよ」
「まあ、傲慢の極みですわね」
さらりとコレートは言う。
「コレート様も混ざっていただけますか。もう一勝負しましょう」
ニコラの真剣な目線に、コレートはたじろいでいるようだった。
「あ、あの、私、間が悪かったかしら?」
「バッセ」はトランプ遊技の中でも上流階層で人気の高いものだ。賭博の対象とした場合、掛け金の跳ね上がる速度が他の遊技の比ではないため、「王侯の遊技」とも呼ばれている。とはいえこのご時世、たとえ無尽蔵の財布を持っていても、トランプに大金を支払う貴族は数少ない。革命で首から上を失ったマリー・アントワネットが、他ならぬバッセの愛好者だったからだ。縁起を担ぐわけではないが、蕩尽は気が引ける。
というわけでこの日の勝負も、景品をお菓子にした健全きわまりないものだった。
「コレート様、手を抜いてはいないでしょうね」
ニコラの鋭い視線を、コレートは受け流す。
「自意識過剰でいらっしゃること。抜く必要も、意味もありませんわ」
「ハイユヘ赴かれていたそうですが、収穫はなかったんですね」
サキの質問に、青杖家当主は大げさな身振りで天井を仰ぐ。
「兵隊さんたちは壁や床をたたいて隠れる隙間がないか探っていましたけれど、私はやることがないので帰ってきましたわ」
トランプの山から一枚抜き取り、首を横に振った。
「私、隠し部屋の線はないって考えておりますの」
「どうしてっすか」
眠たそうに頭を揺らしていたギディングスが反応する。
「だって見つからないような隠し部屋って、人一人が何とか入れるくらいが関の山でしょう?貴族の、しかも身の回りの世話もろくにできない男性が、長い間我慢できるはずありませんわ」
そんなことはない――と言い返そうとして、そうかもしれない、とサキは思い直す。食事は携帯が効く品を用意するとしても、何日も頑張るのは難しいだろう。
「大貴族・赤薔薇家の一員だったら他の選択肢を使いますわ。私、夫に進言しましたの。赤薔薇家が援助している団体や施設を調べてはどうかって」
目の付けどころは悪くないように思われた。ただ富裕な貴族が資金援助を行っている団体は無数に及ぶのではないか。
「機密情報とやらにかかりきりになってるみたいだけど、評議会の方ではさ」
時折トランプを置いて、勝負に興じる面々をスケッチしていたカヤが、久しぶりに口を開いた。
「お父さんを殺した犯人、もうどうでもいい感じなのかな」
沈黙が一同を包んだ。
ギディングスは素知らぬ顔で、掌の手札を確認している。やがて全員の視線が集中しているのに気付き、
「ああ、俺が答えるんですか」
他に誰がいるんだよ。
「そうですね、今は棚上げにしてるだけで、どうでもよくはないと思います」
片手で手札を纏める。
「今は一致団結して、当面の問題を片づける。でも、将来的にはわからないってところでしょう。犯人じゃない評議員にとっては、誰か一人を失脚させる切り札が手に入るかもしれないわけですし」
「なんだか薄情だね。同じ評議会の仲間だったのに。ま、お父さんが生きていても、そういう判断をしたと思うけどさ」
カヤの視線が、サキとギディングスへ交互に注がれる。
「宣言させてもらうね。赤薔薇家の後継者候補第一位であるこの私は、実父グリムの殺害犯人を迅速に割り出すことは要求しない」
それこそ薄情かな、付け加えながら、カヤは続ける。
「思ったんだよね。もしお父さんが殺されていなかったら、どうなってたかって」
サキが思いつきもしなかった想定だった。
「どうなってたかって、何事も起こらず、平穏だったんじゃ」
「本当にそう?」
カヤは寂しげな笑顔をつくった。
「戦争が終わった後も、お父さんはサキを操り人形として利用し続けようとしたでしょう。サキがおとなしく従うわけがない。結果、二人はぶつかって、今よりもっと悲しい状況になっていたかもしれない」
言われてみればカヤの言う通りだ。
権勢を争ったあげく、サキは命を落としていたかもしれない。あるいは議長が敗れた場合、決闘などではない、大勢の人間を巻き込んだ死を迎えたかもしれないのだ。
「ひどい言い種だけどね。お父さんがああいう流れで死んじゃったことは、最良とは言えないにせよ、割合ましな形なんじゃないかって」
カヤは俯くでもない、正面を見るでもない微妙な角度で目を伏せ、黙り込んでしまった。
「はあ」
さしたる感銘を受けた風もなくギディングスは、
「そういうことでしたら伝えておきますね。ま、喜ぶんじゃないですか」
トランプに集中していたニコラが、ふいに呪縛から解けたように肩を動かした。それを見たカヤの目が丸くなる。
「ニコラ、ひょっとしてずっと考えてた?誰が犯人かってこと」
「ええ」
「もしかして、もうわかっちゃったとか」
「いいえ。そこまで賢くはありません。まだ悩んでいる最中ですよ」
「ごめんね、邪魔しちゃって」
カヤは帳面に筆を走らせながら言う。姉の表情に創作意欲を掻き立てられたようだ。
「でも、そんなわけだから、もうお父さんに気をつかってもらう必要はないんだ。もっと別の、ニコラにとって大事なことに頭をつかってね」
「ええ」
曖昧な表情で、姉は頷いていた。
動員された兵士は二十名程度。彼らを連れてきたのはギディングスだったが、終始「眠い」とこぼしながら執務室で待機していただけで、まともに指揮を執る様子は見受けられなかった。というより、サキはこの男が仕事をする光景を見た覚えがない。
兵士たちはめいめいの判断で建物内を見て回り、念のためサキも同行して作業を監視していたが、当然ながら議長の叔父も義弟も見つかるはずはなかった。ちなみに前日からニコラとカヤが客間に泊まっていたため、兵士たちは客間を捜してよいものか躊躇していたが、両人とも問題ないと承諾した。この二人に、赤薔薇家の人間を匿う理由があるはずもない。
「まあ、いるわけないよな。じゃあ捜索は終了っと」
兵士たちの報告を受けたギディングスは無感動に応じる。ものの一時間程度で捜索は終わり、兵士たちは辞去したが、ギディングスだけはまだ執務室に居座っている。
「すいません。今日は夕方まで、ここに居させてもらって構いませんか」
「いいけど、戻らなくていいのか?評議会へ」
「いやなんですよ。その評議会が」
中佐は虫を払うように手を振った。
「目当てが見つからないものだから、皆さん、ぎすぎすしてましてね。俺、一番年下だし下っ端だから、気を遣うんですよ。色々と」
サキは意外に思う。気を遣ったりするのか。この男も。評議会に出席した際、そういう素振りは微塵も見受けられなかったけれど。
「あーあ、しんどいなあ。宮仕えってやつは。もっと自由に生きたいですよ」
けっこう自由に見えるけど……
「とにかく、この摂政府にも標的は隠れていないと証明してもらった。取り決めの通り、僕の出番ってことになるのかな?」
赤薔薇家が国外に有する不動産を捜索するために、サキの名前で諸外国と交渉するという話だ。
「今日明日、って話にはならないと思います」
ギディングスは額に落ちた前髪をかき上げる。
「マリオン評議員とかは、封鎖した邸宅のどこかに隠し部屋があるんじゃないかって疑っているんです。いばら荘にも隠し通路があった以上、似たような仕掛けがあるかもしれませんからね。どこかで息を潜めているとしたら、食料が尽きたら音を上げるかもしれないって」
なるほど。とりあえずは様子見に徹するというわけか。外交をやってみたかったサキだが、急くつもりは特になかった。
そのあと、執務室でトランプをやることになった。ギディングスも含めた四名で。暇そうにしている中佐に、ニコラが勝負を持ちかけたのだ。昼過ぎにコレートが訪ねて来た頃には、すでに十ゲームが終了していた。
「あら、ご機嫌斜めですね」
トランプを切りながらあからさまに眉根を寄せるニコラを見て、青杖家当主は不思議そうに首を傾げる。
「そういえば、拙宅で勝負された際も面白くなさそうでしたよね」
「姉は、全勝しないと気分が悪いんですよ」
「まあ、傲慢の極みですわね」
さらりとコレートは言う。
「コレート様も混ざっていただけますか。もう一勝負しましょう」
ニコラの真剣な目線に、コレートはたじろいでいるようだった。
「あ、あの、私、間が悪かったかしら?」
「バッセ」はトランプ遊技の中でも上流階層で人気の高いものだ。賭博の対象とした場合、掛け金の跳ね上がる速度が他の遊技の比ではないため、「王侯の遊技」とも呼ばれている。とはいえこのご時世、たとえ無尽蔵の財布を持っていても、トランプに大金を支払う貴族は数少ない。革命で首から上を失ったマリー・アントワネットが、他ならぬバッセの愛好者だったからだ。縁起を担ぐわけではないが、蕩尽は気が引ける。
というわけでこの日の勝負も、景品をお菓子にした健全きわまりないものだった。
「コレート様、手を抜いてはいないでしょうね」
ニコラの鋭い視線を、コレートは受け流す。
「自意識過剰でいらっしゃること。抜く必要も、意味もありませんわ」
「ハイユヘ赴かれていたそうですが、収穫はなかったんですね」
サキの質問に、青杖家当主は大げさな身振りで天井を仰ぐ。
「兵隊さんたちは壁や床をたたいて隠れる隙間がないか探っていましたけれど、私はやることがないので帰ってきましたわ」
トランプの山から一枚抜き取り、首を横に振った。
「私、隠し部屋の線はないって考えておりますの」
「どうしてっすか」
眠たそうに頭を揺らしていたギディングスが反応する。
「だって見つからないような隠し部屋って、人一人が何とか入れるくらいが関の山でしょう?貴族の、しかも身の回りの世話もろくにできない男性が、長い間我慢できるはずありませんわ」
そんなことはない――と言い返そうとして、そうかもしれない、とサキは思い直す。食事は携帯が効く品を用意するとしても、何日も頑張るのは難しいだろう。
「大貴族・赤薔薇家の一員だったら他の選択肢を使いますわ。私、夫に進言しましたの。赤薔薇家が援助している団体や施設を調べてはどうかって」
目の付けどころは悪くないように思われた。ただ富裕な貴族が資金援助を行っている団体は無数に及ぶのではないか。
「機密情報とやらにかかりきりになってるみたいだけど、評議会の方ではさ」
時折トランプを置いて、勝負に興じる面々をスケッチしていたカヤが、久しぶりに口を開いた。
「お父さんを殺した犯人、もうどうでもいい感じなのかな」
沈黙が一同を包んだ。
ギディングスは素知らぬ顔で、掌の手札を確認している。やがて全員の視線が集中しているのに気付き、
「ああ、俺が答えるんですか」
他に誰がいるんだよ。
「そうですね、今は棚上げにしてるだけで、どうでもよくはないと思います」
片手で手札を纏める。
「今は一致団結して、当面の問題を片づける。でも、将来的にはわからないってところでしょう。犯人じゃない評議員にとっては、誰か一人を失脚させる切り札が手に入るかもしれないわけですし」
「なんだか薄情だね。同じ評議会の仲間だったのに。ま、お父さんが生きていても、そういう判断をしたと思うけどさ」
カヤの視線が、サキとギディングスへ交互に注がれる。
「宣言させてもらうね。赤薔薇家の後継者候補第一位であるこの私は、実父グリムの殺害犯人を迅速に割り出すことは要求しない」
それこそ薄情かな、付け加えながら、カヤは続ける。
「思ったんだよね。もしお父さんが殺されていなかったら、どうなってたかって」
サキが思いつきもしなかった想定だった。
「どうなってたかって、何事も起こらず、平穏だったんじゃ」
「本当にそう?」
カヤは寂しげな笑顔をつくった。
「戦争が終わった後も、お父さんはサキを操り人形として利用し続けようとしたでしょう。サキがおとなしく従うわけがない。結果、二人はぶつかって、今よりもっと悲しい状況になっていたかもしれない」
言われてみればカヤの言う通りだ。
権勢を争ったあげく、サキは命を落としていたかもしれない。あるいは議長が敗れた場合、決闘などではない、大勢の人間を巻き込んだ死を迎えたかもしれないのだ。
「ひどい言い種だけどね。お父さんがああいう流れで死んじゃったことは、最良とは言えないにせよ、割合ましな形なんじゃないかって」
カヤは俯くでもない、正面を見るでもない微妙な角度で目を伏せ、黙り込んでしまった。
「はあ」
さしたる感銘を受けた風もなくギディングスは、
「そういうことでしたら伝えておきますね。ま、喜ぶんじゃないですか」
トランプに集中していたニコラが、ふいに呪縛から解けたように肩を動かした。それを見たカヤの目が丸くなる。
「ニコラ、ひょっとしてずっと考えてた?誰が犯人かってこと」
「ええ」
「もしかして、もうわかっちゃったとか」
「いいえ。そこまで賢くはありません。まだ悩んでいる最中ですよ」
「ごめんね、邪魔しちゃって」
カヤは帳面に筆を走らせながら言う。姉の表情に創作意欲を掻き立てられたようだ。
「でも、そんなわけだから、もうお父さんに気をつかってもらう必要はないんだ。もっと別の、ニコラにとって大事なことに頭をつかってね」
「ええ」
曖昧な表情で、姉は頷いていた。