退屈と不信
文字数 2,318文字
「やることがない……」
摂政府の執務室。ソファーに横たわりサキは猫のように身を伸ばす。評議会がカヤの無罪評決を下した翌日、朝から夕方まで、サキはこの部屋で時間を空費していた。
すでに昨日の時点でカヤは釈放され、準男爵邸に帰った。めでたしめでたし、と行かないのは後始末があるからだ。有罪判決を求めて評議会に圧力をかけていた議長の叔父と義弟を襲撃して「機密事項」とやらを取り上げる計画だと聞いていたのだが、まだ成否の連絡が届かない。
釈放を祝う宴会でも開こうかと思っていたのに、これでは日取りも決められない。
「いやいや、暇を楽しむのも権力者の特権だぞサキ」
呟いたサキは、部屋の中を目的もなく歩き回る。昨日まで、あんなに疲れていたじゃないか。よけいなことを考える暇もなく、脳みそを稼動させていた。今なら、どんな無駄を考えても、してもいい。
(奇声を発してみようかな)
「決闘の王子」の孔雀男みたいに、両手を斜めに上げる。音量は中くらいにしよう。あまり大声を出すと衛兵に余計な仕事を与えてしまう。
とりあえず、鳥の真似をする。
「ピョ――――ッ!」
奇妙な解放感が湧き上がってきた。
気分がいい!何の意味もないことをするって、こんなに爽快だったのか!
「ピョ――――ッ」
「ピョ――――ッ」
向きを変えながら何度もさえずる。
「ピョ――――ッ」
「ピョ――――ッ」
部屋の入り口から、ニコラとカヤが入ってきた。
気まずい。
「サキ」
ニコラは口元を手で押さえる。
「とうとう……」
「『とうとう』って何ですか。違います」
サキは弁解する。
「違います姉上。奇声を上げるのを楽しんでいただけです。気が触れたわけじゃありません」
「それを気が触れたと言うのでは?」
姉は眉根を寄せる。
「その様子だと、まだ報告はないようですね」
「そうなんです。速攻で片付ける計画だと聞いていたのに」
サキは机の上に広げておいた王国の全国地図を見下ろした。印が付いている部分が封鎖目標だ。時間をかけすぎると、民衆にも知れ渡って、面倒事につながりかねない。
カヤが一瞬、視線を移した後で俯いた。
慌ててサキは地図を片付け、話題を変える。
「カヤのさ、釈放祝いをしたいから、いろいろ決めておきたいんだけど」
「えー、いいよ、大げさ」
「いやいや、処刑を免れたお祝いが大げさだったら、何が大げさじゃないんだって話になるよ。それに、今回お世話になった人たちにお礼もするべきだろ」
すでに茨荘のバンドへ手紙を送り、ゲラクにも謝辞を伝えるよう頼んである。闇市の女主人とピエロに対しても同様の連絡を行った。こうした人たちに加え、御者や工房の画家たち、準男爵も含めて、目的を果たした喜びを分かち合いたいというのがサキの考えだった。この件で一番喜んでいるのは準男爵家だろうが、当主も娘も、祝い事を遠慮しそうな性質なので、サキが主催した方がいい。
「サキがそう言ってくれるなら、お父さんたちに都合を聞いてみる」
カヤが賛同してくれた。
「ありがとね、サキ。なんていうか、いい意味で…世慣れてきたね」
「『世慣れてきた』か。いいねその表現。僕は世慣れてきた」
サキは喜んだ。単なる感謝の気持ちから言い出した話ではない。今回、助けてくれた面々を私
的に表彰することで、自分の近くに繋ぎ留めておきたいのだ。様々な情報網、能力に恵まれた人々を集めて、ゆくゆくは「摂政派」とでも言うべき勢力を造り上げたいと空想している。
「その宴会ですが」
ニコラが口を挿む。
「コレートさんは招待しますか」
「悩みますね」
サキは顎を上げる。
「呼びたいのは山々ですけれど、そうすると旦那のイオナ評議員も、という話になってきて、でもこの祝い事で彼を呼ぶのは違いますからねえ」
「父上には、出席してもらいますか」
「ちちうえ?」
サキは不愉快になった。
「何で父上が出てくるんですか。何もしてくれなかったのに」
「では、母上も呼ばないのですか」
「母上は出てもらいます。外したら、機嫌を損ねそうですし」
「では父上も呼ぶべきでは?」
「そうですね、そうなんですよね」
姉の指摘をサキは素直に受け止める。
「『世慣れた』僕としては、出てもらうべきなんですよね、父上にも。でもいやだ。出てほしくない。完全に僕のわがままですけど、いやだ。芝居のことばっかりで、僕が困ったときに何も助けてくれなかった父上には……」
「なんにも、ってことはないよ。私が捕まったすぐ後で、コネを探ってくれたそうじゃない」
カヤのとりなしにも、サキは素直になれない。
「その程度で終わりだろ?後で記者を紹介してもらおうとしたら断わられたし」
サキは目を瞑る。
「……しょうがない。呼んであげましょう」
「ずいぶん早く妥協しましたね」
少し驚いた様子のニコラに、サキは肩を揺らす。
「いや、思ったんですよ。今の僕の立場で、父親と険悪になるのはまずいかもしれないって」
君主がいて、その父親も健在という変則的な状況だからだ。サキを追い落とそうとする一派なら、その父親を対抗馬に担ぐという発想は当然、沸いてくるだろう。あの芝居狂いが応じるはずもないが、劇場を人質にされたら、わからない。
「決めました。助けてくれなかったとか、芝居と天秤にかけたとか、もう恨み言は言いません」
「赦すのですね、父上を」
「ゆるすというか…どうでもいい、と思うことにします。憎んだり、嫌ったりするのも面倒なので」
「どうでもいい、ですか」
非難するような、あきれるような姉の表情だった。
摂政府の執務室。ソファーに横たわりサキは猫のように身を伸ばす。評議会がカヤの無罪評決を下した翌日、朝から夕方まで、サキはこの部屋で時間を空費していた。
すでに昨日の時点でカヤは釈放され、準男爵邸に帰った。めでたしめでたし、と行かないのは後始末があるからだ。有罪判決を求めて評議会に圧力をかけていた議長の叔父と義弟を襲撃して「機密事項」とやらを取り上げる計画だと聞いていたのだが、まだ成否の連絡が届かない。
釈放を祝う宴会でも開こうかと思っていたのに、これでは日取りも決められない。
「いやいや、暇を楽しむのも権力者の特権だぞサキ」
呟いたサキは、部屋の中を目的もなく歩き回る。昨日まで、あんなに疲れていたじゃないか。よけいなことを考える暇もなく、脳みそを稼動させていた。今なら、どんな無駄を考えても、してもいい。
(奇声を発してみようかな)
「決闘の王子」の孔雀男みたいに、両手を斜めに上げる。音量は中くらいにしよう。あまり大声を出すと衛兵に余計な仕事を与えてしまう。
とりあえず、鳥の真似をする。
「ピョ――――ッ!」
奇妙な解放感が湧き上がってきた。
気分がいい!何の意味もないことをするって、こんなに爽快だったのか!
「ピョ――――ッ」
「ピョ――――ッ」
向きを変えながら何度もさえずる。
「ピョ――――ッ」
「ピョ――――ッ」
部屋の入り口から、ニコラとカヤが入ってきた。
気まずい。
「サキ」
ニコラは口元を手で押さえる。
「とうとう……」
「『とうとう』って何ですか。違います」
サキは弁解する。
「違います姉上。奇声を上げるのを楽しんでいただけです。気が触れたわけじゃありません」
「それを気が触れたと言うのでは?」
姉は眉根を寄せる。
「その様子だと、まだ報告はないようですね」
「そうなんです。速攻で片付ける計画だと聞いていたのに」
サキは机の上に広げておいた王国の全国地図を見下ろした。印が付いている部分が封鎖目標だ。時間をかけすぎると、民衆にも知れ渡って、面倒事につながりかねない。
カヤが一瞬、視線を移した後で俯いた。
慌ててサキは地図を片付け、話題を変える。
「カヤのさ、釈放祝いをしたいから、いろいろ決めておきたいんだけど」
「えー、いいよ、大げさ」
「いやいや、処刑を免れたお祝いが大げさだったら、何が大げさじゃないんだって話になるよ。それに、今回お世話になった人たちにお礼もするべきだろ」
すでに茨荘のバンドへ手紙を送り、ゲラクにも謝辞を伝えるよう頼んである。闇市の女主人とピエロに対しても同様の連絡を行った。こうした人たちに加え、御者や工房の画家たち、準男爵も含めて、目的を果たした喜びを分かち合いたいというのがサキの考えだった。この件で一番喜んでいるのは準男爵家だろうが、当主も娘も、祝い事を遠慮しそうな性質なので、サキが主催した方がいい。
「サキがそう言ってくれるなら、お父さんたちに都合を聞いてみる」
カヤが賛同してくれた。
「ありがとね、サキ。なんていうか、いい意味で…世慣れてきたね」
「『世慣れてきた』か。いいねその表現。僕は世慣れてきた」
サキは喜んだ。単なる感謝の気持ちから言い出した話ではない。今回、助けてくれた面々を私
的に表彰することで、自分の近くに繋ぎ留めておきたいのだ。様々な情報網、能力に恵まれた人々を集めて、ゆくゆくは「摂政派」とでも言うべき勢力を造り上げたいと空想している。
「その宴会ですが」
ニコラが口を挿む。
「コレートさんは招待しますか」
「悩みますね」
サキは顎を上げる。
「呼びたいのは山々ですけれど、そうすると旦那のイオナ評議員も、という話になってきて、でもこの祝い事で彼を呼ぶのは違いますからねえ」
「父上には、出席してもらいますか」
「ちちうえ?」
サキは不愉快になった。
「何で父上が出てくるんですか。何もしてくれなかったのに」
「では、母上も呼ばないのですか」
「母上は出てもらいます。外したら、機嫌を損ねそうですし」
「では父上も呼ぶべきでは?」
「そうですね、そうなんですよね」
姉の指摘をサキは素直に受け止める。
「『世慣れた』僕としては、出てもらうべきなんですよね、父上にも。でもいやだ。出てほしくない。完全に僕のわがままですけど、いやだ。芝居のことばっかりで、僕が困ったときに何も助けてくれなかった父上には……」
「なんにも、ってことはないよ。私が捕まったすぐ後で、コネを探ってくれたそうじゃない」
カヤのとりなしにも、サキは素直になれない。
「その程度で終わりだろ?後で記者を紹介してもらおうとしたら断わられたし」
サキは目を瞑る。
「……しょうがない。呼んであげましょう」
「ずいぶん早く妥協しましたね」
少し驚いた様子のニコラに、サキは肩を揺らす。
「いや、思ったんですよ。今の僕の立場で、父親と険悪になるのはまずいかもしれないって」
君主がいて、その父親も健在という変則的な状況だからだ。サキを追い落とそうとする一派なら、その父親を対抗馬に担ぐという発想は当然、沸いてくるだろう。あの芝居狂いが応じるはずもないが、劇場を人質にされたら、わからない。
「決めました。助けてくれなかったとか、芝居と天秤にかけたとか、もう恨み言は言いません」
「赦すのですね、父上を」
「ゆるすというか…どうでもいい、と思うことにします。憎んだり、嫌ったりするのも面倒なので」
「どうでもいい、ですか」
非難するような、あきれるような姉の表情だった。