続・玉座への誘い
文字数 3,695文字
「失礼いたします」
ノックと共に黒繭家執事の声が響いた。
闖入を許しつつ、サキは意外に思う。入室したこのフランケンという老人は、侯爵家の家政全般を取り仕切る家宰のような存在であり、今のような使い走りによこされる例は少ない。考えられるのは、何か重大な案件が待っている場合だ。
「王宮より使者がいらっしゃいました。二番目の客間でお待ちいただいております」
磨かれた竹のような長身を優雅に屈め、執事は来客を告げた。
「僕の知っている人だろうか」サキは確認した。返事も出さず、すでに数日が経っている。王宮からそろそろ催促が来るだろうとは思っていた。
執事は記憶を転がすように、わずかに首を傾ける。
「いいえ、お会いになるのは初めてかと。カザルス少将というお方です」
はじめて聞く名前だった。
少将という階級から初老くらいの年齢を予想していたサキは、客間で待っていたその男がせいぜい三十台半ばの風貌であったことに少し驚いた。精悍な顔立ちに整った口ひげ。6フース(約百八十センチ)を超える長身。軍人としては細身だが、体型にぴったりと合わせた軍服には適度な隆起がうかがえるので、軟弱というより余分を排して鍛えているようだ。 華美を好まない、軍人らしい洒落者という風情だった。女性にはもてるかもしれない。
そうした諸要素のどこから漂うのか、あるいは調味料のような組み合わせの産物なのか、カザルスという男は、どこか現実離れした佇まいを持っていた。
「殿下、おひさしぶりにございます」
赤黒い起毛のソファーから流麗な動作で立ち上がり、一礼した少将に、サキは混乱した。
「……どこかでお会いしているでしょうか」
おそるおそる訊くと、相手は破顔し、手を叩いた。意外に愛嬌がある。
「失礼、お初にお目にかかるようですな。迷ったらこうご挨拶することにしているのです。何分、記憶力に自信がないもので」
正直にも程がある。子供だから馬鹿にされているわけではないらしい、とサキは判断した。誠意のなさそうな男だが、誰に対しても誠意がなさそうで、かえって腹が立たない。とは言え王冠理論に照らし合わせると、間違いなく「持っている」側の人間なので、嫉妬を顔に出さないよう、サキは努力した。
「重ね重ね失敬。事情が事情でございますから、ぶしつけながら本題に入らせていただきます」
意外だ。父上を待たないのか。
子供を国王に迎えるのだから、形だけでも父親を後見役に据えるのが筋のはず。その手続きさえ踏まないというのは予想外だった。
疑問が顔に出てしまったのか、カザルスの眉が大げさな角度にる吊り上がる。
「伝統的に、わが国のまつりごとは重臣の皆様の話し合いによって動かされてきました」
しかし疑問に答えるつもりはなさそうだ。本題に入ってさえいない。
「具体的には、国法で定められた委員会だの会議だのがまとめ上げた方針を国王に提出、国王の承認を得て法案なり命令なりが施行されるという形です。ここ数年、裁可をいただいていたのは国王候補の方々でしたが」
カザルスはふいに、両手で首をかきむしるふりをした。
「ご存知の通り、みなさん、こうなってしまわれました」
笑っていいものか、サキは迷う。
そのおかげで、本来は他の委員会の下位にある方々が現在、くりあがりで国政を担っています。私はその方々の指令を受けて参上しているものです……殿下、あなたを指名されたのは『宮廷軍事評議会』の皆様です」
宮廷軍事評議会。それがどういう類の組織だったか、サキは急いで知識をたぐる。
「たしか、軍隊に関わる色々な事柄を指図する会議、でしたか」
「おおまかにいえば、そのようなところです」カザルスは肯定した。
「正確に申し上げますと、軍属の人事、兵站の構築、兵隊に奉仕する商工団体の選別、そして軍関係者が罪を犯した際の裁判権を与えられた組織です」
その言葉から、サキは深刻な気配を嗅ぎ取った。
「軍上層部の方々が国政を掌握する、そういう状況になっているということですか」
「そうなりますな。なんといいますか、上手い誤魔化しの文句を捻り出したいところではありますが」カザルスは認めた。
「誤解していただきたくないのですが、われら軍人も、評議会委員の方々も、国政に関与することにさほど熱意はございません。ヴァレンシュタインの故事を引くまでもなく、武人が政治に手をのばすというのは、あまりかしこくないもので」
半笑いで語るカザルスは、舌に偽りを乗っけていますよ、と白状しているかのようだ。
「しかし現状が、そのようなつつましさを許してくれそうにないのです」
挨拶をして以降、ずっと笑みを張り付けていた少将の表情が、次の言葉に移った瞬間、真顔に凍った。
「お隣の公国が『共和国』に変わりました」
事態の半分くらいは理解できた、とサキは考える。
「公国」はこの国にとって馴染みの深い喧嘩相手だ。主に水利権を巡る諍いにより、過去二百年で十数回以上、干戈を交えてきた。
その隣国に、亡命フランス人によって革命思想が流し込まれたのがここ数年のこと。王国に比べて資源に乏しく、貧民層の割合が高かった公国では、貴族やブルジョワが食い扶持にあぶれた貧民を安く買いたたき、奴隷以下の重労働を強いる光景がそこかしらで広がっていた。
彼ら持たざる者たちに注ぎ込まれた自由・平等の思想は輸入元のフランスをしのぐ程爆発的な化学反応を起こし、半年前には革命軍を名乗る勢力が反乱を起こしたと聞いている。
現在、公国内では政府軍と革命軍が一進一退の攻防を繰り広げており、予断を許さない状況にある――というのが、サキも知っている新聞一面の情報だった。
「一気にひっくり返されました。この数日で、公国軍は無力化、お偉方は公宮より落ち延び、今は革命軍による新政府の旗がたなびいているとのこと。こうなりますと、隣合わせの我が国としては、警戒を高める必要がございます」
「……まさか、攻めてくるというのですか。我が国に」
「革命だの、自由だの宣う連中のやっかいなところは」
大げさにカザルスは肩をすくめる。
「自分の国だけで満足しないところです。まるで旨い料理をすすめるみたいな気安さで、よその国の王族まで吊るしてしまえとけしかける。悪意が生み出す暴力より、善意が招くそれの方がえげつないものですな……いや、話がそれました。本題に入らせていただきます」
さっきも聞いた。このまま二時間くらい、前振りを続けるつもりかと、サキは嫌気がさした。
「つまりいつ共和国軍が国境を侵しても対処できるように、軍備を整えねばなりません。糧食の確保、予備役の動員、連絡線の構築その他諸々です。これらは通常、評議会より提出された素案に、国王の許可をいただくことで動き出すものですが」
芝居がかった仕草で、少将はかぶりを振った。
「数人の国王候補に裁可を仰ぐという現状の回し方では、敵軍の動きに対して手遅れとなり兼ねないのです。国王候補の方々も、兵馬のこととなれば意見も分かれるでしょうからね。ですから本題に、率直に不躾ながら、本題に入らせていただくのですが……」
神妙なカザルスの面持ちにも、どうせ本題じゃないだろ、とサキはたかをくくっていたのだが、
「お願い申し上げます。我らの言いなりに、ハンコだけ押してくださる国王になっていただきたい」
本当に、本題だった。率直だった。不躾だった。
カザルスは深々と頭を垂れる。
眩暈がする程の慇懃無礼。
「それは」
喉が渇いて、サキは言葉が継げない。
「候補の一人ではないということですね。僕に、玉座を用意すると」
「さよう。話はついています」
胸を張り、カザルスは薄く笑う。
「けど、言いましたよね。あやつり人形の王様なんでしょう?」
「申し上げました」カザルスは微笑みを尖らせる。
「しかし失礼ながら、いずこの国でも殿下と同じお年頃の国王であれば、あつかいは似たようなものです」
さっきから、少将はサキを「殿下」と呼び続けている。それは本来、国王の子息に対する敬称だ。小細工と分かりながら、サキの心はくすぐられる。
「評議会は、自分たちの仕事さえできれば文句はないのです。物騒なお隣が大人しくなるまで国家の手綱を握りたい。その後の専横までは望んでおりません。しばらくの間は操り細工になっていただきますが、成長された暁には、糸を引っ張り返していただいてもよろしい」
こんな誠意の示し方もあるんだな、とサキは感心する。
あなたを利用する腹積もりですよ、と堂々と教えてくれたのだ。だからあなたもこちらを利用してください、とそう誘っているのだ。
「お断りした場合は?」
「次の候補を探します。時間が惜しいものでね。よろしければ、今、この場でご回答いただきたい」
「お引き受けいたします」
ほとんど反射的に、サキは答えていた。
「おお」
少将は、玩具を待ちわびていた子供の動作で立ち上がる。サキの両手を、がしりと掴む。妙に冷たい掌だ、という感想は、次の言葉で溶けて流れた。
「ありがとうございます。陛下」
陛下!まさかこの僕が、そんな敬称で呼んでもらえる日がくるなんて!