矛盾する公理

文字数 6,172文字

 夜が落ちた。兵士が用意した篝火だけでは明るさが足りず、いばら荘の周囲は八割方が闇に包まれている。流れる火の粉に時折照らし出されるいばらの山は、鼓動を続ける巨大な心臓のようだ。
 君主の立場も、評議会との諍いも隅に押しやって、サキは怪人の言葉に注意を傾けていた。
「この事件に関して、皆様はすでに新聞や雑誌、うわさ話等で多くの情報を仕入れていらっしゃることでしょう」
 声の主がどこにいるかは依然、判らない。右後ろの声が大きくなったと気付いて振り返ってみると、案山子の口が言葉を吐いていた。狂い生えする茨に案山子を立てるはずがない。これも姉上たちの仕込みなのだろう。口をきいているのは案山子だけではない。屋台の仮面、地面に転がった牡牛の頭蓋骨、水溜りに浮かぶ魚の頭部からも父上の声が流れてくる。おそらく伝声管をあちこちに伸ばして言葉を届けているのだろう。説明役は姿を見せないままで通すつもりのようだ。
「しかしながらそうした伝聞には誇張や憶測を多分に含んだものも見受けられるようなので、手始めに、情報の整理を行いたいのです」
 光の筋が闇の中へ差し込み、巨大な筒が照らし出された。東洋の掛け軸や、エジプトのパピルスを思わせる巻物だ。背後で支えている黒子の身長より嵩が高い。黒子の一人が横手に回り、巻物を長く広げた。中身は白紙。続いて身長ほどの筆を抱えた別の黒子が現れ、巻物の横に待機する。
「議長が亡くなったのは、十一月十八日のことでした」
 孔雀男の言葉に合わせて筆が動き、巻物に「十一月十八日」と日付を書き込んだ。
「その日の午後、最上階の近くにいた使用人に対して、レシエ準男爵家のカヤ嬢より、最上階で議長閣下が死亡している、との報告がありました。議長は円形の台の上にある向かい合った椅子の上で胸元を撃ち抜かれて亡くなっていました。最上階はいばら層の母屋から建て増しされた塔のような構造になっており、上がるには螺旋階段を使うほかにありません。螺旋階段を降りた近くに秘密の通路があり、この通路を使えば、見とがめられずに正門の外から城内へ入ることが可能な仕組みでした」

 黒子たちが複数の筆を同時に操り、白紙にいばら層の見取り図を描き込んで行く。

「当日、カヤ嬢は正規の入場方法ではなく、隠し通路を使って中へ入ったと申告しており、議長は午後の間、誰も最上階付近を出入りさせるなと厳命していたため、疑惑の眼はカヤ嬢に集まりました。彼女の扱いに関して、摂政殿下と宮廷軍事評議会の間で意見の相違が生じ、世論も巻き込んで、危うく国を割りかねない程の騒動に発展しかけましたが、この点については省略いたします。本題である犯人の正体とは、直接結びつかない内容だからです。ここでは、両者の主張のみを簡潔に説明いたします」

 横を向いたサキはマリオンと視線が合った。ばつが悪そうな顔で眼を反らされてしまう。

「いずれの論証も、議長が死亡していた状況に不自然な点が見られることに力点を置いています。議長の命を奪った弾丸を発射したと思われる拳銃は、椅子からは距離の離れた壁にかけて保管されており、犯人がそれを取りに行ったか、何らかの手段で議長から奪い取って引き金を引いたとすると、議長が全く抵抗した痕跡もなく息絶えていたのはなぜか、という疑問が生じるからです。これに関して、殿下と評議会は、それぞれ別の解釈を提示されました」

 巻物が増えた。黒子が新たに二巻分を持って現れたのだ。最初の巻物と同じように横へ開き、それぞれ白紙部分を露わにする。

「まず、摂政殿下の解釈から。殿下の解釈は、犯人と議長が決闘を行ったというものでした。議長は件の拳銃と同じものを以前に造らせていましたが、紛失したため工房に再注文しています。その拳銃が実は議長の手元に残っており、二丁の拳銃を使って決闘が執り行われたのだと推理されたのです」

 黒子の筆が、巻物の一つに「決闘」と書き込んだ。

「続いて評議会側の解釈ですが、こちらはカヤ嬢と議長閣下の関わりに着目したものです。カヤ嬢が議長のご息女であったという事実から、議長がカヤ嬢を疑いもせずに拳銃を手渡し、すぐさま射殺されたのだと推理されたのです」

 もう一つの巻物に、「娘、油断」と書き記される。

「いずれの解釈が正しいものであったかは、後日明らかとなりました。デジレ近郊の隠し倉庫より、血に染まった軍用の外套が発見されたのです。外套の血痕は、犯行現場に残っていた血痕の欠落部分と一致しました。この証拠は外套が犯行現場で血を浴びた後に外部へ持ち出された事実を示すものであり、カヤ嬢にその機会はありませんでした。いばら荘の掃除係の目撃証言によると、彼女は秘密通路から入っただけで出てはいないからです。では、誰が持ち出したのか?掃除係は、カヤ嬢の前に秘密通路を使用した人物も目撃しています。この人物は同型の外套を纏い、顔を隠していた上に、外へ出て行ったことも確認されている。つまり議長を殺害したのは、この謎の外套の人物で、カヤ嬢ではない、という論証が成り立ったのです」

 囁き声が聞こえる。この段階までに孔雀男が口にした内容は記者も知っているはずだが、新聞や雑誌を隅から隅まで呼んでいる者ばかりではないのだろう。反芻する時間を与えるためか、一分程度、孔雀男は沈黙していた。

「ところで外套が隠してあった秘密の倉庫には、粉々に砕かれた木靴も放り込んでありました。靴にはネジ留め用の穴があり、その穴は議長閣下が亡くなっていた椅子の向かい側にあった椅子と一致するものでした。椅子にネジ留めした状態で木靴に足を入れると足が動かなくなってしまいます。この構造は、紛れもなく、片足を失っていた議長に配慮したものです。向かい合った位置にある椅子に腰かけ、相手と同様に片足の運動を制限する。これは、議長と誰かが決闘するために用意されたものと考えざるを得ません。その木靴を破壊した上で、隠した。決闘以外の方法で議長を殺めたのであれば、隠す必要がありません。これによって、評議会側の主張は完全に否定されました」

 評議会の結論を記した方の巻物がくるくると巻きとられ、黒子に引っ張られて暗闇に消えた。この巻物必要あったろうか、とサキは訝ったが、まあまあ、そういう演出なのだろう。

「ここまでが、現時点で知れ渡っている情報です」

 群衆がどよめいた。篝火の中に、巨大な腕が出現したからだ。精巧な人形の手を拡大したような形状で、関節部分に曲げ伸ばしを容易にする球体が埋め込まれているようだ。人差し指を伸ばし、残った方の巻物をつつく。瞬く間に巻物は炎に包まれた。青白い炎が消え去った後、焼失したものより三倍は大きい巻物がその場に広がっていた。

「さて、犯人を特定するためには数多の情報を吸い上げるばかりではなく、それらを吟味した上で、犯人の人物像を組み立てるための図式を用意しなければなりません。図式、あるいは公理と呼んでも差し支えないでしょう。その人物を犯人と名指しするためにはこれこれを備えていなければならないという条件、その一つがこの時点で確定しています」

 巨人の手が、ぱちりと指を鳴らすと、横合いから緑青色の蝶が飛んできた。巻物の上を蝶が掠めると、白紙の上に、文字が浮かび上がった。

 犯人特定の公理
 公理その一 犯人は、議長閣下との間で決闘が成立する人物である

「ご存じの通り、決闘とは、誰の間にでも成り立つものではありません。女性なら女性同士、貴族なら貴族同士といったふうに社会的に対等かそれに近い相手でなければ発生し得ないものです。つまり議長が決闘で命を落としたと判明している以上、その相手は議長にとって、『命を賭けるにふさわしい』対等に近い存在だったに違いありません。では、何に関して対等だったのか?手がかりとなるのは、亡くなった際のお召し物です」

 サキの近くで、誰かが呻いた。視線を横に移すと、マリオンが何かをこらえるように拳を握っている。

「議長の遺体は軍服姿でした。軍人とはいえ、常日頃から軍服を着るような習慣はお持ちでなかったにも関わらずです。つまりこの決闘に際して、軍服を身につけるのが当然であると議長は考えておられた。前日に軍服の解れを使用人に確認させるなど、非常に気を使っておられたようです。議長は決闘のために軍服を纏っておられた……」
 
 にわかに見物人の一部が騒がしくなった。おそらく兵士が固まっている辺りだろう。
 サキはそれより横にいるマリオンが震え出したのが気になった。

「これらの事実から第一の公理をふまえ、第二の公理を導き出すことが可能です」

 再び巨大な掌が指を鳴らす。ふよふよと現れたのは、カボチャの殻を頭に被った黒衣の幽霊だった。手に持ったペンで巻物に書き加える。

 公理その二 犯人は軍人である

「待ってくれ待ってくれ待ってくれ!」
 駆けだしたマリオンが、巻物の前に立ちふさがり、救いを求めるように幽霊へ手を伸ばす。カボチャが地面に転がり、黒衣は消えてしまった。
「分かっている。犯人は、議長と対等に近い立場の軍人―――つまり、我々評議員の誰かであると言いたいのだろう?すでに民衆は、暴徒たちはその可能性を知っていた。そして高級軍人の誰かがグロチウスに情報を売っていたことも暴露されてしまった。当然、民衆は考えているだろう。評議員のだれかが裏切り者で、議長に嗅ぎつけられてしまったから、決闘にかこつけて彼を葬ったと……それで正しいのだろう。私は犯人ではないが、これから、誰が犯人であるかを特定する論証が並び立てられるだろう」
 マリオンは膝をつき、夜隠に謝罪するかのように周囲を見回した。
「しかし!皆、この点は理解してもらいたいのだ!敵軍の実力者に情報を流す程度の不正は今に始まったものではない。古来より、一種の駆け引きとして繰り返されてきたものなのだ。これから名指しされる評議員が誰であろうと、その人物は、心の底から国家を裏切るつもりではなかったのだと、私は断言できる」
 声を枯らし、マリオンは懇願する。
「だからお願いだ。犯人が評議員であっても、我々評議会が国政の舵取りを行っている現状を許容してもらいたいのだ。紛争の火種がくすぶる現状で、国家を担える存在は我々評議会の他にはない。我々が放逐された場合、下手をすれば国が割れる!だから我々の罪を見逃して欲しい。伏してお願いする!」

 ふざけるな。
 厚かましい。
 おまえらが国をみだしてるんじゃねーか。
 往生際が悪いのにも程がある!
  
 罵声が、山のように放たれる。そのままだったら、投石や私刑に発展しただろう。
 しかし、先ほどの緑青色をした蝶が数匹現れ、マリオンの周囲を守るように旋回し始めたので、群衆は鎮まった。
 マリオンはきょとんと蝶を眺めている。

「マリオン評議員も、見物の皆も、早合点をしておられるようだ」

 孔雀男の声が柔らかい。

「犯人は宮廷軍事評議会の構成員である、等と私は主張した覚えもないし、するつもりもありません」

「えっ」

 思わずサキの口から驚きが漏れる。
 マリオンの側から、蝶が一匹ずつ離れて行く。

「思いこみとは恐ろしいものです。こうあって欲しい、あるいはこうであったら恐ろしい、と言った心理的な歪みが認識を阻害する―――ここで、摂政殿下に伺いたいのですが」
「え?はい」
突然孔雀男に名指しされて、サキは狼狽えた。孔雀男の語るこの推理は、姉がたどり着いた結論を元にしているはずだ。このやりとりも、姉上は予測していたのだろうか?
「はじめていばら荘に赴かれた際、邸内で軍用の外套を保管した部屋を通られたと聞いております。覚えておられますか?」
「はい。沢山掛かっていました」
 サキは回答する。父親の声と他人を装って問答するというのも変な感じだ。
「なぜ、貴族の城内に大量の外套をしまってあるか、ご存知ですか」
「聞きました。軍服を製造、販売する許可を民間業者に与える権限は評議員が持ってるので、安く造った軍服を売りさばいて儲けてるって……」
 サキは言葉に詰まる。孔雀男が補足を加えた。
「そういうことなのです。程度の差こそあれ、どの評議員も軍服の在庫を抱えている。ところが議長閣下は、運び屋に命じて、秘密の隠し場所に外套を届けさせていた


 くしゃくしゃになっていたマリオンの顔が、少しずつ晴れやかに変わり、皺が抜けていった。現金なものだ、とサキは眉を顰める。

「もう少し説明しましょうか。いばら荘の掃除係であったゲラク氏は、複数人が隠し通路を使う可能性がある場合に入り口を監視する役割を担っていました。彼の証言によると、いばら荘を出入りする人物は、大抵の場合軍用の外套を纏って顔を隠していたそうです。議長は、犯人に対しても同じ方法で身元を隠すよう取りはからったのでしょう。
 しかしその人物が評議員であれば、自力で外套を調達できたはずなのです。運び屋が外套と手紙を隠したのは犯行の前日でしたから、その間に外套を用意することはどの評議員にも容易だったはず。ならば手紙だけ託して、『秘密通路を通るときは外套で顔を隠すように』と指示すればよかったのです」
「そうだのう。改めて言われてみれば、どうして気付かなかったのやら」
 ゼマンコヴァが額を叩く。
「先入観や罪悪感、そういったものに鈍らされておったか」
「だとすれば、嫌疑がかかるのは我々ですか」
 フェルミが口を挿んだ。
「俺、ギディングス評議員、カザルス評議員の三名は、犯行当時は評議員じゃあなかった。俺たち三人を筆頭に、評議員に近い位置、議長と決闘をしても遜色のない階級にいる軍人が怪しくなってくると?」
 マリオンの表情が、見る見るうちに強張った。
「それも間違っているのです」
 孔雀男は声量を上げる。
「この種の外套が実際に軍でどのように扱われているかについて確かめました。基本的には備品係が管理しており、受取には申請が必要とのことですが、さほど厳重な管理は行われていないようです。一人の兵士が数着保有することも、階級の高い軍人が申請なしで持っていく例もまま見受けられる、とも聞きました。加えて、全国各地に軍服の仕立て・販売を請け負う業者が点在していて、部隊を離れた場所にいても調達は難しくないとか。退役軍人であっても、同じ条件で入手できるそうです……」

 巨大な掌が、三度指を鳴らす。今度は頭にスイカを被った幽霊が飛んできた。ペンを構え、巻物の前で待機している。

「結論を述べますと、軍用の外套は、軍人であれば階級を問わずたやすく入手できるものなのです。にもかかわらず、議長は手間をかけて外套を犯人に届けさせた。この事実より、第三の公理が自明のものとなります」
 スイカの幽霊が、ぎこちない手つきでペンを巡らせる。

 公理その三 犯人は軍人ではない

 人々から困惑の呟きが漏れ、さざ波のように広がった。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

サキ

「王国」名門貴族 黒繭家の次男


ニコラ

黒繭家長女 サキの姉


カヤ

女流画家 サキとニコラの幼馴染

侯爵

黒繭家当主 演劇「決闘の王子」演出総責任者

クロア

黒繭家当主夫人 サキとニコラの母

フランケン

黒繭家執事

カザルス

王国軍少将 

グリム

赤薔薇家当主 王国軍「宮廷軍事評議会」議長

マリオン

宮廷軍事評議会副議長

イオナ

宮廷軍事評議会書記

ゼマンコヴァ

宮廷軍事評議会参議

フェルミ

王国軍大佐

ギディングス

王国軍中佐

グロチウス

共和国軍総司令官

クローゼ

共和国軍中将

バンド

赤薔薇家家宰

コレート

イオナの妻 青杖家当主

ゲラク

赤薔薇家邸宅「いばら荘」掃除夫

レシエ準男爵

王国宮廷画家

ロッド

王国軍少佐 サキ・ニコラの又いとこ

ピーター・ウッドジュニア

 売文家

ジョン・ドゥ

売文家

ジャン・バティスト・ベルナール・フォン・ラインシール

売文家

孔雀男

謎の怪人

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み