幽霊の罠
文字数 6,161文字
どよめきが篝火とともに夜に揺れているようだ。グロチウスが?本当か?いや、でも、理屈ではそういうことになる。何か抜け穴があるのでは?信じられない……
「皆さん、この結論が受け入れがたいご様子ですね」
効果的なタイミングを見計らってか、孔雀男は説明を再開する。
「当たり前だ」
マリオンが羽飾りをくしゃくしゃに弄る。
「グロチウスだと……あの男は、とっくに死んでいたはずではないか」
「確実に言えるのは、グロチウスの遺体が十一月二十日に国境付近で発見された、ということだけです」
縫いぐるみがくるりと足を回す。
「彼は十一日、北方の戦場において銃弾を浴びて死亡したと信じられてきた。しかしその時点で遺体が確認されたわけではない。生き延びたグロチウスが王都の方へ引き返し、議長を殺めた後、国境付近へ戻ってきたとしても矛盾はありません」
「たしかに私は、グロチウスが死ぬところをはっきりと観たわけではない」
カザルスが天を仰ぐ。
「私の思い込みが、捜査を長引かせる一因になっていたとしたら恐縮の至りです――ですが、論証の粗を指摘させていただきたい。『議長閣下との間で決闘が成立する他国の軍人』こう聞いたとき、私もグロチウスの名前を思い浮かべました。しかしながら、当てはまるのは彼一人に限らないのでは?」
「仰る通り、他国の高級軍人、というだけなら星の数ほど該当者は存在します」
孔雀男はすらすらと応じる。
「しかし例えば合衆国だのベルギーだのといった縁の薄い国家の軍人が、終戦間もないこの時期に決闘を申し込んできたとして、どれだけ因縁の深い相手だったとしても、議長閣下が応じるものでしょうか?あり得ません。議長は勇力に頼りがちなお方ではありましたが、抜け目のない策謀家でもあった。革命軍の狙いを見抜き、窮地を脱するために殿下という旗印を見いだし、その存在を勝利に繋げたほどのお方です。決闘を、しかも秘密の決闘などを執り行うに際しては、相応の動機があったはず。政治的、戦略的な動機です。
今回の戦争で、殿下は権威と栄光を獲得されました。それは殿下のご先祖である『決闘の王子』に通じるものです。戦勝後、議長閣下は危機感を抱かれた。殿下の権勢が高まれば高まるほど、評議会の、自分の権力が損なわれる憂き目を見る。殿下に対抗する形で名声を高める手段はないものか……その解答の一つが、『決闘』によって大敵を打ち倒す、というものでした。成功すれば殿下に比肩するほどの賞賛を得られる。自身の頑健さに絶大な自信を持っておられた議長閣下は、賭けに身を投じ、そして敗れた……この場合、関係のない国の軍人を決闘相手にするなど考えられない。相手は、共和国軍の高級軍人以外に有り得ません。ではグロチウス以外の共和国軍人である可能性は?例えば今回の戦争でグロチウスの副官を務めていたというクローゼ氏あたりなら、決闘相手として成り立ちそうな気もしますが、彼が犯人なら、議長は外套を渡す必要がなかった」
「外套?」
イオナが背筋を伸ばす。
「ここにも関わってくるというのか、あの外套が」
「停戦条約のしきたりを思い出していただきたい。条約の締結時は、参戦していた両軍の軍人が軍用品一式を交換するのが作法。クローゼ氏も我が軍の外套を手に入れているはずですから、議長から、わざわざ手間をかけて与える必要がありません。他の共和国軍将校も同じです。戦争に参加していない将校は外套を持っていないでしょうが、そのような人物と決闘することに議長が価値を見出すとは思えません」
「なるほど」
イオナは何度も頷いている。
「参陣していた共和国軍高級軍人の中で、戦死したと思われていたグロチウスだけが外套を受け取っていなかった。だから議長が、わざわざ手配してやったわけか」
「停戦条約調印は十一月十五日、決闘は十八日でした。議長は運び屋に命じて決闘の前日に隠し倉庫へ外套を届けさせています。議長も条約調印に参加していますから、決闘相手が調印式に出席した人物であれば、わざわざ外套を送りはしなかったはずです。その人物はすでに我が軍の外套を入手しているのですから、隠密裏にデジレを訪れる際、持参することくらい指示を受けなくても思いつくでしょうからね」
「なるほど、納得いたしました」
カザルスが拍手を送る。
「以上が、議長殺害の犯人をグロチウスに特定する論証の全てです」
縫いぐるみが羽を大きく広げ、孔雀の目玉模様が放射線状に広がった。
「しかし、何のために?」
マリオンが声を尖らせる。
「ただ単純に、議長を殺めるだけであれば他に方法があったはず。議長が決闘をしたがっていたのは理解できる。しかしグロチウスの側は?なんの目論見があって、決闘を望んだというのだ」
「今の、この状況そのものが目的なのです」
孔雀男の語調は、教師のように優しい。
「議長殺害により評議会は疑心暗鬼に陥り、容疑者とされたカヤ嬢の扱いを巡って殿下との間に亀裂が生まれ、民衆は、裏切り者の断罪を求めて蜂起寸前にまで至りました。結果、共和国は戦争に敗北したにも関わらず、生きながらえています。本来なら、我が国に滅ぼされていてもおかしくない戦況だったというのに」
「その点に関しては、議長の殺害だけではなく、色々事情を踏まえた判断なのですが」
カザルスが補足する。機密情報が流出したため、他国を警戒しているという話だろう。
「まあ、この一件が最も影響を及ぼしているのは事実ですね」
「多分に想像を含んだ説明になってしまいますが、犯行前後のグロチウスの動きに関してまとめてみます。そもそもグロチウスは、退却途上の戦いで戦死したと思われていましたが、この時点では存命だったわけです。本体とはぐれた彼が決断したのは、本国への帰還ではなく、王国の宮廷軍事評議会議長に決闘を申し込むことでした」
「正気の沙汰ではない」
ゼマンコヴァがこぼす。
「しかし……あの将軍なら思いつくだろうし、やりかねない策じゃ」
「それから、グロチウスは何らかの伝を利用して議長へ連絡をとりました。厳密に言えば、この時点で決闘は考慮しておらず、別の目論見があったのかもしれません。いずれにせよ、議長とのやりとりを繰り返す内に、議長の中にある名声を得た殿下に対する焦りを見抜き、この策を練り上げたのでしょう。
そうしてグロチウスは、決闘を行う算段を立て、身を隠しながらいばら荘を目指しました。 この決闘に勝利した者が何を獲得するのかは、議長も、グロチウスも理解していたはずです。議長の望みは殿下と並び立つ程の権威。グロチウスの目的は、王国の混迷と共和国の延命。敗者は全てを失い、勝者は願いを叶える。判っていたからこそ議長はグロチウスに対して、決闘後に証拠品を隠しておける場所を提供したのでしょう」
サキには頷ける説明だった。外套と木靴が隠されていた隠し倉庫は、議長が犯人に教えたとしか考えられないからだ。しかし、議長の心理状態は理解できなかった。
「議長は自分が殺された後、決闘相手が証拠品を隠し決闘の事実さえ隠蔽して王国を混乱の渦に引き込むかもしれないと予測していたはずですよね。それを承知の上で、あえて隠し場所を与えたのはどうしてでしょうか」
サキの質問に、ぬいぐるみの動作が停まる。しまった、想定していない質問だったかな、と後悔したが、間をおいて孔雀は口を開いた。声を出す父上の横で姉上が教えたのかもしれない。
「思うに議長とグロチウスには、相い通じ合うものがあったのではないでしょうか。いずれも国内では軍の重鎮であり、功績も大きく、周囲の信頼も篤かった一方で、実験的な奇策を好む危うさも秘めていた」
「ふむ、まあ、たしかに」
ゼマンコヴァが松明の火の粉を目で追っている。
「賭博師めいたところが似通っていたかもしれんの。軍人として傑出した才能の持ち主でありながら、時折重要な局面において、危うい博打に手を出すことがしばしばじゃった。グロチウスは我が国との戦力差を補うため、議長は豪放さを誇示するためにしていることと思っていたが、それだけではなかったかものう」
サキや評議員たちも含め、この場にいる軍関係者たちには心の底から頷ける話だろう。兵隊をばらばらにして適地へ送り込むというグロチウスの実験。それに対して王都を守るために王国側が採った手段は、国家元首を囮にして足止めを行うという、前代未聞の詐術だった。作戦自体はカザルスの発案らしいが、実行の許可を与えたという意味でグリムも同類だ。
「奇策の応酬は、議長の勝利という結果に終わりました。しかしグロチウスは、敗戦が濃厚となった時点で発想を切り替えた。議長の冒険を好む心理を利用して、立会人抜きの決闘を承諾させたのです。そして十一月十八日の午後、両者はこの城の最上階で対峙した。至近距離で拳銃を発射するという、最も危険な形式の決闘が実行され、そして」
「負けちまったんだな、旦那様は」
サキはゲラクの声を聞いた。いばら荘の掃除係であり臨時の監視担当でもあった男。議長をこよなく信奉していた彼なら当然、この場にいるだろう。
「いいえ、厳密に言えば、議長は敗北されていません」
孔雀男はゲラクの言葉を否定した。
「相打ちだったのです。よく考えて下さい。議長を撃ち倒した際に、グロチウスが無傷か軽傷で済んでいたなら、今頃、何食わぬ顔で共和国に復帰しているはずではありませんか」
簡単な理屈に思いが至らなかったとサキは反省する。それは、その通りだ。起死回生の賭に成功したのだったら、死ぬ必要なんてない。
「議長の拳銃から放たれた弾丸も、グロチウスをとらえていたのです。ただ即死するほどの負傷ではなく、部屋を漁ったり、本を暖炉にくべたりする程度の余裕はあった。その後北へ向かったグロチウスが、何を意図していたか正確には窺い知れません。最初はたいした負傷ではないとたかをくくっていたものが悪化したのであれば、本国へ帰るつもりだったかもしれませんし、死を覚悟していたのなら、戦場で死んだと誤認させられるような場所まで移動するために北上したのでしょう。いつ死んだのか判定を難しくするために、水路へ飛び込んだのかもしれません。とにかく二十日までの間にグロチウスもこの世を去り、決闘の詳細を語る者はいなくなってしまった」
「そうだったのか」
ゲラクの声が明るい。
「やっぱり、旦那様は強かった!」
ゲラクも満足してくれて何よりだ、とサキは喜んだ。
グロチウスが犯人だった、等と非現実的とも思われる事実を突きつけられて困惑していたが、案外丸く収まるかもしれない。少なくとも評議員の中に犯人がいたという結末に比べると、傷付く人間は少数で済むだろう。
「あのー」
ところが隣にいたギディングスが手を挙げた。
「なんかグロチウスが犯人だったって話にまとまって、上手い具合に色々片付きそうな感じになってますけど、アレはどうなるんですか。裏切り者の話」
マリオンが魔神の形相でギディングスを睨んでいる。せっかく綺麗に終わりそうだったのに、余計な話をぶりかえすなと怒っているのだろう。
「戦争の前、特任部隊の配置を、誰かがグロチウスにばらしてた。それが議長を殺した犯人だろうって決めつけてましたけど、殺したのはグロチウスだった……だったら、情報を漏らした人物は別にいるって話になりますよね。それは誰なんです?」
「そんな人物は存在しません」
孔雀男は言い切った。
「あの文書はグロチウスの捏造なのです」
「いや、何言ってるんですー」
意表を突かれたようで、ギディングスの声が間延びする。
「あの地図に書いてあった部隊の配置は、でたらめなんかじゃないですよ」
「グロチウスが決闘の後、部屋にあった書物や書き物の類を焼却した件を思い出して下さい。おそらくその際に、引き出しかどこかにしまってあった配置図を発見したのでしょう。あの配置図は戦争が起こる前の部隊の位置を示したものですから、決闘の時点では無意味なものになっていた。ところが、グロチウスは思いついたのです。これは使える。自分の筆を加えれば、あたかも開戦前に軍上層部の誰かが送付した裏切りの証明であるように見せかけられる、と」
「なるほど、地図に書き足したのか」
イオナががぽん、と手を叩いた。
「元々は、配置図だけの地図だった。それに文章を書き入れて、見せかけたのだな。あたかもグロチウスが、送られてきたものに対して質問を書き入れた地図であるかのように……」
「この策略の優れている点は、グロチウスがいばら城を訪れていた可能性に思い至らなければ見破れないところです…」
ここで孔雀男は咳払いをした。流石に喉がつらいのだろう。
「グロチウスは封書に地図を納め、王都の赤薔薇家邸宅に届けました。目的は当然、疑念の種をばらまくため。バンドのような自発的な協力者が現れることまで想定していたかは判りませんが、決闘の事実が不正疑惑と結びつき、争乱を巻き起こせるのではと期待したのでしょう」
「ほう、ほう、確かに。納得できる話だ!」
マリオンがあからさまに上機嫌になっている。評議会への疑いを完全に払拭できる論証なのだから、無理もない。
「つまり、評議会にもその他の上層部にも裏切り者など存在しなかった。すべてはグロチウスの計略であったというわけだな!」
「待って下さい」
ギディングスは引き下がらない。
「それは、そういう解釈もできる、というだけで、裏切り者がいなかったとは言い切れませんよね」
「お前なあ!」
マリオンが目玉をこぼしそうな表情をギディングスに向ける。
「もう黙ってくれんか!ようやく、ようやく、何もかも安心できそうなのに……」
「そう激昂なさらずとも問題ありません。裏切り者が存在する可能性は皆無ですので」
孔雀男が宥める。
「仮に、グロチウスに配置図を送っていた裏切り者が本当にいた場合、敗戦の時点でグロチウスはその件を公表すればよかったはずです。議長に質問を送り返した配置図の他にも、写しを保管していたでしょうからね。それによって軍上層部に亀裂が生じれば、今と似たような争乱一歩手前の状態にまで持って行けたかもしれないでしょう。グロチウスの手腕なら、充分可能性があったはずです。死んだ振りをしてデジレへ舞い戻り、成功するかどうかもわからない決闘を申し込む前に、この策を試してみるべきでしょう。
にも関わらず、彼は書状を公開していない。それは、敗戦の時点では書状など存在しなかったから――と解釈するしかありません。ようするに、グロチウスが敗戦後も生きていたのなら、あの書状は本物ではない」
「なーるほど」
ギディングスは納得した様子で頷いた。傍らのマリオンも胸をなで下ろしていた。
怖ろしい話だ、とサキはこの一ヶ月余りを振り返る。
騒動の大半はグロチウスの計略によるものだった。
この国の権力者たちの多数がグロチウスの掌の上で踊らされていたのだ。死人の掌で。
「皆さん、この結論が受け入れがたいご様子ですね」
効果的なタイミングを見計らってか、孔雀男は説明を再開する。
「当たり前だ」
マリオンが羽飾りをくしゃくしゃに弄る。
「グロチウスだと……あの男は、とっくに死んでいたはずではないか」
「確実に言えるのは、グロチウスの遺体が十一月二十日に国境付近で発見された、ということだけです」
縫いぐるみがくるりと足を回す。
「彼は十一日、北方の戦場において銃弾を浴びて死亡したと信じられてきた。しかしその時点で遺体が確認されたわけではない。生き延びたグロチウスが王都の方へ引き返し、議長を殺めた後、国境付近へ戻ってきたとしても矛盾はありません」
「たしかに私は、グロチウスが死ぬところをはっきりと観たわけではない」
カザルスが天を仰ぐ。
「私の思い込みが、捜査を長引かせる一因になっていたとしたら恐縮の至りです――ですが、論証の粗を指摘させていただきたい。『議長閣下との間で決闘が成立する他国の軍人』こう聞いたとき、私もグロチウスの名前を思い浮かべました。しかしながら、当てはまるのは彼一人に限らないのでは?」
「仰る通り、他国の高級軍人、というだけなら星の数ほど該当者は存在します」
孔雀男はすらすらと応じる。
「しかし例えば合衆国だのベルギーだのといった縁の薄い国家の軍人が、終戦間もないこの時期に決闘を申し込んできたとして、どれだけ因縁の深い相手だったとしても、議長閣下が応じるものでしょうか?あり得ません。議長は勇力に頼りがちなお方ではありましたが、抜け目のない策謀家でもあった。革命軍の狙いを見抜き、窮地を脱するために殿下という旗印を見いだし、その存在を勝利に繋げたほどのお方です。決闘を、しかも秘密の決闘などを執り行うに際しては、相応の動機があったはず。政治的、戦略的な動機です。
今回の戦争で、殿下は権威と栄光を獲得されました。それは殿下のご先祖である『決闘の王子』に通じるものです。戦勝後、議長閣下は危機感を抱かれた。殿下の権勢が高まれば高まるほど、評議会の、自分の権力が損なわれる憂き目を見る。殿下に対抗する形で名声を高める手段はないものか……その解答の一つが、『決闘』によって大敵を打ち倒す、というものでした。成功すれば殿下に比肩するほどの賞賛を得られる。自身の頑健さに絶大な自信を持っておられた議長閣下は、賭けに身を投じ、そして敗れた……この場合、関係のない国の軍人を決闘相手にするなど考えられない。相手は、共和国軍の高級軍人以外に有り得ません。ではグロチウス以外の共和国軍人である可能性は?例えば今回の戦争でグロチウスの副官を務めていたというクローゼ氏あたりなら、決闘相手として成り立ちそうな気もしますが、彼が犯人なら、議長は外套を渡す必要がなかった」
「外套?」
イオナが背筋を伸ばす。
「ここにも関わってくるというのか、あの外套が」
「停戦条約のしきたりを思い出していただきたい。条約の締結時は、参戦していた両軍の軍人が軍用品一式を交換するのが作法。クローゼ氏も我が軍の外套を手に入れているはずですから、議長から、わざわざ手間をかけて与える必要がありません。他の共和国軍将校も同じです。戦争に参加していない将校は外套を持っていないでしょうが、そのような人物と決闘することに議長が価値を見出すとは思えません」
「なるほど」
イオナは何度も頷いている。
「参陣していた共和国軍高級軍人の中で、戦死したと思われていたグロチウスだけが外套を受け取っていなかった。だから議長が、わざわざ手配してやったわけか」
「停戦条約調印は十一月十五日、決闘は十八日でした。議長は運び屋に命じて決闘の前日に隠し倉庫へ外套を届けさせています。議長も条約調印に参加していますから、決闘相手が調印式に出席した人物であれば、わざわざ外套を送りはしなかったはずです。その人物はすでに我が軍の外套を入手しているのですから、隠密裏にデジレを訪れる際、持参することくらい指示を受けなくても思いつくでしょうからね」
「なるほど、納得いたしました」
カザルスが拍手を送る。
「以上が、議長殺害の犯人をグロチウスに特定する論証の全てです」
縫いぐるみが羽を大きく広げ、孔雀の目玉模様が放射線状に広がった。
「しかし、何のために?」
マリオンが声を尖らせる。
「ただ単純に、議長を殺めるだけであれば他に方法があったはず。議長が決闘をしたがっていたのは理解できる。しかしグロチウスの側は?なんの目論見があって、決闘を望んだというのだ」
「今の、この状況そのものが目的なのです」
孔雀男の語調は、教師のように優しい。
「議長殺害により評議会は疑心暗鬼に陥り、容疑者とされたカヤ嬢の扱いを巡って殿下との間に亀裂が生まれ、民衆は、裏切り者の断罪を求めて蜂起寸前にまで至りました。結果、共和国は戦争に敗北したにも関わらず、生きながらえています。本来なら、我が国に滅ぼされていてもおかしくない戦況だったというのに」
「その点に関しては、議長の殺害だけではなく、色々事情を踏まえた判断なのですが」
カザルスが補足する。機密情報が流出したため、他国を警戒しているという話だろう。
「まあ、この一件が最も影響を及ぼしているのは事実ですね」
「多分に想像を含んだ説明になってしまいますが、犯行前後のグロチウスの動きに関してまとめてみます。そもそもグロチウスは、退却途上の戦いで戦死したと思われていましたが、この時点では存命だったわけです。本体とはぐれた彼が決断したのは、本国への帰還ではなく、王国の宮廷軍事評議会議長に決闘を申し込むことでした」
「正気の沙汰ではない」
ゼマンコヴァがこぼす。
「しかし……あの将軍なら思いつくだろうし、やりかねない策じゃ」
「それから、グロチウスは何らかの伝を利用して議長へ連絡をとりました。厳密に言えば、この時点で決闘は考慮しておらず、別の目論見があったのかもしれません。いずれにせよ、議長とのやりとりを繰り返す内に、議長の中にある名声を得た殿下に対する焦りを見抜き、この策を練り上げたのでしょう。
そうしてグロチウスは、決闘を行う算段を立て、身を隠しながらいばら荘を目指しました。 この決闘に勝利した者が何を獲得するのかは、議長も、グロチウスも理解していたはずです。議長の望みは殿下と並び立つ程の権威。グロチウスの目的は、王国の混迷と共和国の延命。敗者は全てを失い、勝者は願いを叶える。判っていたからこそ議長はグロチウスに対して、決闘後に証拠品を隠しておける場所を提供したのでしょう」
サキには頷ける説明だった。外套と木靴が隠されていた隠し倉庫は、議長が犯人に教えたとしか考えられないからだ。しかし、議長の心理状態は理解できなかった。
「議長は自分が殺された後、決闘相手が証拠品を隠し決闘の事実さえ隠蔽して王国を混乱の渦に引き込むかもしれないと予測していたはずですよね。それを承知の上で、あえて隠し場所を与えたのはどうしてでしょうか」
サキの質問に、ぬいぐるみの動作が停まる。しまった、想定していない質問だったかな、と後悔したが、間をおいて孔雀は口を開いた。声を出す父上の横で姉上が教えたのかもしれない。
「思うに議長とグロチウスには、相い通じ合うものがあったのではないでしょうか。いずれも国内では軍の重鎮であり、功績も大きく、周囲の信頼も篤かった一方で、実験的な奇策を好む危うさも秘めていた」
「ふむ、まあ、たしかに」
ゼマンコヴァが松明の火の粉を目で追っている。
「賭博師めいたところが似通っていたかもしれんの。軍人として傑出した才能の持ち主でありながら、時折重要な局面において、危うい博打に手を出すことがしばしばじゃった。グロチウスは我が国との戦力差を補うため、議長は豪放さを誇示するためにしていることと思っていたが、それだけではなかったかものう」
サキや評議員たちも含め、この場にいる軍関係者たちには心の底から頷ける話だろう。兵隊をばらばらにして適地へ送り込むというグロチウスの実験。それに対して王都を守るために王国側が採った手段は、国家元首を囮にして足止めを行うという、前代未聞の詐術だった。作戦自体はカザルスの発案らしいが、実行の許可を与えたという意味でグリムも同類だ。
「奇策の応酬は、議長の勝利という結果に終わりました。しかしグロチウスは、敗戦が濃厚となった時点で発想を切り替えた。議長の冒険を好む心理を利用して、立会人抜きの決闘を承諾させたのです。そして十一月十八日の午後、両者はこの城の最上階で対峙した。至近距離で拳銃を発射するという、最も危険な形式の決闘が実行され、そして」
「負けちまったんだな、旦那様は」
サキはゲラクの声を聞いた。いばら荘の掃除係であり臨時の監視担当でもあった男。議長をこよなく信奉していた彼なら当然、この場にいるだろう。
「いいえ、厳密に言えば、議長は敗北されていません」
孔雀男はゲラクの言葉を否定した。
「相打ちだったのです。よく考えて下さい。議長を撃ち倒した際に、グロチウスが無傷か軽傷で済んでいたなら、今頃、何食わぬ顔で共和国に復帰しているはずではありませんか」
簡単な理屈に思いが至らなかったとサキは反省する。それは、その通りだ。起死回生の賭に成功したのだったら、死ぬ必要なんてない。
「議長の拳銃から放たれた弾丸も、グロチウスをとらえていたのです。ただ即死するほどの負傷ではなく、部屋を漁ったり、本を暖炉にくべたりする程度の余裕はあった。その後北へ向かったグロチウスが、何を意図していたか正確には窺い知れません。最初はたいした負傷ではないとたかをくくっていたものが悪化したのであれば、本国へ帰るつもりだったかもしれませんし、死を覚悟していたのなら、戦場で死んだと誤認させられるような場所まで移動するために北上したのでしょう。いつ死んだのか判定を難しくするために、水路へ飛び込んだのかもしれません。とにかく二十日までの間にグロチウスもこの世を去り、決闘の詳細を語る者はいなくなってしまった」
「そうだったのか」
ゲラクの声が明るい。
「やっぱり、旦那様は強かった!」
ゲラクも満足してくれて何よりだ、とサキは喜んだ。
グロチウスが犯人だった、等と非現実的とも思われる事実を突きつけられて困惑していたが、案外丸く収まるかもしれない。少なくとも評議員の中に犯人がいたという結末に比べると、傷付く人間は少数で済むだろう。
「あのー」
ところが隣にいたギディングスが手を挙げた。
「なんかグロチウスが犯人だったって話にまとまって、上手い具合に色々片付きそうな感じになってますけど、アレはどうなるんですか。裏切り者の話」
マリオンが魔神の形相でギディングスを睨んでいる。せっかく綺麗に終わりそうだったのに、余計な話をぶりかえすなと怒っているのだろう。
「戦争の前、特任部隊の配置を、誰かがグロチウスにばらしてた。それが議長を殺した犯人だろうって決めつけてましたけど、殺したのはグロチウスだった……だったら、情報を漏らした人物は別にいるって話になりますよね。それは誰なんです?」
「そんな人物は存在しません」
孔雀男は言い切った。
「あの文書はグロチウスの捏造なのです」
「いや、何言ってるんですー」
意表を突かれたようで、ギディングスの声が間延びする。
「あの地図に書いてあった部隊の配置は、でたらめなんかじゃないですよ」
「グロチウスが決闘の後、部屋にあった書物や書き物の類を焼却した件を思い出して下さい。おそらくその際に、引き出しかどこかにしまってあった配置図を発見したのでしょう。あの配置図は戦争が起こる前の部隊の位置を示したものですから、決闘の時点では無意味なものになっていた。ところが、グロチウスは思いついたのです。これは使える。自分の筆を加えれば、あたかも開戦前に軍上層部の誰かが送付した裏切りの証明であるように見せかけられる、と」
「なるほど、地図に書き足したのか」
イオナががぽん、と手を叩いた。
「元々は、配置図だけの地図だった。それに文章を書き入れて、見せかけたのだな。あたかもグロチウスが、送られてきたものに対して質問を書き入れた地図であるかのように……」
「この策略の優れている点は、グロチウスがいばら城を訪れていた可能性に思い至らなければ見破れないところです…」
ここで孔雀男は咳払いをした。流石に喉がつらいのだろう。
「グロチウスは封書に地図を納め、王都の赤薔薇家邸宅に届けました。目的は当然、疑念の種をばらまくため。バンドのような自発的な協力者が現れることまで想定していたかは判りませんが、決闘の事実が不正疑惑と結びつき、争乱を巻き起こせるのではと期待したのでしょう」
「ほう、ほう、確かに。納得できる話だ!」
マリオンがあからさまに上機嫌になっている。評議会への疑いを完全に払拭できる論証なのだから、無理もない。
「つまり、評議会にもその他の上層部にも裏切り者など存在しなかった。すべてはグロチウスの計略であったというわけだな!」
「待って下さい」
ギディングスは引き下がらない。
「それは、そういう解釈もできる、というだけで、裏切り者がいなかったとは言い切れませんよね」
「お前なあ!」
マリオンが目玉をこぼしそうな表情をギディングスに向ける。
「もう黙ってくれんか!ようやく、ようやく、何もかも安心できそうなのに……」
「そう激昂なさらずとも問題ありません。裏切り者が存在する可能性は皆無ですので」
孔雀男が宥める。
「仮に、グロチウスに配置図を送っていた裏切り者が本当にいた場合、敗戦の時点でグロチウスはその件を公表すればよかったはずです。議長に質問を送り返した配置図の他にも、写しを保管していたでしょうからね。それによって軍上層部に亀裂が生じれば、今と似たような争乱一歩手前の状態にまで持って行けたかもしれないでしょう。グロチウスの手腕なら、充分可能性があったはずです。死んだ振りをしてデジレへ舞い戻り、成功するかどうかもわからない決闘を申し込む前に、この策を試してみるべきでしょう。
にも関わらず、彼は書状を公開していない。それは、敗戦の時点では書状など存在しなかったから――と解釈するしかありません。ようするに、グロチウスが敗戦後も生きていたのなら、あの書状は本物ではない」
「なーるほど」
ギディングスは納得した様子で頷いた。傍らのマリオンも胸をなで下ろしていた。
怖ろしい話だ、とサキはこの一ヶ月余りを振り返る。
騒動の大半はグロチウスの計略によるものだった。
この国の権力者たちの多数がグロチウスの掌の上で踊らされていたのだ。死人の掌で。