陰謀の香り
文字数 2,996文字
(案外、持ち上がるものだなあ)
カザルスは感心している。
獅子の扉の奥。
先ほどまで摂政殿下が口舌を振るっていた同じ場所で、カザルスは生命の危機に瀕していた。
頭上に円卓が浮かんでいる。
亡きグリム議長を除いては一人で持ち上げるのは難しいだろうと思っていたこの卓を、今、マリオン評議員が頭上にかざしているのだった。溶岩色の顔面、眉間に青筋。激怒なさっているご様子だが、円卓を持ち上げているのは感情の表明であり、それをこちらにぶつけるつもりはないらしい。理性的なお方だ。とはいえ腕力がつきれば、カザルスの脳天も無事では済まないのは確かなこと。のんびりとした動作でカザルスは後退する。
「ギィイイイ――――――ッ!」
猿のように叫ぶマリオン。体勢を崩させないためと卓を放り投げないために、両脇でゼマンコヴァとフェルミが支えている。
イオナは和ませるつもりかリュートをボロロンボロロンと奏で、ギディングスは全く関係ない風に離れた位置でクッキーをかじっていた。
やがてゆっくりと卓を降ろしたマリオンは、深呼吸を繰り返した。
「ふ―――っ、ふーーっ、ふーっ」
「なにをそんなにお怒りなのですか?」
質問が悪かったらしい。マリオンはカザルスを指さしてがなり立てた。
「貴様は、貴様は!なぜ私を、私を怒らせる!私を怒らせるためにこの世に
「造物主も、そこまで細やかではいらっしゃらないでしょう」
カザルスは円卓に座り直した。
「ですから、なにをお怒りなのです?予め方針を決めていたではないですか。決着が付かない場合は、一週間期限を延ばし、反対にこちらが証拠集めを行うと」
「それは、議論を尽くした上での話ではないか!」
マリオンは指先をぐるぐると回す。
「さっきの貴様等ときたら、一切反論をしなかったではないか!何の準備もしてこなかったのか?」
「してないわけがないでしょう」
カザルスは言い切った。
「こちらも無為に過ごしていたわけではありません。カヤ嬢を犯人と見なす当方の見解がいかに合理的なものであるか、論拠も証人も取りそろえております。少なくとも、新聞の読者を納得させられる程度には説得力を有するものですよ」
「出せよ!それなら!」
マリオンは再び円卓に手をかけるが、体力の限界を悟ったのか掌を叩きつけるだけに留めた。
「そんなものがあるなら、さっき殿下に叩きつけてやったらよかっただろうが!」
カザルスは軽く口笛を吹いた。
「叩きつけたら、どうなったというのです?」
「どうなったって・・・」
マリオンの目が大きく見開かれたまま制止した。
「カヤ嬢を無罪にするのが殿下の目的なのですから、納得されるはずがない。結局、結論を先延ばしにするしかありません。すると新聞の最新号には双方の言い分が載せられることになる。新聞社や記者がどちらに肩入れするかによって、多少の偏りは生まれるでしょうが、両論併記の形になるのは間違いないでしょう。それでは有罪と無罪、民衆がどちらに傾くものかわからない」
「得策だというのかね。後になって論拠を示す方が」
ゼマンコヴァの問いにカザルスは首肯する。
「新聞だの雑誌だの、読者というものは隅々まで記事を読み、完璧に内容を記憶しているわけではありません。適当な印象だけを頭に残し、それすら数日も経てば薄れてしまいます。日を置いて新しい情報が入れば、頭の中はそちらに塗り変えられてしまうのです。要するに、後出しが有利。浮気や跡目争いの三文記事と、理屈は同じですな」
「貴公のもくろみ通りに運ぶとして、大半の民衆がカヤ嬢の有罪を認めたとしてもだ」
イオナが楽器を棚に戻しながら言う。
「殿下が納得されないのは変わりがないだろう。先程約束した通り、今度は殿下が反証をさがす番。それで新しい証拠が見つかったら今度はこちら・・・」
円卓に戻り、カザルスを見据えてくる。
「いつまで繰り返されるのかわかったものではない。勝算はあるのか。最終的に」
「繰り返せばよろしい。延々と」
カザルスは両手を挙げる。
「はじめは民衆の耳目を惹きつけたこの出来事も、繰り返されれば飽きが生じます。最終的には、彼女が有罪になろうが処刑されようがどうでもいい、とまで冷えきった時点で、強引に処断すればよろしいでしょう」
「ずいぶん気の長い話だな!」
マリオンが身を揺らす。
「下手をすれば年をまたぐことになりそうだ」
「そこまで時間はかかりますまい」
ゼマンコヴァが宥める。
「我々と殿下で、有罪の証拠、無罪の証拠を交互に出し続ける。一見、公平のようですがそうでもない。我々の権限は、摂政殿下をしのぐのですから」
カザルスはこの老人を見直した。動作こそ頼りないが、脳味噌は耄碌していないようだ。
ゼマンコヴァが言うように、宮廷評議会は軍政の頂点として無数の兵士の指揮監督権を有する。その気になれば、彼ら全員を証拠集めに投入することも可能なのだ。一方の摂政殿下は「旗」の持ち数が評議会より少ないので、兵隊を手ゴマには使えない。せいぜいコネを駆使して私的な捜査部隊を編成する程度だろう。
「どう考えても、証拠が先に尽きるのは殿下が先。反証が不可能となれば有罪は確定するのですから」
ゼマンコヴァの言葉に、マリオンはようやく怒りを鎮火させた。
「・・カザルス評議員の言い分は理解した。有罪の証拠について吟味しておきたい。一両日中に提出を命じる」
「了解しました。ではこの件についてはここで終わりということで」
ようやく面倒が終わった。カザルスの本題は、これからだ。
「もう少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。我ら新任の評議員より、お三方にお願いがございます」
「何だ?」
厄介ごとを予想してか、マリオンの返事は硬い。
「一週間前の話です。赤薔薇家の方々より、なんとしてもカヤ嬢を有罪にするように、との圧力がかかっていると伺いました。交換条件として、議長が入手されたある重要な情報を提供してもらえる約束になっていると。その『情報』とやらの内容については、評議員ではない私には教えていただけないとの話でした」
マリオン・ゼマンコヴァ・イオナの三名は一瞬だけ顔を見合わせた。
カザルスは念のため、ギディングスとフェルミの表情も確かめる。二人とも無表情だが、初耳と見受けられる風だった。
「現在、私は晴れて評議会の一員となりました。そこで再度、要求いたします。機密情報がどういったものなのか、教えていただけませんか」
「できない相談だ」
マリオンは間髪入れず答えた。
「どうしてです。我々は同じ評議員ではないですか」
「同じではない。カヤ嬢の審判中のみ、お前たちを評議員の立場に据えるという約束だったはずだ。この『情報』については今回の件にのみ関係するものではない、より広範囲に重要な事柄なのだ。そのため教えることはできない」
「なるほど。道理ですな」
腹は立たない。拒絶は想定内だ。むしろこれからじわじわと締め挙げて口を開かせる過程の愉しさを想像して、カザルスは唾を飲み込んだ。
「それでは質問を変えましょう」
陽気な声で、毒を放った。
「この中に裏切り者がいらっしゃるはずです。それはどなたですか?」
カザルスは感心している。
獅子の扉の奥。
先ほどまで摂政殿下が口舌を振るっていた同じ場所で、カザルスは生命の危機に瀕していた。
頭上に円卓が浮かんでいる。
亡きグリム議長を除いては一人で持ち上げるのは難しいだろうと思っていたこの卓を、今、マリオン評議員が頭上にかざしているのだった。溶岩色の顔面、眉間に青筋。激怒なさっているご様子だが、円卓を持ち上げているのは感情の表明であり、それをこちらにぶつけるつもりはないらしい。理性的なお方だ。とはいえ腕力がつきれば、カザルスの脳天も無事では済まないのは確かなこと。のんびりとした動作でカザルスは後退する。
「ギィイイイ――――――ッ!」
猿のように叫ぶマリオン。体勢を崩させないためと卓を放り投げないために、両脇でゼマンコヴァとフェルミが支えている。
イオナは和ませるつもりかリュートをボロロンボロロンと奏で、ギディングスは全く関係ない風に離れた位置でクッキーをかじっていた。
やがてゆっくりと卓を降ろしたマリオンは、深呼吸を繰り返した。
「ふ―――っ、ふーーっ、ふーっ」
「なにをそんなにお怒りなのですか?」
質問が悪かったらしい。マリオンはカザルスを指さしてがなり立てた。
「貴様は、貴様は!なぜ私を、私を怒らせる!私を怒らせるためにこの世に
ひり出された
生き物なのかっ」「造物主も、そこまで細やかではいらっしゃらないでしょう」
カザルスは円卓に座り直した。
「ですから、なにをお怒りなのです?予め方針を決めていたではないですか。決着が付かない場合は、一週間期限を延ばし、反対にこちらが証拠集めを行うと」
「それは、議論を尽くした上での話ではないか!」
マリオンは指先をぐるぐると回す。
「さっきの貴様等ときたら、一切反論をしなかったではないか!何の準備もしてこなかったのか?」
「してないわけがないでしょう」
カザルスは言い切った。
「こちらも無為に過ごしていたわけではありません。カヤ嬢を犯人と見なす当方の見解がいかに合理的なものであるか、論拠も証人も取りそろえております。少なくとも、新聞の読者を納得させられる程度には説得力を有するものですよ」
「出せよ!それなら!」
マリオンは再び円卓に手をかけるが、体力の限界を悟ったのか掌を叩きつけるだけに留めた。
「そんなものがあるなら、さっき殿下に叩きつけてやったらよかっただろうが!」
カザルスは軽く口笛を吹いた。
「叩きつけたら、どうなったというのです?」
「どうなったって・・・」
マリオンの目が大きく見開かれたまま制止した。
「カヤ嬢を無罪にするのが殿下の目的なのですから、納得されるはずがない。結局、結論を先延ばしにするしかありません。すると新聞の最新号には双方の言い分が載せられることになる。新聞社や記者がどちらに肩入れするかによって、多少の偏りは生まれるでしょうが、両論併記の形になるのは間違いないでしょう。それでは有罪と無罪、民衆がどちらに傾くものかわからない」
「得策だというのかね。後になって論拠を示す方が」
ゼマンコヴァの問いにカザルスは首肯する。
「新聞だの雑誌だの、読者というものは隅々まで記事を読み、完璧に内容を記憶しているわけではありません。適当な印象だけを頭に残し、それすら数日も経てば薄れてしまいます。日を置いて新しい情報が入れば、頭の中はそちらに塗り変えられてしまうのです。要するに、後出しが有利。浮気や跡目争いの三文記事と、理屈は同じですな」
「貴公のもくろみ通りに運ぶとして、大半の民衆がカヤ嬢の有罪を認めたとしてもだ」
イオナが楽器を棚に戻しながら言う。
「殿下が納得されないのは変わりがないだろう。先程約束した通り、今度は殿下が反証をさがす番。それで新しい証拠が見つかったら今度はこちら・・・」
円卓に戻り、カザルスを見据えてくる。
「いつまで繰り返されるのかわかったものではない。勝算はあるのか。最終的に」
「繰り返せばよろしい。延々と」
カザルスは両手を挙げる。
「はじめは民衆の耳目を惹きつけたこの出来事も、繰り返されれば飽きが生じます。最終的には、彼女が有罪になろうが処刑されようがどうでもいい、とまで冷えきった時点で、強引に処断すればよろしいでしょう」
「ずいぶん気の長い話だな!」
マリオンが身を揺らす。
「下手をすれば年をまたぐことになりそうだ」
「そこまで時間はかかりますまい」
ゼマンコヴァが宥める。
「我々と殿下で、有罪の証拠、無罪の証拠を交互に出し続ける。一見、公平のようですがそうでもない。我々の権限は、摂政殿下をしのぐのですから」
カザルスはこの老人を見直した。動作こそ頼りないが、脳味噌は耄碌していないようだ。
ゼマンコヴァが言うように、宮廷評議会は軍政の頂点として無数の兵士の指揮監督権を有する。その気になれば、彼ら全員を証拠集めに投入することも可能なのだ。一方の摂政殿下は「旗」の持ち数が評議会より少ないので、兵隊を手ゴマには使えない。せいぜいコネを駆使して私的な捜査部隊を編成する程度だろう。
「どう考えても、証拠が先に尽きるのは殿下が先。反証が不可能となれば有罪は確定するのですから」
ゼマンコヴァの言葉に、マリオンはようやく怒りを鎮火させた。
「・・カザルス評議員の言い分は理解した。有罪の証拠について吟味しておきたい。一両日中に提出を命じる」
「了解しました。ではこの件についてはここで終わりということで」
ようやく面倒が終わった。カザルスの本題は、これからだ。
「もう少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。我ら新任の評議員より、お三方にお願いがございます」
「何だ?」
厄介ごとを予想してか、マリオンの返事は硬い。
「一週間前の話です。赤薔薇家の方々より、なんとしてもカヤ嬢を有罪にするように、との圧力がかかっていると伺いました。交換条件として、議長が入手されたある重要な情報を提供してもらえる約束になっていると。その『情報』とやらの内容については、評議員ではない私には教えていただけないとの話でした」
マリオン・ゼマンコヴァ・イオナの三名は一瞬だけ顔を見合わせた。
カザルスは念のため、ギディングスとフェルミの表情も確かめる。二人とも無表情だが、初耳と見受けられる風だった。
「現在、私は晴れて評議会の一員となりました。そこで再度、要求いたします。機密情報がどういったものなのか、教えていただけませんか」
「できない相談だ」
マリオンは間髪入れず答えた。
「どうしてです。我々は同じ評議員ではないですか」
「同じではない。カヤ嬢の審判中のみ、お前たちを評議員の立場に据えるという約束だったはずだ。この『情報』については今回の件にのみ関係するものではない、より広範囲に重要な事柄なのだ。そのため教えることはできない」
「なるほど。道理ですな」
腹は立たない。拒絶は想定内だ。むしろこれからじわじわと締め挙げて口を開かせる過程の愉しさを想像して、カザルスは唾を飲み込んだ。
「それでは質問を変えましょう」
陽気な声で、毒を放った。
「この中に裏切り者がいらっしゃるはずです。それはどなたですか?」