幸福な家族
文字数 1,676文字
息子が摂政の地位に就いてもなお、黒繭家当主の頭は「決闘の王子」中心に回っていた。
娘の報告を受ける侯爵は、本日も着ぐるみをまとっている。今日は白い耳のウサギだった。
「サキは小物です」
ニコラはありのままを伝えた。
「前から器の大きい方ではないと感じていましたが、想像以上に酷い小物です。他愛ない決定権を与えられただけで、国政の全権を握ったかのように満足しています」
「小物か」侯爵は眠そうに瞬きした。
「欲が薄いという意味では、むしろ美徳とも言えそうだが」
「本当に無欲なら、国王を望んだりしません。きらびやかなサンゴの鎧があります。それを欲しがる人間は、欲しがらない人間に比べ、俗物です。けれどももっと低俗で救いがないのは、紛い物のサンゴを与えられたにも関わらず、本物と信じ込む人間です。それがあの子です。サキにとって大事なのは頭の中で創り上げたサンゴの鎧だけで、実質はどうでもいいのです。要は、おままごとで満足させられて、釣り合わない代価を払わされようとしています」
「代価、かね」
ニコラは状況を適切に要約したつもりだったが、父の反応は鈍い。
「殺されるかもしれません。すでに我が国にも革命家が入り込んでいると聞きます。彼らの標的にされるかも」
「それは穏やかではないな」
「お父様、まるで他人事ですね」
ニコラは見抜いた。父の中で、この事態が面倒になっている。父親は芝居の工夫を除けば、「いつも通り」を好む性分だ。芝居のことだけを考える生活が続けばそれでいい。サキに届いた玉座への招待状を嫌がったのは、それによって日常が乱れる可能性を慮ったからだ。
もうサキが摂政府に入ってしまった以上、こちらへ引き戻すには労力がかかる。それがおっくうで仕方ないのだろう。
少し、ニコラは迷う。これから告げることは家長に対しての僭越だ。
「お父様、私はお父様やお母さまに愛されて育ちました」
「……何かね、藪から棒に」
「何が問題かという話です。言葉に出さなくても、お父様たちの愛情は私には伝わっています。おそらく、お兄様にも。ですが想いというものは同じ与え方をされても、届く相手とそうでない相手に分かれます。サキには多分、不充分に濾過された形でしか注がれていないように思われます。そのせいであの子は、自分をとるに足らない存在だと思い込んでいます。自信を積み上げるために大事な土台である愛情が、あの子には不足しているのです」
父親の表情に困惑が浮かんでいる。普段は感情の起伏に乏しいと見なされがちな自分が、愛情を唱え始めたことに戸惑っているのだろう。自分でも似合わないとは思ったが――ニコラは躊躇しない。
「権力は、そんなサキが求める代用品です。巨大な力を玩具にできる僕は大した存在だと、自分に信じ込ませようとしています。カザルス将軍や宮廷軍事評議会の方々は、多分、その辺りを見抜いた上で利用するつもりなのでしょう。ですからお父様」
ニコラは父親を真っすぐに見据える。大抵の人間は彼女にそうされることを苦手にしている。それを承知で、見据えた。
「言ってあげて下さい。王位になど就かなくても、何もできなくても、お前はかけがえのない大事な息子だと、あからさまに教えてあげてください」
父親の反応に、ニコラは失敗を悟る。聞いたこともない異国の童謡を歌ってほしいとせがまれたような表情だ。
「なぜ、私なのだね。お前が言ってやれば済む話ではないのか」
「わたしでは嘘になります。そこまであの子が大好きではありません」
「……」
「お父様しかいないのです。今、あのサキに本当の愛情を見せられるのは」
「そのうち、クロアが旅行から戻る。それまで待てば」
侯爵は妻の名を出した。
「間に合わないかもしれません。今すぐにでも、サキを掬 い上げるべきなのです」
「ふうむ」
ニコラは失望した。父親の顎の角度から、いつも問題を先延ばしにする際の常套句が繰り出されることを予感したからだ。
「少し考えさせてくれ。今は、芝居の準備で忙しい……」
娘の報告を受ける侯爵は、本日も着ぐるみをまとっている。今日は白い耳のウサギだった。
「サキは小物です」
ニコラはありのままを伝えた。
「前から器の大きい方ではないと感じていましたが、想像以上に酷い小物です。他愛ない決定権を与えられただけで、国政の全権を握ったかのように満足しています」
「小物か」侯爵は眠そうに瞬きした。
「欲が薄いという意味では、むしろ美徳とも言えそうだが」
「本当に無欲なら、国王を望んだりしません。きらびやかなサンゴの鎧があります。それを欲しがる人間は、欲しがらない人間に比べ、俗物です。けれどももっと低俗で救いがないのは、紛い物のサンゴを与えられたにも関わらず、本物と信じ込む人間です。それがあの子です。サキにとって大事なのは頭の中で創り上げたサンゴの鎧だけで、実質はどうでもいいのです。要は、おままごとで満足させられて、釣り合わない代価を払わされようとしています」
「代価、かね」
ニコラは状況を適切に要約したつもりだったが、父の反応は鈍い。
「殺されるかもしれません。すでに我が国にも革命家が入り込んでいると聞きます。彼らの標的にされるかも」
「それは穏やかではないな」
「お父様、まるで他人事ですね」
ニコラは見抜いた。父の中で、この事態が面倒になっている。父親は芝居の工夫を除けば、「いつも通り」を好む性分だ。芝居のことだけを考える生活が続けばそれでいい。サキに届いた玉座への招待状を嫌がったのは、それによって日常が乱れる可能性を慮ったからだ。
もうサキが摂政府に入ってしまった以上、こちらへ引き戻すには労力がかかる。それがおっくうで仕方ないのだろう。
少し、ニコラは迷う。これから告げることは家長に対しての僭越だ。
「お父様、私はお父様やお母さまに愛されて育ちました」
「……何かね、藪から棒に」
「何が問題かという話です。言葉に出さなくても、お父様たちの愛情は私には伝わっています。おそらく、お兄様にも。ですが想いというものは同じ与え方をされても、届く相手とそうでない相手に分かれます。サキには多分、不充分に濾過された形でしか注がれていないように思われます。そのせいであの子は、自分をとるに足らない存在だと思い込んでいます。自信を積み上げるために大事な土台である愛情が、あの子には不足しているのです」
父親の表情に困惑が浮かんでいる。普段は感情の起伏に乏しいと見なされがちな自分が、愛情を唱え始めたことに戸惑っているのだろう。自分でも似合わないとは思ったが――ニコラは躊躇しない。
「権力は、そんなサキが求める代用品です。巨大な力を玩具にできる僕は大した存在だと、自分に信じ込ませようとしています。カザルス将軍や宮廷軍事評議会の方々は、多分、その辺りを見抜いた上で利用するつもりなのでしょう。ですからお父様」
ニコラは父親を真っすぐに見据える。大抵の人間は彼女にそうされることを苦手にしている。それを承知で、見据えた。
「言ってあげて下さい。王位になど就かなくても、何もできなくても、お前はかけがえのない大事な息子だと、あからさまに教えてあげてください」
父親の反応に、ニコラは失敗を悟る。聞いたこともない異国の童謡を歌ってほしいとせがまれたような表情だ。
「なぜ、私なのだね。お前が言ってやれば済む話ではないのか」
「わたしでは嘘になります。そこまであの子が大好きではありません」
「……」
「お父様しかいないのです。今、あのサキに本当の愛情を見せられるのは」
「そのうち、クロアが旅行から戻る。それまで待てば」
侯爵は妻の名を出した。
「間に合わないかもしれません。今すぐにでも、サキを
「ふうむ」
ニコラは失望した。父親の顎の角度から、いつも問題を先延ばしにする際の常套句が繰り出されることを予感したからだ。
「少し考えさせてくれ。今は、芝居の準備で忙しい……」