フェルミ大佐
文字数 2,520文字
カヤとニコラを交えて夕食を採っていたサキのところへ、ギディングスがやって来た。
「まだ見つかりません。議長の義弟君も叔父上も」
「はあ」
サキは首を傾げる。仮にも評議員の一員である男が、「なにも成果がありません」と伝えるためだけに訪れるものだろうか。
「というわけで、ここに小一時間ほど居させてもらえませんかね」
「何のために?」
「なにもしないためにです」
「……ちょっと意味がわからない」
「押しつけられたんですよ。面倒ごとを」
年若い中佐は、心底迷惑そうに語る。
「議長の叔父と義弟が見つからないのは、摂政府に匿われてるんじゃないかってマリオン評議員が言い出して」
「はあっ?」
「捜索したいけど、殿下は怒るでしょう?それでも見つからなかったら、国外を探すしかないけど、そのときは殿下に外交をしてもらうことになる。だから殿下を上手いこと言いくるめて、捜索も外交も気分良く承知してもらって来いって、命令されたんです」
……一片も上手く言いくるめていない。
「そんなの無理じゃないですか。だから時間をつぶして、粘ったけどだめだったって帰るつもりなんですよ」
「はあ、見上げたものだな」
この男もマリオンも、厚かましすぎる。
傍らのニコラを振り返ると、姉も同じ感想を抱いた様子だった。
サキは固く瞼を閉じた。
「別に構わないけどな。この摂政府、移ってきたばかりで愛着も薄いし。外交もやってみたいし」
ただ、いずれも国家元首の領分に踏み込む要求であるのは確かだ。応じるなら、相応の対価がほしい。
「カヤ、ちょっとこっちへ」
サキは少女を連れて室外へ出た後、相談をまとめて戻ってきた。
「そちらの要求には応じる。引き替えに、カヤの赤薔薇家における権限を保証してもらいたい」
「はあ、権限っすか」
ギディングスには予想外の話だったようだ。
「権限もなにも、カヤ嬢が次期当主に一番近い位置なのは間違いないですよ。黙っててもそれなりの権力が手に入るんじゃないですか」
「それはわかってる。ただ、当主の座に就くと色々束縛も出てくるだろう?彼女は画家だ。財力や権力が手に入ったら、見聞を深める助けにはなるだろうけど、自由を失う程には望んでいない。だから赤薔薇家を継いだ後で、面倒ごとが絡みついてくるようだったら、僕とカヤの一存で手を加えてもいいことにしてもらいたい」
「すみません。もうちょっと、端的にお願いできますか」
「赤薔薇家に関係する貴族制度を、カヤの都合がいいようにいじくりまわしてもいいっていう許可が欲しい」
「はー、なるほど。それはよくわかる。ものすごくわかります」
手を何度も叩いて、ギディングスは納得していた。
「わたしからも一つ」
カヤが勢いよく手を挙げた。
「今、赤薔薇の領地を封鎖して、捜索とかしてるんですよね。なるべく人を殺したり、傷つけたりしないようにしてほしいの。それでもどうしようもなくて、人死にが出てしまったら」
カヤはもう片方の手で筆を掲げた。
「私の前に連れてきて。その人を描きたい」
「どうしてです?」
ギディングスは首を傾げた。理解を拒絶する無表情だ。
「それが私の責任だから。私に関係のある世界で亡くなった命を記録しておきたいの」
「はいはい。ようするに、絵に描いて罪悪感を無くしたいってわけですね」
勝手に要約して、ギディングスは頷いた。
「すぐに冬宮へ帰って、確認してきます。多分大丈夫だと思いますよ」
「多分大丈夫などと、どうして安請け合いをした?」
マリオンの眉間に青筋が光る。
カザルスは手を叩いて大笑いしていた。使いに出したギディングスが、とんでもない条件をひっさげて帰ってきたのだ。
「あれ、だめでしたか。困ったなあ」
「困っているのは私の方だ!」
マリオンが円卓を持ち上げようとしたので、評議員たちは急いで食器を手に持った。
「貴族制度を好き勝手に改造する権限など、国王であっても赦されるものではないわっ」
「でも、赤薔薇家の領地だけなら問題なくないですか?」
「前例を生むのがまずい」
納得いかない風のギディングスを、ゼマンコヴァが諭す。
「過去の事例というものは厄介での、ひとたび掟破りが生まれたら、そこから雪崩の勢いで綻びが広がってしまう。国家元首の所行であれば、なおさらのことじゃ」
「じゃあ戻って、そっちは無理だって伝えてきますね。死体を運ぶ件は問題ないですよね」
「待て」
さっさと部屋を出ようとしたギディングスを、マリオンが呼び止める。
「こうお伝えしろ。『我々評議会は非常措置として国政を預かっているにすぎないため、将来の貴族法改正について保障できる立場ではない。その上で、必要に応じて旗をお貸しすることは確約させていただく』とな」
「もっと判りやすい言葉でお願いします」
「……約束はできない。しかし将来、殿下が貴族法を改正したくなったら味方に回ってやる、という話だ!」
上手い
「それで向こうが納得しないなら、こちらの要求も一端、取り下げにする。死体を送る件は可能と伝えて構わん」
「はいはい。じゃあもう一度行ってきますね」
だるい、とこぼしながらギディングスは出ていった。
ふとカザルスが傍らに眼をやると、フェルミの表情が一変していた。
軍務中の九割は不機嫌を顔に漲らせているこの男が、今は凍死体のように無表情だ。
「どうした、誰か殺しに行きそうな面だぞ」
皮肉ではない。カザルスは以前に同じような顔を見た覚えがある。退役間近の古参兵で、銃剣で妻と息子の喉を切り裂いた後で自殺した男だった。
「気にしないでください。少し思うところがあっただけです」
そう応えたフェルミは、平素の表情に戻っていた。
「あんたを撃ったりはしませんよ」
カザルスは笑わなかった。じゃあ、誰を撃つんだ?
「まだ見つかりません。議長の義弟君も叔父上も」
「はあ」
サキは首を傾げる。仮にも評議員の一員である男が、「なにも成果がありません」と伝えるためだけに訪れるものだろうか。
「というわけで、ここに小一時間ほど居させてもらえませんかね」
「何のために?」
「なにもしないためにです」
「……ちょっと意味がわからない」
「押しつけられたんですよ。面倒ごとを」
年若い中佐は、心底迷惑そうに語る。
「議長の叔父と義弟が見つからないのは、摂政府に匿われてるんじゃないかってマリオン評議員が言い出して」
「はあっ?」
「捜索したいけど、殿下は怒るでしょう?それでも見つからなかったら、国外を探すしかないけど、そのときは殿下に外交をしてもらうことになる。だから殿下を上手いこと言いくるめて、捜索も外交も気分良く承知してもらって来いって、命令されたんです」
……一片も上手く言いくるめていない。
「そんなの無理じゃないですか。だから時間をつぶして、粘ったけどだめだったって帰るつもりなんですよ」
「はあ、見上げたものだな」
この男もマリオンも、厚かましすぎる。
傍らのニコラを振り返ると、姉も同じ感想を抱いた様子だった。
サキは固く瞼を閉じた。
「別に構わないけどな。この摂政府、移ってきたばかりで愛着も薄いし。外交もやってみたいし」
ただ、いずれも国家元首の領分に踏み込む要求であるのは確かだ。応じるなら、相応の対価がほしい。
「カヤ、ちょっとこっちへ」
サキは少女を連れて室外へ出た後、相談をまとめて戻ってきた。
「そちらの要求には応じる。引き替えに、カヤの赤薔薇家における権限を保証してもらいたい」
「はあ、権限っすか」
ギディングスには予想外の話だったようだ。
「権限もなにも、カヤ嬢が次期当主に一番近い位置なのは間違いないですよ。黙っててもそれなりの権力が手に入るんじゃないですか」
「それはわかってる。ただ、当主の座に就くと色々束縛も出てくるだろう?彼女は画家だ。財力や権力が手に入ったら、見聞を深める助けにはなるだろうけど、自由を失う程には望んでいない。だから赤薔薇家を継いだ後で、面倒ごとが絡みついてくるようだったら、僕とカヤの一存で手を加えてもいいことにしてもらいたい」
「すみません。もうちょっと、端的にお願いできますか」
「赤薔薇家に関係する貴族制度を、カヤの都合がいいようにいじくりまわしてもいいっていう許可が欲しい」
「はー、なるほど。それはよくわかる。ものすごくわかります」
手を何度も叩いて、ギディングスは納得していた。
「わたしからも一つ」
カヤが勢いよく手を挙げた。
「今、赤薔薇の領地を封鎖して、捜索とかしてるんですよね。なるべく人を殺したり、傷つけたりしないようにしてほしいの。それでもどうしようもなくて、人死にが出てしまったら」
カヤはもう片方の手で筆を掲げた。
「私の前に連れてきて。その人を描きたい」
「どうしてです?」
ギディングスは首を傾げた。理解を拒絶する無表情だ。
「それが私の責任だから。私に関係のある世界で亡くなった命を記録しておきたいの」
「はいはい。ようするに、絵に描いて罪悪感を無くしたいってわけですね」
勝手に要約して、ギディングスは頷いた。
「すぐに冬宮へ帰って、確認してきます。多分大丈夫だと思いますよ」
「多分大丈夫などと、どうして安請け合いをした?」
マリオンの眉間に青筋が光る。
カザルスは手を叩いて大笑いしていた。使いに出したギディングスが、とんでもない条件をひっさげて帰ってきたのだ。
「あれ、だめでしたか。困ったなあ」
「困っているのは私の方だ!」
マリオンが円卓を持ち上げようとしたので、評議員たちは急いで食器を手に持った。
「貴族制度を好き勝手に改造する権限など、国王であっても赦されるものではないわっ」
「でも、赤薔薇家の領地だけなら問題なくないですか?」
「前例を生むのがまずい」
納得いかない風のギディングスを、ゼマンコヴァが諭す。
「過去の事例というものは厄介での、ひとたび掟破りが生まれたら、そこから雪崩の勢いで綻びが広がってしまう。国家元首の所行であれば、なおさらのことじゃ」
「じゃあ戻って、そっちは無理だって伝えてきますね。死体を運ぶ件は問題ないですよね」
「待て」
さっさと部屋を出ようとしたギディングスを、マリオンが呼び止める。
「こうお伝えしろ。『我々評議会は非常措置として国政を預かっているにすぎないため、将来の貴族法改正について保障できる立場ではない。その上で、必要に応じて旗をお貸しすることは確約させていただく』とな」
「もっと判りやすい言葉でお願いします」
「……約束はできない。しかし将来、殿下が貴族法を改正したくなったら味方に回ってやる、という話だ!」
上手い
いなし
方だ、とカザルスは評価する。確かに現在、この軍事評議会が国政まで取り仕切っているのは、上位機関の構成員が不在となったための繋ぎ役にすぎない(本音はどうであれ)。そのため、安請け合いができないのも嘘ではないからだ。「それで向こうが納得しないなら、こちらの要求も一端、取り下げにする。死体を送る件は可能と伝えて構わん」
「はいはい。じゃあもう一度行ってきますね」
だるい、とこぼしながらギディングスは出ていった。
ふとカザルスが傍らに眼をやると、フェルミの表情が一変していた。
軍務中の九割は不機嫌を顔に漲らせているこの男が、今は凍死体のように無表情だ。
「どうした、誰か殺しに行きそうな面だぞ」
皮肉ではない。カザルスは以前に同じような顔を見た覚えがある。退役間近の古参兵で、銃剣で妻と息子の喉を切り裂いた後で自殺した男だった。
「気にしないでください。少し思うところがあっただけです」
そう応えたフェルミは、平素の表情に戻っていた。
「あんたを撃ったりはしませんよ」
カザルスは笑わなかった。じゃあ、誰を撃つんだ?