隠し倉庫
文字数 1,673文字
草原にたどり着いた頃には、日は落ちる寸前だった。
馬車から飛び降りたサキは、ピエロから教わった目印の一つを探す。馬をつないだ後で、御者も付いてきた。
びっくりするくらい、何の変哲もない草原だ。「何の面白味もない草原を描きたい」という画家がいたら、この場所を案内するのがうってつけだろう。
サキは足下に注意して草をかき分ける。すぐに光るものを見つけた。錆びた銅が、消えかけの陽光をわずかに反射している。地所の境界線を示す銅板が、左右に延々と埋め込まれているのだ。幅はサキの掌程度。
普段なら、この辺りを歩いていたとしても見落としてしまうか、風景の一部として頭に入らないだろう。しかし冷静に考えると、国境でもない私有地の境界を分けるためにしては手間がかかりすぎている。
銅板に沿って、サキたちは左へしばらく進む。一カ所だけ、銅板が埋め込まれていない地点を見つけた。
「ここから草原へ入って、まっすぐ」
ピエロの言葉を繰り返しながら、サキは境界線の中へ足を踏み入れる。
「三十歩進む」
自分の体格を計算に入れて、サキは三十五歩直進した。ちょうどいい調整だったらしい。足下の少し前に新たな銅板が埋め込まれていた。
「この銅板から右に戻り、二十歩」
二十二歩、サキは歩いた。
見下ろして、顔をしかめる。草の中に、ネズミが横たわっていた。片耳がちぎれ、しっぽも先端が欠けている。柔らかそうな腹部は、無数のウジムシに蚕食されていた。
吐き気を催す造形。そう、
「すごい腕前ですなあ」
サキの背後で、御者が感心していた。同感だった。運び屋と受け取り主くらいにしか見てもらえないだろうに、これだけ精緻な偽物を用意させるなんて、大した遊び心だ。いつ頃造られたものだろう?くすんだ灰色は、退色の結果とも、最初からその色づけだったようにも見受けられる。
「ネズミの、無事な方の耳を引っ張る。それからネズミの右目から一番近いところにいるウジを強く押す……と」
触り心地から、材質は陶器と判る。最後に欠けた方の耳を引っ張ると、地面の盛り上がる気配が感じられた。教わった通りに造形物を動かすと、バネ仕掛けで地中の蔵を隠していた扉が開くという話だった。眼の見えないピエロが、よく開錠できたものだとサキは感心する。触覚で確認しやすい形状なのかもしれないけれど。
「この中に、外套があるかもしれないってことですよね。軍用の、血が付いた」
御者が確認する。
「あったらいい、と思ってる」
祈るような気持ちで、サキは扉の下を見る。
議長は決闘相手のために手紙と衣類をここに持ってこさせた。その衣類が軍用の外套だったとしたら、目的は明白だ。当時デジレ周辺は軍服をまとった兵士・士官が忙しく行き交っていたため、軍の外套を身に着ければ人目に付かないという配慮だろう。加えて、隠し通路の問題がある。いばら荘の最上階は人知れず決闘を行うのにうってつけの環境だが、カヤが入ってこないように、ゲラクに入り口を監視させていた。おそらくゲラクが不信感を抱かないように、これまでの密使と同じ格好をさせたのだ。
では決闘を終えたあと、犯人は外套をどこで処分しただろうか?
多少血糊が付いていても気にも留められないのだったら、しばらくは身に着けたままで、デジレ街道の途中か王都の途中で廃棄したかもしれない。サキは途中の水路を疑っていた。しかし、ピエロに隠し場所を聞いてからは、元の隠し場所に返したのかもしれないと考えを改めたのだ。
開いた扉の下には、暗闇の中に石段が続いていた。
適当に、小石を拾って投げる。すぐに反響があったので、大した深さではない。
まさか、内部に毒蛇がいるわけでもないだろう。
期待を込めて、サキは石段を下る。これで血染めの外套が見つかったなら、カヤの無罪放免が決まるのだ。
石段が終わる。雄牛一頭が詰め込めるかどうかといった程度の、装飾一つない空間。
そこには何もなかった。
馬車から飛び降りたサキは、ピエロから教わった目印の一つを探す。馬をつないだ後で、御者も付いてきた。
びっくりするくらい、何の変哲もない草原だ。「何の面白味もない草原を描きたい」という画家がいたら、この場所を案内するのがうってつけだろう。
サキは足下に注意して草をかき分ける。すぐに光るものを見つけた。錆びた銅が、消えかけの陽光をわずかに反射している。地所の境界線を示す銅板が、左右に延々と埋め込まれているのだ。幅はサキの掌程度。
普段なら、この辺りを歩いていたとしても見落としてしまうか、風景の一部として頭に入らないだろう。しかし冷静に考えると、国境でもない私有地の境界を分けるためにしては手間がかかりすぎている。
銅板に沿って、サキたちは左へしばらく進む。一カ所だけ、銅板が埋め込まれていない地点を見つけた。
「ここから草原へ入って、まっすぐ」
ピエロの言葉を繰り返しながら、サキは境界線の中へ足を踏み入れる。
「三十歩進む」
自分の体格を計算に入れて、サキは三十五歩直進した。ちょうどいい調整だったらしい。足下の少し前に新たな銅板が埋め込まれていた。
「この銅板から右に戻り、二十歩」
二十二歩、サキは歩いた。
見下ろして、顔をしかめる。草の中に、ネズミが横たわっていた。片耳がちぎれ、しっぽも先端が欠けている。柔らかそうな腹部は、無数のウジムシに蚕食されていた。
吐き気を催す造形。そう、
造形
だ。死骸に見せかけたつくりもの
なのだ。「すごい腕前ですなあ」
サキの背後で、御者が感心していた。同感だった。運び屋と受け取り主くらいにしか見てもらえないだろうに、これだけ精緻な偽物を用意させるなんて、大した遊び心だ。いつ頃造られたものだろう?くすんだ灰色は、退色の結果とも、最初からその色づけだったようにも見受けられる。
「ネズミの、無事な方の耳を引っ張る。それからネズミの右目から一番近いところにいるウジを強く押す……と」
触り心地から、材質は陶器と判る。最後に欠けた方の耳を引っ張ると、地面の盛り上がる気配が感じられた。教わった通りに造形物を動かすと、バネ仕掛けで地中の蔵を隠していた扉が開くという話だった。眼の見えないピエロが、よく開錠できたものだとサキは感心する。触覚で確認しやすい形状なのかもしれないけれど。
「この中に、外套があるかもしれないってことですよね。軍用の、血が付いた」
御者が確認する。
「あったらいい、と思ってる」
祈るような気持ちで、サキは扉の下を見る。
議長は決闘相手のために手紙と衣類をここに持ってこさせた。その衣類が軍用の外套だったとしたら、目的は明白だ。当時デジレ周辺は軍服をまとった兵士・士官が忙しく行き交っていたため、軍の外套を身に着ければ人目に付かないという配慮だろう。加えて、隠し通路の問題がある。いばら荘の最上階は人知れず決闘を行うのにうってつけの環境だが、カヤが入ってこないように、ゲラクに入り口を監視させていた。おそらくゲラクが不信感を抱かないように、これまでの密使と同じ格好をさせたのだ。
では決闘を終えたあと、犯人は外套をどこで処分しただろうか?
多少血糊が付いていても気にも留められないのだったら、しばらくは身に着けたままで、デジレ街道の途中か王都の途中で廃棄したかもしれない。サキは途中の水路を疑っていた。しかし、ピエロに隠し場所を聞いてからは、元の隠し場所に返したのかもしれないと考えを改めたのだ。
開いた扉の下には、暗闇の中に石段が続いていた。
適当に、小石を拾って投げる。すぐに反響があったので、大した深さではない。
まさか、内部に毒蛇がいるわけでもないだろう。
期待を込めて、サキは石段を下る。これで血染めの外套が見つかったなら、カヤの無罪放免が決まるのだ。
石段が終わる。雄牛一頭が詰め込めるかどうかといった程度の、装飾一つない空間。
そこには何もなかった。