疑惑の少女
文字数 6,506文字
「まず拳銃の発注に関してだが、議長はこれまでにも護身用の銃を造らせる例があったのか」
「兵馬に関わる仕事をされておりましたから、銃器の類を手に入れる機会は他家の方より多かったはずです。そのためか、これまでは軍用品を使っておられました。わざわざご自身のために発注されたのは、半年前が初めてにございます。『もう年だから、腕も鈍ってきている。いざというときは、自分のために作らせた良品の方が頼りになるだろう』とのお話でした」
カザルスの質問とバンドの回答を、フェルミが手帳に逐一書き留めている。ギディングスは何もしていない。
「拳銃が届いたのは何時だ」
「最初に届いたのは、九月六日にございます」
雑事を記録しているのか、バンドも帳面を見ながら回答する。
「ただ、先ほどお見せした拳銃は、そのとき届いたものではございません。共和国軍がこの辺りにも攻めてくる可能性があったもので、二週間前まで旦那様も我々も辺境に避難しておられましたが、その際、どこかで拳銃を無くしてしまわれたのです」
「ほう、無くした」
カザルスの瞳が光ったかに見えた。
「戦闘が終わりました翌日、辺境の市場に出かけられた折、落としたかスリにあったのだろうとのお話で、同じものを再注文されました。工房に金型が残っていたそうで、今度は数日で完成品が届きました。それがお見せした拳銃です」
「同じものを、ねえ・・・」
カザルスは眉根を寄せる。
「まあいい。次に下手人だ。誰かと、あるいはどこかの勢力と険悪な状態になった、命をねらわれている、という話を議長から聞かされたことは?」
「ございません。いや、正確に申し上げますと、戦争が始まる前に、その・・・・」
小声になって、バンドはサキをちらちらと見て来る。
「摂政殿下と揉めに揉めている、と苦笑混じりに話されたことはございます・・・その、申し訳ありません」
「それはまあ、仕方ない」
カザルスも苦笑している。揉めたなんて軽い言葉じゃすまないけどな、とサキは内心でむくれた。
「心当たりがなければ、議長が殺された前日あたりから切り込むしかないな。議長の死体を見つけた前後に、不審な来客はなかったのか」
「申し訳ありません。ある一点の説明が遅れました」
バンドは額の汗をぬぐった。
「この部屋は、旦那様にとって特別な場所であるために、旦那様の許しがなければ、使用人も入室することができません。そのため、旦那様しかご存じでない来客がこの部屋にいらっしゃった場合、知るすべがないのでございます」
「ちょっと待った」
フェルミが疑念を挟んだ。
「そもそも客は、正門から舗道を通って洞窟に入るのだろう?正門には門番も控えていた。誰にも見咎められずに外部のものがこの部屋にやっては来られないはずだ」
「ああ、まことに申し訳ございません。その点も失念しておりました」
バンドの汗が増える。
「と、申しますより、このような事態でなければお伝えするべきではない話なのですが・・・いばら荘には秘密の通路が存在するのでございます」
「「「「はあ?」」」」
ニコラを除く、全員が声を出した。
「表向き、いばら荘には正門をくぐらなければ入館できないという話になっておりますが、実際には、いばらに隠された入り口が存在しており、そこを通るとこの部屋の真下、螺旋階段の近くにまで誰にも出会わずにやって来れるのでございます」
「それが本当なら」
カザルスは呆気にとられた表情であごを撫でている。
「隠し通路を知っている人間だったら、誰にも気づかれず館内に入り、議長を撃ち殺した後、誰にも気付かれず出ていけるわけか」
「理屈の上では、可能です」
「というかお前たち、評議会に近い立場だろうに」
サキは軍人三名を見回す。
「ここに来たこと、なかったの?教えられてなかったのかよ、秘密の通路の存在とか」
「何回か職務上の報告のため、お邪魔したことはありました」
カザルスが意味ありげに微笑する。
「しかしながら、議長とお会いしたのはどの場合でもここではなく、執務室でしたもので・・・・秘密通路も教わっておりません。少なくとも私はね」
フェルミとギディングスを見て、少将はもう一度笑った。こいつらは知っているかもしれませんよ、と言いたげだ。部下二人は共に迷惑そうな顔をしている。
「秘密通路とやらが、繋がっているのは館の外だけですか」
しばらく黙り込んでいたニコラが発言した。
「たとえば隠し部屋の類とも繋がっているとするならば・・・・犯人が、外にいるとは限らないのでは?」
早速、隠し通路の捜索が始まった。
バンドの話では外への通路は螺旋階段の下に繋がっているそうだが、バンドも知らない隠し通路がないとは言い切れないとのことで、手始めに最上階の部屋から探索している。疑い始めると、ステンドグラスの模様や小劇場の配置まで怪しく見えてきた。
「額縁の裏側とかに隠れてないだろうか」
慎重な手つきで絵を取り外そうとしているサキを、フェルミが鼻で笑う。
「冒険小説じゃあるまいし。初歩的すぎるでしょう」
「わかんないだろ、初歩こそ見落としがちかもしれない」
膨れながらサキは、マルノ・カルカの肖像画を取り外した。
「あった」
隠されていた。ただし、求めていた秘密通路の入り口ではない。
「暗号文だ」
壁に糊付されていた紙片をサキは慎重に剥がす。モスクの壁面を連想させる幾何学模様。サキが摂政府で有頂天になっていたときに採用した形式のものだ。
「お手柄ですな殿下!」
ばつの悪そうなフェルミを視線でいじりながら、カザルスは紙切れに近寄った。
「残念ながら、即座に解読は難しいようです。最新の暗号鍵とは異なっている」
それくらいの用心はするだろうな、とサキは残念には思わない。
「この暗号が、犯人が危惧していた情報なんだろうか。色々燃やしたけれど、これは発見できなかった・・・けど変だな。絵の裏側くらい、確かめるものじゃないか?」
「油断したのでしょう。冒険小説じゃあるまいしと馬鹿にしたんだな」
カザルスがフェルミをしつこく虐めている。こいつら、仲がいいのか悪いのか。
サキは別の可能性を思いついた。
「犯人が用意した、偽の手がかりかもしれないぞ」
検討の余地があると考えたのか、暫しカザルスは首を捻っていたが、
「……その線はないと思います。この暗号は手書きじゃあない。偽暗号対策として、軍の施設にしかない活版印刷機を使って印字したものです。印刷機は権限を与えられた担当者が管理していて、印刷する際は、必ず申請者の名前を記録して控えを残す決まりになっています。だからもしこの暗号文を用意したのが犯人だった場合、そいつは軍関係者で、自分の名前を貼り付けて帰ったも同然の馬鹿ということになる」
少将は暗号の一部を指先で突く。
「まあ、犯人が無能じゃないとは決め付けられませんので、一応、照合はさせてみますけれどね」
「今、控えを残すって言ったけど、本文の控えだけで、鍵や内容は記録してないよな」
念のためサキが発した問いに、カザルスは頷いた。
「機密保持上、問題がありますからね」
サキは紙切れを剥がし終えた。
「その場合、鍵がなくても、暗号の専門家に任せたら解読できるものだろうか」
「申し訳ありませんが断言はできません。何しろ、この形式の暗号を解読させるのは始めての試みでしょうから」
カザルスは紙切れをフェルミに渡し、配列を控えさせている。「この暗号に関しては結果待ちとして……」
カザルスはバンドに向き直る。
「もう一つ聞きたい話があった。議長の死体が発見されたときのことだ」
「発見されたのは、この部屋に来られたお客様です。小劇場を見ると、中央の椅子に旦那様が座っておられたので声をかけると、すでに事切れておられたそうです。あわてて螺旋階段を下りて、使用人の一人に助けを求めて来られました。夕方のことでございました」
「お客様?」
カザルスの眉が跳ね上がる。
「そのお客様とやらは何時この館にやってきたんだ?」
「申し訳ありません。存じ上げておりません」
「まさか」
フェルミも静物画を持ったまま身を傾けた。
「その客は議長から秘密の通路を教わっていた枠か?」
「おそらくそうかと思われます。これまでも我々が旦那様に呼ばれてこの部屋に参りました折り、その方がすでにいらっしゃっている、ということが度々ございましたので。旦那様は、どなたが通路の詳細をご存じかまで我々使用人に教えてくださることはございませんでしたので、確実ではございませんが」
引き続き、カザルスの眉は深く傾いている。
「お前たち使用人が、生きている議長を最後に見たのは何時だった?」
「その日の昼過ぎにございます。この部屋で、昼食をお下げしました」
「そのとき、件の客は一緒にいたのか?」
「いいえ。旦那様おひとりにございます。ただ・・・」
「ただ?」
「お食事をお下げした際、『今からいいと言うまで、絶対に最上階へ入ってこないように。とくに今日は螺旋階段がある塔の周辺にも近寄らないように』と念入りに厳命されておりました」
数秒の沈黙。
「怪しくないですか?そのお客とやら」
サキの指摘に、全員が頷いた。
「直ちにその人物と連絡をとりたい」
カザルスはバンドに近付いた。
「素性が明らかな人物なんだろうな。場合によっては、評議会の権限で身柄を拘束させてもらうかもしれない」
「その必要はございません」
バンドは言い切った。
「私もそう考えましたゆえ、そのお客様には、引き続き当館に滞在いただいております」
フェルミの表情が視界に入る。怒りと呆れと疲労をごった煮にしたような顔だった。
「ちょっと!」
サキも文句を言いたくなる。
「なんでそう、大事な情報を小出し、小出しにするんですか?」
「申し訳ございません」
「それは聞き飽きましたってば!」
「まことに申し訳ございません。ですが、これが当方の採れる最善の対応であったことは、後々、摂政殿下もご理解いただけるものと確信しております」
どういう意味だ?
「あんたの意図するところがわからん」
フェルミも不平を述べる。
「『ご主人様が死体で見つかった。死体を見つけたという客が怪しいので場内に足止めして
いる』最初からそう言えばよかったじゃないか」
「それでは、公平にならないのでございます」
なおも口を動かしかけたフェルミだったが、バンドが螺旋階段へ歩き始めたので黙る。
「これより、お客様のお部屋へ案内いたします。お時間をとらせたこと、申し訳ございません」
「夜になっちゃいましたねえ」
螺旋階段を下りながらギディングスがこぼす。
「俺、もう帰っていいですか」
いい理由が何一つないので、誰も反応しなかった。
「議長の奥方は、すでに亡くなっておられたな?」
カザルスは一同の先頭を下りながらバンドに訊く。
バンドは無言で頷いた。
だろうな、とサキは納得する。これまでバンドが語ってくれた話に、議長夫人がほとんど登場していない。
「厄介なことに、旦那様にはお子さまがいらっしゃいません。そのため亡き奥様の弟君と、旦那様の年少の叔父君との間で、次の当主を巡る綱引きが前々から繰り広げられているのです」
「あー、なんとなくわかった」
ギディングスが手を叩く。
「あんた、めんどうくさいことを除くつもりなんだ。ふつう、城内で当主が死んでたら、先に親族へ伝えるだろうけれど、それをしなかった。跡目を狙う連中があることないこと互いに罪を擦り付けあって、泥沼の騒動になりかねないから。そこで俺たち軍部を呼び込んで、殺害の状況を先に調べさせる。そうしたら、冤罪の押しつけ合いは難しくなるから・・・・」
「申し訳ございません。大方はご指摘の通りにございます」
バンドの表情は硬い。
「加えて、もう一つ、摂政殿下のお怒りを鎮めるという目的がございます」
「僕の?」
サキは意表を突かれた。
「戦場に立たされた件ですか?それはまあ、相当頭には来てましたけど、議長が死んじゃった今、八つ当たりなんてしませんよ、跡継ぎの人には」
「ありがとうございます。しかしその件ではございません。殿下はこれからお怒りになるのでございます」
ぴんと来ない。
「サキ」
姉が小声で話しかけてきた。
「気付いていますか。肖像画の周囲にあった小品の絵画」
「ええ」
サキも小声で返す。
「でも、だから何だって言うのでしょう」
「こちらを曲がります」
先頭にいたバンドが立ち止まって皆を待った。
螺旋階段を降りた先に始まる通路は、途中で枝分かれしており、一行は最初に出てきた氷室とは別の分岐へ進む。壁のあちこちに鈎状の金具が取り付けられており、軍服の外套 が掛かっていた。先の戦役では、寒さはそれほどでもなかったためあまり使用されなかったコートだ。鈎の数が足りないのか、床に積み重ねられている分もある。全部で百着は越えるだろうか。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
謝罪するバンドだが、死体を見せられた時点でお見苦しいも何もないとサキは思う。
「こちらはすべて、今回の戦役で販売するために当家領内で仕立てたものにございますが、供給過多のため行き場を失って、とりあえず当館で保管しているのでございます」
「評議会の議長は、軍服の生産まで請け負っているんですか」
サキには初耳だった。
「ああ、それはですね・・・旨味があるんですよ。軍服には」
カザルスがねっとりとした笑顔を浮かべる。
「軍服の生産・販売は、産業振興の観点から民間にも広く許可を与えています。ぼったくりを防ぐため価格は均一。正規兵・選抜民兵共に、給金から購入させています。工場は、安い材料を使って原価を抑えることも可能ではありますが、宮廷軍事評議会は品質検査も行っているので、ぼろもうけは難しい。ところがです」
少将は壁のコートの一つをつついた。
「法律では、品質検査を行う宮廷軍事評議会の構成員自身が製造・販売を行うことを禁じる規定はない・・・後は、お分かりですね?」
「ああ・・」
なるほど、結構な旨味だ。
「けど、議長が亡くなったからそれも難しくなってしまうんだな」
「そうですね。生憎、評議員は世襲制ではない」
会話は聞こえているはずだが、先頭を進むバンドは振り返らない。
「こちらがお客様のお部屋にございます」
黒壇の扉。ドアノブの周囲にバラが彫り込まれている。硬質の木材が冷たい印象を発しているが、牢獄のような閉塞感はない。
「縛ったり、閉じこめているわけではないんだな」
カザルスが確認する。
「当然、いたしておりません。我々にそのような権限はございませんので。その気になればお客様は外出もできるはずですが、こちらの要求に応じていただいております」
家宰はノブに手をかけながら、
「摂政殿下におかれましては、こちらにご案内するまでにお手間をとらせましたこと、まことに申し訳ございません。しかしながらここまでご説明いたしました行為自体が、我々の誠意の表れであるとご理解いただきたく存じます」
サキの方を向いて頭を下げる。
まだ、サキには事情が理解できない。
傍らのニコラを見る。何かを察したのか、額に皺を寄せていた。
バンドが扉を開いた。
内部は思ったより広く、議長が眠っていた氷室ほどの大きさ。来客用のベッドが左端の壁にあり、正面突き当たりに本棚が並んでいる。
本棚の前で、こちらを向いて座り、目の前の壷をスケッチしている少女と眼が合った。
「カヤ・・・!」
「やー、サキ。ニコラも・・来ちゃったんだ」
絵描きの少女は笑う。これまで見たことのない弱々しい笑顔だった。
「ごめんね。わたし、死刑になっちゃうかもしれない」
「兵馬に関わる仕事をされておりましたから、銃器の類を手に入れる機会は他家の方より多かったはずです。そのためか、これまでは軍用品を使っておられました。わざわざご自身のために発注されたのは、半年前が初めてにございます。『もう年だから、腕も鈍ってきている。いざというときは、自分のために作らせた良品の方が頼りになるだろう』とのお話でした」
カザルスの質問とバンドの回答を、フェルミが手帳に逐一書き留めている。ギディングスは何もしていない。
「拳銃が届いたのは何時だ」
「最初に届いたのは、九月六日にございます」
雑事を記録しているのか、バンドも帳面を見ながら回答する。
「ただ、先ほどお見せした拳銃は、そのとき届いたものではございません。共和国軍がこの辺りにも攻めてくる可能性があったもので、二週間前まで旦那様も我々も辺境に避難しておられましたが、その際、どこかで拳銃を無くしてしまわれたのです」
「ほう、無くした」
カザルスの瞳が光ったかに見えた。
「戦闘が終わりました翌日、辺境の市場に出かけられた折、落としたかスリにあったのだろうとのお話で、同じものを再注文されました。工房に金型が残っていたそうで、今度は数日で完成品が届きました。それがお見せした拳銃です」
「同じものを、ねえ・・・」
カザルスは眉根を寄せる。
「まあいい。次に下手人だ。誰かと、あるいはどこかの勢力と険悪な状態になった、命をねらわれている、という話を議長から聞かされたことは?」
「ございません。いや、正確に申し上げますと、戦争が始まる前に、その・・・・」
小声になって、バンドはサキをちらちらと見て来る。
「摂政殿下と揉めに揉めている、と苦笑混じりに話されたことはございます・・・その、申し訳ありません」
「それはまあ、仕方ない」
カザルスも苦笑している。揉めたなんて軽い言葉じゃすまないけどな、とサキは内心でむくれた。
「心当たりがなければ、議長が殺された前日あたりから切り込むしかないな。議長の死体を見つけた前後に、不審な来客はなかったのか」
「申し訳ありません。ある一点の説明が遅れました」
バンドは額の汗をぬぐった。
「この部屋は、旦那様にとって特別な場所であるために、旦那様の許しがなければ、使用人も入室することができません。そのため、旦那様しかご存じでない来客がこの部屋にいらっしゃった場合、知るすべがないのでございます」
「ちょっと待った」
フェルミが疑念を挟んだ。
「そもそも客は、正門から舗道を通って洞窟に入るのだろう?正門には門番も控えていた。誰にも見咎められずに外部のものがこの部屋にやっては来られないはずだ」
「ああ、まことに申し訳ございません。その点も失念しておりました」
バンドの汗が増える。
「と、申しますより、このような事態でなければお伝えするべきではない話なのですが・・・いばら荘には秘密の通路が存在するのでございます」
「「「「はあ?」」」」
ニコラを除く、全員が声を出した。
「表向き、いばら荘には正門をくぐらなければ入館できないという話になっておりますが、実際には、いばらに隠された入り口が存在しており、そこを通るとこの部屋の真下、螺旋階段の近くにまで誰にも出会わずにやって来れるのでございます」
「それが本当なら」
カザルスは呆気にとられた表情であごを撫でている。
「隠し通路を知っている人間だったら、誰にも気づかれず館内に入り、議長を撃ち殺した後、誰にも気付かれず出ていけるわけか」
「理屈の上では、可能です」
「というかお前たち、評議会に近い立場だろうに」
サキは軍人三名を見回す。
「ここに来たこと、なかったの?教えられてなかったのかよ、秘密の通路の存在とか」
「何回か職務上の報告のため、お邪魔したことはありました」
カザルスが意味ありげに微笑する。
「しかしながら、議長とお会いしたのはどの場合でもここではなく、執務室でしたもので・・・・秘密通路も教わっておりません。少なくとも私はね」
フェルミとギディングスを見て、少将はもう一度笑った。こいつらは知っているかもしれませんよ、と言いたげだ。部下二人は共に迷惑そうな顔をしている。
「秘密通路とやらが、繋がっているのは館の外だけですか」
しばらく黙り込んでいたニコラが発言した。
「たとえば隠し部屋の類とも繋がっているとするならば・・・・犯人が、外にいるとは限らないのでは?」
早速、隠し通路の捜索が始まった。
バンドの話では外への通路は螺旋階段の下に繋がっているそうだが、バンドも知らない隠し通路がないとは言い切れないとのことで、手始めに最上階の部屋から探索している。疑い始めると、ステンドグラスの模様や小劇場の配置まで怪しく見えてきた。
「額縁の裏側とかに隠れてないだろうか」
慎重な手つきで絵を取り外そうとしているサキを、フェルミが鼻で笑う。
「冒険小説じゃあるまいし。初歩的すぎるでしょう」
「わかんないだろ、初歩こそ見落としがちかもしれない」
膨れながらサキは、マルノ・カルカの肖像画を取り外した。
「あった」
隠されていた。ただし、求めていた秘密通路の入り口ではない。
「暗号文だ」
壁に糊付されていた紙片をサキは慎重に剥がす。モスクの壁面を連想させる幾何学模様。サキが摂政府で有頂天になっていたときに採用した形式のものだ。
「お手柄ですな殿下!」
ばつの悪そうなフェルミを視線でいじりながら、カザルスは紙切れに近寄った。
「残念ながら、即座に解読は難しいようです。最新の暗号鍵とは異なっている」
それくらいの用心はするだろうな、とサキは残念には思わない。
「この暗号が、犯人が危惧していた情報なんだろうか。色々燃やしたけれど、これは発見できなかった・・・けど変だな。絵の裏側くらい、確かめるものじゃないか?」
「油断したのでしょう。冒険小説じゃあるまいしと馬鹿にしたんだな」
カザルスがフェルミをしつこく虐めている。こいつら、仲がいいのか悪いのか。
サキは別の可能性を思いついた。
「犯人が用意した、偽の手がかりかもしれないぞ」
検討の余地があると考えたのか、暫しカザルスは首を捻っていたが、
「……その線はないと思います。この暗号は手書きじゃあない。偽暗号対策として、軍の施設にしかない活版印刷機を使って印字したものです。印刷機は権限を与えられた担当者が管理していて、印刷する際は、必ず申請者の名前を記録して控えを残す決まりになっています。だからもしこの暗号文を用意したのが犯人だった場合、そいつは軍関係者で、自分の名前を貼り付けて帰ったも同然の馬鹿ということになる」
少将は暗号の一部を指先で突く。
「まあ、犯人が無能じゃないとは決め付けられませんので、一応、照合はさせてみますけれどね」
「今、控えを残すって言ったけど、本文の控えだけで、鍵や内容は記録してないよな」
念のためサキが発した問いに、カザルスは頷いた。
「機密保持上、問題がありますからね」
サキは紙切れを剥がし終えた。
「その場合、鍵がなくても、暗号の専門家に任せたら解読できるものだろうか」
「申し訳ありませんが断言はできません。何しろ、この形式の暗号を解読させるのは始めての試みでしょうから」
カザルスは紙切れをフェルミに渡し、配列を控えさせている。「この暗号に関しては結果待ちとして……」
カザルスはバンドに向き直る。
「もう一つ聞きたい話があった。議長の死体が発見されたときのことだ」
「発見されたのは、この部屋に来られたお客様です。小劇場を見ると、中央の椅子に旦那様が座っておられたので声をかけると、すでに事切れておられたそうです。あわてて螺旋階段を下りて、使用人の一人に助けを求めて来られました。夕方のことでございました」
「お客様?」
カザルスの眉が跳ね上がる。
「そのお客様とやらは何時この館にやってきたんだ?」
「申し訳ありません。存じ上げておりません」
「まさか」
フェルミも静物画を持ったまま身を傾けた。
「その客は議長から秘密の通路を教わっていた枠か?」
「おそらくそうかと思われます。これまでも我々が旦那様に呼ばれてこの部屋に参りました折り、その方がすでにいらっしゃっている、ということが度々ございましたので。旦那様は、どなたが通路の詳細をご存じかまで我々使用人に教えてくださることはございませんでしたので、確実ではございませんが」
引き続き、カザルスの眉は深く傾いている。
「お前たち使用人が、生きている議長を最後に見たのは何時だった?」
「その日の昼過ぎにございます。この部屋で、昼食をお下げしました」
「そのとき、件の客は一緒にいたのか?」
「いいえ。旦那様おひとりにございます。ただ・・・」
「ただ?」
「お食事をお下げした際、『今からいいと言うまで、絶対に最上階へ入ってこないように。とくに今日は螺旋階段がある塔の周辺にも近寄らないように』と念入りに厳命されておりました」
数秒の沈黙。
「怪しくないですか?そのお客とやら」
サキの指摘に、全員が頷いた。
「直ちにその人物と連絡をとりたい」
カザルスはバンドに近付いた。
「素性が明らかな人物なんだろうな。場合によっては、評議会の権限で身柄を拘束させてもらうかもしれない」
「その必要はございません」
バンドは言い切った。
「私もそう考えましたゆえ、そのお客様には、引き続き当館に滞在いただいております」
フェルミの表情が視界に入る。怒りと呆れと疲労をごった煮にしたような顔だった。
「ちょっと!」
サキも文句を言いたくなる。
「なんでそう、大事な情報を小出し、小出しにするんですか?」
「申し訳ございません」
「それは聞き飽きましたってば!」
「まことに申し訳ございません。ですが、これが当方の採れる最善の対応であったことは、後々、摂政殿下もご理解いただけるものと確信しております」
どういう意味だ?
「あんたの意図するところがわからん」
フェルミも不平を述べる。
「『ご主人様が死体で見つかった。死体を見つけたという客が怪しいので場内に足止めして
いる』最初からそう言えばよかったじゃないか」
「それでは、公平にならないのでございます」
なおも口を動かしかけたフェルミだったが、バンドが螺旋階段へ歩き始めたので黙る。
「これより、お客様のお部屋へ案内いたします。お時間をとらせたこと、申し訳ございません」
「夜になっちゃいましたねえ」
螺旋階段を下りながらギディングスがこぼす。
「俺、もう帰っていいですか」
いい理由が何一つないので、誰も反応しなかった。
「議長の奥方は、すでに亡くなっておられたな?」
カザルスは一同の先頭を下りながらバンドに訊く。
バンドは無言で頷いた。
だろうな、とサキは納得する。これまでバンドが語ってくれた話に、議長夫人がほとんど登場していない。
「厄介なことに、旦那様にはお子さまがいらっしゃいません。そのため亡き奥様の弟君と、旦那様の年少の叔父君との間で、次の当主を巡る綱引きが前々から繰り広げられているのです」
「あー、なんとなくわかった」
ギディングスが手を叩く。
「あんた、めんどうくさいことを除くつもりなんだ。ふつう、城内で当主が死んでたら、先に親族へ伝えるだろうけれど、それをしなかった。跡目を狙う連中があることないこと互いに罪を擦り付けあって、泥沼の騒動になりかねないから。そこで俺たち軍部を呼び込んで、殺害の状況を先に調べさせる。そうしたら、冤罪の押しつけ合いは難しくなるから・・・・」
「申し訳ございません。大方はご指摘の通りにございます」
バンドの表情は硬い。
「加えて、もう一つ、摂政殿下のお怒りを鎮めるという目的がございます」
「僕の?」
サキは意表を突かれた。
「戦場に立たされた件ですか?それはまあ、相当頭には来てましたけど、議長が死んじゃった今、八つ当たりなんてしませんよ、跡継ぎの人には」
「ありがとうございます。しかしその件ではございません。殿下はこれからお怒りになるのでございます」
ぴんと来ない。
「サキ」
姉が小声で話しかけてきた。
「気付いていますか。肖像画の周囲にあった小品の絵画」
「ええ」
サキも小声で返す。
「でも、だから何だって言うのでしょう」
「こちらを曲がります」
先頭にいたバンドが立ち止まって皆を待った。
螺旋階段を降りた先に始まる通路は、途中で枝分かれしており、一行は最初に出てきた氷室とは別の分岐へ進む。壁のあちこちに鈎状の金具が取り付けられており、軍服の
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
謝罪するバンドだが、死体を見せられた時点でお見苦しいも何もないとサキは思う。
「こちらはすべて、今回の戦役で販売するために当家領内で仕立てたものにございますが、供給過多のため行き場を失って、とりあえず当館で保管しているのでございます」
「評議会の議長は、軍服の生産まで請け負っているんですか」
サキには初耳だった。
「ああ、それはですね・・・旨味があるんですよ。軍服には」
カザルスがねっとりとした笑顔を浮かべる。
「軍服の生産・販売は、産業振興の観点から民間にも広く許可を与えています。ぼったくりを防ぐため価格は均一。正規兵・選抜民兵共に、給金から購入させています。工場は、安い材料を使って原価を抑えることも可能ではありますが、宮廷軍事評議会は品質検査も行っているので、ぼろもうけは難しい。ところがです」
少将は壁のコートの一つをつついた。
「法律では、品質検査を行う宮廷軍事評議会の構成員自身が製造・販売を行うことを禁じる規定はない・・・後は、お分かりですね?」
「ああ・・」
なるほど、結構な旨味だ。
「けど、議長が亡くなったからそれも難しくなってしまうんだな」
「そうですね。生憎、評議員は世襲制ではない」
会話は聞こえているはずだが、先頭を進むバンドは振り返らない。
「こちらがお客様のお部屋にございます」
黒壇の扉。ドアノブの周囲にバラが彫り込まれている。硬質の木材が冷たい印象を発しているが、牢獄のような閉塞感はない。
「縛ったり、閉じこめているわけではないんだな」
カザルスが確認する。
「当然、いたしておりません。我々にそのような権限はございませんので。その気になればお客様は外出もできるはずですが、こちらの要求に応じていただいております」
家宰はノブに手をかけながら、
「摂政殿下におかれましては、こちらにご案内するまでにお手間をとらせましたこと、まことに申し訳ございません。しかしながらここまでご説明いたしました行為自体が、我々の誠意の表れであるとご理解いただきたく存じます」
サキの方を向いて頭を下げる。
まだ、サキには事情が理解できない。
傍らのニコラを見る。何かを察したのか、額に皺を寄せていた。
バンドが扉を開いた。
内部は思ったより広く、議長が眠っていた氷室ほどの大きさ。来客用のベッドが左端の壁にあり、正面突き当たりに本棚が並んでいる。
本棚の前で、こちらを向いて座り、目の前の壷をスケッチしている少女と眼が合った。
「カヤ・・・!」
「やー、サキ。ニコラも・・来ちゃったんだ」
絵描きの少女は笑う。これまで見たことのない弱々しい笑顔だった。
「ごめんね。わたし、死刑になっちゃうかもしれない」