山師か愛国者か
文字数 5,146文字
サキが退出した後の評議会。カザルスは戸棚にしまってあったクッキーの相伴に預り、労働後のささやかな幸福に浸っていた。頭脳と弁舌を駆使する重労働だった。疲れた舌に、砂糖とバターのまろやかさが快い。
眼前の円卓では、マリオン評議員がリラックスとは正反対の姿勢で、全身を震わせていた。立ち上がりながら机を持ち上げて放り投げようか迷っているような体勢。実際、そうしたいのかもしれないが、それなりに重い円卓は、亡きグリム議長でもなければ持ち上げりそうにない。
ああ、美味しい。不機嫌な上官を眺めながら頂くクッキーは。
傍らで心配げにマリオンを見ていたイオナ評議員が立ち上がり、クッキーのあった戸棚へ歩いて行った。この戸棚は評議員の私物を保管している。下段の引き出しから大振りのリュートを取り出したイオナは、円卓に戻り、ボロローン、と奏でる。
「弾くな!」
マリオンが怒鳴る。口からクッキーの欠片がこぼれる。バターと砂糖も、彼を癒してはくれなかったらしい。
「これは失礼」
真面目くさった表情で、イオナは頭を下げる。
「楽器で和んでいただこうかと思い立ったのですが」
「楽器で和めるような状況ではないっ」
マリオンは円卓に座り直す。
「あの小僧、あの小僧、私をこけにしくさりおって・・・・」
「何をかりかりしておられるのです」
遺憾ながら、カザルスは食後の紅茶を諦めた。
「一触即発の状況を、私が穏便に収めて差し上げたではないですか」
「多大な譲歩をした上でな!」
マリオンの額に複数の血管が浮かぶ。
「何事もなければ、今頃、あの絵描き娘の死刑執行書類に判を押していたものを」
「なるほど。何が何でもカヤ嬢を処刑したかったご様子」
カザルスはマリオンに向ける視線に力を込める。
「差し支えなければ、その理由を私にも教えていただけますか」
「差し支えがある。教えられん」
マリオンから外した視線を、カザルスはイオナとゼマンコヴァに注いだ。
「・・・マリオン殿、触りを伝えるくらいならよろしかろう」
ゼマンコヴァの意見にマリオンは舌打ちをしつつ、
「あの娘を処刑することと引き替えに、赤薔薇家から重要な情報を入手できることになっている」
「この場合の赤薔薇家というのは、議長の叔父の方ですか、義弟の方ですか」
「両方だ」
「ほう・・両方とはね」
不安の表出なのか、マリオンは首の羽根飾りをいじる。
「議長が調べあげていたという、極めて重要な情報とその証拠が彼らの手に渡っている。引き替えに要求しているのが、あの娘が相続権を有する赤薔薇家の一割だ。有罪にすることで権利を取り上げれば、自動的に彼らのものとなる」
「その証拠とやらには、無実の少女に罪を被せるに足る価値があるのですね」
「勘違いしてもらっては困るが、あの娘が甚だ疑わしい状況にあるのは間違いがないのだぞ」マリオンは気ぜわしげに羽根飾りを払った。
「他国のいい加減な裁判なら、この程度の情況証拠でも有罪が確定しているだろうよ・・」
「なるほど、事情は理解できました。どうしても彼女を処刑する必要がある、と」
カザルスは右手の人差し指を立てた。
「では手っとり早く、処刑しますか」
「何を言い出すかと思ったら」
ゼマンコヴァが呻くような声を出した。
「処刑はしないと、先刻約束したばかりではないか」
「ですから約束を反故にして、執行してしまえばよろしいのです。それで目的は果たされるのでしょう?」
評議員三名から、不快な虫に対するような視線が寄せられたが、その程度、カザルスにはくすぐったいだけ。
「私はあの場を収めるために口舌をふるっただけです。約束をどうするかはお三方次第かと。破った場合破らない場合を比較考量してご判断ください」
場が沈黙に包まれる。
「あの小僧が、デジレの暴動を鎮めた話は聞いている」
マリオンが最初に口を開いた。
「新聞などの記述でも、殿下を『決闘の王子』と同一視する傾向が見受けられますな。あのお家柄で、あの年頃なら重ねてしまうのも無理はない」
ゼマンコヴァが苦しそうに言う。
「殿下の民衆や選抜民兵に対する影響力がどの程度のものか、見極めばならない。もし我々が処刑を強行したとして、激怒した摂政殿下が扇動を実行に移した場合、どの程度の数が動くと思う?」
イオナの問いかけに、カザルスは曖昧な笑みをつくりながら、
「試算はしています。殿下をかつぎあげる話が出た際にね。予想外に活躍されたので、その後、上方修正が必要でしたが。ただ、こういうものはその時節の空気と言いますか、移り気な民衆の気分に左右されますので・・・明言はできかねますが、低く見積もっても千~二千の兵は集まるものかと」
「楽観的な数字は不要だ。最悪を想定した場合、どれくらいになる」
なおも問いかけるイオナに、カザルスは軽い調子で返事する。
「最悪の数字なら、五十万になりますね」
「五十万」
顔をひきつらせる評議員たちに、カザルスは、からからと笑う。
「この前のデジレで、殿下に服従を示した選抜民兵の中には、直接戦場で殿下をみた経験がないと思われる兵士も含まれておりました。彼らの間で、選抜民兵は殿下に従うもの、という意識が共有されているものと思われます。あの戦いで、前線にまで出てきてくれた摂政殿下、俺たちと一緒に戦ってくれた摂政殿下、その方に従うのは当然!という心境でしょうかな」
カザルスは胸元に手を当てる。
「そして試験段階とはいえ、選抜民兵の制度は全国に敷かれています。その登録総数が五十余万。大半は殿下と全く接点のない連中ですが、デジレの選抜民兵が全国に出向き、扇動を行えば染まるかもしれません。正規軍の中にも、殿下に同調する士官も現れるでしょうから、その指導力も計算に入れた場合、選抜民兵すべてが敵に回る可能性も夢物語とは笑えないでしょう。まあ、あくまで最大限に見積もった数字ですが」
「それでも、そら寒い話だ」
イオナはマリオンに顔を向ける。
「カヤ嬢の問題以前に、あの少年は極めて危険な存在であると言わざるを得ません。いっそのこ
と」
イオナは唇を噛み、ためらいがちに口にした。
「・・・・殺してしまいますか。摂政殿下を」
「これ、不用意な発言をするでない」
ゼマンコヴァがたしなめる。
「失礼。『春の宮殿に移って』いただきますか。摂政殿下には」
「言い方の問題ではない」
ゼマンコヴァが首を横に振る。
「かつぎ上げたばかりの頃とはわけが違うのだ。忠誠を誓うものが、どこで耳を側立てているやら、わかったものではない」
「摂政殿下を殺すのですかー」
カザルスはわざと声を大きくする。ゼマンコヴァが激しく震えた。
「それはお勧めできません。ある意味、死んだ殿下の方が生きている殿下より恐ろしいからです。死人を象徴にかつぎあげ、反乱を呼びかける山師が大勢出てくることでしょう。革命勢力が口実に使用するかもしれませんよ。」
「カヤ嬢の処刑を強行するのも、殿下を、その・・・するのも危うい賭となるわけか」
イオナが溜息をついた。
「現在、我らは国政を預かる立場。博打を打つわけにはいかないな」
「そうなると結局、私の提案通りに進めていただくのが賢明という結論になりますな」
カザルスは慇懃無礼に手を叩いた。
「正々堂々、公平な審判で勝負といたしましょう!」
「公平?公平なものか!」
マリオンが再び、円卓を持ち上げるようなポーズをとった。
「いまいましいが、あの小僧に名望がある限り、新聞は小僧寄りになる。小僧の手に入れた証拠が少々怪しいものだったとしても、小僧びいきの民衆は見逃すことだろうよ・・・・・!」
そのままの体勢を維持していたマリオンだったか、半笑いのカザルスに何か気取ったのか、身を乗り出してカザルスに近付いた。
「カザルス、貴様何か腹案があるんだな?ずる賢いお前が決めた割には、条件が悪すぎる。言え。貴様の考えを」
カザルスは表面で浮かべている以上の笑顔を内心に広げる。遠回しに、話題をここまで誘導してきたのだ。
「言えと仰るならお伝えしますが、まずお願いがございます。現在、この私の階級は少将となっておりますね?」
「それが?」
「一年前も少将でした。三週間前も少将でした。二週間前、グロチウスを破った折は、ひょっとして、と期待しましたが、戦後、軍の再編成を行う可能性があるのでしばらく待つようにとのお達しがありました。そして現在に至ります。再編成とやら、いつ終わるのやら」
「出世させろというのか。偉くなりすぎても苦労ばかりだぞ」
マリオンは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「では本日より、お前は中将だ」
「中将、でございますか」
カザルスは目を細めてマリオンを見つめた。
「一階級では不服と申すか。では大将にしてやろう」
「大将、ですか」
「欲深いやつだ!準元帥まで上りたいのか!」
「できましたらその上、元帥まで登らせていただけないかなあ、と」
「はああ?」
マリオンは唇を震わせる。呆れるのも無理はない。お前たちと同じ階級にしろと要求しているからだ。
しかしカザルスが求めているのは単なる階級ではない。
「さらに言えば、お三方と同じ卓に座らせていただきたく存じます」
「きさまを、評議会に加えろと・・・」
マリオンの顔色が白くなる。あつかましさの極みに戦慄しているのだろう。
「私だけではなく、フェルミ大佐とギディングス中佐もそちらに席をいただけると助かります。二人とも、使える男ですので」
「馬鹿を申すな。佐官から一足飛びで評議会に入った前例など存在しない!」
手を振って否定するマリオンに、カザルスは容赦しない。
「でしたら、彼らを前例にすればよろしいかと」
マリオンを見据えながら、カザルスは傍らのイオナとゼマンコヴァが目を瞬かせているのに気付いた。
「そうか」
ゼマンコヴァが片方の拳を別の手のひらに擦りつける。
「天秤を、釣り合わせる用途だな」
「・・・・どういうことだ」
少し顔色の戻ったマリオンが、同僚と部下を交互に眺める。
目論見は成功しそうだ、とカザルスは内心でほくそ笑みながら、
「現在の図式は、摂政殿下がカヤ嬢を守るために評議会の方々と対立しているという形です。選抜民兵や民衆からすれば、『国民のために戦場で身を危険にさらしてくれた摂政殿下やカヤ嬢が、戦争の間は何もせず、会議室で葉巻をふかしているだけのいばりくさった連中にいじめられている』という絵図となります」
「・・葉巻は余計だっ」
「ところが評議会に我々三人が加われば図式は変わります。自画自賛になりますが、革命軍に勝利したのは私です。おとりの軍勢を実際に指揮したのがフェルミ大佐。ギディングス中佐も、私の副官として大いに役立ってくれました」
自分とフェルミはともかく、ギディングスの働きは少々怪しいと思っているカザルスだが、ここは押し通す。
「民衆の見る絵図は、『戦争の英雄同士がカヤ嬢の処遇を巡って争っている』という形に変わります。こちらが一方的に悪者に仕立て上げられはしないでしょう。もちろん殿下の方が知名度では上回りますから、互角とまではいかないでしょうが」
「そういう理屈か」
マリオンは段々と落ち着きを取り戻しているようだ。
それでもカザルスに注ぐ視線は、不信に満ちている。
「しかし、他の二人はともかく貴様を・・・貴様に、評議員の権限を与えよというのか・・」
「ずいぶん信用がないようで」
カザルスは苦笑するが、この反応も予想の範囲内だった。
「では、このような限定を設けてはいかがでしょう。私、フェルミ、ギディングスの三名は、カヤ嬢に関する裁定の期間内のみ評議員の地位を有する。つまりこの件が片づいたら、元に戻していただいても結構です。階級も変わらないままで構いません」
「それなら、異存はない」
マリオンが安心したように頷いた。
しかし傍らの二名は、まだ納得いかない風だ。
「カザルス少将、今の申し出、お主に大した得がないように思えるのだがの」
ゼマンコヴァが柔らかい声で問いかけてくる。
「問題ございません。これが現在の危難を打破する、最上の策と確信しておりますので」
「お主は欲得まみれの男と見ておったが・・・よくわからん奴じゃ。お主の目指すものはなんだ?何のために動いておる?」
「それはもちろん」
老人の真摯な問いかけに眩しさを覚えながらも、男はまっすぐな笑顔で答えた。
「我が国の平和、万民の安寧にございます」
眼前の円卓では、マリオン評議員がリラックスとは正反対の姿勢で、全身を震わせていた。立ち上がりながら机を持ち上げて放り投げようか迷っているような体勢。実際、そうしたいのかもしれないが、それなりに重い円卓は、亡きグリム議長でもなければ持ち上げりそうにない。
ああ、美味しい。不機嫌な上官を眺めながら頂くクッキーは。
傍らで心配げにマリオンを見ていたイオナ評議員が立ち上がり、クッキーのあった戸棚へ歩いて行った。この戸棚は評議員の私物を保管している。下段の引き出しから大振りのリュートを取り出したイオナは、円卓に戻り、ボロローン、と奏でる。
「弾くな!」
マリオンが怒鳴る。口からクッキーの欠片がこぼれる。バターと砂糖も、彼を癒してはくれなかったらしい。
「これは失礼」
真面目くさった表情で、イオナは頭を下げる。
「楽器で和んでいただこうかと思い立ったのですが」
「楽器で和めるような状況ではないっ」
マリオンは円卓に座り直す。
「あの小僧、あの小僧、私をこけにしくさりおって・・・・」
「何をかりかりしておられるのです」
遺憾ながら、カザルスは食後の紅茶を諦めた。
「一触即発の状況を、私が穏便に収めて差し上げたではないですか」
「多大な譲歩をした上でな!」
マリオンの額に複数の血管が浮かぶ。
「何事もなければ、今頃、あの絵描き娘の死刑執行書類に判を押していたものを」
「なるほど。何が何でもカヤ嬢を処刑したかったご様子」
カザルスはマリオンに向ける視線に力を込める。
「差し支えなければ、その理由を私にも教えていただけますか」
「差し支えがある。教えられん」
マリオンから外した視線を、カザルスはイオナとゼマンコヴァに注いだ。
「・・・マリオン殿、触りを伝えるくらいならよろしかろう」
ゼマンコヴァの意見にマリオンは舌打ちをしつつ、
「あの娘を処刑することと引き替えに、赤薔薇家から重要な情報を入手できることになっている」
「この場合の赤薔薇家というのは、議長の叔父の方ですか、義弟の方ですか」
「両方だ」
「ほう・・両方とはね」
不安の表出なのか、マリオンは首の羽根飾りをいじる。
「議長が調べあげていたという、極めて重要な情報とその証拠が彼らの手に渡っている。引き替えに要求しているのが、あの娘が相続権を有する赤薔薇家の一割だ。有罪にすることで権利を取り上げれば、自動的に彼らのものとなる」
「その証拠とやらには、無実の少女に罪を被せるに足る価値があるのですね」
「勘違いしてもらっては困るが、あの娘が甚だ疑わしい状況にあるのは間違いがないのだぞ」マリオンは気ぜわしげに羽根飾りを払った。
「他国のいい加減な裁判なら、この程度の情況証拠でも有罪が確定しているだろうよ・・」
「なるほど、事情は理解できました。どうしても彼女を処刑する必要がある、と」
カザルスは右手の人差し指を立てた。
「では手っとり早く、処刑しますか」
「何を言い出すかと思ったら」
ゼマンコヴァが呻くような声を出した。
「処刑はしないと、先刻約束したばかりではないか」
「ですから約束を反故にして、執行してしまえばよろしいのです。それで目的は果たされるのでしょう?」
評議員三名から、不快な虫に対するような視線が寄せられたが、その程度、カザルスにはくすぐったいだけ。
「私はあの場を収めるために口舌をふるっただけです。約束をどうするかはお三方次第かと。破った場合破らない場合を比較考量してご判断ください」
場が沈黙に包まれる。
「あの小僧が、デジレの暴動を鎮めた話は聞いている」
マリオンが最初に口を開いた。
「新聞などの記述でも、殿下を『決闘の王子』と同一視する傾向が見受けられますな。あのお家柄で、あの年頃なら重ねてしまうのも無理はない」
ゼマンコヴァが苦しそうに言う。
「殿下の民衆や選抜民兵に対する影響力がどの程度のものか、見極めばならない。もし我々が処刑を強行したとして、激怒した摂政殿下が扇動を実行に移した場合、どの程度の数が動くと思う?」
イオナの問いかけに、カザルスは曖昧な笑みをつくりながら、
「試算はしています。殿下をかつぎあげる話が出た際にね。予想外に活躍されたので、その後、上方修正が必要でしたが。ただ、こういうものはその時節の空気と言いますか、移り気な民衆の気分に左右されますので・・・明言はできかねますが、低く見積もっても千~二千の兵は集まるものかと」
「楽観的な数字は不要だ。最悪を想定した場合、どれくらいになる」
なおも問いかけるイオナに、カザルスは軽い調子で返事する。
「最悪の数字なら、五十万になりますね」
「五十万」
顔をひきつらせる評議員たちに、カザルスは、からからと笑う。
「この前のデジレで、殿下に服従を示した選抜民兵の中には、直接戦場で殿下をみた経験がないと思われる兵士も含まれておりました。彼らの間で、選抜民兵は殿下に従うもの、という意識が共有されているものと思われます。あの戦いで、前線にまで出てきてくれた摂政殿下、俺たちと一緒に戦ってくれた摂政殿下、その方に従うのは当然!という心境でしょうかな」
カザルスは胸元に手を当てる。
「そして試験段階とはいえ、選抜民兵の制度は全国に敷かれています。その登録総数が五十余万。大半は殿下と全く接点のない連中ですが、デジレの選抜民兵が全国に出向き、扇動を行えば染まるかもしれません。正規軍の中にも、殿下に同調する士官も現れるでしょうから、その指導力も計算に入れた場合、選抜民兵すべてが敵に回る可能性も夢物語とは笑えないでしょう。まあ、あくまで最大限に見積もった数字ですが」
「それでも、そら寒い話だ」
イオナはマリオンに顔を向ける。
「カヤ嬢の問題以前に、あの少年は極めて危険な存在であると言わざるを得ません。いっそのこ
と」
イオナは唇を噛み、ためらいがちに口にした。
「・・・・殺してしまいますか。摂政殿下を」
「これ、不用意な発言をするでない」
ゼマンコヴァがたしなめる。
「失礼。『春の宮殿に移って』いただきますか。摂政殿下には」
「言い方の問題ではない」
ゼマンコヴァが首を横に振る。
「かつぎ上げたばかりの頃とはわけが違うのだ。忠誠を誓うものが、どこで耳を側立てているやら、わかったものではない」
「摂政殿下を殺すのですかー」
カザルスはわざと声を大きくする。ゼマンコヴァが激しく震えた。
「それはお勧めできません。ある意味、死んだ殿下の方が生きている殿下より恐ろしいからです。死人を象徴にかつぎあげ、反乱を呼びかける山師が大勢出てくることでしょう。革命勢力が口実に使用するかもしれませんよ。」
「カヤ嬢の処刑を強行するのも、殿下を、その・・・するのも危うい賭となるわけか」
イオナが溜息をついた。
「現在、我らは国政を預かる立場。博打を打つわけにはいかないな」
「そうなると結局、私の提案通りに進めていただくのが賢明という結論になりますな」
カザルスは慇懃無礼に手を叩いた。
「正々堂々、公平な審判で勝負といたしましょう!」
「公平?公平なものか!」
マリオンが再び、円卓を持ち上げるようなポーズをとった。
「いまいましいが、あの小僧に名望がある限り、新聞は小僧寄りになる。小僧の手に入れた証拠が少々怪しいものだったとしても、小僧びいきの民衆は見逃すことだろうよ・・・・・!」
そのままの体勢を維持していたマリオンだったか、半笑いのカザルスに何か気取ったのか、身を乗り出してカザルスに近付いた。
「カザルス、貴様何か腹案があるんだな?ずる賢いお前が決めた割には、条件が悪すぎる。言え。貴様の考えを」
カザルスは表面で浮かべている以上の笑顔を内心に広げる。遠回しに、話題をここまで誘導してきたのだ。
「言えと仰るならお伝えしますが、まずお願いがございます。現在、この私の階級は少将となっておりますね?」
「それが?」
「一年前も少将でした。三週間前も少将でした。二週間前、グロチウスを破った折は、ひょっとして、と期待しましたが、戦後、軍の再編成を行う可能性があるのでしばらく待つようにとのお達しがありました。そして現在に至ります。再編成とやら、いつ終わるのやら」
「出世させろというのか。偉くなりすぎても苦労ばかりだぞ」
マリオンは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「では本日より、お前は中将だ」
「中将、でございますか」
カザルスは目を細めてマリオンを見つめた。
「一階級では不服と申すか。では大将にしてやろう」
「大将、ですか」
「欲深いやつだ!準元帥まで上りたいのか!」
「できましたらその上、元帥まで登らせていただけないかなあ、と」
「はああ?」
マリオンは唇を震わせる。呆れるのも無理はない。お前たちと同じ階級にしろと要求しているからだ。
しかしカザルスが求めているのは単なる階級ではない。
「さらに言えば、お三方と同じ卓に座らせていただきたく存じます」
「きさまを、評議会に加えろと・・・」
マリオンの顔色が白くなる。あつかましさの極みに戦慄しているのだろう。
「私だけではなく、フェルミ大佐とギディングス中佐もそちらに席をいただけると助かります。二人とも、使える男ですので」
「馬鹿を申すな。佐官から一足飛びで評議会に入った前例など存在しない!」
手を振って否定するマリオンに、カザルスは容赦しない。
「でしたら、彼らを前例にすればよろしいかと」
マリオンを見据えながら、カザルスは傍らのイオナとゼマンコヴァが目を瞬かせているのに気付いた。
「そうか」
ゼマンコヴァが片方の拳を別の手のひらに擦りつける。
「天秤を、釣り合わせる用途だな」
「・・・・どういうことだ」
少し顔色の戻ったマリオンが、同僚と部下を交互に眺める。
目論見は成功しそうだ、とカザルスは内心でほくそ笑みながら、
「現在の図式は、摂政殿下がカヤ嬢を守るために評議会の方々と対立しているという形です。選抜民兵や民衆からすれば、『国民のために戦場で身を危険にさらしてくれた摂政殿下やカヤ嬢が、戦争の間は何もせず、会議室で葉巻をふかしているだけのいばりくさった連中にいじめられている』という絵図となります」
「・・葉巻は余計だっ」
「ところが評議会に我々三人が加われば図式は変わります。自画自賛になりますが、革命軍に勝利したのは私です。おとりの軍勢を実際に指揮したのがフェルミ大佐。ギディングス中佐も、私の副官として大いに役立ってくれました」
自分とフェルミはともかく、ギディングスの働きは少々怪しいと思っているカザルスだが、ここは押し通す。
「民衆の見る絵図は、『戦争の英雄同士がカヤ嬢の処遇を巡って争っている』という形に変わります。こちらが一方的に悪者に仕立て上げられはしないでしょう。もちろん殿下の方が知名度では上回りますから、互角とまではいかないでしょうが」
「そういう理屈か」
マリオンは段々と落ち着きを取り戻しているようだ。
それでもカザルスに注ぐ視線は、不信に満ちている。
「しかし、他の二人はともかく貴様を・・・貴様に、評議員の権限を与えよというのか・・」
「ずいぶん信用がないようで」
カザルスは苦笑するが、この反応も予想の範囲内だった。
「では、このような限定を設けてはいかがでしょう。私、フェルミ、ギディングスの三名は、カヤ嬢に関する裁定の期間内のみ評議員の地位を有する。つまりこの件が片づいたら、元に戻していただいても結構です。階級も変わらないままで構いません」
「それなら、異存はない」
マリオンが安心したように頷いた。
しかし傍らの二名は、まだ納得いかない風だ。
「カザルス少将、今の申し出、お主に大した得がないように思えるのだがの」
ゼマンコヴァが柔らかい声で問いかけてくる。
「問題ございません。これが現在の危難を打破する、最上の策と確信しておりますので」
「お主は欲得まみれの男と見ておったが・・・よくわからん奴じゃ。お主の目指すものはなんだ?何のために動いておる?」
「それはもちろん」
老人の真摯な問いかけに眩しさを覚えながらも、男はまっすぐな笑顔で答えた。
「我が国の平和、万民の安寧にございます」