カザルスの挑戦
文字数 1,562文字
翌日の夕方、アーカベルグから北方国境への帰途半ば。グロチウスは強行軍で兵馬を走らせながら、十分毎に前後に偵察を送るという神経のすり減る作業に忙殺されている。土誇りに煙る馬車の中、クローゼが励ますように語りかけてきた。
「これからです。本国を攻める敵主力の後背を叩き、連絡線を取り戻せるならまだまだ眼はござます」
「敵本体は」
ぼやける視界の中で、グロチウスは懸念をを吐き出した。
「今もなお、首都を囲むのみだろうか」
「まさか、もう陥ちたと?」
「いや、堅く守れば二日は持つだろう。しかし私が敵将ならーー」
会話を遮ったのは、耳障りな金管楽器だった。革命軍では進軍中の軍勢に情報を伝える際、ラッパを鳴らす手筈になっている。音色のまずさから、将軍は内容の深刻さを予感した。馬車の速度を落とすと、併走する位置に伝令が現れた。
「前方に王国軍、推定二万!」
動員された王国軍四万弱のうち、共和国首都を急襲した戦力は二万五千。
大軍で包囲することにより革命政府に圧を与え、グロチウスを呼び戻させることが第一の目的だった。
老将が撤退を開始した時点で敵国に戦力を貼り付けておく意義は失われたとも言える。どのみち引き返してきたグロチウスとぶつかるのであれば、勝手知ったる自国内の方がいい。
そのためグロチウスの撤退が明白になった段階で、残り一万五千を王国領内に戻し、帰途のグロチウスを討つ手筈となっていた。
そして現在、両軍は対峙している。
互いに行軍の速度を重視したため、全軍が縦列だ。速さが利点、横の諸さが弱点の縦列同士がぶつかる以上、相手の横合いへ回り込む用兵が肝心となる。
「ようするに、くびり合う二匹の蛇だ」
軍列の終盤。とろける夕日を山麓に眺めながら、カザルスは呟いた。ここまでの状況は想定した絵図通りに動いている。
「俺、帰ってもいいですか」
気の抜けた発言を漏らしたのは、傍らに立つ副官のギディングスだ。若くして少将の地位にいるカザルスよりも、さらに若くまだ二十代だ。容姿は悪くないし仕事もそつなくこなす男だが、始終、覇気というものが感じられない。どの時代にいても、「最近の若者は」と老人に嘆かれる見本のような男だ。カザルスは老人ではないので、大目に見てやっている。
「だめにきまってるだろう。これからが軍人のお仕事だ」
「まっとうに戦いはしませんよね。あるんでしょう。作戦。少将だけが得する、ろくでもない策略が」
この俺は信用されていない、とカザルスは自嘲する。副官から一平卒まで、最近は摂政殿下に至るまで。カザルスのことを、他人を駒同然に利用する悪党だと警戒しているようだ。
遺憾なことに、それは事実なのだがーーしかしそれでいて指揮官が務まっているのは多分、うさんくささを越えた、人間的魅力が俺に備わっているからだ、とカザルスは勝手に決める。
「人徳だな、ようするに」
「なんですって?」ありえない言葉を吐く上官に、ギディングスは早く質問に答えろ、とあごで促してくる。敬意も払ってもらえない。
「まっとうに戦うさ。そもそも俺は、小細工とか策謀は不得手なんだ」
嘘をつけ、と心の声が聞こえた。視界の限りの配下から。
「敵は失う流れ。こちらは勢い付く流れだ。敵の本拠を囲むだけで済ませなかったのも、そういう流れを失いたくないからだ」
上向けにした掌を、黄金を掬うような恭しさで掲げる。これは博打だ。どれほど整えようとも、戦争が博打であることに変わりはない。重要なのは、ぎりぎりまで有利を積み上げることだ。
「さあ老将殿、この若輩ものとお手合わせ願おうか」
謙虚な言葉を呟き、カザルスは右手を空へ掲げた。合図をみた砲兵が空砲を放ち、前線が突撃を開始する。こうして、十一日の戦端は開かれた。
「これからです。本国を攻める敵主力の後背を叩き、連絡線を取り戻せるならまだまだ眼はござます」
「敵本体は」
ぼやける視界の中で、グロチウスは懸念をを吐き出した。
「今もなお、首都を囲むのみだろうか」
「まさか、もう陥ちたと?」
「いや、堅く守れば二日は持つだろう。しかし私が敵将ならーー」
会話を遮ったのは、耳障りな金管楽器だった。革命軍では進軍中の軍勢に情報を伝える際、ラッパを鳴らす手筈になっている。音色のまずさから、将軍は内容の深刻さを予感した。馬車の速度を落とすと、併走する位置に伝令が現れた。
「前方に王国軍、推定二万!」
動員された王国軍四万弱のうち、共和国首都を急襲した戦力は二万五千。
大軍で包囲することにより革命政府に圧を与え、グロチウスを呼び戻させることが第一の目的だった。
老将が撤退を開始した時点で敵国に戦力を貼り付けておく意義は失われたとも言える。どのみち引き返してきたグロチウスとぶつかるのであれば、勝手知ったる自国内の方がいい。
そのためグロチウスの撤退が明白になった段階で、残り一万五千を王国領内に戻し、帰途のグロチウスを討つ手筈となっていた。
そして現在、両軍は対峙している。
互いに行軍の速度を重視したため、全軍が縦列だ。速さが利点、横の諸さが弱点の縦列同士がぶつかる以上、相手の横合いへ回り込む用兵が肝心となる。
「ようするに、くびり合う二匹の蛇だ」
軍列の終盤。とろける夕日を山麓に眺めながら、カザルスは呟いた。ここまでの状況は想定した絵図通りに動いている。
「俺、帰ってもいいですか」
気の抜けた発言を漏らしたのは、傍らに立つ副官のギディングスだ。若くして少将の地位にいるカザルスよりも、さらに若くまだ二十代だ。容姿は悪くないし仕事もそつなくこなす男だが、始終、覇気というものが感じられない。どの時代にいても、「最近の若者は」と老人に嘆かれる見本のような男だ。カザルスは老人ではないので、大目に見てやっている。
「だめにきまってるだろう。これからが軍人のお仕事だ」
「まっとうに戦いはしませんよね。あるんでしょう。作戦。少将だけが得する、ろくでもない策略が」
この俺は信用されていない、とカザルスは自嘲する。副官から一平卒まで、最近は摂政殿下に至るまで。カザルスのことを、他人を駒同然に利用する悪党だと警戒しているようだ。
遺憾なことに、それは事実なのだがーーしかしそれでいて指揮官が務まっているのは多分、うさんくささを越えた、人間的魅力が俺に備わっているからだ、とカザルスは勝手に決める。
「人徳だな、ようするに」
「なんですって?」ありえない言葉を吐く上官に、ギディングスは早く質問に答えろ、とあごで促してくる。敬意も払ってもらえない。
「まっとうに戦うさ。そもそも俺は、小細工とか策謀は不得手なんだ」
嘘をつけ、と心の声が聞こえた。視界の限りの配下から。
「敵は失う流れ。こちらは勢い付く流れだ。敵の本拠を囲むだけで済ませなかったのも、そういう流れを失いたくないからだ」
上向けにした掌を、黄金を掬うような恭しさで掲げる。これは博打だ。どれほど整えようとも、戦争が博打であることに変わりはない。重要なのは、ぎりぎりまで有利を積み上げることだ。
「さあ老将殿、この若輩ものとお手合わせ願おうか」
謙虚な言葉を呟き、カザルスは右手を空へ掲げた。合図をみた砲兵が空砲を放ち、前線が突撃を開始する。こうして、十一日の戦端は開かれた。