操り人形の反撃
文字数 7,345文字
万が一のことがあっては、と姉の忠告を受けて、サキはフランケンを伴って冬宮を訪れた。
カヤの件で意見を述べたい、という使いはすでに送っている。
冬宮の前には、すでに十数台の新聞戦車が集まっていた。サキに気付き、雨霰 と質問を投げかけて来たが、詳細は後で話す、とかわした。
目の前に、獅子の扉。あのときとは別種の緊張感だ。
以前は、未知への恐怖。今は使命を果たせるかどうか、自分への疑念が緊張させている。
「参ります」
フランケンが扉に手をかける。
もう、この部屋の中にグリムはいないんだな、と今さらながらサキは思う。前回はほとんどグリム一人と話しているような感覚だった。あの巨人が、評議会の場を支配していた事実は間違いない。
グリムが消えた今、評議会を取り仕切る中心人物は誰に移るのだろうか。マリオンか、イオナか、ゼマンコヴァか。それとも第四の人物が浮かび上がってくるのだろうか。
扉を開くなり、煙が目にしみた。円卓でマリオンが葉巻をふかしているのだった。
――――わかりやすい。
円卓にグリムの分の補充は無い。腰掛けているのは前回から議長を除いた三名。サキの正面で煙草を味わうマリオン、その左右に、迷惑そうな面もちのイオナとゼマンコヴァ。力関係は一目瞭然だ。扉を開けてもなお、溜まりにたまった煙が部屋の上層を漂っていた。
「あー?これはこれは殿下」
相当な愛煙家なのか、陶然と視線を漂わせていたマリオンは、入ってきたサキに気付くと面倒そうに葉巻を皿に置いた。食後の休憩時に急ぎの仕事が入ったときのような反応だ。
「部屋が臭うございますな」
フランケンが頼まれもしないのに窓際へ動き、換気を行った。マリオンは舌打ちをして皿の葉巻をねじ消す。
「それで」
サキを円卓に促した後、マリオンは椅子に仰け反って言った。相変わらず、趣味の悪い羽根飾りを首に付けている。
「準男爵令嬢の、処遇と裁判についてでございましたかな」
上半身をぐらぐらと揺らし、落ち着きがない。こちらに対する、微塵の敬意も感じられなかった。振り返ってみると、グリムの方がましだった。最低限の敬意を払う余裕はある人間だったのだな、とサキは評価を改める。
「これまでの調査で明らかになった事柄を教えていただきたい」
現在のサキは幾分かの余裕を手に入れたので、この程度で怒りはしない。それより、カヤが大切だ。
「加えて、いつまでに審判を下される予定か、その内容についても伺いたいのです」
「それなら、おやすいご用です」
渋るかと思っていたが、意外にもマリオンの反応は軽かった。
「最初にお断りいたしますが、議長が亡くなったため、議決は我ら三人で担当いたします。新しく議長を選出するには色々と手続きが面倒でして」
マリオンはちらりと左右の二人を見た。
「で、調査と判決ですが、すでに結論は出ております。状況を鑑みるに、カヤ嬢が議長の殺害犯人であることは明白、軍法に照らし合わせて死刑」
「・・・ずいぶん早い結論ですね」
ぐずぐずせずにやってきて本当によかった、とサキは心底思った。遅れていたら、処刑執行後になったかもしれない。
「軍事裁判と申しますのは、こういったものでして」
マリオンは悪びれもしない。
「迅速・厳罰が基本理念となっております。今回のような事例は珍しいものではありますが、彼女が下手人であることに間違いはない。時間をかけても仕方がないでしょう」
「納得したいので、そう結論されるまでの詳細を教えていただけますか」
「ふうむ」
マリオンは、青髭の目立つ口元を大げさに歪めた。
「失礼ですが殿下、カヤ嬢とはどういったご関係でいらっしゃいますか」
それくらい調べてるだろうに、とサキは鼻白む。
「彼女の父君に、絵画の家庭教師をしてもらっています。最近では彼女自身にも教わっています。長年の、家族ぐるみの友人です」
「特別な交際はしていらっしゃらない、と?」
「ただの親しい友人にすぎません」
「ただの親しい友人」
マリオンは唇を振るわせる。
「ただの親しい友人、という表現ほど、そうでもない相手に多用されるものはございませんなあ」
「関わりのあることですか?彼女にかかった容疑と」
「いえ、直接の関わりはございません。ただ、殿下にはご不快な話になるとお断りしておきたいのです。直接的な表現があるわけではないのですがね」
マリオンは口笛を吹いた。
「ですが、感受性の強い方なら、想像してしまうかもしれません。裸のカヤ嬢と、議長の姿をね」
僕がイワン雷帝なら、とサキは想像する。話す内容が不快だ、という理由だけでこいつを処刑しているだろう。
同時にニコラに感謝する。予め指摘してもらって助かった。
「僕の感性にまで配慮は不要です。話してもらえますか」
「それでは、手短に。カヤ嬢が議長とはじめて言葉を交わしたのは、六年前のクリスマスの出来事だったそうです。準男爵邸で行われていた絵画の品評会に議長が飛び込みでいらした際、カヤ嬢の絵を見つけて二言程言葉を交わしたのがきっかけだったとか。それから二年立って、同様の品評会でカヤ嬢の新作を見た議長から、作品の制作依頼があったそうです」
そう不自然な話ではない。年が二桁になった時点で、カヤの画才は王都に知れ渡っていたと記憶している。
「ただ絵を納品するのではなく、絵を飾る部屋に調和した作品を描いてほしいとの要望から、いばら荘に出向いて、制作する話になったとか。最初は一枚仕上げただけでしたが、その後も何度か依頼があったそうです。そして、いつ頃だったかはカヤ嬢も覚えていないのですが、屋敷の外から直接最上階の真下に出ることができる秘密通路を教えてもらったそうです。通路の実在は、すでに確認しております。正門を左に迂回してしばらく進んだ辺りにいばらに似せた彫刻があり、それを持ち上げると洞窟に入れます。カヤ嬢の場合、正面から入っても問題はないのですが、洞窟内の岩の模様が珍しいので、屋敷を訪れるときはいつもこの通路を使っていた、との証言でした」
ここで言葉を切り、マリオンはサキを見据えた。
「ここからが肝心です。去年の冬、いつものように館を訪れたカヤ嬢に対し、議長より財産分与の申し出があった、と」
意外な展開だ。お金が関連してくるとは、全くサキの予想外だった。
イオナがマリオンに封筒を手渡した。取り出した書類を、マリオンはサキの前に開いてみせる。
「長ったらしい文章ですが、要約するとこのように記されております。『遺言。私の死亡時、赤薔薇家の全財産の一割をカヤ嬢に支払うこと』書類に実効性のあることは法務部に確認済みです」
「全財産の一割というのは、ちょっとした金額ですね?」
「ちょっとした、大変な金額ですよ」
マリオンは目を丸くする。
「市井では、この千分の一に満たない金額のためにしょっちゅう人殺しが起きています。ちなみにカヤ嬢は、この申し出を承諾されました。絵描きというものは何かと物入りですし、世界中を旅行して、様々な風景や芸術を観たいと思っていたから、と」
「しかしそれだけでは、有罪の決め手にならない」
思ったより材料が揃っていることにサキは怯んだが、表情には出さない。
「ごもっとも。それでは議長が殺害された当日の話をいたしましょう。八日前の朝、デジレの薔薇を描きたいと思い至ったカヤ嬢は、馬車を雇って王都を経ち、昼頃にデジレへ着きました。馬車はこのとき王都へ返し、以降は一人で行動されています。しばらくその辺りをうろついた後、最上階の窓からデジレを見下ろす構図で描いてみたいと考えて、いばら荘へ向かいました。件の通路を使って最上階へ入ったところ、小劇場の椅子に議長が座っているのを見つけたので声をかけたが事切れていた。驚いて螺旋階段を下り、出くわした使用人に声をかけたーーーというのが、ご本人の主張です」
マリオンは腕組みして目を瞑る。
「生きている議長が最後に目撃されたのが昼過ぎ、その後死体となった議長を発見したのがカヤ嬢。そのカヤ嬢は誰にも見咎められずに最上階へ出入りすることが可能だった・・・カヤ嬢に疑惑が集まるのも無理もない話ではないでしょうか。カザルス少将から報告を受けておりますが、実際、お客がカヤ嬢だと判明していない時点では、殿下もそうお考えになったとか」
それを指摘されると、苦しい。それでもサキは、穴になりそうな部分に気付く。
「もしカヤが犯人なら、議長を殺した後、わざわざ使用人にそのことを伝える必要なんてないのでは?隠し通路から、黙って出ていけばいいだけです」
「ところが、その隠し通路は最上階へ繋がる螺旋階段の真下にあるのですよ。最上階と螺旋階段を構成する塔の入り口付近なのです」
その指摘は予期していた、と言わんばかりにマリオンの眼が光る。
「ちょうど、使用人とカヤ嬢が出くわしたのはその近くのです。ですから次のように考えられる。秘密通路から逃げ出すつもりだったのが、使用人が歩いてくる音が聞こえたため、発見者を装うことに切り替えた、と。議長は使用人に塔の周辺へ近づかないよう厳命していたようですが、カヤ嬢は知らなかったのでしょう。凶器と目されるピストルが、螺旋階段で見つかった点もこの考えを補足しています」
せめてカヤが、デジレへ従者の一人でも連れてきてくれたらーーーサキは残念でならない。通常、貴族の子弟、とくに年頃の女性は外出時に従者を連れて行く。しかし絵しか頭にないカヤは、うっとうしいという理由で、遠出する際でも一人で行動する場合がしょっちゅうだった。それは、彼女を知るものにとっては珍しくもない振る舞いだが、知らないものにとっては何か意図があったものと邪推されるかもしれない。
「しかし、それでも彼女が犯人であると決めつける根拠にはならないでしょう?」
「そうかもしれません。通常の裁判であれば、もっと証拠を吟味し、時間をかけるものでしょう」
意外にも、マリオンは証拠の不備を認めた。
「しかしながら、これは我々宮廷軍事評議会が採決を行う、軍法裁判に区分けされる類の事件です。殺害されたのは我が軍の頂点。同じく我が軍の軍属が犯人と思われる場合、その所行は定義上、反乱に当てはまります。反乱の鎮圧は可及的速やかに行うべし。標的が誤認である可能性を考慮しても、迅速な判断と処理が必要となるのです・・・」
強引すぎる理屈だ。それで引き下がるようなら、そもそもサキはここに来ていない。
「納得できません。君主の権利として、僕は意見を述べさせていただきます。カヤ嬢を犯人と断定する宮廷軍事評議会の判断は、不当かつ拙速であると。そして審判の延長と、より綿密な証拠収集を要求します」
「なるほど、君主の権利ですか」
マリオンは鼻で笑う。
「それは結構、ご意見はいくらでも頂戴します。拝聴いたします。しかしだからと言って、我らの判断が覆ることはございません。殿下の権利に強制力はない。この後、予定通りカヤ嬢の処刑を執り行います」
だめか。聞く耳すら持ってもらえない。
いや違う、とサキは考え直す。この意固地さは、おそらく不信や職業意識から来るものではない。
カヤを処刑しなければならない理由があるのだろう。
たとえば、カヤが議長の相続人に指定されているという事実。
有罪が確定すれば、おそらく相続の権利も剥奪となる。相続分の一割増加を狙って、議長の義弟だの叔父だのの間で綱引きが開始されているのかもしれない。
たとえば、評議会が不正に手を染めていて、その証拠を赤薔薇家が握っているとか。
だとしたら、理詰めで攻めても無意味ということだ。
「わかりました」
サキの言葉に、円卓の三名全員が戸惑ったように見えた。
「わかりましたとは、カヤ嬢の処刑を受け入れる、という意味ですか?」
ゼマンコヴァが皺だらけの手を震わせて聞いた。
「そういう意味です。あくまで、あなた方が避けられない処断であると主張されるのであれば、止める手だてはありそうにない。ただし」
笑いをこらえながら、サキは宣言する。
「本日この場でのやりとりを、洗いざらい新聞記者に教えます」
「なんだと」
この日初めて、マリオンの表情から余裕が消えた。
「外には新聞戦車も詰めかけています。僕の話を直ちに刷り上げ、本日中にケイン中へばらまいてくれるでしょう」
「そのようなことを、しようものなら」
イオナが眼をつり上げた。肩が驚愕に震えている。
「彼女は僕と一緒に戦場へ行きました。選抜民兵なら、皆、彼女を覚えているでしょう。この前は、祝宴で兵士の肖像画を描いてやっていたようです。おそらく兵士たちは、彼女に親しみを抱いている。同じ戦場にいた絵描きとして、子供のころから有名な画家であったにも関わらず、お金も取らず自分たちを描いてくれた気さくな少女として・・・その彼女が、充分な審議も受けずに処刑されてしまう。その経緯を、ありのまま伝えます」
「そのようなことをされたら、民衆が国家に反感を抱いてしまう」
ゼマンコヴァの震えが、加速した。
「反感だけでは終わらないかもしれません。僕は新聞を通して国民に謝るつもりです。あの戦いは、皆が頑張ってくれたおかげで勝利につながった。あの戦いに参加したものには、できる限りの恩恵と栄誉を与えて報いたいと心に決めていた。カヤ嬢の処刑が決定された事実は、その決意が失意に終わったことを意味する。国民の貢献に泥を塗るような判断を許してしまった、あの戦いの先頭に立ったものとして、まことに申し訳ない、と。選抜民兵たちは、僕に共感してくれるでしょう」
マリオンの顔色が髭と同じくらい青ざめた。無害と侮っていた小虫が毒虫だと知ったとき、こんな顔をするだろうか。
「僕は新聞を通して問いかけるつもりです。一体、何を指して『国家』と呼ぶべきなのだろう。戦地に赴いた者をないがしろに扱い、自分たちは宮殿の奥でふんぞりかえって葉巻をふかしている。そうした人間の集まりが国家と呼ばれるものの正体であるならば、そのような『国家』など、夏場の水たまりに沸くボウフラにも劣る無用の長物ではないか、きれいさっぱり叩き潰して、新しく正しい枠組みを作りあげるべきではないか、君たちが立ち上がってくれるのであれば、僕は君主として、その行動こそ尊いものであると・・・」
「殿下、あなたは反乱を扇動されるおつもりか!」
イオナが糾弾する。
「反乱?おかしなことを仰る。僕がどういう立場にいる誰かはご存じのはず」
サキは余裕の表情を崩さない。
「君主が国家を正そうというのです。反乱という表現はあたらない。そうですね・・・・誅戮?世直し?そんな言葉でしょうか」
「殿下、そもそも評議会の内容を漏らす行為は法に反しておりますぞ」
ゼマンコヴァが、少々間の抜けた抗議を挟む。
「軍事法六条。宮廷軍事評議会を構成する評議員、裁定を受ける被告、召集された証人、その他必要に応じて評議会に出席を許された臣民は、当評議会の性質を鑑み、採決に至る討議の経緯を外部に漏洩させることを堅く禁止する」
「あー、あー、あー、違いますゥ―――」
サキは白目をむいて、精一杯、腹立たしい感じにおどけて見せた。
「僕は評議員でも被告でも証人でも臣民でもありませェン、それに列挙されていない「君主」ですゥ――――ッ!ですから守秘義務なんてありませェ――――ン!」
「ふざけているのか、貴様はッ!」
一転、顔を紅潮させたマリオンが円卓を叩く。
「あはは」
純朴な子供のように笑いながら、サキは以前に姉からもらった忠告を思い出していた。
ーーーサキ、あなたは気が短い。怒りすぎです。
持って生まれた性分は直しようがないかもしれませんが、怒りを頻繁に見せるのは感心できません。周囲の者は慣れてしまいます。必要なときに心の底からの憤怒を表明しても、またか、と片づけられてしまうのです。
矛盾した言い方かもしれませんが、「激怒している」演技を覚えなさい。爆発する感情を、あまり人に見せない表情でくるむのです。
あなたは表情がころころ変わるので、無表情を勧めます。瞳が大きいので、視線を強調しなくても圧を演出できますよ。
サキは、表情筋を可能な限り眠らせ、大きく開きがちな瞼も抑制する。それからゆっくりと告げた。
「ふざけているのはお前たちだろう。恥を知れ」
声色は、姉を参考に。抑揚を少なく、発音だけ明瞭に。
評議員全員が凍りついた。
おお・・・思ったより効果的だった。これまで口調は丁寧にしていたことも効を奏したのかもしれない。そのまま畳みかける。
「国家元首たるこの私が、諸君等の採決には不備があると指摘したのだ。その声をないがしろにするとは、何事か」
「偉そうに」
マリオンの額に、虫のような青筋が走った。
「我々に、選んでもらった分際で・・・」
「その通りだ。おまえたちが僕に玉座を与えた。それはつまり、この僕に傅く ことを選んだという意味」
睨まない。ただ視線を相手に固定する。
「そうするとサキの眼、真っ黒になって怖い」とカヤに言われた眼球の仕草だ。
「ならば敬え。従え。異論を唱えるな」
「小僧っ」
マリオンは完全に礼節を失っている。小物め。
「ですからひざまづいて下さい、その小僧に」
これからどうしようかな、とサキは迷う。言葉で脅し、威圧して処刑を断念させることができるなら上々だが、マリオンも他二名も、そこまで柔とは思えない。喉元に刃を突きつけてはいるが、差し通すつもりはない。 膠着状態だ。
そのとき、ぱちぱち、と拍手が響いた。
部屋の外から聞こえる。ゆっくり、はっきりと律動的に。
それだけで誰の仕業かサキは理解した。
盗み聞きしていたことを謝罪もしない厚顔さ。
そんな人物、一人しか知らない。
カヤの件で意見を述べたい、という使いはすでに送っている。
冬宮の前には、すでに十数台の新聞戦車が集まっていた。サキに気付き、
目の前に、獅子の扉。あのときとは別種の緊張感だ。
以前は、未知への恐怖。今は使命を果たせるかどうか、自分への疑念が緊張させている。
「参ります」
フランケンが扉に手をかける。
もう、この部屋の中にグリムはいないんだな、と今さらながらサキは思う。前回はほとんどグリム一人と話しているような感覚だった。あの巨人が、評議会の場を支配していた事実は間違いない。
グリムが消えた今、評議会を取り仕切る中心人物は誰に移るのだろうか。マリオンか、イオナか、ゼマンコヴァか。それとも第四の人物が浮かび上がってくるのだろうか。
扉を開くなり、煙が目にしみた。円卓でマリオンが葉巻をふかしているのだった。
――――わかりやすい。
円卓にグリムの分の補充は無い。腰掛けているのは前回から議長を除いた三名。サキの正面で煙草を味わうマリオン、その左右に、迷惑そうな面もちのイオナとゼマンコヴァ。力関係は一目瞭然だ。扉を開けてもなお、溜まりにたまった煙が部屋の上層を漂っていた。
「あー?これはこれは殿下」
相当な愛煙家なのか、陶然と視線を漂わせていたマリオンは、入ってきたサキに気付くと面倒そうに葉巻を皿に置いた。食後の休憩時に急ぎの仕事が入ったときのような反応だ。
「部屋が臭うございますな」
フランケンが頼まれもしないのに窓際へ動き、換気を行った。マリオンは舌打ちをして皿の葉巻をねじ消す。
「それで」
サキを円卓に促した後、マリオンは椅子に仰け反って言った。相変わらず、趣味の悪い羽根飾りを首に付けている。
「準男爵令嬢の、処遇と裁判についてでございましたかな」
上半身をぐらぐらと揺らし、落ち着きがない。こちらに対する、微塵の敬意も感じられなかった。振り返ってみると、グリムの方がましだった。最低限の敬意を払う余裕はある人間だったのだな、とサキは評価を改める。
「これまでの調査で明らかになった事柄を教えていただきたい」
現在のサキは幾分かの余裕を手に入れたので、この程度で怒りはしない。それより、カヤが大切だ。
「加えて、いつまでに審判を下される予定か、その内容についても伺いたいのです」
「それなら、おやすいご用です」
渋るかと思っていたが、意外にもマリオンの反応は軽かった。
「最初にお断りいたしますが、議長が亡くなったため、議決は我ら三人で担当いたします。新しく議長を選出するには色々と手続きが面倒でして」
マリオンはちらりと左右の二人を見た。
「で、調査と判決ですが、すでに結論は出ております。状況を鑑みるに、カヤ嬢が議長の殺害犯人であることは明白、軍法に照らし合わせて死刑」
「・・・ずいぶん早い結論ですね」
ぐずぐずせずにやってきて本当によかった、とサキは心底思った。遅れていたら、処刑執行後になったかもしれない。
「軍事裁判と申しますのは、こういったものでして」
マリオンは悪びれもしない。
「迅速・厳罰が基本理念となっております。今回のような事例は珍しいものではありますが、彼女が下手人であることに間違いはない。時間をかけても仕方がないでしょう」
「納得したいので、そう結論されるまでの詳細を教えていただけますか」
「ふうむ」
マリオンは、青髭の目立つ口元を大げさに歪めた。
「失礼ですが殿下、カヤ嬢とはどういったご関係でいらっしゃいますか」
それくらい調べてるだろうに、とサキは鼻白む。
「彼女の父君に、絵画の家庭教師をしてもらっています。最近では彼女自身にも教わっています。長年の、家族ぐるみの友人です」
「特別な交際はしていらっしゃらない、と?」
「ただの親しい友人にすぎません」
「ただの親しい友人」
マリオンは唇を振るわせる。
「ただの親しい友人、という表現ほど、そうでもない相手に多用されるものはございませんなあ」
「関わりのあることですか?彼女にかかった容疑と」
「いえ、直接の関わりはございません。ただ、殿下にはご不快な話になるとお断りしておきたいのです。直接的な表現があるわけではないのですがね」
マリオンは口笛を吹いた。
「ですが、感受性の強い方なら、想像してしまうかもしれません。裸のカヤ嬢と、議長の姿をね」
僕がイワン雷帝なら、とサキは想像する。話す内容が不快だ、という理由だけでこいつを処刑しているだろう。
同時にニコラに感謝する。予め指摘してもらって助かった。
「僕の感性にまで配慮は不要です。話してもらえますか」
「それでは、手短に。カヤ嬢が議長とはじめて言葉を交わしたのは、六年前のクリスマスの出来事だったそうです。準男爵邸で行われていた絵画の品評会に議長が飛び込みでいらした際、カヤ嬢の絵を見つけて二言程言葉を交わしたのがきっかけだったとか。それから二年立って、同様の品評会でカヤ嬢の新作を見た議長から、作品の制作依頼があったそうです」
そう不自然な話ではない。年が二桁になった時点で、カヤの画才は王都に知れ渡っていたと記憶している。
「ただ絵を納品するのではなく、絵を飾る部屋に調和した作品を描いてほしいとの要望から、いばら荘に出向いて、制作する話になったとか。最初は一枚仕上げただけでしたが、その後も何度か依頼があったそうです。そして、いつ頃だったかはカヤ嬢も覚えていないのですが、屋敷の外から直接最上階の真下に出ることができる秘密通路を教えてもらったそうです。通路の実在は、すでに確認しております。正門を左に迂回してしばらく進んだ辺りにいばらに似せた彫刻があり、それを持ち上げると洞窟に入れます。カヤ嬢の場合、正面から入っても問題はないのですが、洞窟内の岩の模様が珍しいので、屋敷を訪れるときはいつもこの通路を使っていた、との証言でした」
ここで言葉を切り、マリオンはサキを見据えた。
「ここからが肝心です。去年の冬、いつものように館を訪れたカヤ嬢に対し、議長より財産分与の申し出があった、と」
意外な展開だ。お金が関連してくるとは、全くサキの予想外だった。
イオナがマリオンに封筒を手渡した。取り出した書類を、マリオンはサキの前に開いてみせる。
「長ったらしい文章ですが、要約するとこのように記されております。『遺言。私の死亡時、赤薔薇家の全財産の一割をカヤ嬢に支払うこと』書類に実効性のあることは法務部に確認済みです」
「全財産の一割というのは、ちょっとした金額ですね?」
「ちょっとした、大変な金額ですよ」
マリオンは目を丸くする。
「市井では、この千分の一に満たない金額のためにしょっちゅう人殺しが起きています。ちなみにカヤ嬢は、この申し出を承諾されました。絵描きというものは何かと物入りですし、世界中を旅行して、様々な風景や芸術を観たいと思っていたから、と」
「しかしそれだけでは、有罪の決め手にならない」
思ったより材料が揃っていることにサキは怯んだが、表情には出さない。
「ごもっとも。それでは議長が殺害された当日の話をいたしましょう。八日前の朝、デジレの薔薇を描きたいと思い至ったカヤ嬢は、馬車を雇って王都を経ち、昼頃にデジレへ着きました。馬車はこのとき王都へ返し、以降は一人で行動されています。しばらくその辺りをうろついた後、最上階の窓からデジレを見下ろす構図で描いてみたいと考えて、いばら荘へ向かいました。件の通路を使って最上階へ入ったところ、小劇場の椅子に議長が座っているのを見つけたので声をかけたが事切れていた。驚いて螺旋階段を下り、出くわした使用人に声をかけたーーーというのが、ご本人の主張です」
マリオンは腕組みして目を瞑る。
「生きている議長が最後に目撃されたのが昼過ぎ、その後死体となった議長を発見したのがカヤ嬢。そのカヤ嬢は誰にも見咎められずに最上階へ出入りすることが可能だった・・・カヤ嬢に疑惑が集まるのも無理もない話ではないでしょうか。カザルス少将から報告を受けておりますが、実際、お客がカヤ嬢だと判明していない時点では、殿下もそうお考えになったとか」
それを指摘されると、苦しい。それでもサキは、穴になりそうな部分に気付く。
「もしカヤが犯人なら、議長を殺した後、わざわざ使用人にそのことを伝える必要なんてないのでは?隠し通路から、黙って出ていけばいいだけです」
「ところが、その隠し通路は最上階へ繋がる螺旋階段の真下にあるのですよ。最上階と螺旋階段を構成する塔の入り口付近なのです」
その指摘は予期していた、と言わんばかりにマリオンの眼が光る。
「ちょうど、使用人とカヤ嬢が出くわしたのはその近くのです。ですから次のように考えられる。秘密通路から逃げ出すつもりだったのが、使用人が歩いてくる音が聞こえたため、発見者を装うことに切り替えた、と。議長は使用人に塔の周辺へ近づかないよう厳命していたようですが、カヤ嬢は知らなかったのでしょう。凶器と目されるピストルが、螺旋階段で見つかった点もこの考えを補足しています」
せめてカヤが、デジレへ従者の一人でも連れてきてくれたらーーーサキは残念でならない。通常、貴族の子弟、とくに年頃の女性は外出時に従者を連れて行く。しかし絵しか頭にないカヤは、うっとうしいという理由で、遠出する際でも一人で行動する場合がしょっちゅうだった。それは、彼女を知るものにとっては珍しくもない振る舞いだが、知らないものにとっては何か意図があったものと邪推されるかもしれない。
「しかし、それでも彼女が犯人であると決めつける根拠にはならないでしょう?」
「そうかもしれません。通常の裁判であれば、もっと証拠を吟味し、時間をかけるものでしょう」
意外にも、マリオンは証拠の不備を認めた。
「しかしながら、これは我々宮廷軍事評議会が採決を行う、軍法裁判に区分けされる類の事件です。殺害されたのは我が軍の頂点。同じく我が軍の軍属が犯人と思われる場合、その所行は定義上、反乱に当てはまります。反乱の鎮圧は可及的速やかに行うべし。標的が誤認である可能性を考慮しても、迅速な判断と処理が必要となるのです・・・」
強引すぎる理屈だ。それで引き下がるようなら、そもそもサキはここに来ていない。
「納得できません。君主の権利として、僕は意見を述べさせていただきます。カヤ嬢を犯人と断定する宮廷軍事評議会の判断は、不当かつ拙速であると。そして審判の延長と、より綿密な証拠収集を要求します」
「なるほど、君主の権利ですか」
マリオンは鼻で笑う。
「それは結構、ご意見はいくらでも頂戴します。拝聴いたします。しかしだからと言って、我らの判断が覆ることはございません。殿下の権利に強制力はない。この後、予定通りカヤ嬢の処刑を執り行います」
だめか。聞く耳すら持ってもらえない。
いや違う、とサキは考え直す。この意固地さは、おそらく不信や職業意識から来るものではない。
カヤを処刑しなければならない理由があるのだろう。
たとえば、カヤが議長の相続人に指定されているという事実。
有罪が確定すれば、おそらく相続の権利も剥奪となる。相続分の一割増加を狙って、議長の義弟だの叔父だのの間で綱引きが開始されているのかもしれない。
たとえば、評議会が不正に手を染めていて、その証拠を赤薔薇家が握っているとか。
だとしたら、理詰めで攻めても無意味ということだ。
「わかりました」
サキの言葉に、円卓の三名全員が戸惑ったように見えた。
「わかりましたとは、カヤ嬢の処刑を受け入れる、という意味ですか?」
ゼマンコヴァが皺だらけの手を震わせて聞いた。
「そういう意味です。あくまで、あなた方が避けられない処断であると主張されるのであれば、止める手だてはありそうにない。ただし」
笑いをこらえながら、サキは宣言する。
「本日この場でのやりとりを、洗いざらい新聞記者に教えます」
「なんだと」
この日初めて、マリオンの表情から余裕が消えた。
「外には新聞戦車も詰めかけています。僕の話を直ちに刷り上げ、本日中にケイン中へばらまいてくれるでしょう」
「そのようなことを、しようものなら」
イオナが眼をつり上げた。肩が驚愕に震えている。
「彼女は僕と一緒に戦場へ行きました。選抜民兵なら、皆、彼女を覚えているでしょう。この前は、祝宴で兵士の肖像画を描いてやっていたようです。おそらく兵士たちは、彼女に親しみを抱いている。同じ戦場にいた絵描きとして、子供のころから有名な画家であったにも関わらず、お金も取らず自分たちを描いてくれた気さくな少女として・・・その彼女が、充分な審議も受けずに処刑されてしまう。その経緯を、ありのまま伝えます」
「そのようなことをされたら、民衆が国家に反感を抱いてしまう」
ゼマンコヴァの震えが、加速した。
「反感だけでは終わらないかもしれません。僕は新聞を通して国民に謝るつもりです。あの戦いは、皆が頑張ってくれたおかげで勝利につながった。あの戦いに参加したものには、できる限りの恩恵と栄誉を与えて報いたいと心に決めていた。カヤ嬢の処刑が決定された事実は、その決意が失意に終わったことを意味する。国民の貢献に泥を塗るような判断を許してしまった、あの戦いの先頭に立ったものとして、まことに申し訳ない、と。選抜民兵たちは、僕に共感してくれるでしょう」
マリオンの顔色が髭と同じくらい青ざめた。無害と侮っていた小虫が毒虫だと知ったとき、こんな顔をするだろうか。
「僕は新聞を通して問いかけるつもりです。一体、何を指して『国家』と呼ぶべきなのだろう。戦地に赴いた者をないがしろに扱い、自分たちは宮殿の奥でふんぞりかえって葉巻をふかしている。そうした人間の集まりが国家と呼ばれるものの正体であるならば、そのような『国家』など、夏場の水たまりに沸くボウフラにも劣る無用の長物ではないか、きれいさっぱり叩き潰して、新しく正しい枠組みを作りあげるべきではないか、君たちが立ち上がってくれるのであれば、僕は君主として、その行動こそ尊いものであると・・・」
「殿下、あなたは反乱を扇動されるおつもりか!」
イオナが糾弾する。
「反乱?おかしなことを仰る。僕がどういう立場にいる誰かはご存じのはず」
サキは余裕の表情を崩さない。
「君主が国家を正そうというのです。反乱という表現はあたらない。そうですね・・・・誅戮?世直し?そんな言葉でしょうか」
「殿下、そもそも評議会の内容を漏らす行為は法に反しておりますぞ」
ゼマンコヴァが、少々間の抜けた抗議を挟む。
「軍事法六条。宮廷軍事評議会を構成する評議員、裁定を受ける被告、召集された証人、その他必要に応じて評議会に出席を許された臣民は、当評議会の性質を鑑み、採決に至る討議の経緯を外部に漏洩させることを堅く禁止する」
「あー、あー、あー、違いますゥ―――」
サキは白目をむいて、精一杯、腹立たしい感じにおどけて見せた。
「僕は評議員でも被告でも証人でも臣民でもありませェン、それに列挙されていない「君主」ですゥ――――ッ!ですから守秘義務なんてありませェ――――ン!」
「ふざけているのか、貴様はッ!」
一転、顔を紅潮させたマリオンが円卓を叩く。
「あはは」
純朴な子供のように笑いながら、サキは以前に姉からもらった忠告を思い出していた。
ーーーサキ、あなたは気が短い。怒りすぎです。
持って生まれた性分は直しようがないかもしれませんが、怒りを頻繁に見せるのは感心できません。周囲の者は慣れてしまいます。必要なときに心の底からの憤怒を表明しても、またか、と片づけられてしまうのです。
矛盾した言い方かもしれませんが、「激怒している」演技を覚えなさい。爆発する感情を、あまり人に見せない表情でくるむのです。
あなたは表情がころころ変わるので、無表情を勧めます。瞳が大きいので、視線を強調しなくても圧を演出できますよ。
サキは、表情筋を可能な限り眠らせ、大きく開きがちな瞼も抑制する。それからゆっくりと告げた。
「ふざけているのはお前たちだろう。恥を知れ」
声色は、姉を参考に。抑揚を少なく、発音だけ明瞭に。
評議員全員が凍りついた。
おお・・・思ったより効果的だった。これまで口調は丁寧にしていたことも効を奏したのかもしれない。そのまま畳みかける。
「国家元首たるこの私が、諸君等の採決には不備があると指摘したのだ。その声をないがしろにするとは、何事か」
「偉そうに」
マリオンの額に、虫のような青筋が走った。
「我々に、選んでもらった分際で・・・」
「その通りだ。おまえたちが僕に玉座を与えた。それはつまり、この僕に
睨まない。ただ視線を相手に固定する。
「そうするとサキの眼、真っ黒になって怖い」とカヤに言われた眼球の仕草だ。
「ならば敬え。従え。異論を唱えるな」
「小僧っ」
マリオンは完全に礼節を失っている。小物め。
「ですからひざまづいて下さい、その小僧に」
これからどうしようかな、とサキは迷う。言葉で脅し、威圧して処刑を断念させることができるなら上々だが、マリオンも他二名も、そこまで柔とは思えない。喉元に刃を突きつけてはいるが、差し通すつもりはない。 膠着状態だ。
そのとき、ぱちぱち、と拍手が響いた。
部屋の外から聞こえる。ゆっくり、はっきりと律動的に。
それだけで誰の仕業かサキは理解した。
盗み聞きしていたことを謝罪もしない厚顔さ。
そんな人物、一人しか知らない。