またしても大仕事
文字数 3,398文字
正午を過ぎた辺りから、隊列を組んだ民衆が王都の各所で行進を始めている、という情報が入って来た。摂政府から王都の全てを見渡せるわけではないので、使用人を何人か偵察に回らせているのだ。
「いずれの団体も、官庁に対して狼藉を働いているわけではないようです。抗議文を記した板切れを掲げ、口々に評議会の不正を騒ぎ立てるだけに留まっているようでして」
フランケンの報告を、サキは動揺せずに聞いている。
なるほど、カザルスの予想した通りだ。評議会の権威を地に堕とす醜聞が明るみに出たとしても、すぐさま大規模な暴動には繋がらない。爆発させるためには、次の一手が必要だ。
「隊列のいくつかは、冬宮の方角を目指しているようです。このままの速度なら、三十分以内に冬宮前は埋め尽くされるだろう、との分析にございます」
これ以上、何もしなくて済みますように、とサキは祈った。事態は予測通りに動いているのだ。評議会には、自力で切り抜けてもらいたい。
冬宮。門前の喧噪は獅子の扉もすりぬけ、円卓に座る面々を悩ませている。
「ぎゅうぎゅうですね。子馬一匹通れなさそうです。出てこいとか犯人を教えろとかがなり立ててます」
様子を観に行っていたギディングスが報告する。
「くれぐれも、兵士に手出しはさせるなよ」
カザルスが念を押すと、ギディングスは口を尖らせた。
「それはちょっと、難しそうです。先頭の衛兵は、民衆と顔がくっつきそうな位置にいます。ぶつかったら我慢なんて無理ですよ」
落ち着かないのか、室内を歩き回っていたマリオンが立ち止まった。
「兵士を増やせ。民衆が気圧される程の示威を見せるしかない」
「逆がよろしいかと」
カザルスは異論を挿んだ。
「思い切って、全ての兵士を下がらせましょう」
「正気か貴様」
マリオンは怪物を見るような視線を向けて来た。
「衛兵がいなければ、民衆が城内へなだれこんでくるだろうが!」
「入って来ませんよ。兵士に手出しされたって口実がなければね。私が心配しているのは、革命分子が口実を捏造しないかって点です。銃を用意した革命分子が、隙をついて、衛兵が撃ったと勘違いするような角度で民衆を撃つかもしれない。そうさせないためにも、兵士は引っ込めておいた方がいい」
「同意しかねますな」
フェルミが「不信」と額に書いてあるような面を向けてきた。
「少将、敢えて危うい賭けを提案してませんか?」
この男、昨日くらいから急に反抗的だな、と訝りながらもカザルスは怒らない。
「言いたくはないが、俺を誰だと思ってる?殿下と共に選抜民兵を率い、共和国軍を撃退した男だぞ。議長を殺めた犯人だったにせよ、バンドに同調する革命分子だったにせよ、この国をひっくり返すのに一番効果的なのはあの戦争に負けることだった。それを怠けておきながら、今更どんな嫌がらせを始めるって言うんだよ」
「べつにあんたが裏切り者だと思っちゃいませんが」
フェルミは顔面の不信を引っ込めない。
「軽く考えちゃいませんか。事態が手に負えなくなったら、殿下にでも収めてもらおうって」
「殿下をあてにして何が悪い。あの少年が民衆に多大な影響力を持っているのは否定できない話だ。難局にあたる場合、それを計算に入れて当然だろう」
「計算に入れるのと、頼りきりになるのは別ですよ。あの殿下に、これ以上―――」
フェルミの反論は途中で遮られてしまった。
轟音が、冬宮を揺らしたのだ。
「状況が動いたようにございます」
フランケンが神妙な面持ちで告げる。
「冬宮の警備が、民衆に大砲を放ったそうです」
――動きすぎだろう。
サキは摘んでいた軽食を取り落としそうになった。引き続き屋上で望遠鏡を覗いていたのだ。あいにく冬宮の正面は、摂政府から確認できる位置ではない。
「大砲を?詰めかけた民衆相手に大砲を?馬鹿じゃねえのっ」
「私めも首を捻っておりましたところです。評議会の皆様が乱心されたのでなければ、革命分子の自作自演と考えるべきではないかと」
ふいに強風が屋上を掠めたため、フランケンは乱れた髪を撫でつけた。
「と申しますのも、混雑した路上に放った割には怪我人が少ない模様でして。偵察していた者によると、重傷者は見当たらず、せいぜい頭や肩から血が流れている程度だそうです」
「なるほど、仕込みっぽいな」
どういう手口を使ったのかサキは想像する。兵士に化けた革命分子、あるいは革命に賛同する兵士が空砲を放ち、それに合わせて路上で威力を押さえた爆薬を炸裂させた、といったところだろうか。
「しかしまずいな。集まっていた奴らは疑いもしないだろう。その後はどうなっている?」
「群衆は殺気立ち、持ってきた板切れや角材を正門へ投げつけたそうでございます。それでも収まらず、近所の商店から家具や小物を取り上げて投石の代わりになるものを探しているようです」
当然の反応だろう。
「冬宮側は?応戦しているのか」
「いえ、全く。中へ引きこもってしまったそうで」
「王都の正規軍は?国境から帰参した部隊がそれなりに纏まっているはずだけど」
「少なくとも、民衆を背後から囲むような動きは見られないそうにございます」
いばら荘前の暴動を、サキは思い出した。似たような状況になりつつある。あのときはサキが宥めたから解散してくれたものの、放っておいたら暴徒はいばら荘にへなだれ込んでいたかもしれない。
すると、あの時同様に、自分の出番となるのか。
待てよ、とサキは頭の中を整理する。
確かにマリオンたちには、事態が悪化したら取りなしをすると約束している。
しかし、この場合、暴動を放置した方が得をするのでは?評議会の連中とは、今だけ仮初めの協調関係にあるだけで、お互い都合が悪くなれば簡単に決裂するだろう。
だとすれば、このまま暴徒を冬宮に突入させて、評議会全員を始末させたらいいのでは?
コレートには少々気の毒だが、彼女のためだけに夫を助命するほど気安い仲でもない。
よし、見捨てるか!
――駄目だ。
サキは不都合に気付く。評議員たちを始末させたとして、その後民衆が「邪魔な連中は片づけました。どうぞこの後は、殿下のお好きなようになさって下さい」と解散してくれるだろうか?
あり得ない。暴徒の中で指導的な位置に立っていた者たちは、相応の地位をよこすようサキに要求してくるだろう。彼らが、現在の評議会より扱いやすい連中であるとは限らない。そもそも、その中にはバンドの仕込んだ革命分子が含まれているはずだ。早晩にこちらと対立するに決まっている。
では、とサキは目論見を修正する。評議員たちを暴徒に始末させた上で、正規軍を呼んで暴徒も片づけてもらうのはどうだろう?
軍への指揮命令権は評議会に帰属するものだが、彼らがいなくなったらその次に「旗」の持ち数が多いサキの権限となる。評議会も革命分子も排除して正規軍を指揮下に収める。名実ともに、この国の最高権力を手中に収めるのだ。よいことずくめではないか?
「いや、駄目、だめだめ」
独り言を呟くサキを、フランケンが不審そうに見つめてくる。
民衆を、正規軍を使って排除する。その図式は、ともすれば国内の軍と民衆丸ごとの対立に繋がりかねない。試験的とは言え、この国の各地で選抜民兵の育成が進んでいるのだ。彼らの銃が正規軍に対して火を噴けば、動乱が全国に広がるかもしれない。
その場合、各地の貴族は所領ごと独立を宣言するだろう。おそらく、青杖家もその中に含まれる。サキが約束を破ったために夫を失う羽目になるコレートが、王都近郊という地理的条件を利用してどのような行動に出るか想像するだに恐ろしい。もしかすると、それを見越してサキを牽制するためにレンカ城へ戻ったのかもしれない。
(約束通り、僕が仲裁役を買って出るしかないのか……)
無駄な選択肢を検討したようで、徒労感に包まれたが、思考して可能性を潰していくのは無意味ではない、とサキは前向きに考える。
ふと横を見ると、フランケンが軍服を下げていたのでサキは驚いた。
「お着替えの準備は整っております。数分で出立可能です」
サキはため息をついた。もう、危ないことは避けたかったのに。
「いずれの団体も、官庁に対して狼藉を働いているわけではないようです。抗議文を記した板切れを掲げ、口々に評議会の不正を騒ぎ立てるだけに留まっているようでして」
フランケンの報告を、サキは動揺せずに聞いている。
なるほど、カザルスの予想した通りだ。評議会の権威を地に堕とす醜聞が明るみに出たとしても、すぐさま大規模な暴動には繋がらない。爆発させるためには、次の一手が必要だ。
「隊列のいくつかは、冬宮の方角を目指しているようです。このままの速度なら、三十分以内に冬宮前は埋め尽くされるだろう、との分析にございます」
これ以上、何もしなくて済みますように、とサキは祈った。事態は予測通りに動いているのだ。評議会には、自力で切り抜けてもらいたい。
冬宮。門前の喧噪は獅子の扉もすりぬけ、円卓に座る面々を悩ませている。
「ぎゅうぎゅうですね。子馬一匹通れなさそうです。出てこいとか犯人を教えろとかがなり立ててます」
様子を観に行っていたギディングスが報告する。
「くれぐれも、兵士に手出しはさせるなよ」
カザルスが念を押すと、ギディングスは口を尖らせた。
「それはちょっと、難しそうです。先頭の衛兵は、民衆と顔がくっつきそうな位置にいます。ぶつかったら我慢なんて無理ですよ」
落ち着かないのか、室内を歩き回っていたマリオンが立ち止まった。
「兵士を増やせ。民衆が気圧される程の示威を見せるしかない」
「逆がよろしいかと」
カザルスは異論を挿んだ。
「思い切って、全ての兵士を下がらせましょう」
「正気か貴様」
マリオンは怪物を見るような視線を向けて来た。
「衛兵がいなければ、民衆が城内へなだれこんでくるだろうが!」
「入って来ませんよ。兵士に手出しされたって口実がなければね。私が心配しているのは、革命分子が口実を捏造しないかって点です。銃を用意した革命分子が、隙をついて、衛兵が撃ったと勘違いするような角度で民衆を撃つかもしれない。そうさせないためにも、兵士は引っ込めておいた方がいい」
「同意しかねますな」
フェルミが「不信」と額に書いてあるような面を向けてきた。
「少将、敢えて危うい賭けを提案してませんか?」
この男、昨日くらいから急に反抗的だな、と訝りながらもカザルスは怒らない。
「言いたくはないが、俺を誰だと思ってる?殿下と共に選抜民兵を率い、共和国軍を撃退した男だぞ。議長を殺めた犯人だったにせよ、バンドに同調する革命分子だったにせよ、この国をひっくり返すのに一番効果的なのはあの戦争に負けることだった。それを怠けておきながら、今更どんな嫌がらせを始めるって言うんだよ」
「べつにあんたが裏切り者だと思っちゃいませんが」
フェルミは顔面の不信を引っ込めない。
「軽く考えちゃいませんか。事態が手に負えなくなったら、殿下にでも収めてもらおうって」
「殿下をあてにして何が悪い。あの少年が民衆に多大な影響力を持っているのは否定できない話だ。難局にあたる場合、それを計算に入れて当然だろう」
「計算に入れるのと、頼りきりになるのは別ですよ。あの殿下に、これ以上―――」
フェルミの反論は途中で遮られてしまった。
轟音が、冬宮を揺らしたのだ。
「状況が動いたようにございます」
フランケンが神妙な面持ちで告げる。
「冬宮の警備が、民衆に大砲を放ったそうです」
――動きすぎだろう。
サキは摘んでいた軽食を取り落としそうになった。引き続き屋上で望遠鏡を覗いていたのだ。あいにく冬宮の正面は、摂政府から確認できる位置ではない。
「大砲を?詰めかけた民衆相手に大砲を?馬鹿じゃねえのっ」
「私めも首を捻っておりましたところです。評議会の皆様が乱心されたのでなければ、革命分子の自作自演と考えるべきではないかと」
ふいに強風が屋上を掠めたため、フランケンは乱れた髪を撫でつけた。
「と申しますのも、混雑した路上に放った割には怪我人が少ない模様でして。偵察していた者によると、重傷者は見当たらず、せいぜい頭や肩から血が流れている程度だそうです」
「なるほど、仕込みっぽいな」
どういう手口を使ったのかサキは想像する。兵士に化けた革命分子、あるいは革命に賛同する兵士が空砲を放ち、それに合わせて路上で威力を押さえた爆薬を炸裂させた、といったところだろうか。
「しかしまずいな。集まっていた奴らは疑いもしないだろう。その後はどうなっている?」
「群衆は殺気立ち、持ってきた板切れや角材を正門へ投げつけたそうでございます。それでも収まらず、近所の商店から家具や小物を取り上げて投石の代わりになるものを探しているようです」
当然の反応だろう。
「冬宮側は?応戦しているのか」
「いえ、全く。中へ引きこもってしまったそうで」
「王都の正規軍は?国境から帰参した部隊がそれなりに纏まっているはずだけど」
「少なくとも、民衆を背後から囲むような動きは見られないそうにございます」
いばら荘前の暴動を、サキは思い出した。似たような状況になりつつある。あのときはサキが宥めたから解散してくれたものの、放っておいたら暴徒はいばら荘にへなだれ込んでいたかもしれない。
すると、あの時同様に、自分の出番となるのか。
待てよ、とサキは頭の中を整理する。
確かにマリオンたちには、事態が悪化したら取りなしをすると約束している。
しかし、この場合、暴動を放置した方が得をするのでは?評議会の連中とは、今だけ仮初めの協調関係にあるだけで、お互い都合が悪くなれば簡単に決裂するだろう。
だとすれば、このまま暴徒を冬宮に突入させて、評議会全員を始末させたらいいのでは?
コレートには少々気の毒だが、彼女のためだけに夫を助命するほど気安い仲でもない。
よし、見捨てるか!
――駄目だ。
サキは不都合に気付く。評議員たちを始末させたとして、その後民衆が「邪魔な連中は片づけました。どうぞこの後は、殿下のお好きなようになさって下さい」と解散してくれるだろうか?
あり得ない。暴徒の中で指導的な位置に立っていた者たちは、相応の地位をよこすようサキに要求してくるだろう。彼らが、現在の評議会より扱いやすい連中であるとは限らない。そもそも、その中にはバンドの仕込んだ革命分子が含まれているはずだ。早晩にこちらと対立するに決まっている。
では、とサキは目論見を修正する。評議員たちを暴徒に始末させた上で、正規軍を呼んで暴徒も片づけてもらうのはどうだろう?
軍への指揮命令権は評議会に帰属するものだが、彼らがいなくなったらその次に「旗」の持ち数が多いサキの権限となる。評議会も革命分子も排除して正規軍を指揮下に収める。名実ともに、この国の最高権力を手中に収めるのだ。よいことずくめではないか?
「いや、駄目、だめだめ」
独り言を呟くサキを、フランケンが不審そうに見つめてくる。
民衆を、正規軍を使って排除する。その図式は、ともすれば国内の軍と民衆丸ごとの対立に繋がりかねない。試験的とは言え、この国の各地で選抜民兵の育成が進んでいるのだ。彼らの銃が正規軍に対して火を噴けば、動乱が全国に広がるかもしれない。
その場合、各地の貴族は所領ごと独立を宣言するだろう。おそらく、青杖家もその中に含まれる。サキが約束を破ったために夫を失う羽目になるコレートが、王都近郊という地理的条件を利用してどのような行動に出るか想像するだに恐ろしい。もしかすると、それを見越してサキを牽制するためにレンカ城へ戻ったのかもしれない。
(約束通り、僕が仲裁役を買って出るしかないのか……)
無駄な選択肢を検討したようで、徒労感に包まれたが、思考して可能性を潰していくのは無意味ではない、とサキは前向きに考える。
ふと横を見ると、フランケンが軍服を下げていたのでサキは驚いた。
「お着替えの準備は整っております。数分で出立可能です」
サキはため息をついた。もう、危ないことは避けたかったのに。