苦い邂逅

文字数 1,573文字

「踊っていただけますかしら」

 漫然と立っていたフェルミは、出し抜けに聞こえた声に言葉を失った。
「……申し訳ない」
 口を開くのに努力が必要だった。
「利き腕を負傷しているものでね。他の方を誘っていただけますか」
「あなたにお願いしたいのです」
 断りきれず、フェルミは踊りの輪に加わった。片手でも、踊るふりくらいはできる。
 フェルミは覚悟していた。黒繭家の少年を君主に頂くと聞いた日から、このような出会いも有り得るだろうと覚悟はしていた。とはいえ、ワルツのお誘いは想定外だった。
「旦那様は?」
「あの人は、今手が離せないの。黒繭家が関わっている宴席なのよ。大事な仕事があるに決まっているでしょう」
「そうか、それもそうですね」
「怯えていらっしゃるの?」
「まさか」
 フェルミは慣れない笑顔をこぼす。虚勢ではないつもりだ。
「軍人たるもの、ご婦人に恐怖を感じるなどあり得ません」
「では軍人ではなく、人として脅えていらっしゃるのね」
 会話が途切れた。横合いをイオナ夫妻が通り過ぎたため、フェルミが口を噤んだからだ。
「ご子息は、摂政殿下は――私のことを何か話しておられましたか」
「何も」
 失望したように彼女の光彩が揺れる。
「あの子、母親に悪口を吹き込んだりはしませんわ。案外自尊心が高いのよ」
「それは失礼」
 なぜかフェルミは落胆していた。カザルスの分析を信じるなら、自分も殿下にとって「どうでもいい」区分に分類されたのだろう。
「息子の口から聞かなくても、大体予想はつきますわ。いじめて下さったのね。あの子を」
「控えめに過ぎる表現です」
 呟きながら、フェルミは周りを見る。演奏がよく反響する位置で踊っているため、何を口走っても周囲には伝わらないだろう。
「私は、ご子息を助けなかった。それどころから殺そうとしたのです」
「そう、よくある話なのでしょうね」
 よくある、こと?
重罪を告白したというのに、余りに軽すぎる反応だ。
「子供が危機に瀕していたと聞かされたら、嘆きもします。怒りもします。でも、あり得ない話とは考えません。名家の母として、当然の心構えです」
「しかし、あなたは怒ってさえいませんね」
「怒ってほしかったの?」
 快活な印象を振りまく瞳が、嗜虐的な色合いを帯びる。
「大の男が、ケーキを絨毯にこぼした子供みたいに叱ってもらいたかったのかしら」
「……そこまで無様な人間ではないつもりです」
「でもあなたは、それをわざわざ教えてくれた。どうしてかしら」
「これだけは知っていてもらいたかった」
 フェルミは自分自身に追いつめられていた。
「本当は助けたいと思っていたんです。あなたの息子が仮の君主に祭り上げられると聞いて、命だけは救ってやりたいと望んでいたんです。ご子息が評議会に刃向かった際も……味方をしてやりたかった。だが、俺にも俺なりのしがらみが張り付いていて、動くに動けなかった」
 言葉を口に出す度に、自分の愚かさが露わにされて行くような不快感に削られる。それでもフェルミは、告解を止められなかった。
「気付いた頃には手遅れになっていた。あなたの息子をどうにかしなければ世が乱れるような、そんな窮地に陥ってしまった。だからこそ、せめて俺の手で決着をつけようと考えたんです。ですが本当は、助けてやりたかった。他ならぬあなたの息子なんですから、救ってやりたいと願っていたんです」
 
 演奏が谷にさしかかる。一瞬の無音。
「そう、変わらないのね、やっぱり」
 懐旧と哀れみをないまぜにしたような表情に、フェルミは打ちのめされた。
「あのときと同じ。思っただけ、なのね」
 手を解き、彼女は離れて行った。
 今更ながらフェルミは思い知る。
 残骸となった少年時代は、二度と蘇りはしないのだと。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

サキ

「王国」名門貴族 黒繭家の次男


ニコラ

黒繭家長女 サキの姉


カヤ

女流画家 サキとニコラの幼馴染

侯爵

黒繭家当主 演劇「決闘の王子」演出総責任者

クロア

黒繭家当主夫人 サキとニコラの母

フランケン

黒繭家執事

カザルス

王国軍少将 

グリム

赤薔薇家当主 王国軍「宮廷軍事評議会」議長

マリオン

宮廷軍事評議会副議長

イオナ

宮廷軍事評議会書記

ゼマンコヴァ

宮廷軍事評議会参議

フェルミ

王国軍大佐

ギディングス

王国軍中佐

グロチウス

共和国軍総司令官

クローゼ

共和国軍中将

バンド

赤薔薇家家宰

コレート

イオナの妻 青杖家当主

ゲラク

赤薔薇家邸宅「いばら荘」掃除夫

レシエ準男爵

王国宮廷画家

ロッド

王国軍少佐 サキ・ニコラの又いとこ

ピーター・ウッドジュニア

 売文家

ジョン・ドゥ

売文家

ジャン・バティスト・ベルナール・フォン・ラインシール

売文家

孔雀男

謎の怪人

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み