闇市
文字数 3,301文字
夕刻、サキはデジレと王都の中間地点で馬車を走らせていた。調査は明日も継続する予定だ。画工たちも帰途に着いている。
論証の筋書きは手に入れた。血染めの外套さえ手に入ったら、カヤの無実は揺るぎないものになる。揺るぎないものになるのだが……
一着の外套を見つけ出すのは簡単な話ではない。デジレ街道周辺に的を絞ったとしてもだ。
この日、サキの馬車を操っていたのは、前回の調査で同行していた(ついでに山で迷った)御者だった。彼がデジレ街道の入り口近辺に住んでいるという話を思い出し、殺害当日の話を聞いてみる。
「軍の外套を纏った男を見なかったか、と言われましてもねえ」
御者は両手を挙げる。移動中なので少し怖い。
「殿下もご存じでしょうが、デジレは戦場も近かったですし、後始末とかで軍装の方が行き交うのもしょっちゅうでしたよ。ましてあのときは戦争から一週間くらいでしたから、外套なんて、何十、何百みかけたやら」
「血染めの外套だったとしても?」
「戦争の後ですから、それなりに汚れたでしょうよ」
御者は鞭を入れながら答える。
「軍人は綺麗好きと、大して気にしないのと両極端に分かれますからね。戦場で浴びた敵の血とか、喜んで見せびらかす方もいらっしゃるので」
「そういうものか」
サキは失望しなかった。そこまで都合よく見つかるだろうとは思っていない。むしろ納得していた。犯人が軍用の外套をまとっていたのは、目撃者をなるべく作らないよう「紛れる」ためだったのだろう。
(とはいえ、犯人は血染めの服をずっと着たままでいるだろうか?)
ずっと、ではないだろう、というのがサキの推測だった。デジレ街道や王都近辺は、行き交う軍人の密度も高い。しかしそれ以外の地域へ向かう場合、人口密度そのものが低下するため、「街道を、血染めの外套を着た軍人さんが通った」等とむしろ印象に残りやすいと思われる。
だとすればデジレ街道が終わる辺りで外套を処分したかもしれない。
街道沿いに水路が走っている。この溝に外套を放り投げたらどうなるだろう。大した深さには見えない。農業用水なら、どこかの畑に引っかかるかもしれない。
「たとえば君の家の水溜とかに、軍用の外套が流れてきたとする。血染めの」
サキは再び御者に話しかけた。
「それを、どうすると思う」
「軍服ってところが扱いに困りますな。そのまま外を歩いたら怒られますから、家の敷地内で着るしかねえ。ただ、生地はそれなりなので、バラして鞍でもつくるかなあ。懐具合によっては、古着屋に出すかもしれませんね」
「その場合、どこの店に出す?」
「あー」
なぜか御者は口ごもっている様子だった。
「あっしは馬車が生業ですから、いろいろな街で古着屋にあたれます。けど今訊いてるのは、この辺の、一般的な住人の話ですよねえ」
「闇市か?ひょっとして」
サキは推測を述べた。農村では常時看板を上げている商店こそ少ないが、定期的に市場が開かれて生活物資を供給している。ただ市を開く場合、少額とはいえ国家への登録料が必要なので、官憲の目を盗んで無許可の闇市が跋扈しているとは聞いていた。
「まあそうなんです」
御者は頭を掻く。
「この辺で軍服を拾ったら、どこに売るか。案内差し上げても構いませんが、その代わり……」
目を瞑れ、というのだ。
サキは了承した。とくに仮借も感じない。
正義も法律も、究極的にはサキの僕に過ぎないからだ。
前回の調査でサキと御者が遭難しかけた山脈の入り口になっていた小高い丘、それを越えると小振りな湖があり、辺りに天幕が並んでいた。
思ったより繁盛している。天幕の周囲は直進できないくらいの人混みだった。白い顔面の道化師が、両手で複数の円環を操る大道芸を披露している。外側から見ると何を売っている店かも分からない天幕は、中を覗いてみても、何を専門にしている店なのか分からない。どの店も、商品に統一性がないのだ。はさみ、やかん、スカート、鬘、殺鼠材・・・
雑多に仕入れた品々を、適当に売りさばいているようだ。
目立つかもしれない、と用意した帽子を深めに被って散策するサキだったが、あちこちであからさまに貴族と判る派手な服装の若者を見かけたので、あまり気にしなくていいかと思い直す。
「あの天幕だけが、酒を売ってます」
御者が指差す先に、水色の天幕が見える。他の天幕より大きく、百人は入りそうだ。
「そこで店主をやっている女が、この闇市の仕切り役です。戦争のときは、部隊の中で酒保(売店)を開いてる女です。軍の補給担当の一人と懇ろらしくて」
御者は握り拳を旋回させる。意味はわからないが、たぶん下品な仕草だろう。
「軍が仕入れすぎた食料品とかを、格安で横流しするようになったのがこの市の始まりだって聞いてます。だからここら一帯で起こっていることは、大抵把握しているはずです」
ただし、気をつけてくださいよ、と御者は耳打ちする。
「酒場に集まっている奴らも含めて、『えらい人』ってやつがあんまり好きじゃないから、怒らせたら面倒なことになります」
「袋叩きに遭うとか?」
「そこまで狂犬じゃありませんけど、機嫌を損ねたら知ってることも話してくれません」
少し緊張しながら、サキは天幕を潜る。酒場は繁盛していた。地べたにすわり、切り株の机に瓶を置いて男たちが歓談している。数人の売り娘が忙しく注文を取っていた。天幕の中央に色とりどりに塗り分けられた酒樽が並ぶ一角があり、一人の女が樽から瓶へと液体を補充していた。二十代前半くらいか、浅黒い肌に、黒髪が艶やかに流れている。
「あの女です」
御者がもう一度耳打ちした、近寄ることができない。女の前に、客が列をつくっているからだ。机に陣取ったまま売り娘に頼んでもいいが、直接酒をもらいに行った方が早いという形式らしい。
ここから大声で呼びかけようか、と考えたが、御者の忠告があるので、商売の邪魔はしないようにする。サキも行列に並ぶことにした。店主と一瞬、眼が合ったが、つまらなそうに視線を反らされてしまう。貴族様の客など、珍しくもないのだろう。
ものの十分ほどで、店主の目の前にやって来た。
「注文は?」
女が首を傾げる。外見より若い声だ。酒保女は既婚者でないと商売ができない規定のはずだが、まだ十代かもしれない。
「ええと、注文ではなくて」
戸惑いながら、サキは言う。
「少し、教えてもらいたいことがあって、質問に答えてほしい」
「今?」
無知を笑うような声が返ってきた。
「後ろ、見てごらんなさいよ。ずらりと並んでる。こいつら全員、待たせろっていうの」
「いや……」
後ろを振り向き、サキは反応に迷う。現時点で酔客たちの表情に敵意は窺えないが、下手な返事をしたらどう転ぶかまではわからない。
「注文するの、しないの?」
女主人は畳みかける。話を聞きに来ただけなのに、なんでこんなに責められるんだろう、とサキは理不尽を感じなくもない。
ようするに、無料で証言したくないって意味か?サキは女の腹の内を推量する。これまで、証言者に代価を提示しなかったのは、それによって内容が左右するのを避けるためだった。しかし、相手が要求するのなら仕方がない、
いくら欲しい――と舌に乗せかけたところで、考え直す。
「この店で、一番高い酒が欲しい」
女主人の反応は好意的なものではなかった。
「それを、あなたが飲むわけ?」
違うのか。サキは懸命に、正答を探す。
「この店で、一番人気の酒は?」
「それならツイカだね。ツイカにニワトコの実を入れて飲むやつだ。それを欲しいの」
「いや、僕は飲まない」
サキは後ろを振り返り、
「その酒を、この酒場に居る全員に飲ませてあげて欲しい。もう飲めないってひとは何かおつまみを」
女主人は満面の笑みを浮かべた。
どうやら正解だったらしい。
「あ、あっしももらっていいですよね?」
御者がおずおずと聞いてくる。
程なくして、酒場は歓声で包まれた。
論証の筋書きは手に入れた。血染めの外套さえ手に入ったら、カヤの無実は揺るぎないものになる。揺るぎないものになるのだが……
一着の外套を見つけ出すのは簡単な話ではない。デジレ街道周辺に的を絞ったとしてもだ。
この日、サキの馬車を操っていたのは、前回の調査で同行していた(ついでに山で迷った)御者だった。彼がデジレ街道の入り口近辺に住んでいるという話を思い出し、殺害当日の話を聞いてみる。
「軍の外套を纏った男を見なかったか、と言われましてもねえ」
御者は両手を挙げる。移動中なので少し怖い。
「殿下もご存じでしょうが、デジレは戦場も近かったですし、後始末とかで軍装の方が行き交うのもしょっちゅうでしたよ。ましてあのときは戦争から一週間くらいでしたから、外套なんて、何十、何百みかけたやら」
「血染めの外套だったとしても?」
「戦争の後ですから、それなりに汚れたでしょうよ」
御者は鞭を入れながら答える。
「軍人は綺麗好きと、大して気にしないのと両極端に分かれますからね。戦場で浴びた敵の血とか、喜んで見せびらかす方もいらっしゃるので」
「そういうものか」
サキは失望しなかった。そこまで都合よく見つかるだろうとは思っていない。むしろ納得していた。犯人が軍用の外套をまとっていたのは、目撃者をなるべく作らないよう「紛れる」ためだったのだろう。
(とはいえ、犯人は血染めの服をずっと着たままでいるだろうか?)
ずっと、ではないだろう、というのがサキの推測だった。デジレ街道や王都近辺は、行き交う軍人の密度も高い。しかしそれ以外の地域へ向かう場合、人口密度そのものが低下するため、「街道を、血染めの外套を着た軍人さんが通った」等とむしろ印象に残りやすいと思われる。
だとすればデジレ街道が終わる辺りで外套を処分したかもしれない。
街道沿いに水路が走っている。この溝に外套を放り投げたらどうなるだろう。大した深さには見えない。農業用水なら、どこかの畑に引っかかるかもしれない。
「たとえば君の家の水溜とかに、軍用の外套が流れてきたとする。血染めの」
サキは再び御者に話しかけた。
「それを、どうすると思う」
「軍服ってところが扱いに困りますな。そのまま外を歩いたら怒られますから、家の敷地内で着るしかねえ。ただ、生地はそれなりなので、バラして鞍でもつくるかなあ。懐具合によっては、古着屋に出すかもしれませんね」
「その場合、どこの店に出す?」
「あー」
なぜか御者は口ごもっている様子だった。
「あっしは馬車が生業ですから、いろいろな街で古着屋にあたれます。けど今訊いてるのは、この辺の、一般的な住人の話ですよねえ」
「闇市か?ひょっとして」
サキは推測を述べた。農村では常時看板を上げている商店こそ少ないが、定期的に市場が開かれて生活物資を供給している。ただ市を開く場合、少額とはいえ国家への登録料が必要なので、官憲の目を盗んで無許可の闇市が跋扈しているとは聞いていた。
「まあそうなんです」
御者は頭を掻く。
「この辺で軍服を拾ったら、どこに売るか。案内差し上げても構いませんが、その代わり……」
目を瞑れ、というのだ。
サキは了承した。とくに仮借も感じない。
正義も法律も、究極的にはサキの僕に過ぎないからだ。
前回の調査でサキと御者が遭難しかけた山脈の入り口になっていた小高い丘、それを越えると小振りな湖があり、辺りに天幕が並んでいた。
思ったより繁盛している。天幕の周囲は直進できないくらいの人混みだった。白い顔面の道化師が、両手で複数の円環を操る大道芸を披露している。外側から見ると何を売っている店かも分からない天幕は、中を覗いてみても、何を専門にしている店なのか分からない。どの店も、商品に統一性がないのだ。はさみ、やかん、スカート、鬘、殺鼠材・・・
雑多に仕入れた品々を、適当に売りさばいているようだ。
目立つかもしれない、と用意した帽子を深めに被って散策するサキだったが、あちこちであからさまに貴族と判る派手な服装の若者を見かけたので、あまり気にしなくていいかと思い直す。
「あの天幕だけが、酒を売ってます」
御者が指差す先に、水色の天幕が見える。他の天幕より大きく、百人は入りそうだ。
「そこで店主をやっている女が、この闇市の仕切り役です。戦争のときは、部隊の中で酒保(売店)を開いてる女です。軍の補給担当の一人と懇ろらしくて」
御者は握り拳を旋回させる。意味はわからないが、たぶん下品な仕草だろう。
「軍が仕入れすぎた食料品とかを、格安で横流しするようになったのがこの市の始まりだって聞いてます。だからここら一帯で起こっていることは、大抵把握しているはずです」
ただし、気をつけてくださいよ、と御者は耳打ちする。
「酒場に集まっている奴らも含めて、『えらい人』ってやつがあんまり好きじゃないから、怒らせたら面倒なことになります」
「袋叩きに遭うとか?」
「そこまで狂犬じゃありませんけど、機嫌を損ねたら知ってることも話してくれません」
少し緊張しながら、サキは天幕を潜る。酒場は繁盛していた。地べたにすわり、切り株の机に瓶を置いて男たちが歓談している。数人の売り娘が忙しく注文を取っていた。天幕の中央に色とりどりに塗り分けられた酒樽が並ぶ一角があり、一人の女が樽から瓶へと液体を補充していた。二十代前半くらいか、浅黒い肌に、黒髪が艶やかに流れている。
「あの女です」
御者がもう一度耳打ちした、近寄ることができない。女の前に、客が列をつくっているからだ。机に陣取ったまま売り娘に頼んでもいいが、直接酒をもらいに行った方が早いという形式らしい。
ここから大声で呼びかけようか、と考えたが、御者の忠告があるので、商売の邪魔はしないようにする。サキも行列に並ぶことにした。店主と一瞬、眼が合ったが、つまらなそうに視線を反らされてしまう。貴族様の客など、珍しくもないのだろう。
ものの十分ほどで、店主の目の前にやって来た。
「注文は?」
女が首を傾げる。外見より若い声だ。酒保女は既婚者でないと商売ができない規定のはずだが、まだ十代かもしれない。
「ええと、注文ではなくて」
戸惑いながら、サキは言う。
「少し、教えてもらいたいことがあって、質問に答えてほしい」
「今?」
無知を笑うような声が返ってきた。
「後ろ、見てごらんなさいよ。ずらりと並んでる。こいつら全員、待たせろっていうの」
「いや……」
後ろを振り向き、サキは反応に迷う。現時点で酔客たちの表情に敵意は窺えないが、下手な返事をしたらどう転ぶかまではわからない。
「注文するの、しないの?」
女主人は畳みかける。話を聞きに来ただけなのに、なんでこんなに責められるんだろう、とサキは理不尽を感じなくもない。
ようするに、無料で証言したくないって意味か?サキは女の腹の内を推量する。これまで、証言者に代価を提示しなかったのは、それによって内容が左右するのを避けるためだった。しかし、相手が要求するのなら仕方がない、
いくら欲しい――と舌に乗せかけたところで、考え直す。
「この店で、一番高い酒が欲しい」
女主人の反応は好意的なものではなかった。
「それを、あなたが飲むわけ?」
違うのか。サキは懸命に、正答を探す。
「この店で、一番人気の酒は?」
「それならツイカだね。ツイカにニワトコの実を入れて飲むやつだ。それを欲しいの」
「いや、僕は飲まない」
サキは後ろを振り返り、
「その酒を、この酒場に居る全員に飲ませてあげて欲しい。もう飲めないってひとは何かおつまみを」
女主人は満面の笑みを浮かべた。
どうやら正解だったらしい。
「あ、あっしももらっていいですよね?」
御者がおずおずと聞いてくる。
程なくして、酒場は歓声で包まれた。