植物園にて
文字数 4,479文字
カヤの無罪が確定してから三日後の朝。
青杖家当主コレートは、夫である評議員イオナと共に、王都に住むとある老婦人の邸宅を訪問していた。
「あたしはザッカーヘルズに眼がなくてねえ」
心臓を思わせる奇怪な形状の砂糖菓子をかじりながら、老婆は言う。彼女は、王都近郊にある赤薔薇家の別荘の一つで働いていたメイドの母親だった。
未だ所在のつかめない議長の叔父と義弟の行方を追いながら、コレートが思いついたのは、赤薔薇家に奉仕する使用人の中で、姿を消したものがいないか調べてはどうかという考えだった。
彼らは赤薔薇家が出資している施設のどこかに隠れているかもしれないが、自分で自分の世話ができるとは思えないので、メイドか使用人を近くに置いているはずだ。新しく使用人を雇うよりは、気心の知れた者を連れていくのではないか―――そう推測したコレートは、赤薔薇家に仕える者たちの名簿を確認してはどうかと夫に提案したのだった。結果、解雇された記録はないのにどの館にも見あたらないメイドが一名、浮かび上がったのだ。
「末の娘はものぐさでねえ、足腰が弱ってきたから、代わりにザッカーヘルズをまとめ買いして欲しいって頼んでも、返事一つよこさなかったんですよ。それが最近になって、山ほど送り付けてきたものでね、あの子にもようやく孝心ってやつが芽生えたものかと、涙が出ましたよ、あたしゃあね」
老婆は菓子をかじり続ける。よく舌を噛まないで話せるものだ。
「お子さんは、どちらで働いていらっしゃるのかしら」
コレートが優しく問いかけると、老婆は「赤薔薇家さ」と胸を反らした。
大貴族に仕えている娘が誇らしいのだろう。
「赤薔薇家の、どちらのお屋敷ですか」
「へえ?赤薔薇は赤薔薇家だけど」
駄目か。そもそも娘が奉公先の地所を教えているとは限らない。お一つどうぞ、と渡されたザッカーヘルズを頂いて、コレートたちは老婆の家を離れた。
「このお菓子、摂政府でも頂きましたわ。形は少し違うみたいですけれど」
「娘が送ってきたということは、奉公先に近い店かもしれない」
イオナは真剣な顔で、菓子の表面を眺めている。
「給金の半分を菓子に費やしている兵士を知っている。食べさせたら、心あたりがあるかもしれん」
冬宮近くの兵舎。軍務が務まるのか心配になるくらい丸々と太った軍曹は、ザッカーヘルズを鼻先に近づけるなり、断言した。
「間違いございません。王都北部の『ギニョール亭』にて販売されているザッカーヘルズ蜜柑味です」
「香り、だけで……」
感心するコレートに、軍曹は得意げに鼻筋を撫でた。
「そもそもザッカーヘルズは製造に特殊な器具を要するため、扱っている店は両手の指で間に合う程度です。そのうち、ジャムに蜜柑を使用している店舗は二件のみ、うち一件はジャムにワインを混ぜるので……」
「ご苦労だった退がっていい」
兵士を帰らせ、イオナは持ち歩いていた王都の地図を広げる。
「ギニョール亭とやらがここ。真向かいの、この建物が怪しいな」
コレートも地図を覗き込む。広大な面積を有する施設だ。側には「植物園」と印字されていた。
確かに先日、向かいの植物園で働いているらしいメイドが菓子を買いに来た、とギニョール亭の主人は証言した。あんまり流行っていないみたいですけどね、と対面を指さす。開放された門扉の向こうを、柵のように並ぶ常葉樹が遮っている。
とりあえず内部の様子を伺うため、夫妻は入場券を購入した。娯楽施設にしては無慈悲な値段設定だ。庶民の気晴らしというより、貴族階級の逢い引きや密談用の施設だろう、とコレートは想像する。
入場口を抜けると、そこは一面の花畑だった。秋に枯れない花をよくここまで用意できたものだと感心させられる。しばらく進むと熱帯植物を封じ込めたレンガ積みの温室にたどりついた。温室を抜けると再び花畑が始まり、その先には石造りの小屋。小屋の中には植物標本が展示されていた。小屋を出ると再び花畑。展示を区切ることで、鑑賞者を飽きさせない構成らしい。カヤ嬢が来たら、写生に忙しいことだろう。
「おつき合いしていた頃を思い出しますわね」
コレートは夫のひじに腕を絡める。
「あれは、ハイユだったかしら。二人で公園を散策したのを覚えています。花を見飽きたら、ああいう茂みで」
夫が植物に眼もくれず、石壁やレンガの接合部分を凝視しているのに気づいて、コレートは頬を膨らませた。
「いけませんわ。今のわたしたち、植物園のお客ですのよ」
「あ、ああそうだな」
夫は眉間を掌で叩いた。
「そうだな。茂み。茂みね」
退場した後、地図を取り出したイオナは、指先で植物園の敷地をなぞりながら首を捻る。
「あらかた観尽くしたはずだが、この地図ほど広大ではなかったような気がする」
「どこの区域にも繋がっていない範囲がありましたわね」
コレートも同意した。
「園丁の待機所なら入り口がないのはおかしいですし、住宅地とも隣接していないはずなのに。怪しいですね」
「一か八か、殴り込んでみるか」
イオナは入り口付近で待機していた私服の兵士を顎で促した。
「無関係のときは、マリオン評議員にでも謝罪してもらおう」
動くべきと判断したら、迅速に行動できる点はイオナの美徳の一つだ。数十秒後には地図を持った兵士たちが入場口へ駆け込んで行った。銃を突きつけられたのだろう、受付の悲鳴が響く。
コレートたちは遅れて入場口へ戻り、怯える使用人たちを宥め、身の安全を保証した上で証言を求めた。
「独立した区域があります。貸し切りなんです」
受付に立っていた婦人が、足を痙攣させながら話した。
「出資者の方が、使用人といっしょに長期滞在されているんです」
「出資者とは」
イオナの眼が鋭くなる。
「どこの家の人間だ」
「赤繭家の方です」
「当たりですわね」
コレートは手を叩いた。
戻ってきた兵士に案内されて、コレートたちは先ほど入れなかった区域に到着した。壁の切れ目を強く押すと隙間が生まれ、その先に標本を飾っていたものと同じ石造りの小屋が建っていた。中に入ると、ベッドに老人が横たわっており、傍らで兵士に囲まれたメイドが震えながらザッカーヘルズをかじっていた。顔立ちが朝会った老婆に似ている。
「そちらにいらっしゃる方は?」
イオナが視線をベッドに注ぐ。
「ぎひょーはっはの、おひうえにほはいまふ」
「……菓子を食べずに話せ」
メイドはすさまじい速度でザッカーヘルズを平らげた。食べる前に話すという選択肢はないらしい。
「ええと、亡くなった旦那様の叔父上にあたる方です」
「申し訳ないが、起こしてもらえるか」
「無理です」
「なに」
「ずっと、こうなんです。卒中にやられたそうで、何年も前からずっと眠っておられます」
「ばかな」
イオナは大口を開いた。
「それでどうやって生き永らえているというのだ」
「喉を傷つけないように、花の蜜を布にしみこませて口に入れて、少しずつ、少しずつ、吸い取っていただくんです。そのやり方で、かろうじて……」
「つまり、この方は傀儡だったというのですか」
コレートは老人の、土気色の顔を眺めた。
「議長の叔父上と義弟君。お二方で評議会を脅迫したと伺っていましたが、主体は義弟君だったと?」
「義弟君も、この植物園にいらっしゃるのだな?」
急いて尋ねるイオナにメイドは涙目になりながら、
「今、窓の外にいらっしゃるはずですよ。でも……」
そのとき笑い声が響いた。老人を除く全員が、窓を見た。兵士が窓を開くと、ブランコに揺れる人影が窓枠を通り過ぎた。
小屋の外は外の植物園と同様、常葉樹が取り囲む花畑だ。一際高い二本の木に結びつけられたブランコが、残像を生む程の速度で振り子運動を繰り返していた。
「まあ、フラゴナールみたいですわね」
コレートは窓に近付いた。ただし空中に揺れているのは、フラゴナールの「ぶらんこ」に描かれた婦人ほど優雅な生き物ではない。
「あはははは!うふふふふ!」
野太いバリトンが室内まで響いてくる。
「お日様、お花さん、こんにちわ、雲さん、雨さん、こんにちわ!僕は風、僕はちょうちょ、僕は妖精さん!とっても、とっても、とっても幸せーー!」
小太りの中年男が、空に揺れている。
「あれが?」
イオナが視線を向けると、メイドは頷いた。
「亡くなった奥様の、弟さんです」
「童心に還っていらっしゃる、というわけではなさそうですわね」
ブランコが地面を削ったのか、室内に飛んできた花びらを、コレートは掴む。
「というより、ずっと童心のままなんです」
げんなりとした顔でメイドは菓子をつまむ。
「十年前に外国に行かれてからああなってしまわれたそうでして。大勢のお医者様が診たらしいですが、どの方も匙を投げたとか」
「確認させて欲しい」
額に皺をつくったイオナがメイドに問いかける。
「擬態、ということはあるまいな。ご両人とも」
「ぜったい無理です」
メイドはすさまじい早さで首を横に振る。
「そんな演技を続けていたら、本当におかしくなってしまいます」
兵士の一人がイオナに訊いた。
「小屋のガサ入れを始めて問題ないでしょうか」
「ああ、始めてくれ。しかし、機密は見つからないだろうな」
「何者かが、ご両人を騙っていたという話ですね?」
とりあえずながら、コレートは状況を整理した。
「機密情報を手に入れた誰かさんが、この方たちを隠れ蓑にして、評議会を操作しようと目論見んでいた。そういう絵図なのですね」
「そう考えるしかないな。だが、一体どこの誰の仕業なのか、すぐには思いつかないな」
「いいえ。それほど難しい問題ではありませんわ」
室内のタンスなどを漁り始めた兵士を横目にコレートは自説を組み立てる。
「議長のお子さんはカヤ嬢のみで、奥様もすでに他界済み。カヤ嬢は準男爵家に引き取られたので、基本的に赤薔薇家への影響力は持っておられませんでした。そして、一族の有力者と思われていた、叔父上と義弟君はこの状態。つまり、議長の親戚筋で赤薔薇家に影響力を有する人物がいなくなってしまいます。だとすれば、親族以外の有力者を疑うべきでしょう。筆頭は―――」
結論を口にしようとしたとき、喧噪に邪魔をされた。部屋の外、いやこの植物園の外で、何か騒ぎが巻き起こっているようだ。
「イオナ!コレート!」
よろめくように、窓の外に現れた人物がいる。振り子運動を続ける議長の義弟の下で、息を切らしているのはマリオン評議員だった。
「どうなさいました」
窓にかけよったイオナの手をマリオンは掴む。
「イオナ、冬宮へ戻れ。奥方も。街中にいるのはまずい。暴動が、発生するかもしれない」
「暴動ですと」
「この新聞のせいだ」
マリオンは懐からくしゃくしゃになった新聞を見せた。見覚えのない誌名だった。
青杖家当主コレートは、夫である評議員イオナと共に、王都に住むとある老婦人の邸宅を訪問していた。
「あたしはザッカーヘルズに眼がなくてねえ」
心臓を思わせる奇怪な形状の砂糖菓子をかじりながら、老婆は言う。彼女は、王都近郊にある赤薔薇家の別荘の一つで働いていたメイドの母親だった。
未だ所在のつかめない議長の叔父と義弟の行方を追いながら、コレートが思いついたのは、赤薔薇家に奉仕する使用人の中で、姿を消したものがいないか調べてはどうかという考えだった。
彼らは赤薔薇家が出資している施設のどこかに隠れているかもしれないが、自分で自分の世話ができるとは思えないので、メイドか使用人を近くに置いているはずだ。新しく使用人を雇うよりは、気心の知れた者を連れていくのではないか―――そう推測したコレートは、赤薔薇家に仕える者たちの名簿を確認してはどうかと夫に提案したのだった。結果、解雇された記録はないのにどの館にも見あたらないメイドが一名、浮かび上がったのだ。
「末の娘はものぐさでねえ、足腰が弱ってきたから、代わりにザッカーヘルズをまとめ買いして欲しいって頼んでも、返事一つよこさなかったんですよ。それが最近になって、山ほど送り付けてきたものでね、あの子にもようやく孝心ってやつが芽生えたものかと、涙が出ましたよ、あたしゃあね」
老婆は菓子をかじり続ける。よく舌を噛まないで話せるものだ。
「お子さんは、どちらで働いていらっしゃるのかしら」
コレートが優しく問いかけると、老婆は「赤薔薇家さ」と胸を反らした。
大貴族に仕えている娘が誇らしいのだろう。
「赤薔薇家の、どちらのお屋敷ですか」
「へえ?赤薔薇は赤薔薇家だけど」
駄目か。そもそも娘が奉公先の地所を教えているとは限らない。お一つどうぞ、と渡されたザッカーヘルズを頂いて、コレートたちは老婆の家を離れた。
「このお菓子、摂政府でも頂きましたわ。形は少し違うみたいですけれど」
「娘が送ってきたということは、奉公先に近い店かもしれない」
イオナは真剣な顔で、菓子の表面を眺めている。
「給金の半分を菓子に費やしている兵士を知っている。食べさせたら、心あたりがあるかもしれん」
冬宮近くの兵舎。軍務が務まるのか心配になるくらい丸々と太った軍曹は、ザッカーヘルズを鼻先に近づけるなり、断言した。
「間違いございません。王都北部の『ギニョール亭』にて販売されているザッカーヘルズ蜜柑味です」
「香り、だけで……」
感心するコレートに、軍曹は得意げに鼻筋を撫でた。
「そもそもザッカーヘルズは製造に特殊な器具を要するため、扱っている店は両手の指で間に合う程度です。そのうち、ジャムに蜜柑を使用している店舗は二件のみ、うち一件はジャムにワインを混ぜるので……」
「ご苦労だった退がっていい」
兵士を帰らせ、イオナは持ち歩いていた王都の地図を広げる。
「ギニョール亭とやらがここ。真向かいの、この建物が怪しいな」
コレートも地図を覗き込む。広大な面積を有する施設だ。側には「植物園」と印字されていた。
確かに先日、向かいの植物園で働いているらしいメイドが菓子を買いに来た、とギニョール亭の主人は証言した。あんまり流行っていないみたいですけどね、と対面を指さす。開放された門扉の向こうを、柵のように並ぶ常葉樹が遮っている。
とりあえず内部の様子を伺うため、夫妻は入場券を購入した。娯楽施設にしては無慈悲な値段設定だ。庶民の気晴らしというより、貴族階級の逢い引きや密談用の施設だろう、とコレートは想像する。
入場口を抜けると、そこは一面の花畑だった。秋に枯れない花をよくここまで用意できたものだと感心させられる。しばらく進むと熱帯植物を封じ込めたレンガ積みの温室にたどりついた。温室を抜けると再び花畑が始まり、その先には石造りの小屋。小屋の中には植物標本が展示されていた。小屋を出ると再び花畑。展示を区切ることで、鑑賞者を飽きさせない構成らしい。カヤ嬢が来たら、写生に忙しいことだろう。
「おつき合いしていた頃を思い出しますわね」
コレートは夫のひじに腕を絡める。
「あれは、ハイユだったかしら。二人で公園を散策したのを覚えています。花を見飽きたら、ああいう茂みで」
夫が植物に眼もくれず、石壁やレンガの接合部分を凝視しているのに気づいて、コレートは頬を膨らませた。
「いけませんわ。今のわたしたち、植物園のお客ですのよ」
「あ、ああそうだな」
夫は眉間を掌で叩いた。
「そうだな。茂み。茂みね」
退場した後、地図を取り出したイオナは、指先で植物園の敷地をなぞりながら首を捻る。
「あらかた観尽くしたはずだが、この地図ほど広大ではなかったような気がする」
「どこの区域にも繋がっていない範囲がありましたわね」
コレートも同意した。
「園丁の待機所なら入り口がないのはおかしいですし、住宅地とも隣接していないはずなのに。怪しいですね」
「一か八か、殴り込んでみるか」
イオナは入り口付近で待機していた私服の兵士を顎で促した。
「無関係のときは、マリオン評議員にでも謝罪してもらおう」
動くべきと判断したら、迅速に行動できる点はイオナの美徳の一つだ。数十秒後には地図を持った兵士たちが入場口へ駆け込んで行った。銃を突きつけられたのだろう、受付の悲鳴が響く。
コレートたちは遅れて入場口へ戻り、怯える使用人たちを宥め、身の安全を保証した上で証言を求めた。
「独立した区域があります。貸し切りなんです」
受付に立っていた婦人が、足を痙攣させながら話した。
「出資者の方が、使用人といっしょに長期滞在されているんです」
「出資者とは」
イオナの眼が鋭くなる。
「どこの家の人間だ」
「赤繭家の方です」
「当たりですわね」
コレートは手を叩いた。
戻ってきた兵士に案内されて、コレートたちは先ほど入れなかった区域に到着した。壁の切れ目を強く押すと隙間が生まれ、その先に標本を飾っていたものと同じ石造りの小屋が建っていた。中に入ると、ベッドに老人が横たわっており、傍らで兵士に囲まれたメイドが震えながらザッカーヘルズをかじっていた。顔立ちが朝会った老婆に似ている。
「そちらにいらっしゃる方は?」
イオナが視線をベッドに注ぐ。
「ぎひょーはっはの、おひうえにほはいまふ」
「……菓子を食べずに話せ」
メイドはすさまじい速度でザッカーヘルズを平らげた。食べる前に話すという選択肢はないらしい。
「ええと、亡くなった旦那様の叔父上にあたる方です」
「申し訳ないが、起こしてもらえるか」
「無理です」
「なに」
「ずっと、こうなんです。卒中にやられたそうで、何年も前からずっと眠っておられます」
「ばかな」
イオナは大口を開いた。
「それでどうやって生き永らえているというのだ」
「喉を傷つけないように、花の蜜を布にしみこませて口に入れて、少しずつ、少しずつ、吸い取っていただくんです。そのやり方で、かろうじて……」
「つまり、この方は傀儡だったというのですか」
コレートは老人の、土気色の顔を眺めた。
「議長の叔父上と義弟君。お二方で評議会を脅迫したと伺っていましたが、主体は義弟君だったと?」
「義弟君も、この植物園にいらっしゃるのだな?」
急いて尋ねるイオナにメイドは涙目になりながら、
「今、窓の外にいらっしゃるはずですよ。でも……」
そのとき笑い声が響いた。老人を除く全員が、窓を見た。兵士が窓を開くと、ブランコに揺れる人影が窓枠を通り過ぎた。
小屋の外は外の植物園と同様、常葉樹が取り囲む花畑だ。一際高い二本の木に結びつけられたブランコが、残像を生む程の速度で振り子運動を繰り返していた。
「まあ、フラゴナールみたいですわね」
コレートは窓に近付いた。ただし空中に揺れているのは、フラゴナールの「ぶらんこ」に描かれた婦人ほど優雅な生き物ではない。
「あはははは!うふふふふ!」
野太いバリトンが室内まで響いてくる。
「お日様、お花さん、こんにちわ、雲さん、雨さん、こんにちわ!僕は風、僕はちょうちょ、僕は妖精さん!とっても、とっても、とっても幸せーー!」
小太りの中年男が、空に揺れている。
「あれが?」
イオナが視線を向けると、メイドは頷いた。
「亡くなった奥様の、弟さんです」
「童心に還っていらっしゃる、というわけではなさそうですわね」
ブランコが地面を削ったのか、室内に飛んできた花びらを、コレートは掴む。
「というより、ずっと童心のままなんです」
げんなりとした顔でメイドは菓子をつまむ。
「十年前に外国に行かれてからああなってしまわれたそうでして。大勢のお医者様が診たらしいですが、どの方も匙を投げたとか」
「確認させて欲しい」
額に皺をつくったイオナがメイドに問いかける。
「擬態、ということはあるまいな。ご両人とも」
「ぜったい無理です」
メイドはすさまじい早さで首を横に振る。
「そんな演技を続けていたら、本当におかしくなってしまいます」
兵士の一人がイオナに訊いた。
「小屋のガサ入れを始めて問題ないでしょうか」
「ああ、始めてくれ。しかし、機密は見つからないだろうな」
「何者かが、ご両人を騙っていたという話ですね?」
とりあえずながら、コレートは状況を整理した。
「機密情報を手に入れた誰かさんが、この方たちを隠れ蓑にして、評議会を操作しようと目論見んでいた。そういう絵図なのですね」
「そう考えるしかないな。だが、一体どこの誰の仕業なのか、すぐには思いつかないな」
「いいえ。それほど難しい問題ではありませんわ」
室内のタンスなどを漁り始めた兵士を横目にコレートは自説を組み立てる。
「議長のお子さんはカヤ嬢のみで、奥様もすでに他界済み。カヤ嬢は準男爵家に引き取られたので、基本的に赤薔薇家への影響力は持っておられませんでした。そして、一族の有力者と思われていた、叔父上と義弟君はこの状態。つまり、議長の親戚筋で赤薔薇家に影響力を有する人物がいなくなってしまいます。だとすれば、親族以外の有力者を疑うべきでしょう。筆頭は―――」
結論を口にしようとしたとき、喧噪に邪魔をされた。部屋の外、いやこの植物園の外で、何か騒ぎが巻き起こっているようだ。
「イオナ!コレート!」
よろめくように、窓の外に現れた人物がいる。振り子運動を続ける議長の義弟の下で、息を切らしているのはマリオン評議員だった。
「どうなさいました」
窓にかけよったイオナの手をマリオンは掴む。
「イオナ、冬宮へ戻れ。奥方も。街中にいるのはまずい。暴動が、発生するかもしれない」
「暴動ですと」
「この新聞のせいだ」
マリオンは懐からくしゃくしゃになった新聞を見せた。見覚えのない誌名だった。