自由人ギディングス
文字数 3,278文字
「うまいなこのクッキー」
ギディングスにもらったクッキーを一かじりするなり、サキは驚いた。浮き世離れした美味しさだ。菓子のマグナカルタだ。
「マリオン評議員にもらったんですよ」
ギディングスは軍服から取り出した水筒に口をつける。
「笑っちゃいますよね。あんな面して、クッキーとか」
それは同感だったが、今、こんな状況でお菓子を食べている僕も大概ではとサキは考えた。階下でフェルミとゼマンコヴァが銃撃戦を繰り広げているかもしれないのにだ。
「いいのかな、こんなことしてて」
「よくないんじゃないですか」
「君が薦めたんだろ!クッキー!」
「だって食べたかったんですよ」
ギディングスはつまらなそうに窓を見た。
「とは言っても、下に行くのは危ないし、窓から脱出くらいしか無理でしょう」
「窓は填め殺しなんだよ」
その点は数回の調査で確認済みだった。
そもそもこの最上階と下の螺旋階段は山の頂上に突き出た筒状の塔なのだ。周囲に飛び移れる場所はない。窓ガラス自体、非常に分厚く、この部屋の家具を投げつけても割れるか怪しいものだった。
大声で外へ呼びかけるのも難しい。議長と犯人が決闘した際も、銃声は誰にも気付かれなかったのだから。
「本当だ、開きませんねえ」
カーテンをばたばた動かし、窓ガラスを確かめていたギディングスがふいに動きを止めた。
「終わったみたいっすよ」
足音が上ってくる。
ギディングスとサキは部屋の正対する位置へ移動した。ギディングスは髪の毛を手串で乱している。激闘の演出だろうか。
帰ってきたのはフェルミだった。左手に銃を持ち、右肩を布で縛っている。利き腕を負傷したようだが、サキは喜べない。
「撃ったのか。ゼマンコヴァを」
「いえ、ご老人には牢屋に入ってもらいました」
つまらなそうにフェルミは答える。どうやったのかは判らないが、少なくとも生きているらしい。
「僕も牢屋くらいで勘弁してくれないかな」
「それはできない相談です」
フェルミはギディングスを見据えた。
「中佐、俺はこの通りだ。お前も手伝え」
「もちろん助けますよ?俺は職務に忠実な軍人ですから」
「標的と一緒にクッキーを食べる軍人か?」
バレていた。
「任務を遂行しろ。お前の銃で、殿下を撃て」
「えー、いやですってば」
「何故嫌だ」
「だって、国家元首を手に掛けるなんて、気分が悪いじゃないですか。撃つなら大佐が撃ってくださいよ」
人が撃つのはいいのか……
肩が痛むのか、脂汗を流すフェルミに、ギディングスはとんでもないことを言い出した
「俺、帰ってもいいですか」
「はあっ?」
声を上げたのはサキだった。フェルミは大儀そうに肩を傾け、
「馬鹿なのか」
「馬鹿はそっちでしょう?俺ねえ、面倒くさい派閥争いとかが嫌いで軍人を選んだんですよ」
ギディングスはぶつくさとこぼす。
「官界とか、何々派とかでぐちゃぐちゃでしょう?軍人なら、少しはましだろうって期待してたのに、こともあろうに、摂政殿下とややこしくなるなんて、ふざけてるんですか?どっちに味方しても良心が咎めるじゃないですか。いい加減にしてくれって話ですよ」
――すごいなこの男。呆れるを通り越してサキは感心していた。言ってもどうしようもないような不平を、堂々とまくし立てている。
「今更、通る理屈だと思うか」
フェルミはあくまで冷静だった。
「殿下を撃て。ギディングス。撃たなければ、俺がお前を撃つ」
「ええー」
「これは脅しじゃない。お前はそれほど思い入れのある部下じゃないからな」
「うっわー、傷つく」
ひとかけらも傷付いていなさそうなギディングスの反応だった。
「こんな話、言いたくはないんですけどね。大佐は、俺がどうしてこの地位にいるか知ってるんですか」
場違いとも言える話題をギディングスは舌に乗せた。
「こんな中身もない、大して仕事ができるわけでもない若造が中佐なんてやってられるのはどういうコネが働いているものか、知ってるんですか?誰か許可しましたか。俺を撃っていいなんて」
なんだこの男?
サキはギディングスをまじまじと眺めた。カヤみたいに、どこかの落胤なのだろうか。それとも単なるはったりか?
「わかったよ」
処置なし、と言わんばかりにフェルミは首を横に振る。
「もういい。この部屋から出ていけ。ただしこの城から出て行くのは許さん。片がつくまで、評議会の権限で封鎖を継続しているからな」
「どーも」
ギディングスが螺旋階段へ向かったので、サキは焦る。
「ちょっと!反対するんなら、加勢してくれよ、この僕に!」
「んじゃ、殿下お疲れさまです。お先に失礼しまーす」
「おいっ!」
本当に帰ってしまった。
信じられない。自由すぎる。
「お待たせして申し訳ない」
フェルミが近付いてくる。
「殿下、俺と撃ち合ってください。一方的に殺すのは、さすがに気が引ける」
白い天幕の中、カザルスは手持ち無沙汰だった。
ここはいばら荘の外、隠し通路を覆い隠すように設置された天幕の一つ。隣の椅子にはイオナが仏頂面で腰かけている。先程からマリオンが、気ぜわしげに幕内を歩き回っていた。この三名以外に人はいない。
「まだ片が付かんのか」
マリオンは羽根飾りを手でかき混ぜ続けている。
「ゼマンコヴァも戻ってこない……やはり城内に向かったのか。下手をすると、評議員同士で殺し合う羽目になる」
「そんなに心配だったら」
カザルスは嫌味の一つもかけてやりたくなった。
「兵士を何人か連れていったら確実だったでしょう」
「兵士はいかん」
マリオンは苦虫を噛んだ。
「たとえ正規軍であっても――殿下を殺せと言ったら、裏切るかもしれん」
「随分自己評価がお低いことで」
カザルスは悪意を重ねた。
「もしくは殿下を高く評価していらっしゃるわけだ。ま、そうでなくては殺す価値がないとも言えますが」
マリオンは歯をかたかたと震わせた。この場に残っている評議員三名の内、摂政殿下を殺害する決定に賛同したのはマリオン一人。ばつの悪い思いをしているのだろう。
「今からでも、止めるべきでは?」
イオナが大声を出した。
「最初の内は、私も殿下を入れ替え可能な駒と見なし、都合が悪ければ除いたらいいと高をくくっておりました。しかしながら民衆への影響力、本人の人格を考慮するに、君主として得難い人物なのではと評価を改めております」
「随分肩を持つようになったな。奥方の影響か?」
口汚いマリオンに、イオナは傲然と胸を反らす。
「それも否定できませんが、本日の心遣いに感服したのです。これまで散々対立してきた我らを助けるために危険を冒してくださったこと、感謝すべきではありませんか」
「感謝よりも、恐れるべきだ」
マリオンは退き下がらない。
「私も、あの坊やが無能とは思わん。人間性に問題があるとも見ていない。そうではない上に本質は子供であるところが危ういのだと、フェルミも主張していたではないか」
納得行かない様子で、イオナはそっぽを向いてしまった。
「ちなみにお尋ねしたいのですが」
カザルスは話題を僅かにずらす。
「議長が、『決闘の王子』と重なるような少年君主をかつぎ上げると言う計画を発案された際、すでにこのような局面も予想されていたのですか」
マリオンは煙草に火を点けた。
「当然だ。厄介な存在に育ちそうだったら、除かざるを得ないだろうとは考えていた」
カザルスは愁眉をつくる。
「それならば、黒繭家のお子さまを選んだのは悪手でしたね」
「何故だ。黒繭家の子息だからこそ、物語の主人公と同一視させやすいだろう?」
「どうも皆さんは、黒繭家を過小評価されすぎているようです。あの家は、決闘の王子を知り尽くした家系なのですよ」
「どういう意味だ」
煙を吐くマリオンに、カザルスはありのままを告げる。
「なにもかも、彼らの思い通りになるという意味ですよ」
ギディングスにもらったクッキーを一かじりするなり、サキは驚いた。浮き世離れした美味しさだ。菓子のマグナカルタだ。
「マリオン評議員にもらったんですよ」
ギディングスは軍服から取り出した水筒に口をつける。
「笑っちゃいますよね。あんな面して、クッキーとか」
それは同感だったが、今、こんな状況でお菓子を食べている僕も大概ではとサキは考えた。階下でフェルミとゼマンコヴァが銃撃戦を繰り広げているかもしれないのにだ。
「いいのかな、こんなことしてて」
「よくないんじゃないですか」
「君が薦めたんだろ!クッキー!」
「だって食べたかったんですよ」
ギディングスはつまらなそうに窓を見た。
「とは言っても、下に行くのは危ないし、窓から脱出くらいしか無理でしょう」
「窓は填め殺しなんだよ」
その点は数回の調査で確認済みだった。
そもそもこの最上階と下の螺旋階段は山の頂上に突き出た筒状の塔なのだ。周囲に飛び移れる場所はない。窓ガラス自体、非常に分厚く、この部屋の家具を投げつけても割れるか怪しいものだった。
大声で外へ呼びかけるのも難しい。議長と犯人が決闘した際も、銃声は誰にも気付かれなかったのだから。
「本当だ、開きませんねえ」
カーテンをばたばた動かし、窓ガラスを確かめていたギディングスがふいに動きを止めた。
「終わったみたいっすよ」
足音が上ってくる。
ギディングスとサキは部屋の正対する位置へ移動した。ギディングスは髪の毛を手串で乱している。激闘の演出だろうか。
帰ってきたのはフェルミだった。左手に銃を持ち、右肩を布で縛っている。利き腕を負傷したようだが、サキは喜べない。
「撃ったのか。ゼマンコヴァを」
「いえ、ご老人には牢屋に入ってもらいました」
つまらなそうにフェルミは答える。どうやったのかは判らないが、少なくとも生きているらしい。
「僕も牢屋くらいで勘弁してくれないかな」
「それはできない相談です」
フェルミはギディングスを見据えた。
「中佐、俺はこの通りだ。お前も手伝え」
「もちろん助けますよ?俺は職務に忠実な軍人ですから」
「標的と一緒にクッキーを食べる軍人か?」
バレていた。
「任務を遂行しろ。お前の銃で、殿下を撃て」
「えー、いやですってば」
「何故嫌だ」
「だって、国家元首を手に掛けるなんて、気分が悪いじゃないですか。撃つなら大佐が撃ってくださいよ」
人が撃つのはいいのか……
肩が痛むのか、脂汗を流すフェルミに、ギディングスはとんでもないことを言い出した
「俺、帰ってもいいですか」
「はあっ?」
声を上げたのはサキだった。フェルミは大儀そうに肩を傾け、
「馬鹿なのか」
「馬鹿はそっちでしょう?俺ねえ、面倒くさい派閥争いとかが嫌いで軍人を選んだんですよ」
ギディングスはぶつくさとこぼす。
「官界とか、何々派とかでぐちゃぐちゃでしょう?軍人なら、少しはましだろうって期待してたのに、こともあろうに、摂政殿下とややこしくなるなんて、ふざけてるんですか?どっちに味方しても良心が咎めるじゃないですか。いい加減にしてくれって話ですよ」
――すごいなこの男。呆れるを通り越してサキは感心していた。言ってもどうしようもないような不平を、堂々とまくし立てている。
「今更、通る理屈だと思うか」
フェルミはあくまで冷静だった。
「殿下を撃て。ギディングス。撃たなければ、俺がお前を撃つ」
「ええー」
「これは脅しじゃない。お前はそれほど思い入れのある部下じゃないからな」
「うっわー、傷つく」
ひとかけらも傷付いていなさそうなギディングスの反応だった。
「こんな話、言いたくはないんですけどね。大佐は、俺がどうしてこの地位にいるか知ってるんですか」
場違いとも言える話題をギディングスは舌に乗せた。
「こんな中身もない、大して仕事ができるわけでもない若造が中佐なんてやってられるのはどういうコネが働いているものか、知ってるんですか?誰か許可しましたか。俺を撃っていいなんて」
なんだこの男?
サキはギディングスをまじまじと眺めた。カヤみたいに、どこかの落胤なのだろうか。それとも単なるはったりか?
「わかったよ」
処置なし、と言わんばかりにフェルミは首を横に振る。
「もういい。この部屋から出ていけ。ただしこの城から出て行くのは許さん。片がつくまで、評議会の権限で封鎖を継続しているからな」
「どーも」
ギディングスが螺旋階段へ向かったので、サキは焦る。
「ちょっと!反対するんなら、加勢してくれよ、この僕に!」
「んじゃ、殿下お疲れさまです。お先に失礼しまーす」
「おいっ!」
本当に帰ってしまった。
信じられない。自由すぎる。
「お待たせして申し訳ない」
フェルミが近付いてくる。
「殿下、俺と撃ち合ってください。一方的に殺すのは、さすがに気が引ける」
白い天幕の中、カザルスは手持ち無沙汰だった。
ここはいばら荘の外、隠し通路を覆い隠すように設置された天幕の一つ。隣の椅子にはイオナが仏頂面で腰かけている。先程からマリオンが、気ぜわしげに幕内を歩き回っていた。この三名以外に人はいない。
「まだ片が付かんのか」
マリオンは羽根飾りを手でかき混ぜ続けている。
「ゼマンコヴァも戻ってこない……やはり城内に向かったのか。下手をすると、評議員同士で殺し合う羽目になる」
「そんなに心配だったら」
カザルスは嫌味の一つもかけてやりたくなった。
「兵士を何人か連れていったら確実だったでしょう」
「兵士はいかん」
マリオンは苦虫を噛んだ。
「たとえ正規軍であっても――殿下を殺せと言ったら、裏切るかもしれん」
「随分自己評価がお低いことで」
カザルスは悪意を重ねた。
「もしくは殿下を高く評価していらっしゃるわけだ。ま、そうでなくては殺す価値がないとも言えますが」
マリオンは歯をかたかたと震わせた。この場に残っている評議員三名の内、摂政殿下を殺害する決定に賛同したのはマリオン一人。ばつの悪い思いをしているのだろう。
「今からでも、止めるべきでは?」
イオナが大声を出した。
「最初の内は、私も殿下を入れ替え可能な駒と見なし、都合が悪ければ除いたらいいと高をくくっておりました。しかしながら民衆への影響力、本人の人格を考慮するに、君主として得難い人物なのではと評価を改めております」
「随分肩を持つようになったな。奥方の影響か?」
口汚いマリオンに、イオナは傲然と胸を反らす。
「それも否定できませんが、本日の心遣いに感服したのです。これまで散々対立してきた我らを助けるために危険を冒してくださったこと、感謝すべきではありませんか」
「感謝よりも、恐れるべきだ」
マリオンは退き下がらない。
「私も、あの坊やが無能とは思わん。人間性に問題があるとも見ていない。そうではない上に本質は子供であるところが危ういのだと、フェルミも主張していたではないか」
納得行かない様子で、イオナはそっぽを向いてしまった。
「ちなみにお尋ねしたいのですが」
カザルスは話題を僅かにずらす。
「議長が、『決闘の王子』と重なるような少年君主をかつぎ上げると言う計画を発案された際、すでにこのような局面も予想されていたのですか」
マリオンは煙草に火を点けた。
「当然だ。厄介な存在に育ちそうだったら、除かざるを得ないだろうとは考えていた」
カザルスは愁眉をつくる。
「それならば、黒繭家のお子さまを選んだのは悪手でしたね」
「何故だ。黒繭家の子息だからこそ、物語の主人公と同一視させやすいだろう?」
「どうも皆さんは、黒繭家を過小評価されすぎているようです。あの家は、決闘の王子を知り尽くした家系なのですよ」
「どういう意味だ」
煙を吐くマリオンに、カザルスはありのままを告げる。
「なにもかも、彼らの思い通りになるという意味ですよ」