特別な拳銃
文字数 3,998文字
カヤが父親と話している間、監獄の外で時間をつぶしていたサキに、コレートが声をかけてきた。時間に余裕があるなら、上流の溜め池を案内したいという。
次の評議会まで、また五日の猶予がある。何か意図があるかもしれないので、厚意に従うことにした。
溜め池と聞いて、巨大な穴を水で浸しただけの無味乾燥な地形をサキは想像したが、周囲に灌木も茂り、水鳥も羽を休めている長閑な場所だった。小舟が一艘、縁に係留されている。コレートの薦めで乗り込んだサキは、彼女が櫂 を手にしたことに少し驚いた。
小舟は縁を離れ、水鳥のじゃまをしないように弧を描きながら対岸へと進む。
「お上手ですね」
コレートの優雅な櫂さばきが、サキには以外だった。
「この池、お気に入りですの」
青杖家当主は笑う。
「程良い空気の湿り、眼に快い水草の蒼・・・内緒話にはうってつけですわ」
やはり、目的があったようだ。
「殿下、先ほどのご説得、わたくし感服いたしましたわ」
お世辞から始めるつもりだろうか。
「そんな、ほめられるものじゃなかったです。論理もぐちゃぐちゃ、勢いだけでした」
「いいえ。すばらしいお話でしたわ。わたくしも、彼女を翻意させる方法を二つばかり検討しておりましたけれど、殿下のなさりようはどちらとも違うものでした」
サキは興味を牽かれた。
「その方法とやら、教えていただけませんか」
「それほど独創的なものではありません」
コレートは船をゆっくりと旋回させた。
「恋に訴えればよろしかったのです.『君を愛している。君を失っては生きていけない』切々と語れば、効果は抜群でしょう」
「無理ですよそんなの」
サキは苦笑してしまう。
「説得力が皆無です」
「皆無でしょうか?」
コレートは首を傾げる。
「お二人はご友人とのことですが、私のみたところ、お互いを憎からず思っていらっしゃるようですけれど」
まさかこんな話題に流れるとは予想外だった。サキはむず痒い。
「ええと、確かに彼女は幼い頃から一緒にいましたし、気心の知れた相手ですし」
カヤとの距離感について、サキは考える。言葉にした場合、コレートの使った「憎からず」という表現が最も適当だ。
「大人になって、このまま、なしくずし的にいい感じになれたら、まあ、うれしいとは思っていましたけれど、そんな中途半端な気持ちじゃ効果はないでしょう?」
「正直な方ですね」
コレートはくすくすと身を揺らす。
「でも、それだけ想っていらっしゃったのなら充分ですわ。カヤさんは心の底では助かりたかったのですから、通用したに違いありません」
「そうでしょうかねえ」
カヤにこれまで見せなかった側面があると知ったばかりのサキとしては、否定しきれない可能性だった。
「でもやっぱり、安易な手口であるのも確かです。ある種の女性が対象の場合、成功しても、尊厳を傷つけられたと感じるかもしれません」
「すみません、よくわからないのですが」
「そうですね。たとえば、銃が二丁あるとします。普通の銃と、魔法の銃」
オールを船に置き、コレートは指先で二丁拳銃をつくる。
「普通の銃は、撃たれたら誰でも落命します。一方、魔法の銃は、私だけを殺すことのできる仕組みで出来上がっているとします。この場合・・・」
コレートは片手で自分のこめかみを撃った。
「どうせなら、後者の方で殺してもらいたい、そう想いませんか?」
「僕が使ったのは、魔法の銃だったと?」
「それもとびきりの特注品ですわ」
コレートは指の拳銃を一瞬、サキに向けた後、櫂を持ち直した。
「あれで殺されるなら、本望というものです」
比喩が物騒すぎて反応に迷う。
小舟は溜め池の中心部までやってきた。対岸へむかうでもなく、周辺を漂っている。
「とにかく、カヤさんが前向きになられた点は喜ばしいですわ。当面、権力の中で生き続けてもいいと決意されたので、わたしたちも対応が可能になりました」
どうやら本題に入ったらしい。
「『わたしたち』とは貴方とイオナ評議員のことですか」
サキの問いに、コレートは首を振って否定する。
「このお話に限り、青杖家と評議会を合わせたものとお考えください」
サキは胸中で警戒の度合いを上げる。
「評議会の決定事項が、ご主人から流れてくるのですか?」
「漏洩とは違います。今回に限り、私を通して評議会の意向をお伝えするよう夫に指示がありました」
コレートは周囲を見回した。溜め池の中心部。盗み聴きは難しい位置だが、念のためだろう。
「カヤさんを有罪にするよう、議長の親族から圧力がかかっている話はご存じでしょうか」
「義理の弟君と、叔父上からですね」
サキはバンドの注進を思い返した。圧力の具体的な内容については知らないと正直に答える。
「簡単に言うと、脅迫です。評議会にとって大変不利益な情報を親族の方が握っておられます。『言うとおりにしやがれ。ばらされたくなかったら』というやつですね」
冗談めかしてコレートは言う。
カヤが議長の実子だと判明したため、サキにも親族側の目論見が推察できるようになった。ようするに彼女が邪魔なのだろう。カヤさえ排除すれば、当主の座は叔父だか義弟だかのものになる。大貴族の地位が手には入るのだ。なりふり構っていられないのだろう。
「その情報がどういうものであるかについては、私も教えてもらえませんでした」
コレートは不服そうに唇を尖らせる。
「殿下と揉めに揉めてもなお、有罪に持っていきたいのですから、相当な機密には違いないでしょうね」
「すると、証拠集めは無意味なんですか」
徒労感を覚えつつ、サキは訊いた。
「どれだけ完璧な論証を用意しても、評議会は彼女を有罪にはできない・・・」
「いいえ、殿下が取り決めされた通り、評議会の決定は新聞に公開されてしまいますから、不合理な審判を下すことはできません。仮に暴動につながらないとしても、評議会の威信は損なわれてしまいます。そもそも、君主でも大貴族の当主でもない人間に脅され行動を制限されている状況に、忸怩たる思いを抱く評議員もいらっしゃるようですので」
水色の小鳥が滑るように小舟の側を横切った。慈しむように眺めながらコレートは話し続ける。
「今からお伝えするのは、カヤさんを無罪とする完璧な論証が提出された場合に、評議会がどのように動くかという予告です。先ほどカヤさんとお父様にも承諾を頂いております」
手回しが早い。目の前にいる青杖家当主の立ち位置を、サキはここに及んで見定めた。マリオンも、他の評議会の面々も、本気でサキと争いたいわけではない。状況に応じて態度を軟化させるにあたって、交渉役と連絡窓口を担うのがコレートなのだ。
「次回の評議会で、カヤさんの有罪に対して強力な反証が提出された場合、評議会は無罪判決を下します。その直後、あるいは同時に」
コレートは指先を水面に突き立て、波紋をつくった。
「国内に点在する赤薔薇家の所領すべてを封鎖する予定です」
「ふうさ」
なかなか物騒な話だった。
「通行止めにする程度じゃないですよね」
「程度じゃありません。兵隊を送り込んで、お住まいの方を軟禁いたします」
再びコレートが造った指のピストルが、場合によっては軟禁だけでは済まないと語っている。
「目的は当然、脅迫の証拠を取り上げることです。議長の叔父上と弟君は北方の別荘にしばしばいらっしゃるそうなので、ひとまずはそちらに注力する手筈です。わたくしも、お手伝いする予定になっておりますの。素直に証拠を渡していただければそれでよし、そうでなければ説得いたしますわ」
説得……隠語としての「説得」だろうか。
サキは突っ込まないでおく。
「当主不在とはいえ、大貴族の領内に軍隊を送り込むわけですよね」
サキは不安にかられる。
「道義的にというか、国家の運営上、許されるものですか、そういうの」
口にしてから、気付く。
この場合、「許す」のは自分の役目なのだ。
「つまり・・この僕のお墨付きが欲しいわけですね?」
「ご推察の通りですわ」
コレートは櫂を持ち直して、再び漕ぎ始めた。小舟は元いた岸へ向けて旋回する。
「付け加えると、こちらには赤薔薇家の次期党主もいらっしゃいますので、カヤさんにも、何らかの見解なり宣言なりをお願いしています」
カヤも気の毒に。
権力から逃げないと宣言した途端、結構な重荷を背負わされる羽目になるわけだ。可哀想な気もするけれど、決意したのだから仕方がない。描けばいいだろう。お家騒動の絵を。
今日はいい日になった。サキは満足する。とりあえず、二つの懸念が解消されたのだ。
カヤは生きるつもりに立ち直ってくれた。
証拠が揃えば彼女を無罪にできるという確約も得た。
後は、無罪の論証を組み立てるだけだ。
まあ、それも結構な難関なのだけれど。
ふと、サキはコレートの発言を思い出した。
「そういえば、二つ考えたとおっしゃいましたよね。カヤを思いとどまらせる方法です。もう一つは?」
「ああ、それは一番つまらないやり方ですわ」
コレートは櫂を繰りながら、肩を揺する。
「殿下にお伝えするほどのものではありません」
「後学のために教えていただけませんか」
「『死を選ぶようなら、準男爵家の人たちに危害を加える』そう脅せばよかったのですわ」
サキの視線を受けて、コレートは櫂を持ったままの手をぶんぶんと振った。
「いやですわ、そういうやり方がある、というだけですのよ?何の罪もない方々に危害を加えるなんて、そんな酷いことはいたしませんわ」
サキは苦笑いで応える。
脅すまでなら、できてしまうのだろうか。
次の評議会まで、また五日の猶予がある。何か意図があるかもしれないので、厚意に従うことにした。
溜め池と聞いて、巨大な穴を水で浸しただけの無味乾燥な地形をサキは想像したが、周囲に灌木も茂り、水鳥も羽を休めている長閑な場所だった。小舟が一艘、縁に係留されている。コレートの薦めで乗り込んだサキは、彼女が
小舟は縁を離れ、水鳥のじゃまをしないように弧を描きながら対岸へと進む。
「お上手ですね」
コレートの優雅な櫂さばきが、サキには以外だった。
「この池、お気に入りですの」
青杖家当主は笑う。
「程良い空気の湿り、眼に快い水草の蒼・・・内緒話にはうってつけですわ」
やはり、目的があったようだ。
「殿下、先ほどのご説得、わたくし感服いたしましたわ」
お世辞から始めるつもりだろうか。
「そんな、ほめられるものじゃなかったです。論理もぐちゃぐちゃ、勢いだけでした」
「いいえ。すばらしいお話でしたわ。わたくしも、彼女を翻意させる方法を二つばかり検討しておりましたけれど、殿下のなさりようはどちらとも違うものでした」
サキは興味を牽かれた。
「その方法とやら、教えていただけませんか」
「それほど独創的なものではありません」
コレートは船をゆっくりと旋回させた。
「恋に訴えればよろしかったのです.『君を愛している。君を失っては生きていけない』切々と語れば、効果は抜群でしょう」
「無理ですよそんなの」
サキは苦笑してしまう。
「説得力が皆無です」
「皆無でしょうか?」
コレートは首を傾げる。
「お二人はご友人とのことですが、私のみたところ、お互いを憎からず思っていらっしゃるようですけれど」
まさかこんな話題に流れるとは予想外だった。サキはむず痒い。
「ええと、確かに彼女は幼い頃から一緒にいましたし、気心の知れた相手ですし」
カヤとの距離感について、サキは考える。言葉にした場合、コレートの使った「憎からず」という表現が最も適当だ。
「大人になって、このまま、なしくずし的にいい感じになれたら、まあ、うれしいとは思っていましたけれど、そんな中途半端な気持ちじゃ効果はないでしょう?」
「正直な方ですね」
コレートはくすくすと身を揺らす。
「でも、それだけ想っていらっしゃったのなら充分ですわ。カヤさんは心の底では助かりたかったのですから、通用したに違いありません」
「そうでしょうかねえ」
カヤにこれまで見せなかった側面があると知ったばかりのサキとしては、否定しきれない可能性だった。
「でもやっぱり、安易な手口であるのも確かです。ある種の女性が対象の場合、成功しても、尊厳を傷つけられたと感じるかもしれません」
「すみません、よくわからないのですが」
「そうですね。たとえば、銃が二丁あるとします。普通の銃と、魔法の銃」
オールを船に置き、コレートは指先で二丁拳銃をつくる。
「普通の銃は、撃たれたら誰でも落命します。一方、魔法の銃は、私だけを殺すことのできる仕組みで出来上がっているとします。この場合・・・」
コレートは片手で自分のこめかみを撃った。
「どうせなら、後者の方で殺してもらいたい、そう想いませんか?」
「僕が使ったのは、魔法の銃だったと?」
「それもとびきりの特注品ですわ」
コレートは指の拳銃を一瞬、サキに向けた後、櫂を持ち直した。
「あれで殺されるなら、本望というものです」
比喩が物騒すぎて反応に迷う。
小舟は溜め池の中心部までやってきた。対岸へむかうでもなく、周辺を漂っている。
「とにかく、カヤさんが前向きになられた点は喜ばしいですわ。当面、権力の中で生き続けてもいいと決意されたので、わたしたちも対応が可能になりました」
どうやら本題に入ったらしい。
「『わたしたち』とは貴方とイオナ評議員のことですか」
サキの問いに、コレートは首を振って否定する。
「このお話に限り、青杖家と評議会を合わせたものとお考えください」
サキは胸中で警戒の度合いを上げる。
「評議会の決定事項が、ご主人から流れてくるのですか?」
「漏洩とは違います。今回に限り、私を通して評議会の意向をお伝えするよう夫に指示がありました」
コレートは周囲を見回した。溜め池の中心部。盗み聴きは難しい位置だが、念のためだろう。
「カヤさんを有罪にするよう、議長の親族から圧力がかかっている話はご存じでしょうか」
「義理の弟君と、叔父上からですね」
サキはバンドの注進を思い返した。圧力の具体的な内容については知らないと正直に答える。
「簡単に言うと、脅迫です。評議会にとって大変不利益な情報を親族の方が握っておられます。『言うとおりにしやがれ。ばらされたくなかったら』というやつですね」
冗談めかしてコレートは言う。
カヤが議長の実子だと判明したため、サキにも親族側の目論見が推察できるようになった。ようするに彼女が邪魔なのだろう。カヤさえ排除すれば、当主の座は叔父だか義弟だかのものになる。大貴族の地位が手には入るのだ。なりふり構っていられないのだろう。
「その情報がどういうものであるかについては、私も教えてもらえませんでした」
コレートは不服そうに唇を尖らせる。
「殿下と揉めに揉めてもなお、有罪に持っていきたいのですから、相当な機密には違いないでしょうね」
「すると、証拠集めは無意味なんですか」
徒労感を覚えつつ、サキは訊いた。
「どれだけ完璧な論証を用意しても、評議会は彼女を有罪にはできない・・・」
「いいえ、殿下が取り決めされた通り、評議会の決定は新聞に公開されてしまいますから、不合理な審判を下すことはできません。仮に暴動につながらないとしても、評議会の威信は損なわれてしまいます。そもそも、君主でも大貴族の当主でもない人間に脅され行動を制限されている状況に、忸怩たる思いを抱く評議員もいらっしゃるようですので」
水色の小鳥が滑るように小舟の側を横切った。慈しむように眺めながらコレートは話し続ける。
「今からお伝えするのは、カヤさんを無罪とする完璧な論証が提出された場合に、評議会がどのように動くかという予告です。先ほどカヤさんとお父様にも承諾を頂いております」
手回しが早い。目の前にいる青杖家当主の立ち位置を、サキはここに及んで見定めた。マリオンも、他の評議会の面々も、本気でサキと争いたいわけではない。状況に応じて態度を軟化させるにあたって、交渉役と連絡窓口を担うのがコレートなのだ。
「次回の評議会で、カヤさんの有罪に対して強力な反証が提出された場合、評議会は無罪判決を下します。その直後、あるいは同時に」
コレートは指先を水面に突き立て、波紋をつくった。
「国内に点在する赤薔薇家の所領すべてを封鎖する予定です」
「ふうさ」
なかなか物騒な話だった。
「通行止めにする程度じゃないですよね」
「程度じゃありません。兵隊を送り込んで、お住まいの方を軟禁いたします」
再びコレートが造った指のピストルが、場合によっては軟禁だけでは済まないと語っている。
「目的は当然、脅迫の証拠を取り上げることです。議長の叔父上と弟君は北方の別荘にしばしばいらっしゃるそうなので、ひとまずはそちらに注力する手筈です。わたくしも、お手伝いする予定になっておりますの。素直に証拠を渡していただければそれでよし、そうでなければ説得いたしますわ」
説得……隠語としての「説得」だろうか。
サキは突っ込まないでおく。
「当主不在とはいえ、大貴族の領内に軍隊を送り込むわけですよね」
サキは不安にかられる。
「道義的にというか、国家の運営上、許されるものですか、そういうの」
口にしてから、気付く。
この場合、「許す」のは自分の役目なのだ。
「つまり・・この僕のお墨付きが欲しいわけですね?」
「ご推察の通りですわ」
コレートは櫂を持ち直して、再び漕ぎ始めた。小舟は元いた岸へ向けて旋回する。
「付け加えると、こちらには赤薔薇家の次期党主もいらっしゃいますので、カヤさんにも、何らかの見解なり宣言なりをお願いしています」
カヤも気の毒に。
権力から逃げないと宣言した途端、結構な重荷を背負わされる羽目になるわけだ。可哀想な気もするけれど、決意したのだから仕方がない。描けばいいだろう。お家騒動の絵を。
今日はいい日になった。サキは満足する。とりあえず、二つの懸念が解消されたのだ。
カヤは生きるつもりに立ち直ってくれた。
証拠が揃えば彼女を無罪にできるという確約も得た。
後は、無罪の論証を組み立てるだけだ。
まあ、それも結構な難関なのだけれど。
ふと、サキはコレートの発言を思い出した。
「そういえば、二つ考えたとおっしゃいましたよね。カヤを思いとどまらせる方法です。もう一つは?」
「ああ、それは一番つまらないやり方ですわ」
コレートは櫂を繰りながら、肩を揺する。
「殿下にお伝えするほどのものではありません」
「後学のために教えていただけませんか」
「『死を選ぶようなら、準男爵家の人たちに危害を加える』そう脅せばよかったのですわ」
サキの視線を受けて、コレートは櫂を持ったままの手をぶんぶんと振った。
「いやですわ、そういうやり方がある、というだけですのよ?何の罪もない方々に危害を加えるなんて、そんな酷いことはいたしませんわ」
サキは苦笑いで応える。
脅すまでなら、できてしまうのだろうか。