そうして再びメルボルン

文字数 1,598文字

帰って来ました、メルボルン。1年に1度、日本に里帰りしてはまたここに戻ってくる、こういう生活をかれこれ12年間も続けている。

その間に状況も変わった。

オーストラリアに移住したばかりのころは、日本への一時帰国はなにかパーティーじみた楽しさがあった。北関東にある実家に滞在するよりも、それまで住んでいた東京で過ごしてしまい、懐かしい友達や仕事関係の人たちに会って、メルボルンじゃあ食べられない日本の味を楽しんで、本屋や日本ならではのショッピングを楽しんだり、飲みに行ったり。

それが、長女が生まれて、長男が生まれて―。

まずは本を読んでも機内映画を見ても退屈だった空の旅が、へろへろに疲労困憊する長~い半日に変わった。飛行機に乗るたび、なぜか長女はゲロを吐き、長男は泣きまくるか喚きまくるか走り回るんだ。

今回もメェはさっそく機内で大ゲロを吐いて、隣の私はゲロまみれに。大慌ての私をよそに、本人は夜フライトで眠かったらしく、ゲロまみれのまま可愛らしい寝顔ですやすやと寝入っていた。『眠れる森の美女』のオーロラ姫よろしく眠る娘からゲロを拭い、半ば引きずるようにしてトイレに連れて行って、シャワー代わりに手洗い場で身体を拭いて、エアアテンダントから出してもらったパジャマ代わりのTシャツに着替えさせて…。それでも驚いたことに尚も娘は半分眠っていた!? 翌朝目が覚めるや、ゲロの残り香に驚愕していたけれど。

一方、2歳児ムゥの方は飛行機に乗った興奮と夜フライトの疲労からか、ハイテンションになっちゃって、暴力的なまでに騒いでいた。ダディンが見てくれたから助かったけど。今回は夜フライトだったので、少しは眠ってくれて幸いだった。でもって、すべての席にスクリーンがあるというのも有難い話で。

機内話になってしまったけれど、長女が生まれてからは、日本での滞在のほとんどを実家で過ごすようになった。友達と過ごすより、家族と過ごす時間の方ががぜん増えた。

祖母が転んで骨折して、寝たきりになってしまったのは、メェがまだ私のお腹の中にいたころだった。一般に寝たきりになると認知症が進んでしまうというけれど、祖母の認知症も進んでしまった。祖母はそのうち自分の名前も忘れてしまった…。

両親、とりわけ実の娘である母は、祖母の介護に追われるようになった。祖母を施設に預けてはと勧める声を退けて、母は頑張っていた。本人が認知症を患う前に家で死にたいと言っていたから、と。

母は老々介護をもう少し、もう少しと頑張り続けて、去年ついに痛みのあまり首を上げられなくなってしまったんだそうだ。いつも俯いたままなので、脳へゆく酸素や血液の量が減って循環が悪くなってしまって、脳卒中や脳梗塞が心配だと言われていた。母はそれでも頑張っていたんだ。

だけど今回帰ったら、祖母は施設にいた。認知症の老人たちが集まるフロアで生活していた。

実家の愛犬シーズーのポンちゃんは、糖尿病の末期で死にかけていた。前回会ったときには丸々とふくよかだったのに、ガリガリに痩せてしまっていた。それでも赤ちゃんのオムツを履いて、シーズーのリュー君と一緒にまだ実家のアイドルとして愛嬌を振りまいてくれたけど、来年は会えるだろうか?

なんだか父に元気がないのも気になった。

時間は流れ、状況も変わってゆく。

祖母を施設に預けて、時間的精神的に余裕のできた母は、ついに病院に行った。ベッドが空き次第入院することになったらしい。これからいろいろ検査を受ける。

だけどありがたいことに、両親の近くには妹夫婦が住んでいてくれる。

来年は、今度帰るときには、どうなっているんだろうか?

会うごとに大きくなってゆく姪っ子たちは、実家と妹ファミリーとの間に広がる向日葵畑みたいに、老いてゆく両親を輝かせてくれるだろうけど。

それにしても8月の日本は暑かった。そうしてメルボルンは、凍えるんだなぁ。

2008年8月5日
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