永~い夜

文字数 3,736文字

祝日でもないのに、うちの子たちの通う学校はCurriculum Day(カリキュラムの調整日)とやらでお休み。くわえてビクトリア州では週明け月曜日がLabour Day労働者の日で祝日になるため、子どもたちは朝から「4連休だ!」と大はしゃぎだった。元気な子どもたちパワーに押されたのか、夫もうかれ気味だ。

朝食が終わるや、そんなにいい天気でもないのに(つーか、曇り空のうえ肌寒い。私などジャケットを羽織っている)、ダディンは子どもたちをビーチに連れ出した(自営業なので時間的融通が効くのよ)。ちなみに彼は昨日も肌寒い中、子どもたちを屋外プールに入れている。

オーストラリアと聞くとケアンズとかゴールドコースト辺りのトロピカルなビーチカルチャーを思い浮かべる方も多いでしょうが、ここビクトリア州は基本的に、寒い。夏でも例外的に暑い日が続くこともあるものの、基本は涼しい。40度を超える日でさえ乾いて湿気の少ない土地ゆえに、日本の同じ温度と比べると体感温度はかなり低めとなる。

そんな土地柄だけど、腐ってもビーチ文化魂。ビクトリア州のオージーたちは、多少涼しかろうが肌寒かろうが、凍えそうで日本人なら絶対に海水浴など思いつかない日でさえ、元気にビーチに繰り出してしまうんだ。もちろん、うちのダディンもそんな一人。

このところ3歳の息子は咳をしていたので、大丈夫かな~?と黄色信号を送ったのだけれど、波と戯れたいダディンも子どもたちも私の懸念など聞く耳持たず。私の方は急ぎの仕事が詰まっていたので、子どもたちは彼に任せることにした。

そのうち突然、激しい雨音。外を見れば真っ暗な空にかなり大粒の雨が降っている。冷たそ~な雨だけど、あの子たちは大丈夫だろーか? 次第に雨の勢いは弱まったものの、半時間ほど降っていた。

お昼ごろ子どもたちは、それでも元気に帰って来た。私の非難がましい気配を察知したのかダディンは「ビーチで雨に降られたときも木陰でビーチマットを被って隠れていたから、ぜーんぜんOKだったよ。No Worry!」と大手を振っていた。

ちなみに昔、語学研修でカリフォルニアに滞在したとき、アメリカ人があまりに「No problem!」を多発するのでびっくりしたけれど、ここオーストラリアでは「No Worry!」である。

さて、子どもたちはシャワーを浴びてから遅いランチを。カフェを出て、買い物をしているうちにだんだんと息子の調子がおかしくなってきた。

家に戻って休ませたのだけど、咳が酷くなってきて、ちょっと熱っぽい感じである。と思ったら、吐いた。2回も。医者に連れて行った方がいいかな?と迷っていると、ムゥ本人が「お医者さんに行くよぉ!」

金曜の午後なのでGPの予約はどこもいっぱいだったが、夕方近く夫がキャンセル空きの予約を見つけ連れて行ってくれた。

ちなみに「GP(General Practitioner)」とは、アメリカで言うホームドクター、日本でいえば町のお医者さんみたいなもので、私たちの健康全般を看てくれる。それで何か深刻な問題があるとGPから専門医を紹介されるの。

4連休とはいえ娘のメェの方は明日土曜日だけの日本人学校があるので、その宿題をさせて早目の夕食を食べさせていたら、ダディンとムゥが戻って来た。なんでも肺が炎症を起こしているので、これから救急病院へ連れて行って、念のために検査用のレントゲンを取らなくてはならないと言う。

えぇっ、救急!? そんなに悪いのぉ~!? 
驚く私を前に息子が「ママもメェも来て~!」と泣き出して、娘も「私も行く!」

結局、家族4人でドタバタと車に乗り込んで病院のEmergencyに向かった。

病院の救急科へ車を飛ばすのはこれで2度目である。1度目もやはり息子だった。去年、2歳のときムゥはベットでふざけていて転んでヒーターの端に頭をぶつけて、派手に出血したのだった。タオルで頭を押さえ止血して車を飛ばしたあの恐怖は今もしっかと焼きついている。

とはいえあのときと違って外傷がないので、本人も私たちにもあまり切羽詰まった感はない。ムゥはお気に入りの「しまじろー」のクリスマスソングを聞きながら、ゲロ袋をマイク代わりにして歌っていた。そうして2回、吐いた。

救急病院は、前回よりも大きな病院だったせいもあって恐ろしく混んでいた。だいたい受付に辿り着くまでにもう長い列ができているんだ。そうして待っている間にますますムゥの具合は悪くなってゆく。けれど列は全然前に進まない。結局待っている間にもムゥはまた派手に吐いてしまった。ゲロ袋じゃあ間に合わず床一面にゲロ溜りが…。

やっと受付を終えてからもまた待った。待ち疲れて、ますます具合の悪くなってきた3歳児。ムゥは待合室のプラスチックでできたフッティー観戦の野外ベンチのような固~い椅子にもはや坐っていられずに、ごろんと寝転んでしまった。

床に毛布を敷いて横になっている小さな子たちが何人かいた。毛布を持ってこなかったことを後悔したけれど後の祭り。公立の病院なのだけど、それにしてももっとマシな椅子を用意することはできなかったのだろーか? どこの国でも真っ先に削られてしまうのは医療福祉予算ってことでしょうか…。

ようやっと息子の名前が呼ばれて、ほっとした。これで看てもらえるのかと思いきや、問診と体温や血圧を測っただけで、おしまい。またもや、待合室でお待ちください、とのこと。

「今夜はフライデー・ナイトでいつも以上に混んでるから。きっとかなり長いこと待たなきゃならないと思うわ」と、看護師さん。
「え、待つって後どれくらいですか?」
「さあ。なんとも言えないけど、とにかく何時間かよ」

ふと前回の救急体験が蘇る。あのとき病院に駆け込んだのが9時過ぎで、診てもらえたのが深夜1時過ぎ、家に帰って来たのが3時過ぎだった。

時計を見ればもう8時。メェは明日、学校である。このままいつまでもここに坐っているわけにはいかない。しかも混んでいて、固~いベンチも満杯に近くなっている。ムゥ一人のために3人も付き添って、ベンチを占領するわけにもいかない。

だけどこれでいいのか、救急イマージェンシー?

隣のティーンネイジャーは前回、揚げ物の油を被って火傷して駆け込んだとき(うわっ、痛そっ!?)どれほど自分が待たされたか、熱弁を振るっている。思わず彼の怒りに共感してしまった。こぉ~んなに待たされて、Emergency救急と言えるんだろーか? 

とはいえ火傷待ちの悲痛な過去を持つティーンネイジャーと怒り合っていても仕方がないので、私はメェを連れて帰ることにした。するとダディンが、念のための検査ってことでレントゲンを取るだけなのに、そんな長いことここで待っていたらムゥの具合がますます悪くなってしまうんじゃあないか、と言い出した。それより今夜はひとまず家に帰ってベッドで温か~く休ませて、明日の朝、改めてレントゲン検査の予約を取ってから行った方がいいのではないか、と。

それもそうかも…。それにダディンは医師免許を持っている。単なる思いつきや素人判断ではなかろうと、皆でいったん帰ることにした。ムゥはプラスティックベンチが辛かったらしく、ベッドで眠れると大喜び。家でパジャマに着替えて、ゲロ用の桶を枕元に置くと、疲れていたのか、あっという間に眠ってしまった。

が、悪夢は深夜に起こった。咳が酷くなって止まらなくなり、ムゥは眠れなくなってしまったのだった。呼吸もままならないほどで、「助けて! 助けて~~~!」と泣いたり、叫んだり。

私も夫も大慌て。ダディンはムゥを連れて、さっきの救急科にUターンした。

ムゥは大丈夫だろうか? また何時間も待たされるのかっ?

何事もなかったかのようにすやすや眠り続ける娘の寝顔を見ながら(それにしても隣でムゥが泣き叫んでいたのにすやすやと眠り続けたメェってすごい! 前に子どもの80%は睡眠時、火災用非常ベルが鳴り響いていても気がつかないってレポートを読んで驚いた記憶があるけれど、それも頷ける眠りっぷりである)、悶々としている間に夜が明けた。

結局ムゥとダディンが戻って来たのは朝も8時過ぎだった。12時半ごろ家を出たから7時間は救急にいたわけである。でもその間ずっと待たされていたわけではなくて、事態の深刻さを見て取った看護師さんが即診察に回してくれたんだそう。けど治療を受けた後に、服用した薬が効くかどうかを見るために病院にいなければならなかったんだそうで。

結局ムゥは喘息だと診断された。今は薬とベントライザー酸素吸引器で落ち着いている。この治療も1週間ほどで終わるとのこと。

ただこれから風邪を引くと喘息の発作を起こしてしまう危険性が高いので注意しなくてはならないんだそうだ。中耳炎も3回しているので、こちらも咳をし始めたら要注意と言われている。これからWで注意しなくちゃだわ。ううっ…。

以後ムゥが咳をしていたら決してプールには入れないしビーチにも連れ出さない、とダディンには固く誓ってもらった。たぶん宣誓書も書いてもらうべきだったかもしれない。

それにしても、ほんと永~~~い夜でした。


2010/3/5
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